決意
高等部校舎の成れの果てから生まれた瓦礫がどけられ、砂埃とともに、執事服を着た少年、流川弥平が姿を現わす。眉間に皺を寄せ、ボロボロに崩れ去った校舎内を見渡した。
状況が読めない。
御玲と霊子通信をした後、澄男の所に行こうとした矢先。
突然思わず耳を塞ぎたくなるほどの轟音と共に建物が崩壊し始め、状況把握をする暇すらなく、物陰に隠れる事を余儀なくされた。
風景が真っ赤な閃光に包まれ、紅い雷撃が校舎内を連続で抉ってきたときは、流石にここまでかと思った程だ。
中等部にいる久三男等の安否が気になるけれど、まずは行方が分からない澄男の下へ行くのが先決だろう。
原型を留めていない高等部校舎から抜け出し、グラウンドの方へ急ぐ。
状況は完全に読み切れていないが、戦闘はグラウンドで起きていたと考えるのが自然だ。もし校舎内で起こっていたなら、災害と形容できるアレで、校舎もろともこの世にいないだろう。
先の災害で禿げてしまったグラウンドの植林地を抜け、視界は一気に拓けた。既に空は常闇に呑まれ、いつもの静寂さを取り戻している。
さっきまでの大災害が嘘のよう。
昼の王者は地平線に沈み、身体を穏やかに撫でる微風が絶え間なく流れ、非戦闘民居住区からの灯りだけが、世俗の喧騒を虚しく奏でる。
校舎内を丸ごと覆い尽くし、全てを灰燼に帰そうとした暴虐の帳は、既に降りた後のようであった。
辺りをくまなく見渡す。校舎内に澄男の姿はなかった。となると信じ難いが、あの災害の引き金を引いたのは澄男だろう。
御玲に災害を起こす程の力はなく、久三男は非戦闘民よりも、多少強い程度。自分は瓦礫に隠れて事が収まるのを見計らっていたし、況してや敵同士が争うとも考えにくい。
消去法により、一般人を凌駕する戦闘能力を持つ者とは、必然的に敵の手下が吐いた敵幹部と、澄男の二人に絞られる。
事が収まっているということは、雌雄を決した後か。どちらがが勝ったかは、現場に行かねば分からないが。
身体が一瞬だけ橙色に光る。
探知系魔術を使ったが、この辺り一帯の霊力の残滓が多過ぎて役に立たない。まるでテレビの砂嵐を見ているような感覚に襲われ、頭を振る。
やむおえない。あまり使いたくなかったが。
「``逆探``」
周りに橙色の魔法陣が出現するが、唐突な疲労感に苛まれた。
魔法は効果こそ確実だが、消費霊力が異常に多い。
本来なら霊力を回復させる薬を持ち歩いていないと使用するのも馬鹿らしいものだが、雌雄を決しているなら、もう戦闘は起こらないだろう。
脳裏に早速二人の人間と名前、肉体情報、空間座標が浮かび上がり、表示された空間座標の方へ走る。
そこには二人の男がいた。
一人は地面にぐったりと倒れて身動き一つせず、もう一人の男は複数の手下らしき存在に囲まれ、何やら話し込んでいる。
男は弥平に気づく。そして唐突に薄気味悪い笑みを溢した。
「ああ。生きてたんだ」
「貴様が敵幹部の一人、と見做して相違ないな?」
「さあ? 答える義務ないよね」
「……黙秘か」
「ちょいちょい。悪いけど僕はもう戦う気ないよ。色々使い果たしてるし」
「私には有り余るほどあるのだが?」
「やだなー……あ。君、側近か何かだよね。そこに転がってる人、助けなくていいの」
相手の飄々とした態度に殺気立つが、目の前に倒れている澄男を見て血相を変える。
その場でしゃがみ込み、名前を呼びながら澄男の身体を揺するが、返事がない。首元を指で触る。
緊迫が解けた。どうやら、ただ横たわっているだけのようだ。
「``顕現``の準備ができました」
「おう。んじゃ澄男君と誰かさん。またね~」
「待ちなさ……!」
制止も虚しく、十寺とその手下らしき者どもは、何の脈絡もなく虚空へと消えた。
空間転移の魔法を使った迅速かつ手際の良い撤退。場所はアジトか。
いや、空間転移の魔法をも使える熟達者。相手の精神を揺さぶるために態と敵意を強調した演技を飄々とした受け流す態度で素性をはぐらかす。
かなり実戦経験を積んでいる。アジトを逆探されないように、魔法的な対策、アジトとは別の地点に転移している等の手は既に打っているだろう。深追いはするべきではない。態度からしてあの男が敵幹部で間違いないし、手下を連れていたところから、相手は個人ではなく組織で動いている。
問題はあの男が、組織のどこに位置する存在で、組織の長は誰か、アジトはどこか、だが。
霊子通信を御玲と久三男に解放する。
とりあえず、周囲の安全は確保した。澄男は疲弊こそしているが無事だし、初日の護衛任務は成功といったところだろう。
本家派の当主が暗殺された事実は予想外だったが、それは事後処理の後になんとかするしかない。
弥平が御玲と霊子通信で対話し始めた最中、澄男はうつ伏せになったまま、一筋の涙を流していた。
「……糞がぁ……ぁぁぁぁぁ……!」
弥平にも聞こえないそのか細い慟哭は、虚しく宵闇に消える。
原形を失い、もはや別物になったアレ。
アレを澪華だとは信じたくはない。でも澪華が生徒会室に入ったまでを見届けているし、十寺が語っていた罵詈雑言が嘘だとも思えない。実際、あの生徒会室で彼女らしき人物は見ていないし、いたのはやはり元は女子高生だったであろうモノだけだった。
地面に爪がめり込むほど強く泥を握り締め、瞼からとめどなく流れる水が地面を淀んだ泥濘に変える。
守れなかった。自分が最も大切なものを。溢してしまった。一つの命を。
彼女が彼女だった頃の記憶が、脳裏に過ぎっては一つずつ焼き焦げていくのを感じる。黒く塗り潰されていくのを感じる。塗り潰された後に残ったのは、ぐつぐつに煮詰まった憎しみのみ。
何度糞がと吐露しようが吐き切れない。何度拭おうが拭い去れない。
瞼を閉ざした灼眼に映るは途方もない闇。胸に渦巻くは今にも破裂しそうな破壊欲。そして身体中に圧し掛かるは際限のない絶望と悲哀。
彼女とともに歩んだ人生は、光に満ちていた。
か細い一筋の光にすぎなかったけれど、``戦う``という本当の意味と大義、価値を見出すには充分すぎる大きな光。
だがその光はもう見えない。今は右も左も前も後ろも下も上も、方角さえも分からない無限大の闇が横たわっているだけ。
「……壊す。だったら何もかも。こんな思いするくらいなら……! 何も守れねぇんなら……!」
噛んだ唇から一筋の血がどろりと流れた。
地面に伏し、広大な宵闇に誓う。これから己が成すべき事を。この世で最も大事にしていたものを守れなかった贖罪を。
瞼が開かれ、毛が逆立つと同時、闇に燃え盛る紅い瞳が吠える。
その瞳には、以前の凛然とした耀きはなく、ただただ濁りに濁った屈折光で塗り潰された黒い筋が、蛇のように塒を巻いていた。
「俺にはもう、何も要らねぇ……!!」
誰の鼓膜も揺らす事のない掠れた声音だったが、その一言には消そうとしても消す事など叶わない、膨大な憎悪が彩られていた。




