午前4時の人間界
神もおそらく眠っている。そんな午前4時に、私は働いている。
一面をアスファルトで覆われた広大な駐車場に大型トラックを乗り入れた。駐車している車は少なく、エンジンを停めると静まりかえった空間は、夜空が宇宙と直接繋がっているかのようだった。
秋の虫の声も停まっている。
福島県の白河市から熊本県の玉名市南関町までを二日がかりで走る。その途中、山を下るように中央高速道路を滑り降りながら、岐阜県のとあるサービスエリアに立ち寄った。
燃料がそろそろ危ない。
夜食のおにぎりを食べ終えると私はエンジンを始動し、そこへ向かった。午前4時のサービスエリア内を白々と照らす水銀灯の向こう、一際あかるくオレンジ色の光を灯す一角へ。
ガソリンスタンドに車をつけたが、人の気配がない。
エンジンを停めるとまた静けさが取り囲んだ。
寂しい明かりのついた建物の中から、60歳ぐらいのおじさんが、急いで帽子を被り出てこようとしているのが見えた。
「おや、びっくりしたね。これは大変な美人さんが大きなトラックに乗ってらっしゃる」
窓の下にやって来たおじさんは、帽子の下で皺だらけの顔を愛想よく笑わせ、お世辞を言ってきた。
「軽油満タンで」
私はお世辞を素直に受け、カードを渡しながら嬉しそうに笑ってみせる。
「こんな時間に大変ですね」
「いえいえ。ありがとうございます。ゴミはございませんか?」
「あっ。灰皿だけお願いします」
この仕事をしていると、一日誰とも会話しないことも珍しくはない。
それだけに、たったこれだけのやり取りが、忘れ難い思い出のように、その日の特別な出来事として、残る。
「ありやっと……したぁーっ!」
帽子を脱いで見送ってくれるおじさんに手を振った。
うまい棒を一個、もらった。めんたい味を早速楽しんだ。
九州に入ったのは翌日の深夜3時だった。
九州に入ってしばらくはどこのサービスエリアも満車に違いないので、久留米を過ぎるまでは走り続ける。
仮眠をとるため車を停めたのは、今日もまた午前4時だった。
持ってきている食糧が底をついていた。お腹が減った。空腹のままでは眠れない。
フードコートに入るとラーメン屋さんだけが開いていた。24時間営業しているようだ。
しんとした空気の漂う広い店内を、商品の棚入れをしているおばさんの脇を通り抜け、ラーメン屋さんの前に辿り着くと、奥で小太りのおじさんが掃除をしていた。
券売機で食券を買う。選択できるのは『ラーメン』のみなので、迷う必要がなかった。5時からは値段の安い『朝ラーメン』が選べるようだが、1時間も待っていられない。
食券を買ったら自動でオーダーが入るシステムだったので、自分で水を汲み、テーブルでスマートフォンを見ながら待っていると、すぐに呼ばれた。
マイクを使う必要もない。静けさの漂う店内に、カウンターの向こうからおじさんの声がよく聞こえた。
「はい、ラーメンお待ちどお」
私が無言で取りに行くと、おじさんは愛想よく、話しかけてくれた。
「今日でよかったね。明日だったら店、開いとらんかったばい」
「え……。このお店、閉めちゃうんですか?」
「改装するだけっちゃよ。でもしばらく店は開けられんとよ」
「その間、おじさんはお休み?」
「まぁね。おかげでしばらくふつうの人間の暮らしが出来るったい」
ふつうの人間の暮らし──
まったくだ。
こんな時間に仕事の真っ最中の私もおじさんも、ふつうの人間ではない。
「たまご入れといたよ。サービスね」
「えっ? いいんですか?」
「お互いこんな時間まで働いとるけんね。お疲れさま」
「わっ。ありがとうございます」
にっこり笑顔のおじさんに見送られて、席に戻ってラーメンを食べた。
唇の皮が剥けるほどアツアツのとんこつスープの中から、真っ白なストレート麺を掬い出して、啜る。こんな時間には少しこってりすぎるかなとも思ったが、食べているうちに気持ちもあったかくなってくる。
味玉は冷たかったけど、スープに浸してぬくめて食べた。
「ごちそうさま。美味しかった」
「ありがとね〜。改装終わったら、また来てね」
ふつうのひとなら寝ている時間に、仕事をしてくれているひとがいるから、私も不自由なく仕事が出来る。
大昔なら何週間もかかっただろう、北の関所から南の関所へ──今はたった二日間で行ける。燃料の心配をすることもなく、お腹が空いたらラーメン屋さんも開いている。
神も眠る午前4時、私は人間に感謝をした。