白銀の怪異
もはや既に午前を過ぎ去ろうとしている正午。雲一つとない晴天が、無数の高層ビルで過密化した社会を覆う。
太陽の輝きに曇りはない。いつも通り、日々の生活習慣を履行するのみと述べるようにして、大量の電磁波を野に放ち続けていた。
季節は晩春にさしかかったこの頃。
日中の気温は日を重ねる毎に上昇の一途を辿り、太陽が自らのエネルギーで熱唱しだすときは、もはや遠い時期ではないだろう。
過密化が進んだ事によって風通しなどが悪くなっているせいか、ヒートアイランド現象により周囲と比較して若干の気温上昇が見込まれる都心部。
そこに、一際目立つガラス張りのビルの入り口で、一人の少年が佇んでいた。
晩春とはいえ空から降り注ぐ紫外線と、整地されたアスファルトが反射する紫外線を受けながらも、彼の肌は異常なまでに白く塗られている。
未だ日焼けに悩む時期ではないにせよ、定期的に外に出る人間ならば、多少の日焼けはするものである。
しかし彼には多少の日焼けすらない。顔から足に至るまで、服の隙間から垣間見える肌の色は、全て真珠のような純白に染められていた。
「貴様、そこで何をしている。暴閥の者ならば、家紋を見せよ」
白皙の少年に、二人組の男が近づく。
紫外線をきれいさっぱり反射するであろう真っ白な軍服。右胸に刻まれた白鳥の紋様。白鳥家当主、白鳥是空の手下に当る彼らは、入門時の身分確認をしている者達だ。
二人組みの男が声をかけたのも束の間。目の前に立つ少年の異質さに、思わず言葉を詰まらせた。
まず少年の瞳に、瞳孔がないのだ。瞳の外縁部は銀色だが、中心部につれて暗く、黒く塗り潰されている。瞳の中心は真っ黒であった。
じっと見つめていたら引き込まれてしまいそうになるほどの暗黒。とぐろを巻いた蛇ですら、闇に埋もれて垣間見ることすらできない。
しかし、彼等の思考を停止させる要因は瞳ではなかった。目線は少し上に向いている。
では何が彼等を静止させているのか。少年の頭髪だ。
銀髪と述べるべき色彩をしているが、それはもはやただの銀髪ではない。毛の一本一本、根元から毛先。全てに至るまで鏡面と化した白銀に染まっている。
あまりの鏡面さに太陽光を全て反射し、風で髪が靡くたび、網膜に痛覚が走る。眼球から感じる不快感に耐えられず、瞼を細めた。
男にしては若干長い髪。鏡面加工された、地毛とは思えない白銀。
特異点を彷彿とさせる独特な瞳。日焼けという概念を寄せつけない白皙。
人間にしてはあまりに異質な風貌だ。奇異な視線を前にして尚、少年の表情に一片の変化はない。ただぼうっと入り口を眺めているだけである。
監視員は顔をひそめながら両者見つめ合った。
人間である事は分かる、だが逆に言えばそれ以外が全て不可解。
ただの銀髪なら、なんら珍しくはなかった。瞳孔があれば銀色の目玉も珍しくはなかった。しかし、彼の風貌は監視員の期待を全て裏切る代物。
ただただ異形の風貌に圧巻される二人であったが、彼等の困惑を振り解き、瞳を動かさずして、目の前の少年は徐に口を開いた。
「この建物に、``禍焔``がいることは把握している。通せ」
声音は顔つきや外見年齢とは裏腹に、音程は低く、極めて荘厳であった。
年齢は背丈を考えて十六か十七程と推測できる反面、彼の顔つきは意外にも幼く第一印象は顔の整った女性を想わせる。
中性的な風貌に監視員も性別が判然としていなかったが、声音を聞くや否や、声変わりをきちんと迎えた男であると確定させる。
「な、ならば暴閥の者である証を示されよ」
「……お前達暴閥から、``皙仙``と呼ばれる者だ。証は述べるべくもない」
空気が、凍った。
目の前の少年は何と言ったか。
``皙仙``。白鳥是空から、``皙仙``と目される者が来たら速やかに伝えよと命じられている。元を辿れば流川分家派からもだ。
白鳥家組員でも``皙仙``の名を知らない者はいない。
大陸八暴閥に名を連ね、出生、経緯、構成、背景。その全てが明らかではない謎の暴閥。
大戦終結後、流川家を含む様々な暴閥から金銀財宝を強奪し、分家邸を以ってして今も尚消息を隠し続けられている大物―――。
「``皙仙``殿、我らが行う不敬をお赦しいただきたい。貴殿は現在、流川分家派より身柄差し押さえ命令が発令されております。どうか、我々とともに同行願いますか」
監視員の言葉に``皙仙``は口を閉ざしたまま、無言。まるで精巧に作られた等身大の人形の如く、表情括約筋が微動だにしない少年に、感情が読みとれず顔をひそめる。
石像のように動かなくなり、如何声をかけるか、頭の中で言葉を選んでいた矢先。
「ぐお!?」
「ぎゃ!?」
二人は突然の激痛に、思わず地に沈む。太もも辺りから神経を伝って脳へ、雷撃の如く痛覚の信号が走った。
空かさず太ももへ視線を投げる。白いズボンを貫き、じわじわと朱色に染まっている。
思考停止からの急展開。現実の急変に対応できず、白鳥家の組員は狼狽の渦に呑まれていく。
太ももは何か鋭利なもので貫かれた傷跡を示していたが、``皙仙``は何もしていない。ただじっと、呆然と前を見つめていただけである。
腰に携えている刀を振るったわけでもなく、投げナイフを投げたわけでもなく、罠にかかったわけでもない。
彼は何もしていなかった。ただ突然太ももに耐えがたい激痛が、独りでに走っただけなのだ。
血は流れ続ける。幻術の類ではない、確かな傷。大きくもないが、痛覚から判断して小さくもない。推測するに刺突系の何か―――。
監視員が顔を曇らせる中で、持ち前の鏡面を唸らせる少年は、無表情のまま地面に倒れる白鳥家組員を一瞥する。
黒と銀で彩られた瞳から放たれる視線は異常に冷たい。感情という感情が伝わってこない純粋な睥睨。
敵意、悪意、憎悪、悲哀、狂喜、快楽、善意―――そのどれらにも属さない。どこまでも素朴で、平坦で、冷淡。あまりに冷淡な表情と視線は、地面から見上げる二人にとって、極めて残忍に思えた。
「``禍焔``並びに会場内に現存する全てに伝えろ。お前達が``皙仙``と呼ぶ裏鏡家現当主……裏鏡水月が来たとな」
痛みに悶えながら、霊子通信を当主に送ろうとする組員をよそに、裏鏡水月と名乗った少年は、悠然と高層ビルの入り口を、天下の往来を堂々と闊歩する。
「俺は往く」
声音は尚も感情がなく淡白で、濃厚な音色。大気に浸透する旋律は浸透こそすれ、霧散し消える事のない。確固たる宣言とともに。




