密談
澄男達がのどかな昼休みをなんだかんだで満喫していた頃と同時期。
澄男達の通う学校から少し離れた地点。薄暗く、人気も全く通らない寂れた歓楽街。
沢山の建物があるにも関わらず活気は無く、街路は冷え切っていた。
昼下がりのちょっとした雑談の声すら聞こえず、電柱に止まったカラスの鳴き声が、ただただ虚しく空を裂くのみ。
緩やかな衰退の波が押し寄せる歓楽街の一角に無数の宿。そしてその内の一つの個室に、年端のいかない男女が一組。
二人宿泊するのが関の山程度の広さだが、歓楽街のホテルでありがちな卑猥な雰囲気は皆無であった。
年齢は二人とも十四か十五程度。場に合わない正装を着こなし、お互い向き合ってテーブルの上に置いた一本のペンと睨み合っている。
一方は軽装の鎧を装備した青髪の少女。他方はきちんとした執事服で身を包み、隅から隅まで整えられた黒髪の少年であった。
「これは……」
「最新型の霊子ボードです。必要な最高機密の情報が入ってます」
青色の髪を後ろに結んだ、ポニーテールの少女―――水守御玲は、机の上に映る青いホログラムに、思わず目を丸くする。
霊子ボード。正式名称は霊子液晶とも言われるこの道具は、予め大気中の霊的エネルギーを溜め込んでおき、記録された術式で様々な情報を空気中に描画する魔道具である。
「まあ当然軍事用にカスタムされてますがね。セキュリティはお墨付きです」
未だ幼さを感じさせながらも、執事服を見事に着こなす少年―――流川弥平は、朗らかな笑みを浮かべ、彼女の疑問に淡々と答えた。
話題が途切れる。
ペン型に小型化されたボードが青く光り輝くと同時、ボード上に微細な無数の粒子が集結。それらは数多の高層ビル群へと姿を変える。
「現在地」
【検索中です】
機械的な女性の声が、個室内に響いた。
無数の高層ビル群を描いた立体的な見取り図は独りでに拡大され、一角の建物で動きがピタリと止まる。
「……すみません。こんな所に女性を入れてしまいまして」
「いえ。ただ……入れるんですね」
「この国では大人と子供の境界線が曖昧ですからね。金さえあれば誰でも入れます」
魔法の手間も考えて一目のつかない所を合理的に選びましたがミステイクでしたかね、と弥平は申し訳無さそうに呟くが、御玲はいいえお構いなく、と返す。
探知系魔法などを阻害する対策を施すにあたり、重要なのは術の強力さと空間の広さだ。
術が強力でなければ対策の意味は無く、空間が広すぎると霊力の消費は、空間の体積に比例してしまう。
現状、機密情報の共有に必要な人員は二人。
空間は狭く、術の強さに重点をおくのが合理的であり、その条件に合致する空間は、近辺に群れている安価なカプセルホテルが最も好都合と言える。
「さて準備が整いました。話を始めましょうか」
弥平は頻りに動かしていた手を止める。顔つきを整え、彼と視線を交わした。
「既に通達されていると思いますが、私達がこれから就く任はご存知ですね?」
「はい。流川本家派当主、流川澄男と、その次男の永住護衛と把握しています」
そうです、と弥平は朗らかな微笑を浮かべた。
永住護衛、つまり澄男と呼ばれる存在の下で死ぬまで生活を共にする、という意味である。
今更戸惑いなどない。迷いという感情は漂わず、淡々と事実を噛み砕いて飲み干していく。
「次に位置関係の確認。我々の現在地は此処。澄男様は此処。流川本家邸新館は此処」
弥平は霊子ボード上に表示された地図を巧みに操り、指で三点を結ぶ。指でなぞった所が軌跡として残り、歪な逆三角形が描かれた。
澄男の位置は現在地から南に十五度の方面にあり、距離はおよそ一キロメト程度。流川本家邸新館まではかなり離れた位置にある。
「私達は澄男様の動向をモニターしつつ、下校時間まで学校近辺で待機。下校時間になり次第、合流。本家邸新館へ帰還」
「分かりやすいですね」
弥平が述べた予定は非常に簡素であった。あまりの簡素さに暫し瞬きをする御玲に、無表情で首を横に振る。
「あくまで予定通りに事が進めば、ですよ。流川家は歴史に残る万世一系の名家。英雄譚も華やかですが、悪名もまた名高い」
御玲はなるほど、と静かに頷く。
流川家。今いる国―――武市建国の発端となった、創設二千年の歴史を持つ一大血族の名である。
彼らは中身こそ、どの国家にも属さない少数精鋭の武力集団である。
しかし、その力は大陸の三分の一を掌握できる一大帝国とさえ言われ、常勝無敗、悪鬼羅刹―――数え切れない悪名と名声を、様々な歴史書に刻んできた。
創設して約二千年。その長き年月の間、誰にも王座を譲らない最強の血族の名を欲しい侭にしている事実は、人々から多くの妬みを買っている。
「未だ次期当主候補である澄男様の護衛任務がこんなに早く施行されるのも頷けますね。備えあれば憂いなし、ですな」
「弥平さまも流川家の血族ではありませんか」
「私は分家側ですから」
作り笑いなのか、本当に笑っているのか。皆目分からない意味深な笑みを絶やさない。
流川家は、全体を取り仕切っている本家派と、本家を陰ながら護り援助する分家派の二派に別れている。
弥平は分家派の当主候補。一方で、肝心の澄男という者は本家派の当主候補。澄男の方が、正統な当位継承者なのだ。
「緊急時のプランも加味すると複雑になります。まず敵を煽動する役と澄男様をお守りする役を私達で果たさねばなりません」
「では私が煽動役を」
「いえ。貴女は後者ですよ」
「……何故でしょう。私は本家派側近の水守家当主。女の身でありますが戦って死ぬ事に恐怖はありません」
表情を険しく歪め、刺々しい声音で強く詰問するが、彼は、その気迫を全く意に介さない。顔色、雰囲気そのままに、平然と首を横に振った。
「合理性の問題ですよ。貴女を後者にした方が、無駄が少ないのです」
「私では前者の役は不足だと」
「ええ。因みに戦闘力が不足、とは言ってません」
「では何が」
「聞き返しますが。貴女は戦闘以外に何か技能はお持ちで?」
「それはどういう」
「例えば車を運転できます?」
「……できません。知識はありますが、経験までは」
「もう一つ。貴女は此処の地理に詳しいですか。入国の経験等は」
「いえ……ありません。ずっと修行していたものですから」
「最後に。身動き取れなくなった際の打開策は持ってますか。 捨て駒以外で」
「……ありません」
「だからですよ。貴女は小回りが利かないのです。その点、私なら敵に囲まれたとしても手数があります」
隙の無い誘導尋問に、口をつぐむ。弥平の言う事に、非の打ち所はなかった。
水守家は、本家派の側近。だからこそ当主を守るため、死ぬ事をも厭わない。
しかし様々な策を講じられる者がいながら、適切な人員を配置しないのは、決して合理的ではない。
此処は森の奥ではなく人民居住区。車、バス等の交通網の利用、隠れ蓑での潜伏、入り組んだ街中を利用した敵の霍乱。
自軍を有利に持っていく要素を最大限に利用可能な者と、不可能だが戦闘技術だけは卓越している者とでは、汎用性が全然違う。
残念ながら御玲は乗り物を運転する技能を持ち合わせておらず、武市の地理はほとんど知らない。
敵に囲まれれば、捨て駒になる以外に乗り切る手段は無い。数手先を見越すなら、流川家が御玲の損失を抱える羽目になってしまう。
守るべき主人に負債を抱えさせる。側近として、あるまじき恥だ。
「なら私が前者を担えば護衛戦力の損失や後始末が無くて済みますからね」
「ハイリスクですが」
「生きるか死ぬかですから。逆にリスクの無い戦闘なんてありませんよ」
そうですね、と小さく頷く。
戦いとは生きるか死ぬかの駆け引き。駆け引きに負けた者は死に、勝った者は生き残る。平坦に述べれば、ただそれだけの事でしかない。
ただそれだけの単純な概念だからこそ、戦いにリスクは存在する。無いなら、当主候補の護衛など元より不要。人員の無駄だ。
「後者の貴女は緊急時、澄男様と久三男様を新館まで護衛。同時に支援要請」
「支援要請? 本家邸にですか」
「ええ。澄会様にです。トラップなどの足止めを考慮し、澄会様が到着次第、澄男様等の身柄を引き渡します」
久三男様は非力らしいですから尚更急務、と弥平は付け加えた。
つまり御玲の役割は、澄会と鉢合わせするまで澄男達を力づくで護衛しながら、流川本家邸新館へ向かい、澄会に無事当主候補を送り届ける、である。
複数を同時並行で行わなければならない作業だが、この程度こなせて当然、が側近の心得だ。
「引渡し後は、そちらに加勢を?」
「確実に敵勢力を殲滅したいので加勢してくれると助かります。確認作業も二人いた方が早く済みますし」
「澄男さまたちには澄会さまがいる。流川本家邸の方が安全。私どもは敵勢力殲滅。合理的ですね」
「事態の収束後は私達も流川本家邸へ向かいます。私達が永住する事も、父上経由で既に通達されている筈ですから」
「澄男さまたちは知っているのでしょうか。もっとも彼らが無名の教育機関に通学している事自体、疑問なのですが」
「分かりかねますね。なにせ本家派とは顔合わせすらした事が無い程、接点が無いので」
「分家派でも謁見すら許されないのですか」
「いえ、ただ単に顔合わせする理由や余裕が無かっただけですよ」
分家はやる事が多くて、などと話し始める弥平をよそに、思考の渦へと意識を落とす。
水守家当主として就任して、未だ半年程しか経っていないが、本家派の存在とは顔合わせした事がない。
澄男の顔を知ったのは、弥平と会う一週間前。護衛任務を父親から唐突に言い渡されたとき。突然であったが驚きはしなかった。寧ろ遂に来たか、が率直な感想だった。
水守家。先祖代々より流川本家派を護衛し、彼らの往来を阻む者全てを殲滅する。ただ一つの名目だけでこの日を生きてきた血族。
父親に運命を一方的に決められたようなものだが、今更何も思う事は無かった。水守家に生まれた以上、いずれ彼等に尽くさねばならない現実は変わらない。
おそらく弥平も、同じ思いを抱いているだろう。
含みのある不気味な笑みからは、何を考えているのか皆目見当がつかないが、本家に尽くして死ぬという運命には、不満を抱いていないように思えた。
「……さて、こんなところですかね。永住に必要な荷物は分家邸から本家邸に転移輸送されますので」
「お手数おかけします。本来私がやらねばならない事を」
「この程度、手数には入りません。転移輸送ですし」
弥平が述べ終えると二人は立ち上がり、ペン型の霊子ボードを懐にしまう。
カプセル程度の狭い部屋に置いてあった武器類やアイテムを持参し、忘れ物が無いか、術の痕跡が無いかを確認。ダブルチェックも済ませると、弥平が個室のドアノブに手をかける。
「……付き従い甲斐があれば良いなあ」
何気ない呟きだった。
誰かに言った訳でもなく、自分に言い聞かせたわけでもなく。まるでドアにでも話しかけるかのように。
「あっても無くても……同じだわ」
静かに息を吐きながら、手製の槍を魔術で小さくし、誰に言ったわけでもないただの呟きに、呟きで返すのだった。
始まりが休み時間からですが、学園モノではありません。