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元英雄の苦悩

澄男すみおぉ、こっちこっち~』


待てよ澪華(れいか)ぁ~、今そっち行くから。


『早く早く~』


分かってるってだからちょっとゆっくり。


『置いてっちゃうよ~』


お、おいマジで待てよ、お前なんでそんな走るの速いんだよ。


『もう澄男(すみお)ったらおっそーい。私、先にいってるからね~』


はぁ? いや待てよ待ってくれよ澪華(れいか)ぁ、おい澪華(れいか)ってばッ……ったく何なんだよアイツいつからあんなに走りが速く……全然追いつけねぇ。


―――``澄男(スミオ)、ソッチ、違ウ``


え、澪華(れいか)? お前先に言ったんじゃなかったのか。


―――``ソノ澪華(レイカ)、偽者``


は? じゃあそのお前なんで片言なのかなー。


―――``私、元カラ、コンナナノ``


いやいや澪華(れいか)が片言なワケねぇじゃん、からかうのも大概にしろよどっかの誰かさん。


―――``……ドウシテ……ドウシテ分カッテクレナイノ……``


だって澪華(れいか)は片言で話さねぇし、俺がいんのに姿を現わさずに話す嫌がらせとかしないし。


―――``酷イ……私……澄男(スミオ)……信ジテタ……ノニ``


悪いけど俺は眼に見えないものは信じない性分なんでね。悪戯は他当たってくれや。


―――``分カッタ、ジャア、姿、現ワス。ソレデ信ジテモラエルナラ``


おうおう澪華(れいか)だったらお笑いだねえ。


―――``姿、現ワシタ。私、今、澄男(スミオ)ノ後ロ、イル``


ったくメリーさんみたいな真似しやがっ……――――――――――――。


「ウワアアアアアアアアアア!? ……カハァ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 深層の意識より目覚めた矢先、顔の至る所に大量の汗を滲ませた俺は、ベッドが軋むほどの勢いで飛び起きた。


 思わず右手で胸を押さえる。凄まじい速度で拍動する心臓。まるで長距離マラソンを完走した直後の如く荒れ狂う脈拍とともに、顔だけでなく体全体から、じんわりとした汗が滲み出る。


 服の間に篭った熱気も凄い。あまりの暑さに寝巻きも脱ぎ捨てる。布団でさえ鬱陶しく感じ、掛け布団をベッドから蹴り落とす。


 ひゅー、ひゅー、と呼吸する。体感温度は高熱を示しているのに、身体は全然言う事を聞いてくれない。


 アレは夢。いつもならただの夢とすぐに脳味噌の片隅に追いやることなのに、一連の流れが頭に焼きついて離れない。俺が見た澪華(れいか)と名乗るソイツの顔は、どろどろに汚したあの女子高生そのものだった。


 澪華(れいか)であって澪華(れいか)でないモノ。


 夢の中で見た二種類の澪華(れいか)はあの時、澪華(れいか)を判別できなかったことへの報いってか。


 一週間以上前の俺なら、迷いなく前者が澪華(れいか)だと言えた。胸を張って、自信をもって言えた。


 だが今の俺には分からなくなった。どっちが本物の澪華(れいか)で、どっちが偽者なのか。


 本物だと思えた澪華(れいか)はもういない。一週間前まではちゃんといた。でも今はずっと前からいたという感覚さえない。


 あの澪華(れいか)も本物と述べられない気がしてならないし、だからと言って偽者だと思えた澪華(れいか)はこの目で見てしまっている。


 ならアレが本物なのでは。


 いやでもアレは本物と言えるのか。もはや人間の形をしているだけの傀儡(かいらい)。本物と呼べる輩などこの世にいないし、そんな歪んだ価値観なんて持ち合わせていない。


 なら偽者。でももう本物と呼べる澪華(れいか)はいない。


 いたはずなのに、今や顔の輪郭さえモヤのように霞んでる。じゃああの澪華(れいか)も偽者。


 本物の澪華(れいか)は一体何。いやそもそも本物と偽者の差は一体どこに―――。


「アアアアアアアアアアアア!! 糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞がぁ!!」


 髪の毛を無造作に掻き毟ってベッドから跳ね起きるやいなや、目の前に遭った机を全力で蹴りつけた。


 澪華(れいか)のことを考えれば考えるほど、頭の中がぐっちゃぐちゃになっていく。もう何が何だか分からないくらいぐっちゃぐちゃに。


 あああああああ、と大声で叫びながら部屋にあるものを蹴る殴る投げる壊すを繰り返す。


 窓ガラスを叩き割る音で、ようやく自分自身が目覚めた。


 過呼吸のせいか、視界がぐらぐらと揺れて気持ち悪い。平衡感覚を失い、そのまま床へ、ぐったりと倒れこむ。


 気がつけば机や本棚、武器棚などからクローゼットに至るまでことごとくぶっ壊れ、壁には幾つか穴が開いていた。


 たった数十秒だったとはいえ、記憶がおぼろげだ。壁に穴を開けた覚えがない。壊したような壊していないような、あやふやな感覚だけ残っている。


 平衡感覚が戻ってきた。脈拍が徐々に落ち着いていく。上半身の寝巻きを持って立ち上がり、盛大に舌を打ちながら、廊下を荒々しく歩く。


 寝て何もかも忘れようと思ったが予想外にしてやられた。毎度毎度強烈な悪夢に嫌がらせされるのかと思うと胸糞悪い。


 ほんの少し前まで昼寝は食事や戦いの次に好きだったのに、今日の悪夢のせいでもう二度としたくなくなった。学校に行かされる前まで使っていた元母親の道場で素振りや新しい技を編み出している方が、まだマシだったかもしれない。


 怒りに身を任せて階段を強く踏みしめながら、しばらく昼寝は絶対しないと誓う。


 とりあえず腹が減った。


 よくよく考えれば一週間分家の奴らに缶詰にされていた挙句、澪華(れいか)十寺(じてら)の事ばかり頭の中を駆け巡ってて、ロクな食事をしてない。今日の朝だって食欲が湧かず、断食してずっと煙草吸ってたぐらいだ。


 居間の扉を勢いよく開け、テレビに程近い所に座り、テーブルに置いてあった灰皿を寄せ、テレビの電源を点ける。テーブルの上を見渡し、あれぇ、と言いながらテーブルの下など隈なく探しながら大きく溜息を吐き、大声で叫ぶ。


「おい飯!! あと煙草買ってこいつったろ!!」


「既に買ってあります」


「どこにあんの!!」


「棚に……」


「はぁぁぁぁぁぁ……? 面倒くせえ!!」


 慌しく立ち上がり、棚の二番目の引き出しを開く。


 引き出し一杯に大量の買いだめがしてあったが、そこから一つカートンを取り出して開封し、一本咥える。


「次からカートンは一箱テーブルに置いとけ、全部しまうな!!」


「申し訳ありません!」


「チッ……もういいからとっとと作ってこいや」


「あ、ライターをっ」


「いらねぇよ!! 火の魔術使えっから!!」


 そういうのいいから早く台所に行けって、と怒鳴って御玲(みれい)を押しのける。


 荒々しい溜息をつきながら、左手の人差し指を赤く光らせてライターの火程度の小さい火をおこし、煙草に火を点けた。


 落ち着け。飯を食い終わるまでの辛抱だ。飯さえ食い終わればとっとと道場に行って修行ができる。澪華(れいか)十寺(じてら)のことも忘れられる。


 そして今以上に強くならなきゃならない。今のままではあの十寺(じてら)と戦ったところで、勝算が皆無。


 それに弥平(みつひら)の話によると、アイツは首謀者ではなく首謀者の手先。その中でも幹部クラスの存在ではと話していた。


 つまりあの十寺(じてら)よりも強い奴がいるかもしれないんだ。当然首謀者は更に強いんだろうが、俺はただの幹部に負けた上、奪われた。


 十寺(じてら)が去った後、澪華(れいか)の亡骸を探したけど、あの女子高生だった何かは跡形もなく消えていた。十寺(じてら)が覆面どもを使って、回収したのは明白だ。


 結局アレが本物の澪華(れいか)だったかどうかを確かめる術はなく、十寺(じてら)が言っていた事実を信用するしかない現実に、されるがまま打ちひしがれる他なかった。


 自虐の渦の中、首を横に振る。 貧乏揺すりが激しくなり、テーブルが唸る。


 考えれば考えるほど虚しい現実が痛めつけてくる。自虐せずにいられなくなる。考えたくないのに、じっとしていると思い返してしまう。


 飯ができるまでの時間。テレビを見ながら久三男(くみお)と他愛ない話でもしていれば、あっという間に過ぎてしまう時間なのに、今日はものすごく長い。


 長くて、永くて、堪らない。


「ああくそッ」


 点けていながら全然意識していなかったテレビに視線を移す。


 映っているのは緊急ニュース速報だった。どうやら中威区(なかのいく)に突然氷の魔法を操る怪物が出現したと喚いている。あまりのどうでもよさに、思わず鼻で嗤ってしまった。


 この武市(もののふし)都市部に怪物や化物の類が出るのは頻度こそ極僅かだが、珍しい事じゃない。


 魔生物とかいう、人間とも野生動物ともいえないなんかの突然変異で生まれたよく分からん生物が、稀に人里を襲うことがある。


 大概は任務で生計を立て、戦いを生業にする奴らに討伐されるから、全く出る幕なんざないんだが。


 眉を怒りに歪め、チャンネルを変える。


 喋る能のない魔生物如きでわざわざ緊急ニュース速報とはご苦労なことだ。そんなゲテモノを速報するんなら、一週間前まで行ってた学校を襲った謎の覆面集団のことでも報道して欲しいもんだ。


 でもアレは分家派の連中に完璧な証拠隠滅処理がなされて、そこらのマスコミが嗅ぎつけるなんざ元より不可能だったっけ。それで足がついてここにマスコミなんぞが押し寄せてきたら、それはそれでクソ面倒だ。対処なんて誰がするかよ。


 テレビを音声操作するが、テレビに映る映像は前のチャンネルと全く同じであった。


 顔が大きく歪ませる。また変える。同じ。変える。同じ。変える変える変える。同じ同じ同じ―――。


「……ふざけやがって!!」


 居間中に、全力の怒号が響き渡った。テーブルに渾身の蹴りをくらわす。轟音を鳴り、テーブルは前面へのけぞった。


 置いてあった灰皿はテーブルが蹴り飛ばされた勢いで砕け散り、テレビの電源はぷつんと消えるが、そんなことはどうでもよかった。


 今まで抑えていた何かが、一気にはじけ飛んだからだ。


「畜生が!! 昼寝したら糞みてぇな夢見るわ、テレビで気ぃ紛らわそうと思ったらおんなじニュースしかやってねぇわ!! なに、嫌がらせ? 俺に対する嫌がらせか!!」


「ど、どうかされましたか澄男(すみお)さま!?」


「寝ても起きてもこんなんばっか!! 俺が、俺が何したってんだ、え!!」


澄男(すみお)さま落ち着いてください、一体何が」


「落ち着け? 落ち着いてられるかクソッタレ!! はぁぁぁぁぁ……」


 居間を飛び出し、二階に駆け寄って私室に走りこむ。


 壊れたクローゼットの扉を破壊し、衣服一式を取り出すと武器棚から剣を手に取り、引き戸を閉めぬまま、階段を走って降りる。


 なにがなんだか分からずたじろぐ御玲(みれい)を無視し、二階から持ってきた衣服に荒々しく着替えた。


「お出になられるのですか!?」


「それ以外に服着替える理由あると思うか!!」


「い、いけません。未だ貴方を襲った敵の正体がはっきりしていない現状で外出されては」


「知るか!! ここでずっと燻ってても胸糞悪りぃだけなんだよ、頼むからほっといてくれ!!」


「でしたら近衛を」


「テメェ耳大丈夫か? 一人にしてくれつってんだよ、いらねぇよ邪魔!!」


「しかしそれでは貴方に何かあった時、盾になって死ぬ事ができま……あぐっ」


 うるせえ。うるせえ、うるせえ、うるせえ、うるせえ。


 メイドの言なんぞ聞かず、胸倉を捻り、掴み上げる。胸倉を中心にメイド服が大きく捩れ、メイドの顔が赤く染まった。


「盾だァ……? 母さんを碌に守れやしなかったテメェがかァ……? 粋がってんじゃねぇぞクソアマがァ!!」


 ぐく、とくぐもった声を漏らす。今にも破けてしまいそうなメイド服の襟元。もう飛び出した怨嗟は、俺の理性じゃ止める事ができない。


「テメェさ、流川(るせん)の懐刀なんだろォ? だったらなんであのとき、盾にならなかった!! その流川(るせん)にかかる火の粉を庇ってくれなかったんだ!!」


「そ……れは」


「どうせテメェにそんな能ねぇんだろ……? 守るだけの能が。それだけの力が……」


「私は……弥平(みつひら)さまに……」


「あぁ……? 何だテメェ他人のせいにすんのかァ。弥平(みつひら)の指示に従ったから守れなかった、そう言いてェのかァ……」


 メイドの言い訳としか思えない反論に、怒りは更に燃え上がる。ソイツを持ち上げたまま、台所へ全力で投げ飛ばした。


 背中を壁に強打し、ぐは、と声を上げた後、メイドは床に腹打ち。強打した所を摩りながらげほ、げほと咳き込む。そんな姿に、ボコボコにしたチンピラを見下すときに向けてきたのと同じ目線を浴びせた。


 なぁにが私は弥平(みつひら)さまに、だ。そんなモンが許されるんなら、テメェみてぇな側近とかいらねぇんだよ。ただ料理作る程度の無能の癖しやがって。


 じゃあさ、なんで俺んトコに来たの。なんで水守(すもり)家側近とかやってんの。なんで生きてんの。


 本家派側近の癖に、何も守れてねぇじゃん。


 ``凍刹(とうせつ)``とかいう大層な二つ名が聞いて呆れるわ。もっとできる奴だと思ってたのに、期待ハズレもいいトコだ。


 痛がるメイドに向かって一切同情せず、尚も怒号を轟かせた。


「そういうのをなァ……大した能のねぇ口先だけの凡愚って言うんだ!! 自分を弁える事すらロクにできねぇ奴が、出しゃばってんじゃねぇよ弱ぇ癖に!!」


 それはブーメランでもあり、そして事実でもある、最悪の暴言。床にへたり込み、過呼吸気味に俯いたメイドをしばらく見下す。


 時間の無駄を感じ、床に落とした剣を腰に携えると、吐き捨てるように追い討ちをかけた。


「……分かったら、もう俺に鬱陶しく構うな。テメェはメイドらしく黙ってメイドやってりゃあいいんだ」


 投げ捨てられた痛みで下を向いたまま何も答えないメイドを一瞥し、介抱してやる事もなく玄関の戸を蹴破る勢いで開いて、新館を飛び出した。


 弥平(みつひら)から何かあったとき用に持たされてた技能球(スキルボール)を使い、中威区(なかのいく)へ転移する。


 視界は流川(るせん)本家領から一転して雪原となり、メイドへ言った罵詈雑言をきっかけに、また性懲りもなく自虐に塗れた思索をリピートさせていた。


 ほんの一週間前まで、澪華(れいか)という一輪の花が輝く日々が彩っていた。そこには戦いや修行、家族と一緒にいるだけでは決して得られない幸せが、確かにあった。


 その幸せを祝う意味を込めての、最も大事な彼女の誕生日。まるで異世界にでも転移したか、人生トップクラスの悪夢にでも足元をすくわれたように、周囲に広がる日常全てが崩壊した。


 一挙に、一気呵成に、一瞬とも言える刹那の勢いで。


 あの悪夢の日から一週間が経った今でも、目の前に横たわる現実が現実だとは思ってない。


 本当はただの夢で、何かの事故に巻き込まれ、それ以降ずっと昏睡しているだけなんじゃないか。正直そう思いたかった。


 思いたかったが、御玲(みれい)に八つ当たりする形で罵詈雑言を吐き、投げ飛ばした時の感覚は確かなものだった。


 夢なら投げ飛ばす辺りで醒めてもいいはずだし、記憶だっておぼろげになっていなければならないはずだが、今でもその記憶は明確に焼きついている。


 一週間前。三月十六日に起きたあの出来事とともに。


「糞が……!」


 煮詰まった腑でも吐き出すように、腹を立てた時の常套句を吐露する。


 今まで好きだったものが、全て嫌いになっていくおぞましい感覚。


 昼寝、食事、間食、修行、テレビゲーム。嫌いなものは更に疎ましく感じるようになり、好きなものは純粋に好きだと言えなくなった。


 昼寝をしたら悪夢にうなされる。


 食事をしようにも食事を作っている間の何もしていない時間、何度も何度も胸糞悪い考え事で頭が破裂しそうになる。


 修行に誰よりも関わってくれていた母親は、どこの馬の骨かも分からん正体不明に殺された。


 テレビゲームの相手をしてくれていた弟は壮絶な喧嘩をして以来、ほぼ絶縁状態。


 全てから活気が無くなった。何をしても、何をやろうにも途方もない怒りと憎悪。愛する者への焦がれ。手から毀れ落ち、最早拾う事叶わぬ現実への虚しさ。


 どうせなら澪華(れいか)と死にたかった。戦死覚悟で滅びるべきだった。今の俺じゃ十寺(じてら)を倒せなかっただろうが、道連れにはできたはずだ。


 でも生き残ってしまった。敗北したのにも関わらず、生きてしまった。


 クソババアが言ってた。負ける奴は死に、勝った奴は生き残る。この世界を好き勝手に生きたいのなら、お前の好きな生き様で生きたいなら、どんな事があっても勝ち残れって。


 今の俺はどうだ。


 普通に負けた。負けておめおめと強い存在に護送されながら自宅に帰り、一週間心ここにあらずの生活を送っていた。


 負けたのに、なんで生きてんのか。母親の理屈なら、俺は死んで然るべきじゃないのか。


 こんな虚しくて惨めな思いをするくらいなら、敗者として人生を敗退したかった。負けた奴は死に、勝った奴が生き残るのなら、その言葉通り死にたかった。


 愛する者も守れず、今まで好きだったものも疎ましく思わなければならず、テレビを見ながら煙草を蒸し、住み着いてきたメイドに罵詈雑言を吐かなきゃならないのなら―――。


「なぁ……なんでなんだよ……教えてくれよ……母さん……」


 その声音に覇気はない。相手をこけ脅す怒気もない。


 気に入らない者、自分に敵意を示した者、自分の生き様や思想に泥を塗った者全てを暴力で撃退してきた俺らしからぬ声音。


 本来、英雄の血筋を持つ存在がやるべき所業じゃない。やろうとしている行為は、まさしく``破壊``だ。


 誰かが言ってたように、気に入らない存在を``破壊``する。大事なもの失い、誰よりも平穏を欲する俺の邪魔をする奴を``破壊``する。


 そして大事なものをまんまと破壊していっておきながら、姿を眩ましている奴らへの下らない八つ当たり。


 ただの無差別破壊。百人に聞けば、その全てが英雄失格と口を揃えて罵るだろう。


 だが構わねえ。俺は大事なものを守れなかった。英雄としての責務を果たせぬまま、のうのうと生き残ってしまった。


 言われなくとも、罵られなくとも、既に英雄として失格している。連戦無敗の血族``流川(るせん)``の肩書きなど、もはやないも同然なんだ。


「アイツか……」


 視界が霞むほどの猛吹雪の中、雪原であろう大地に青白く発光する何かが視界に入る。


 この辺りは霊力波が軒並み強い。特にあの青白く発光している何かを中心に、物凄く強力な霊力が放たれている。


 おそらくアレが今回の騒動の発端。平穏を瓦解した真犯人。


 この中威区(なかのいく)らしくない冬景色もコイツの仕業だとするなら、中威区(なかのいく)の戦闘民では到底敵わないワケだ。


 建物をリズミカルによじ登り、腰に携えた刀身の紅い片手剣―――焔剣ディセクタムを鞘から解き放つ。氷雪と曇天の狭間に立つ青白いそれを煌々と光る眼光で見据えながら、建物の屋上を勢いよく飛び降りた。


 相手の出方を見る、そんな面倒くさいことをする気はない。こっちには一週間前誰かに貰った力とやらがある。アレがあるなら負ける気がしない。


 あのとき、怒りと憎しみに駆られほぼ暴走状態に近かったが、記憶はおぼろげにある。


 あの十寺(じてら)を押していた。ヤツもしぶとく生き残っていやがったが、アレが言ってた力とやらは本物だ。


 ―――破壊の力か。


 雪原を悠然と闊歩する鎧武者の前に横柄にも立ち塞がる。


 結構背が高い。全身鎧でも着ているように武骨だし、殴る蹴るのタイプのヤツか。だとすりゃクソババアと同じ。


 だが、この気候の変化は霊力によるもの。それもクソみたいな力で捻じ曲げたものだ。コイツ殴る蹴るタイプと見せかけて魔法ポンポン使うタイプか。


 俺と同じタイプじゃないか。ただでさえ気分が悪いのに、被っているとか凄く腹立つ。


 ただの殴る蹴るタイプだったら魔法でじわじわと追い詰め、トラウマの一つや二つ植えつけてやろうと思ってたのに。手加減できないじゃないか。


 しかしコイツ、青白すぎないか。


 人間じゃないのは分かるが、これ全部氷でできてるのか。いや使ってる魔法は恐らく氷属性系。氷でできてても、なんら不思議じゃない。


 だが好都合。氷をとかすは火。幸いにも、火属性系に長けた魔法や剣技をいくつか持ってる。それで攻めるか。


「何だ。貴様は」


 鎧を着ているように武骨で、青白い身体と青白い髪と瞳を持つ巨魁のデカブツは、眉を潜め、上から俺を見下してくる。


 言葉が話せるのか、魔生物じゃないな。何モンだコイツ。でもまあいい。話せる方が殺り甲斐があるってモンだ。


「テメェをぶっ飛ばしに来たモンだ」


「我が半身エントロピーを攫ったのは貴様か」


「知らねぇよ誰だソイツ」


「ならどけ小僧。邪魔だ」


「やだっつったら」


「我を足止めすると? 小僧、やはり貴様が」


「だーから知らねぇっつってんだろうが。俺はただテメェが目障りで邪魔で鬱陶しいからぶっ飛ばし来た。それだけだ」


「……理解できん。だが半身を求む我を阻むなら、誰であろうと我の敵」


 巨木の如き脚が、間合いを玉砕した。氷雪に罅が入ったと同時、焔剣ディセクタムの刀身が光度を増す。純白の大地が溶け出し、デカブツの瞳がぎょろりと動く。


 デカブツを中心に放たれる冷風が身体を舐め、俺から放たれる恒星の熱放射のような熱気が、デカブツの身体を蝕んだ。


「敵ならば玉砕あるのみ。押し通る」


「あっそ。カッコつけてるトコ悪いけどサ。テメェのソレ……クソダセェんだよ!!」


 俺の右手に真っ赤な炎が宿る。


 眼光が一気に光度を増し、殺意の炎に包まれた右手は、デカブツの腹を溶かし貫いた―――と、思われた。


 紅の炎は彼の腹を溶かすやいなや、徐々にその力を弱めていき、遂には絶命。


 炎の消えた右手は、デカブツの腹に呑み込まれるようにして、青白い氷が容赦なく喰らいつく。


「無駄だ。その程度の炎で、我は融かせぬ」


「あっそ。わざわざ解説どうも!!」


 右手を腹から無造作に引き剥がし、後ろによろけるようにして、ほんの僅かに態勢をずらす。右足を軸にして左手に握っていたディセクタムを振るった。じゅ、とデカブツの横腹から、湯気が立つ。


 焔剣ディセクタム。幼少の頃、久久(ひさひさ)のオッサンから譲り受けた特製の片手剣。


 かつて流川(るせん)に仇為した火竜や、火の魔生物の血肉から造った刀身と、火竜の鱗で作った柄で作られた、世界で一つしかない刃だ。


 この武器を使い始めてもはや十年以上、武器の特性はもう身体が把握し尽くしているが、この剣自体、はっきり言って無能と言ってもいい。


 剣としての性能そのものは、そこらの適当な武器屋の百円均一で売られてる陳腐なロングソードと大差ない。


 火竜と魔生物の肉が基になってるから刀身の強度は頗る丈夫で刃毀れしないが、切れ味は霊力を通さなきゃ文字通りロングソード並みだ。


 そう。霊力を通さなきゃ、な。


 この剣の有能なところは、ただのロングソードにはかい、唯一無二の特殊能力にある。


 それは装備者の霊力を吸収し、刀身に宿して熱に変える力。


 つまり刀身に込める霊力が多ければ多いほど、``剣``では斬れない何物をも融かし、両断できるようになる剣固有の能力だ。


 実際、鉄筋やコンクリでできた建物だって、まるでスライスするみたいに斬ることもできる。霊力さえあれば、最強の矛になる寸法だ。


 寸法なんだが。我が相棒ディセクタムは、なんでか苦渋の表情を浮かべてやがる。


 氷をとかすは火、即ち熱。


 氷属性系を操るヤツ相手に遅れを取るなんざないはず。実際今まで遅れを取ったことはない。ということは相手の霊力が強すぎるか、物理防御力が桁外れに高いかのどちらか。


 分かりやすく言い直すと霊力を身体ン中にクソみたく宿してるってことだが、その場合、霊力を込めて切れ味を上昇させても、中々斬れない。


 かつて幾度となく模擬戦でやりあってきたババアだけは、この剣で傷一つ付けられた試しがなかったし。


「つまらん攻撃だ。``凍結(ジェリダ)``」


 俺なりに相手の特性を即興で分析していたのも束の間。


 雪原を包み込む大きさの青白い魔法陣が視界を塗り、足元から突き刺すような冷覚が走る。


 剣を引き抜き、バックステップで回避。俺はふっと白い息を吐く。


 危なかった。あの冷気は多分、身体を表面から内部に至るまで、全てを瞬間冷凍する強力な奴だ。


 仮に凍らされても、霊力と持ち前の魔法防御力で融かせる自信がある。


 でもまるで足の裏から骨の髄、はたまた筋肉繊維を経由して臓腑にさえ競り上がってきた冷気は、一瞬とはいえ身震いした。


 でもそれとは別に、なんか無視できない違和感がある。


 剣相手に素手、それも前衛無し。魔法攻撃のみで対処しようとするのは何故だ。


 あんなに武骨で接敵を許しまくってるんなら、物理攻撃の一つや二つ―――。


 いや待て。デカブツの顔色に変化が無い。魔法タイプの奴が剣相手に取る手段で最も常套なのは相手と距離をとり、武器の射程から外れること。


 俺は舌を打った。バックステップが読まれてた。やらかした、誘導されたんだ。


「``噴雪(ニクス・イニエクチオ)``、``凍域(ジェリダンテンプス)``」


 俺を取り囲むようにして、地面から彼の背丈の二倍以上はある氷の柱が現れる。


 柱の側面から貫かんと無数の氷柱つららが、横向きに高速射出。


 反射的に全身を炎で覆い、身を捩りながら片脚を軸にして回転回避。そのまま雪原に倒れこむようにして氷柱つららの猛攻をやり過ごす。



 身体から湧き出た炎は、一気に氷の柱を水蒸気にしようと目論むが、思わず身震いしてしまう寒気に奥歯を噛み締める。


 自分を中心に周囲を取り囲む吹雪。聴覚も吹雪のせいで殆ど機能せず、敵の位置が掴めない。


 俺が回避行動しているほんの僅かな隙に吹雪を発生させやがった。相手は俺のみ。接近させないように霊力の障壁で囲っているといったところか。


 手足の先から針に刺されたような痛み。


 手の先や足の先から感覚がなくなってきた。体温が低くなっていくのを感じる。


 ずっと身体から湧き出させていた炎は消えた、周りの気温が低すぎるのだ。


 火を保ち続けるにはずっと気を張っていなきゃならないが、少しでも気を抜くと血流が悪くなり、感覚すら無くなっていく。


 おそらく氷点下十度未満。俺の周囲一帯は、巨大な冷凍庫と化してやがる。


『ふん、他愛ない。所詮は人の子か』


 脳裏に威厳溢れる声音が反芻し、デカブツは鼻で嗤った。


 くそが、舐めやがって。人外だかなんだかしらねえが、こんな性能に頼るだけの低能に後れをとるなんざ許せねえ。



『待てや。誰が往っていいつったよ……!』


 猛々しい吹雪が糾弾してくる中で身体からありったけの霊力を捻り出し、身体中を炎で包み込む。


 雪原は湯気を立てて融け始め、吹雪の痛烈な悲鳴が、水蒸気として如実に現わされる。


 俺はこれでもかってほどの殺気を、霊子通信に思念として大量に送り込んだ。


『ざけんじゃねぇよ……他人の平穏ぶっ壊しといて、はいそうですかで済ませられるとでも思ってんのか』


『先に我らの平穏を壊したのは他ならぬ貴様等、人間であろう』


『へぇ……半身が聞いたら泣くぜ』


『何だと……?』


『だってそうだろ。壊しただのなんだの以前に、その半身の側にいてやらなかったのはテメェの無能がやらかした事じゃねぇか』


 霊子通信の仮想精神空間内で、デカブツの口ごもる姿が脳裏に浮かぶ。


 なんとなく。なんとなくだが、その半身はコイツにとって自分以上に大事な何か。


 当然その半身がどんな奴で、どんな気質をしているのかなんざ興味ない。そしてどういう経緯でいなくなったのかもどうでもいい。


 どんな理由にせよ、守れなかった事実に変わりないのだ。


 デカブツをよそに放り投げ、かつての友人、木萩澪華(きはぎれいか)の姿が靄となって現れ、重なった。


 一週間前の俺ならば同情しただろうか。やはり厳しく突き放しただろうか。もう今の俺じゃ、かつての俺がどうだったかすら分からなくなってしまった。


 澪華(れいか)を失った今、もうかつての俺に戻ることなんてないのかもしれないが、だからこそ目の前の相手には引き下がれない。


 これはただの八つ当たりだ。昔の俺なら大義だの正義だの、挙句の果てには流川(るせん)の出だの言葉面だけは綺麗なものばかり並べていた。


 でも今の俺に正義もなければ、大義もない。


 ただむしゃくしゃする感情を胸に、目の前の無能を叩き潰したいだけだ。俺も同じ無能であるが故に。


『……人間の、それも高々数十年程度しか生きていない貴様に、何が分かる』


『分からんね。そも興味ねぇし。ただ気に入らねぇんだよ。守れなかった癖に目立つことしてるテメェがな』


『ふん。我は迎えに来ただけだ。守れなかったから迎えに来た。何の不条理がある』


『だからァ……守れてねぇ時点で話にならねぇっつってんだよ!!』


 刹那、周囲を取り囲んでいたブリザードの障壁は、俺の怒号とともに噴き出した炎の渦で消滅した。


 四方を取り囲んだ氷の柱も融け去り、大地を覆う雪原も見事に抉り取られ、舗装された道路が顔を出す。


 魔法で作り出した吹雪を掻き消した俺に、自分勝手で自惚れた妄想かもしれないが、相手は驚いている、そんな気がした。


 なんか知らんが体の奥底から力が湧いてくる。無限って言ってもいいくらいの力が、心臓の拍動と同じペースで湧き出てくる。


 霊力なのか、俗に言うアドレナリンとかいうヤツ なのか。


 そんなのは知ったこっちゃないが、まるで沸騰した水から出てくる水蒸気みたく、熱い何かが、身体に馴染んでいく感覚に襲われる。


「``凍域(ジェリダンテンプス)``を相殺するとは……それにその風貌……貴様、ただの人間の小僧ではないな」


「みてぇだな。自分でもはっきり言ってよくわかんねぇけど」


「……少し封じれば終わると思ったが……少し時間がかかりそうだエントロピー……!」


「やっと本気になったか。そうこなくちゃ興醒めするところだったぜ」


 蒼然のブリザードに対するは、紅蓮のプロミネンス。氷と炎、相反する二つの概念の衝突。雪原を融かせば、その融かした雪原の水が速やかに凍結する。


 俺を中心に融けた氷水が蒸発して湯気が立ちこめ、デカブツを中心に蒸気が一瞬で凍りつく。ダイアモンドダストとなり、俺等の間に降り積もった。


 ぶつかり合う猛威。火花の如く散る敵意。炸裂する激情。


 俺らを隔てるダイアモンドダストは美しく帳を描く中で、その絵面は恐ろしく苛烈だった。


 蒼と紅。感情が色彩となって現れ、地を蹴る轟音とともに禍々しい熾烈な感情を覆っていた幕は、俺とデカブツの欲望によって、容赦なく焼き尽くされるのだった。

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