情報提供
「澄男様、どちらへ」
「疲れた。もう帰る」
永久凍土の住人の再会を垣間見た弥平、その他魑魅魍魎に合流した澄男は、弥平達を無視し、流川邸新館方面へ歩を進める。
何故澄男がここにいるのかはもう聞く気はない。彼の精神状態、そしてこの事態から大体察しがつく。正直今回の事件よりも、もっと重大な事を抱えているのだ。今の澄男を呼び止めるに足りる、重大な。
「澄男様、お待ち下さい。お話がございます」
「後にしてくれ」
「先日、我々を強襲した組織についての情報提供者を見つけました」
澄男の足がぴたりと止まった。ゆっくりと弥平の方へ振り向く。彼の一言に目が大きく見開かれた。
「マジでか」
「彼らになります」
手で指したのは五匹の動物と二人の人型の何か。
ぬいぐるみみたいな奴から小学生程度のガキ、そして一段と背の高い暗澹とした雰囲気を醸し出す紳士。
御伽噺にあるメルヘンチックな世界からやってきたと言えるくらいの魑魅魍魎さに、思わず肩を竦める。
「弥平……」
「戯れなどではございません。情報提供者は後方に控えているあの紳士でございます」
「お初にお眼にかかります。流川澄男さん。私、あくのだいまおう、と申す者です」
弥平に呼ばれ、黒尽くめの紳士―――あくのだいまおうは澄男の前まで進み、背が一回り小さい澄男に深く一礼する。
彼の言葉に、訝しげに表情を歪めた。
「……なんで俺の名を……弥平テメェ……」
「弥平さんは``裏切って``などいませんよ」
紳士は悪辣な笑みを溢し、怪訝な感情を驚きで塗り替えた。
まだ裏切った、なんて言っていない。ただ``疑った``だけだ。強いて言うなら少し殺気立てて問い質しただけ。なのになんで``裏切った``と判断できた。まだそこまで話は進んでいないってのに。
弥平の方へ振り向く。奴の表情は凛々しいまま。成る程、そういうことか。
「ご理解いただけてなにより。ふむ、ここは場所が悪い。移動しませんか」
「あぁ? どこに」
「貴方の拠点……流川本家邸新館、でよろしいかと」
どこまでも気持ちが悪い奴だ。
表情を歪ませる。顔色、目線。何で判断しているのか分からないが、まるで心でも読まれているような感覚。
魔法や魔術の類は感じられない。つまりその手の小細工など使わず、純粋に相手の考えを読んでいるワケか。それも的確に。
確かにここで話すのは場が悪い。情報共有をするにせよ、盗み聞きされている可能性は十分にある。
それに、こいつらは恐らく素性を知っている。こんな拓けた場所で適当に終わらせる気は毛頭ないし、ならばあえて本家邸で話した方がやりやすい。
「パァオング。我はあの者どもとここら一帯の復元及び人間の記憶操作を行おう。先に行っているがいい」
「了解です。では``顕現``を頼みます」
良かろう、と金色のド派手な冠を被った二頭身の象は述べ、よろしいですよね弥平さん、と目線を移す。静かに頷き、彼らの魔法の使用を受け入れた。
クソババアがいつか言っていたが、流川本家邸には当然転移阻害の対策が施されている。弥平が何も言わず受け入れるってことは、その対策を突破できるだけの相手ってこと。
流川の者しか知らない情報を有している事といい、異常なまでの察知能力といい、ただのぽっと出のハッタリ情報提供者じゃない。
真剣な面差しであくのだいまおうを睨むが、紳士の眼は飄々としていた。
澄男を中心に魔法陣が現れ、眩い光が澄男達を包んでいく。エスパーダの戦意が削がれたことで、彼の寒く冷たい世界から解放された中威区から一変。視界は本家邸の居間に塗り替えられ、食事を作っていたのか掃除をしていたのか、メイド服の両袖を捲り上げた御玲の唖然とした姿が眼に映った。
「澄男さま、弥平さま!?」
彼女の驚嘆が居間の大気を揺らす。
強力な転移阻害を全て無視し、居間に姿を現わしたのだから無理はない。
背後にいる異形を見るや否や、顔色を豹変させて殺気立ち、身を構える。敵意を感じ取った弥平が手で制し、事の発端から今までのあらましを丁寧に説明した。
澄男や弥平が交戦した相手。事件の発端となった存在。
そして流川家に大きな被害をもたらした謎の覆面集団について知っている情報提供者になりゆきで出会った事。
全てを聞いて後、御玲から敵意は既になく、静かに居間の真ん中にあるテーブルに鎮座する。
「……その情報提供者、信用しても? 武市の情報屋は嘘八百と悪評名高いはず」
紺碧色の眼光が弥平を写し、彼を強く射抜いた。
武市はヒューマノリア大陸に存在する他の文明国と違って倫理観や道徳、いわゆる``人としての模範``が存在しない。
つまりは何でもあり、あらゆる非道さえも許される国。
``悪事を働く者``だけが悪ではない。``悪事に呑まれる者``もまた、その悪を跳ね除けられない弱者なのが悪いのだ。
従って武市は、嘘で満ち溢れている側面を持っている。情報屋など、ただ弱い者から財を奪う為の看板とのたまっても、過言ではない。
「ご安心を。彼は武市の者ではありません」
彼女の鋭利な眼光を軽々しく跳ね除け、あくのだいまおうは飄々とした態度を崩さない。
「驚かれる必要などありませんよ。知らない事がない、ただそれだけの存在です」
あくのだいまおうと名乗るその紳士は、弥平の言葉に諧謔でも添えるように付け足す。
確かに霊力はほとんど感じない。弥平、澄男と比べれば微々たるものだ。後ろのぬいぐるみのような存在は見た目に反してかなりの力を持っているみたいだが、その中でも飛びぬけて霊力が低い。
戦えば難なく勝てそうな弱々しさが見受けられるものの、果たして真実である保証はどこにあるのか。
いや。と思い返す。
重要なのは戦いの強さではない。弥平でさえ一目おき、なおかつ流川本家邸へ足を踏み入れる事を即座に許すほどの、その叡智。
今、自分達は澄会をまんまと暗殺せしめた組織の足取りを追っている。巧みに雲隠れされている今、どんな些細な事でも知りに行かねば相手の拠点に絶対辿り着けない。たとえ情報を提供する者が異形の者だったとしても、及び腰になっている余裕はないのだ。
「で。単刀直入に聞く。澪華を殺した奴らは何モンだ?」
その質問は、凄まじく安直なまでに素直で、至極単純な質問。もっと他にも聞く事があるのでは、と二人は思ったが口には出さない。
テーブルに座った三人に向かい合って鎮座する漆黒の紳士あくのだいまおうは、ふむ、と頷き考える仕草を見せず、すぐに口を開いた。
「よろしいのですかね」
「何が」
あくのだいまおうの問い返され、澄男は不機嫌そうに眉を歪める。御玲も明白に敵意を示す中で、弥平は含み笑いに塗られた表情から変化しない。
「貴方の質問通り、一から全て答えて差し上げても構いません。しかし私が全て答えてしまった場合、果たして``復讐``は為されるのでしょうかね」
「それはどういう意味……!」
「それに貴方方は私の述べる情報を鵜呑みする程、浅はかな者達ではないはず。本当に貴方の質問に純粋に答える形でよろしいのでしょうかね」
敵意を堪え切れず、拳を握り締めて立ち上がった御玲を、弥平は手で制して諌め、澄男の方を見るように促す。
鬼を射殺すような眼差しであくのだいまおうを睨みつける。そんな彼の姿を前にして顔をしかめながらも、息を吐いて座り込む。
あくのだいまおうとかいう男が言っている事は道理だ。
コイツの述べる事は、おそらく全て真実、最も合理的に考えるならコイツから全てを聞き出して動くべきだろう。
だが全て聞き出し、コイツの言う通りに復讐を成し得たとして、それは``復讐``と言えるのだろうか。
使えるものは全て使う。利用できるものは全て利用する。それに揺らぎはない。揺らぎはないが、コイツの言いなりになって成し得た復讐なんざ復讐じゃない。ただの作業だ。
復讐を本当に成すのなら、直々にじわじわと追い詰めるべきである。奴らをただ殺すだけの``作業``で終わらせる気は更々ない。
いくら後悔しても後悔し切れないくらいに、のうのうと生きている事をじわじわと時間をかけて後悔させ、最後は粉々に打ち砕いてやる。
跡形も残らないくらいに―――。
奥歯を噛み締める音が居間の大気を激しく暴発させ、あの日の屈辱を思い出し、テーブルを叩き割りたい衝動と吠え叫びたい情動を全力で抑える。
「……質問を変える。俺が使ってたアレ、本当にあの野郎が言ってた竜位魔法とかいうヤツなのか」
「私も以前より気になっていたのですが……」
あくのだいまおうは、ふむ、と一言だけ呟き眼を閉じる。
一週間前の十寺との交戦、そして今回のエスパーダとの交戦。二回の戦いにおいて突如出現した、真っ赤な魔法陣と空や大地を引き裂く紅の剛雷。
現状間近で垣間見たのは澄男と弥平、そしてあくのだいまおうとその他ぬいぐるみの七人のみ。
魔法発動前から凄まじい広範囲破壊能力を持ち、絶対零度を成し得た``零絶蔽域``を粉砕。究極の極低温を打ち破った。
人の力では決して成し得ぬ物理現象の一つ``絶対零度``の粉砕は、人間が成し得る身業では当然ない。できるとするなら、まさしく人外。異形によって成しえる未曾有の力のみであろう。
あくのだいまおうの瞼が開かれ、ブラックホールのような常闇が蠢く瞳が、澄男達三人を薄気味悪く一舐めする。
「百聞は一見に如かず。私の言葉よりも貴方方ご自身の眼で拝見なされた方が、確実かと進言致しましょう」
「は……? すまん。意味が分からん」
「皆様はヴァルヴァリオン法国、という国をご存知でしょうか」
あくのだいまおうの問いかけに、首を捻らせた。
ヴァルヴァリオン。そんなロールプレイングゲームに出てきそうな、中二臭いネーミングの国名は聞いた事がない。そもそもその手の知識に興味がないというのがあるが、それにしても聞かない言葉だ。
「大陸北方に存在する異境の国と聞いた事はあります。今は大半が平原と遺跡しか残っていない限界集落であり、いつ絶えてもおかしくないとか」
聞き慣れない用語を前に停止する二人をよそに、弥平は表情一つ変わらない顔をちらつかせ、彼の問いかけに答えた。
「そうです。血統途絶も間近な小国ですが、かつてはヒューマノリア大陸史発祥の地であり、比類なき文明大国でありました」
一気に話が壮大になり、表情に皺が滲むが、あくのだいまおうの語りは一方的に続く。正直、理解力を超えている壮大な話だったので全部覚えている自信はないが、奴の話を下手なりにまとめるとこうなる。
竜聖ヴァルヴァリオン法国。
ヒューマノリア大陸の一番北にあるその国は、``竜人``と呼ばれる、人間と竜の中間ぐらいの生物によって築き上げられた宗教国家。今の人類文明の基盤を創った大国で、当時はこの大陸において、この国以上に栄えた国はないと言われるほど強大な国だったそうな。
その国の繁栄は七十六億年もの間、ヒューマノリア大陸ほぼ全土を支配するまでに至ったらしいが、その壮大な繁栄を嘲笑うかのようにして、``天災``は暗黒の空より現れた。
今までその強大さ故にあらゆる自然災害をもろともしなかったヴァルヴァリオンだったが、その天災は竜人の都で破壊の限りを尽くした。
それはもはや、竜人という一個体の種を滅亡寸前に追い込むほどの大災厄。
力のない奴らは死に絶え、沢山の民族が業火に焼かれ滅びたが、ヴァルヴァリオンに属する勇敢な戦士達は、この天災に真っ向から立ち向かった。死闘の末、竜人滅亡の脅威から国と人々は幸いにも救われ、竜人文明の未来は守られたそうな。
といった風に、ベターな展開の御伽噺にしか思えないただの大陸史だった。
結論、その際に天災が放ったとされる破壊の身業こそが、氷のデカブツを倒すときに使った竜位魔法と瓜二つらしい。
だが唖然とした。何気なく使った力が、そんな伝説級の力だなんて想像できないし、信じられない。確かにあの魔法の力はチートだと思ったが、かつての大国を滅亡寸前に追いやったとか言われても、あまりに壮大すぎてリアリティが感じない。
盛んに瞬きし、思考回路が弾け飛ぶ。
ダメだ、考えれば考えるほど意味が分からない。確かに流川家の出であり、元当主のクソババアに小さい頃からボコボコにされてきた手前、世界でトップの武闘派という自負はある。
でもそれと今の話じゃ、何と言うべきか、格が釣り合わない。
いくら流川家でも種族そのものを根絶やしにできるとは思えないし、そんな事ができたなら、流川るせん家以外に人間なんて残ってないはずだ。
この御伽噺で全てを決めるのはバカでしかないが―――いや、待て。
そういえば、コレが使えるようになったのは一週間前、十寺の野郎にボコボコにされたとき。
確か自分の中にある``自分じゃない何か``と会話していた。思い出せ、誰だったか。確か、確か―――。
「……もしかして……その``天災``って……ゼヴルエーレ……とか呼ばれてないか?」
「ですから、百聞は一見に如かず、です。竜位魔法は世界の最果てに存在するとされる身業。もしかすると関係あるやもしれませんな」
そうか、と返す。
世界の果て。そんなモンは考えたこともなかったし、この大陸全てが世界というしかない。でも確かに竜ってのがどこから来ているのだろうと小さい頃は疑問に思っていた。
もしも自分の想像力じゃ全く歯が立たないくらい途方もなく遠い場所に、太刀打ちできないくらいクッソ強い竜がいたとしたら。
そんなチート臭い概念があっても不思議じゃないし、天災と言われてもなんら珍しいことじゃない。
一週間前に話したのがゼヴルエーレって奴で、ソイツから貰った力が竜位魔法と瓜二つ。
煉壊竜とかなんとか名乗っていたが、アレが本当に竜位魔法なら、ソイツの肩書きに間違いはない。
伝説に沿って言うなら、ヴァルヴァリオンを襲った天災はゼヴルエーレってことになるが―――。
いやいや、と心の中で推測を否定する。
そんなに都合が良いワケがない。この話が本当なら自分の中に竜がいることになるが、それこそ気持ち悪い話だ。
流川家の血筋こそ引いている。でも言ってしまえばただのクッソ強い人間。種族一つを滅亡に追いやった天災と英雄の血を引いているだけの生中な若造じゃ、やっぱり格が全然釣り合わない。
普通に考えてそんなバケモン、人間の中に宿っているなんざアニメや漫画の世界だけだ。某忍者の里の出で幼い頃にバケモンを植えつけられた某主人公じゃあるまいし、キャパシティー的に死んでないとおかしい。
となると一週間前に話したゼヴルエーレってのは竜を語ってるだけの紛い物って推測が妥当だろう。
無知で喧嘩っぱやいだけの若造なんて適当に中二っぽいことを言えば詐欺に引っ掛けやすいし、ただの虚言だと思っていた方が賢明だ、うん。
いつの間にか自虐になっていた事に気づき、精神的に悪いと判断して思索を止める。
あくのだいまおうから引き出した情報は、予想を斜め上をいく壮大な御伽噺。
正直バカにしてんのかと言いたいが、これ以上質問しまくってもこいつらの胡散臭さが増すだけだし、正直理解力以上の話をされると頭が痛くなる。
分家邸の情報を待ってられないし、こいつらの胡散臭さを取り払うためにも、とっとと行動に移した方がいいだろう。
とりあえず胡散臭くてもいい。目の前の情報を頼りにとにかくパワーがある限り動き回る。ぶっちゃけバカの一つ覚えなやり方だと言えば自虐地味た皮肉だが、それは無知で喧嘩以外に芸がない自分にある、唯一の取り柄なのだ。ここで活かさなければいつ活かすのか。
暫時沈黙が流れる。誰一人何も言い出そうとしない中で、あくのだいまおうのとぐろを巻いた瞳が黒く光った。
「質問は以上ですか」
「ああ」
「では私から御話をしても?」
「アンタの……?」
ええ、と返事をするや否や、紳士を抑えつけようと御玲が刺々しい雰囲気が放つが、弥平が眼光で諌め直す。
立場はそうだが、相手が相手なのだ。機嫌を損ねるような真似やこっちの情報を一でも漏らしてしまうわけには行かない。一呼吸をおいてから三人を見渡し、あくのだいまおうは再び話し出す。
「貴方方は私に情報を欲し、私はその望みにお答え致しました。私とて慈善家ではございません。従ってお渡しした情報に値する``対価``を、支払っていただきたい」
「対価……ですって……!? 情報提供者風情が何を言うかと思えば……!」
「やめろ。アイツの言う事は道理だ。タダで情報が手に入るなら密偵なんざいらねぇ」
あくのだいまおうは澄男の叱咤に対し、含み笑いを絶やさず軽く一礼する。
自分達はあくのだいまおうに依頼した。``知っている事を話せ``と。
物を買う奴が店で物を買うとき、その店に金を払うのと同じように、情報もまた双方にとって価値のあるモノなら、その原理が同じじゃなくちゃいけない。もし店が何の対価もなしに商品を売り捌いているなら、それは対価を直接的に払わなくても、なんらかの利益があるからだ。
その取引の根本にあるのは慈善心などとは程遠い、狡猾な悪意だけだろう。意味の分からない慈善心ほど、気持ち悪いものはない。だったらまだ金なり何なり欲してくる方が自然ってモンだ。だからこそコイツの取引はまだ分かりやすく、良心的な部類に入るものと言っていい。
自分が騙し合い上等、私利私欲のためなら嘘八百を並べる事が許される武市の生まれで良かったと安堵する。
これで間抜けをしでかさずに済みそうだ。
「弥平、テメェは?」
「異存ございません」
「つーワケだ。テメェは何を望む……と言いたいところなんだがな」
一呼吸おいて、あくのだいまおうを睥睨する。漆黒のウロボロスを描く瞳を射殺すように。
「アンタならもう察しがついてると思うが、アンタらは俺らのことを知りすぎた。仮に対価とやらを払ったとしても、ここから出すわけにはいかねぇ」
「は?」
「ふざけんなよおまえゲロ食らわすぞ!!」
「そうだそうだ!! ボク達は誰にも縛られない自由を誉れとする自由の民!! 好きな時にシコり、好きな時にパコる。それこそがボク達の生活もとい性活!!」
「いや、俺は違うぞ。一緒にすんな」
「黙れカスパン。パンツ大好きすぎてパンツ未満の存在価値のオメェに拒否権はねえ」
「ほんまな。パコるぞお前」
背後で唐突に騒ぎ出す異形どもを、あくのだいまおうは右手を挙げて諌める。澄男の意外とも捉えられる発言にも、あくのだいまおうに一切の狼狽はない。
「機密保持ですか。最大手ですし、拡散されたくない事も沢山あるでしょうしね」
まあな、と首肯し、他二人も澄男に続いて頷く。
流川家は武市において一大歴史を築いた暴閥。ほぼ完成された実力主義である武市では権利の概念が通用しない世界である以上、敵の数の方が圧倒的に多い。
同じ穴の狢で育った国民でさえ、隙を見せれば横から掠め取られてしまう。要は弱いところを見せるとすぐにつけ入られてしまうのだ。
厭らしいが、それがこの世界の暗黙の掟。母さんや弥平の両親辺りの、先代たちが築いた文明社会の決まりである。
あくのだいまおう含むこのメルヘン集団は余所者だ。
出身地不明、身分不明。そんな正体不明の奴等が、顔も名前も交わしたのが今日初めての自分達の素性を何故か知っている。
流川家の情報保護は弥平曰く非の打ち所がないと言われるほど強固なもの。大国を相手取っても潜りが付け入る隙のない防衛網を、全てすり抜けて的確にこっちの素性を当ててくるのは偶然じゃないだろう。
対価とやらを払ってはいさよなら、としたいのはなによりも自分らだ。でも流川家の情報保護を真っ向から無視している奴らが目の前にいる。野放しにできるワケがない。
「澄男様、意見具申したい事がございます」
「なんだ」
「素性の不透明さはさておき、彼ら個人が有する能力は圧巻の至りです。ただ地下牢に拘置しておくだけ、というのは些か勿体ないのではないでしょうか」
「つってもな。俺はその能力を間近で見てねぇし……」
「彼らは確かに稚拙な風貌をしておりますが、その姿とは裏腹に中威区で開催されていた大規模な競売会を襲撃。中の者を上手く撹乱し、最も目玉の商品を鮮やかに盗み取った実績をこの眼にしております」
弥平の言葉に二人は目を見開いた。
メルヘンチックでちんちくりんなぬいぐるみが、そんな芸当をしたってのか。とてもじゃないが信じられない。見る限り、そんな大それた芸当なんてできる能があるとは思えない阿呆さが滲み出ている。
唖然としながらも、眉を訝しげに潜める。やはりこの眼で見ていないから微妙だ。
弥平が嘘をついているとは思えないが、正直コイツと知り合ったのもつい一週間前のあの日からだし、まだ信頼に足りるような奴でもない。有能なのはこの一週間で察したが、あの作り笑いの裏で何か企んでいるように思えてならないんだ。
と、そこまで考えたところで、いや、と思索の方向を百八十度捻じ曲げる。
あの一週間前のできごとのせいか、やたらと疑心暗鬼になっている。信じていたモンが一瞬にして壊れることがある。その経験をこの身で体感してから、中々他人を信じる事ができなくなった。元々身内以外の人間とは喧嘩以外で接してこなかったし、それがさらに拍車をかけているのだろうか。
よく分からないが、弥平もあくのだいまおうも信用するには証拠が足りない。その一言に尽きる。
割と信用していた方だった十寺のことを思うと、不意に手の平を返されそうで。
「ではこうして見ては如何です? 澄男様がヴァルヴァリオン法国へ赴き、もしご期待にそえる情報が入手できたならば、彼らの力を流川のために活かしてみる、というのは」
表情を読み取ったのか、雰囲気から読み取ったのか。弥平が補足条件を並べる。
「……確かにそれだとあくのだいまおうサンの力は信じてもいいが……そこのぬいぐるみはなぁ」
「おいそこのガキ。あんま俺らを舐めんなよ。言っとくがオメェの力より俺のウンコの方が普通に強いからな?」
「オレの胃液砲弾もやろうと思えばこの屋敷溶かし尽くせるぜ? なんなら試してやろうかあんちゃん」
「ボクのち○ことお前のち○こ、どっちが強いか。考えるまでもないよね」
こんなワケの分からんことをべらべら口走るような連中、やはり有能とは思えない。自分も大概バカだが、こいつらほどじゃない自負はある。
「ではこうしましょう。私の情報が澄男すみおさんの御期待に応えたならば、地下牢からは釈放して下さるのが第一条件として」
「応えたら、な。アンタは釈放してやってもいい。つってもここからは出させねぇがな」
「第二、釈放して下さった暁には、私が直々に彼等を用いて敵組織侵略の援助をする。それで貴方のご期待に再び応えられたなら、残りの者も信用する。というのは如何でしょうか」
「つまりアンタがこいつらのデモンストレーションを俺にしてくれるってことか」
左様です、と首肯する。
悪くない提案だ。一段階目をクリアすれば、あくのだいまおうの能力は証明される。その場合、あくのだいまおうは信頼するとして、そのあくのだいまおうが残りのぬいぐるみを使い、敵組織壊滅に手を貸す。
つまりは進軍を補助する役目を担うってことだ。
そうすればこいつらの能力も信頼足りえるものとして証明される上に、こっちも敵組織に進軍しやすくなって一石二鳥ってことになる。
ああ、確かに悪くない。弥平を含め、こいつらが最後の最後で手の平を返すリスクがあることを除けば。
リスクがあるのは正直避けたい。それも侵略眼前でどんでん返しなんざゴメンだ。
だが考えてもみろ。リスクの無い戦いなんてあるのか。あるとしたらゲームの世界か、チンピラとの下らない喧嘩ぐらいだ。
今からやろうとしてるのは``喧嘩``じゃないし、``ゲーム``でもない―――``戦争``。生きるか死ぬか。生き残るか滅ぼされるかの殲滅戦。
クソババアが経験してきた大戦と比べればチンケなものだが、それでも敵組織を一人残らず殺す気持ちで臨んでいる。
無駄なリスクは排除するべきだ、でもリスクを尽く避けては前に進めない。
目を閉じ、微かに唇を歪ませる。
どうすりゃいいかわかんねぇときはとにかくもがけ、動け、そして臭い所を見つけたら取り敢えず殴り壊せ。ミスってたら、ミスってただ―――
今ここにきて、クソババアのバカみたいな説教の意味が少しだけ分かった気がする。当時は何バカ言ってんだこの老害とか思ってたが。
「分かった。アンタの対価とやらを受け入れる」
「澄男さま!?」
当主の予想外の答えに、御玲は狼狽しながら立ち上がる。
しかし迷いなんざもうない。御玲の乱れを無視し、あくのだいまおうの不気味な視線と交わらせる。
暗澹の念を背後から湧き出す紳士は、彼の瞳を一瞥すると歪に唇を尖らせた。
「御玲。ここで断れば対価どころじゃ済まなくなる。確実に」
「そんな。弥平さまは……」
「私も澄男様に同意見ですね。受け入れるのが賢明でしょう」
弥平と澄男の判断により、多数決で無勢だと悟ったのだろう。何か言いたげな口を閉じ、無造作に座り込んだ。
「本当にいいんだな? アンタらにはしばらく囚人として過ごす羽目になるワケで、対価に見合う得があると思えないぜ」
丸眼鏡の位置を調整しつつも、唇を吊り上げた笑顔を張りつけたまま意気揚揚と応える。何か期待しているかのような、でも何を期待しているかを悟らせない、そんな意気で。
「物象に対する視座は様々ですし、一概にそう言い切ってしまうのは早計だと思いますよ。何事も、いつどんな時も、可能性とは遠大ですからね」
あくのだいまおうの饒舌に澄男は、ふーんと白々しく返した。
本当にコイツは何を考えているのだろうか。地下牢に閉じ込めると言ったのに、全然動じていない。普通なら焦りの一つや二つすると思うが、監禁されてエクスタシーを感じる変態のマゾでもあるまいし、マジで謎そのものだ。
まるで掴もうとしても掴めない、黒くて寒いモヤを相手にしてる気分になる。
「では自己紹介といきましょうか。皆さん」
あくのだいまおうは後ろに控えさせていたぬいぐるみ達を前に出し、まるで保父の様な笑顔を張りつけて言の葉を奏でた。
「やっと出番か、行くぜ突撃一番! オレの名はカエルそーたいちょー!! この世で最も美しい男!!」
「ボク、シャル! 得意な事はア○ル開発含め○交全般!! 因みにバイ、守備範囲はまあ全部だけど主に十代後半から三十代!!」
「俺はナージ。座右の銘は一日三排泄。よろしくなバナナウンコども」
「俺の名はミキ」
「改めまして、私はあくのだいまおう。趣味は読書と散歩。あ、後ここにはいませんが、金冠を被った象の方はパオングと御呼び下さい。趣味は我欲の探求とロリータ」
「俺の自己紹介ィィィ!? 気を取り直して……俺の名はミキティウス!! パンティウスとかキモパンとか言われてるが雷釈天ミキティウスだ!! 趣味はパンツ!! ……パンツ!!」
理不尽な対価を支払う事になりどんよりしていた空気は一変。唐突に高出力のバーナーで加熱されてお湯のように熱くなり、居間が急に騒がしくなった。
三人は思わず静止してしまうが、ああ、と返す。
その後、澄男たちも渋々自己紹介したのは、語るべくもない余談である。