相対、禍焔と皙仙
弥平から返事がない。セレモニー開始をするといってもはや数十分経とうとしている中、一向にセレモニー開始の帳が上がることはなかった。
会場も騒然とした雰囲気になりつつある。舞台の進行が止まってるんだから仕方ないが、流石にこれ以上長引くと周囲の警戒を煽ってしまうが、ビル一個を貸しきるくらいデカいパーティーの司会進行なんざ無理だし、正直何をすればいいかなんて分からない。
ちょっと前まで通っていた学校で、全校集会とかいうひたすら退屈な行事でやっていた、こーちょーのオハナシ、みたいなのをやればいいのか。
正直長ったらしい話をするほど、思うことなんざないんだが。
「弥平さま……どうしたんでしょう」
「あ、ああ……」
御玲の呟きに、空返事を投げる。
裏切り者かもしれない。という恐怖と不安が頭をよぎった。
いつもならこんなコミュ障待ったなしの返事なんてしない。でもただ右隣に座ってるコイツに、影で真綿で絞められていると思うと余りに怖いのだ。
そんな奴と既に一ヶ月以上生活を共にしている。もう既につけいられててもおかしくない。
今までまともに話したことがないだけに、どう思っているのか、どう思われているのか、どこまで知ったのか、日頃どんな生活をしているのか。
家族構成、実家の場所。その全てを知らない。聞いていないし、話していないから当然だが、これならもっと話しておくべきだったか。
いや、それだとつけいられる隙を増やす可能性がある。じゃあ今のままで良かったのか。
ああ、ダメだ。いくら考えても何が正しかったのか全然分からない。
どいつもこいつも不安要素ばかり。少しは胸を撫で下ろさせてくれ。なんでこうも不安にさせる。疑わなきゃならない。
戦いは好きだ。でもジメジメした読み合いは好きじゃない。誰も彼も疑わなきゃならないなんて精神が持たないじゃないか。
「いやいやいや……」
これは遊びじゃない。ヒーローごっこでもない。これが``戦い``なんじゃないか。
今までは漫画でよくあるヒーロー物と同じようなことができると思っていた。だから失敗した。
これがリアルの戦い。ジメジメした読み合いに勝ち、戦闘でも勝つ。それだけの能がある奴だけが生き残る。もう英雄としての矜持は捨てたとはいえ、自分が持っているものを有効活用する事だけは変わらない。
勝てなければ意味はない、ゼヴルエーレとかいうのが言っていた言葉。なら勝ちにいく。今を横たわる全てを覆すために。
「誰だテメェ!!」
「どこの閥のモンじゃ!!」
想いの奔走を塗り潰すように、会場入り口付近いる誰かが、やかましく騒ぎ出す。眉間に皺を寄せ、眉をしかめた。
明らかな怒りを込め、舌打ちをかます。体の奥底から苛立ちが湧き上がり、右手に灼熱砲弾を錬成しようとした瞬間。
「……ッ!?」
会場入り口付近に屯していた、擬巖家関係者らしき集団が、一気に氷の剥製と化したのだ。会場にある家具全てを巻き添えにして。
あまりの急変に澄男と御玲は思わず席を立つ。
多分使われたのは効果範囲と威力からして氷属性系魔法。氷のデカブツが使っていた、ジェリダンなんとかと似通っている気がする。ゼヴルエーレと話した時から使える、身体中を鱗だらけにする形態変化がなければ死んでいた魔法だ。
まさかあの氷のデカブツがまたきやがったのか。もう関わることなんてと思っていたんだが、性懲りもなくまた来たのか。
次は殺すと明確に殺意までチラつかせたのに。まあいい。だったら有言実行。殺すと言ったら殺すまでだ。
テーブルを蹴り飛ばし、会場の中央で剣を構える。入り口付近が凍りつき、大気中の水分が壁に付着した情景を見定めながら、一ヶ月前に相対した存在の戦術、輪郭、得意分野。戦闘に携わる情報を想起させる。
御玲も槍を構える。霜が降り切った会場入り口近くを踏みしめる音が、鼓膜を揺らした。
「``禍焔``だな?」
「それが?」
「俺と戦え」
現れたのは、鏡面張りの銀髪を持つ少年。あまりに唐突な登場と、脈絡のない要求。言動と行動の支離滅裂さに、思わず二人は顔を見合わせる。
「あのサ。んなことの前に、やるべきがあんじゃねぇの」
「……」
「……はぁ。タイマン張るにしてもよ。名ァくらい名乗れや」
「裏鏡家当主``皙仙``裏鏡水月だ」
「……テメェが``皙仙``かよ」
「だから何だ」
「テメェは色々知ってんだろ? 色んなトコ歩き回ってるらしいじゃねぇか」
「ああ」
「俺はよ。ある奴らを追っててな。その情報っての? それが欲しいんよ」
「知っていたとして、俺が教示するべき義務がどこにある」
「は? ざけんじゃねぇぞテメェ、道場破りみてぇな真似してタダで済むと思ってんの?」
「ならば、タダで済まないところを俺に見せてみるがいい。できなければ、それまでだ」
「上等だテメェ……そのタイマン買ったらぁ」
「澄男さま!?」
御玲は思わず名を叫ぶ。が、面倒なので無視する。
「俺が勝ったらテメェが知ってる全てをよこせよ? 泣き言はなしだ」
「この裏鏡に、二言はない」
「待ってください、どうして戦う必要があるんですか!?」
「いや……向こうが喧嘩売ってきてんじゃんか」
「これは挑発です!」
「んなことどうでもいい。売られた喧嘩は全部買うのが流川の道理だ」
「そ、それでも真っ正面から……」
ああ、面倒くさい。御玲の鬱陶しい歯止めに、あからさまに顔を歪めた。
ここで買わなきゃどう考えても舐められるってのに、買わないでどうするよ。喧嘩売られて逃げたビビリの腰抜けって思われるだけじゃん。第一、戦わないって言ったとして、この雰囲気で相手が引き下がるワケないだろうに。
なんでその程度の簡単な事が分かんないのか。空気くらい読めや。
「戯言は要らん。二人まとめて相手をしてやる」
空洞を彷彿とさせる瞳が覗き、二人の論争を、凛とした低い声音が破砕した。唇をこれでもかとつり上げる。
「いいのかよ、ンなこと言って」
「雑魚が一人増えたところで、大差ない」
「なっ……!」
御玲の顔色が一気に険しくなる。
「水守家当主``凍刹``を知っての狼藉ですか……!」
「周囲を分析する能もなく、己を家格で誇示する以外に芸のない者を、雑魚と呼んで何が悪い」
「黙りなさい……!」
「ならば黙らせてみるがいい。できなければ、それまでだ」
何かが弾けたような気がした。御玲が感情の波に任せ、全力で間合いへと走りだす。
なんの策もない猪突猛進。槍の切っ先を裏鏡に合わせ、豪速の勢いで突進する。
「水守流槍術・羅雪貫槍!!」
切っ先から円筒状に展開されたのは、半透明の白色膜。天井にある霊力灯の光を反射し、膜の中にある粒が輝く。
水守御玲。彼女が``凍刹``って呼ばれる所以は、類稀な氷属性系魔術と、水守家一子相伝の槍術にある。
彼女が扱う氷属性系魔術は、暴閥界隈において、人類最高峰と謳われる。
本来、一般に用いられる氷属性系魔術の威力は、敵単体を凍結させる、強い冷風を吹かせる程度のものでしかない。だが彼女は空気から熱を根刮ぎ奪い取るために短時間連続で魔術を使い、氷と水と水蒸気が等分に混じった混在気体空間をも作り出すことさえ可能である。
また槍の切っ先は非常に細く、表面積が限りなく小さい。そして表面積が小さいほど、かかる圧力は強くなる。
刺突攻撃に特化したその性質は、敵の装甲や肉体の物理防御を容易く貫通させ、体内に直接大きなダメージを与えられる。仮に一撃で仕留められなくても、相手を容易く撃退に追い込んで捕虜として捕まえ、身体の自由を奪うだけの隙を作りやすい。
氷膜が流転し、切っ先を中心にドリルの如く槍は、その姿を変える。
槍の特性と、彼女の氷属性系魔術。それらの組み合わせた技の一種、水守家槍術・羅雪貫槍は、槍の切っ先から展開される氷膜で相手の肉体を冷凍して筋肉を硬直。身体の動きが止まっている隙を狙って相手を刺し貫く技である。
氷膜の温度は大気中の二酸化炭素が凝固したシャーベット状の粒子によって、氷点下五十度を下回る。
瞬間冷凍された肉繊維は硬く、そして脆くなるため、この状態で槍の刺突突貫攻撃を受ければ、運良く重体。最悪、生きて戦場に立つことさえできなくなる。
水守家は代々、対人戦において敵を確実に一殺し、主人の脅威となる存在全てを冥土の奥底に叩き落としてきた。
当然、流川家側近として、そこらの力自慢ぐらいなら淘汰できる自信はある。
だが澄男や弥平など、同格以上の暴閥相手と比べれば、芸はない。だからこそ足りない部分を武器の長所で補う。
力だけで貫けないなら、槍で刺し貫く。一撃で殺せなくとも重体に追い込み、本隊の戦果に貢献する。
それが水守家。先祖代々、流川家側近に徹してきた事で培った、最大の戦訓。大戦が終わっても尚、水守家当主として生まれてきた以上、行うべき行動は変わらない。
目の前に存在する主人への脅威。たとえ同格の大陸八暴閥、裏鏡家が相手であろうとも、後退の二文字はな―――。
「ぐっ……!?」
二文字はない。自らに言い聞かせようとした、その瞬間だった。
視界に砂嵐が舞い、情景が暗転する。頭がぐらぐらと揺れ、まるで脳味噌を木の棒でぐちゃぐちゃにかき混ぜられているかのような、気持ち悪い感覚が襲う。あまりの苦しさに、膝を折った。
抗いがたい睡魔と、激しい頭痛。平衡感覚が明らかにおかしくなっていることを悟るまでに、数秒を要した。
注意力と思考力が散漫している。これは、まさか。
「技の発想は良いが、あまりに安直な突貫だな」
五感が混濁する中で、コクの効いた低い声音が鼓膜をくすぐる。見上げようとするが、身体が鉛にでもなかったように重い。四つん這いにならねば、眠ってしまいそうになる。
「軌道が読めてしまう。顎に一撃を加えられれば、なんの意味もない」
同情の余地もなく、ばっさりと評価が下される。
顎に一撃を加えられた。意識が混濁しているせいか中々思い出せない。記憶障害が起きているのか。
前方には氷点下五十度の氷膜を張っていた。氷属性系に対する耐性や装備がなければ、触れただけで速やかに凍傷になるはず。どうやって膜を抜け、攻撃を加えられた。思考と戦況把握がままならないせいで、頭の回転が頗る遅い。
でも復帰しなければ。分析の猶予はない、その前に次の一手を―――。
「う……え……?」
暗黒の帳に覆われようとしている視界に、緑色の光が映る。胸部辺りから発光するそれに、目を丸くさせた。
「魔……法陣……!? うそ……いつ……どう……やって……?」
「俺は右手でお前の顎を打った。その間、左手が何もしてないとでも思ったのか?」
あ、あ、と唇を震わせた。
戦闘中、詠唱している仕草はなかった。突貫する中で魔法陣を悠長に描く猶予がなかったのは明白だし、澄男を挑発していたときでさえ、詠唱している仕草は無かった。
アイテムを使ったのか。いや、その仕草も確認できていない。
確認できていないだけ。いや、ここまで作為的なタイミングで魔法を発動させるのは無理だ。
ありえない。これは。これは``反則``だ。
「……お前とは、相対するまでもない。あまりに弱すぎる」
凄惨たる評価に唇を強く、強く噛みしめる。
まるで自分がこの場にいる誰よりも強いと言わんばかりの態度。尊大を通り越して、傲慢も甚だしい。尊大な態度と見据える黒目が、更に苛立ちを湧き立たせる。
「ここまでだな。``待機``解放。``暴風``」
反論しようともがくが、叶わなかった。
胸部を圧迫する猛烈な圧力とともに、明暗調整がおかしくなった視界が流転。内臓がかき混ぜられているかのような浮遊感が身体全体を支配する中で、背中に強烈な激痛が奔走する。
浮遊感から否応のない落下を味わった後―――。
何かに打ちつけられたような痛覚が、再び雪崩のように押し寄せた。