暗澹たる家事
弥平との話を終えて後。たった一人、厨房で昼食を作る青髪のメイド、水守御玲は、弥平が話していた大陸八暴閥の事を脳裏に過ぎらせていた。
``皙仙``を誘き出す。
かつてあの弥平を敗退に追い詰めたとされる猛者から情報を引き出す意志があるのだろうが、流川本家派側近として対峙できるのだろうか。
未だ八暴閥を相手取ったことはない。流川本家派の守護の為、父親水守璃厳の命令で、精々中~小規模の暴閥の頭を影ながら潰してきた程度である。
それでも暴閥界では``凍刹``として名が知られる存在になったけれど、所詮は虎の威を借る狐。水守家という家格が、八暴閥の一人に押し上げているにすぎない。
今でも実質上、水守家の実権を握っているのは父だ。水守家総帥水守璃厳の存在があってこそ、当主``凍刹``の存在は成り立っている。
御玲の瞳からふっと目星が消えた。
水守家当主``凍刹``水守御玲。一体何者なのだろう。
自分の名なのは火を見るより明らかだけれど、自分という存在を己で成立させている気が、全くしない。ただ名前と肩書きだけが一人歩きしていて、本当の自分はどこにもないんじゃないか。
考えたところで答が出るわけがない。ただひたすらに惨めになるだけ。でもふとしたことで考えてしまう。
自分とは何なのか。``凍刹``という肩書きと、水守家当主という家紋を取り払ったとき、果たして自分という存在は残るのか。
水守家は、流川本家派の守護に在り。
幼少の頃から言い聞かされてきた家訓の一つ。守護こそが全てであり、守護という執務にひたすら従事することこそが存在意義。
子供の頃は疑問に思っていた頃もあったような気がする。しかし今となっては流川本家派の守護こそが、生き甲斐。
快楽もなければ達成感もない。ただしなければならないからしてきた、何故か。それこそが存在理由だからだ、と言い聞かせて―――。
今回もまた同じこと。ただ相手がいつもより大物なだけ。やることは変わらない。流川本家派当主を守る、ただそれだけをいつも通りにこなすだけなのだ。
「澄男さまをお呼びしないと」
考え事に耽っていたら昼食の盛り付けを終えてしまっていた。考え事をすると気分が優れなくなるのは日常だけれど、ただの作業がすぐに終わるところが唯一の利点だ。
澄男は今、道場か。
応接室のドアから道場までの距離は近いが、澄男があそこを使うようになってから掃除の箇所が増えたので、一日のスケジュールが更に困窮するものとなっている。
新館全域の掃除に加え、道場の掃除。洗濯や料理も合わせると一日汗水垂らして動き回ってようやくのレベル。
相手は本家派当主なので何も言う気はないし、勝手にすればいいが―――。
「……少しでも成果が出たのなら、重畳かしらね」
口から出た声音は淡白で、とてもか細いものであったが、女性にしては思いの外低い声であった。
居間にも台所にも誰もいない。孤独の環境が背を押したのだろうけれど、おそらく誰の鼓膜も揺らすことは決してない。
なくてもいい。所詮、ままあることである。