室町時代のなぞなぞ(6/8)
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はゝには二たひあひたれともちちには一ともあはす
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「現代語に訳しますね」
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母には2回会うけれど、父には一度も会わないものな〜んだ?
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「えーっと」紫陽は思案した。わからない。
◇
静かになってしまった。
少し離れたところからスマホで打ち合わせする人の声が聞こえる。取材を申し込んでいるようだ。行き交う人々の足音がひっきりなしに響いていた。
「答えを申し上げます」
「あっ。まって。もうちょっと考えさせてくださいよ!」
「答えを言っても問いは続きます」
「はい?」
「答えは『唇』です」
「…………………」
◇
「えっと。その『ハハ』と言ったら上唇と下唇が2回合わさるのに、『チチ』と言ったら一度も合わない……という意味になりますか?」
「そうです」
紫陽は困惑した。おかしい。その答えおかしい。
「『ハハ』も唇一度も合いませんけど……」
紫陽は口を『イーッ』の形にして『チチ』と発音し、次に口を開けて『ハハ』と言った。唇は一度も合わさらなかった。口の奥の洞窟はポッカリ開いたままだ。
「江戸時代後期にはすでにわからなくなっていたんですよ。国学者の本居内遠はこのように謎を解きました」
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母は『歯々』の意味だ。父は『乳』だ。『歯々』なら上唇と下歯、下唇と上歯と2度合う。自分の胸(乳)は自分の唇には届かない。
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「いや……言いたいことはわからなくはないですが、苦しくないですか? だいたいその『乳』て発想どっからでてきたの? といいますか……」
「突飛が人の形になったみたいなカブラギさんに言われるとはね」
「ほっておいてください」
『突飛』『突飛』と散々言われる人生である。
「もちろんこれはそんな難しい話ではありません。『なぞなぞ』は子供にもわかるから『なぞなぞ』なんです。単純にね。『母』は『ハハ(haha)』とは発音しなかったんです」
「え?」
◇
「ではカブラギさん。ヒントとして、さらにクイズを出しましょう」
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上海
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「これ。何と読みますか?」
「『シャンハイ』ですね。中国の一都市です」
「正解。ではこちらは?」
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海底二万里
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「『カイテイニマンリ』です。ジュールベルヌの小説……」
「そうです。でもここでは『ジュールベルヌ』は関係しません。『海』という字を見て欲しいんです。これはなぜ『ハイテイニマンリ』と言わないのでしょう?」
◇
正気か? ハイテイニマンリなんて言うわけないじゃないか。
「いや……。当たり前じゃないですか。『上海』は中国語で『海底二万里』は日本語なんですから……。言語が違うから発音も違うんです」
「そうですね。でも『漢字』は中国から輸入された文化ですよね?」
「あっ……。はい……」
「『はゝには二たひあひたれともちちには一ともあはす』の答えは『唇』。なぜならば、室町時代に母親のことを『ハハ』とは発音しなかったから。日本で『海』をハイとは言わず『カイ』という。これは何を表しているのでしょうか?」
え? あ? う? 全然わからないぞ?
◇
「では、さらにクイズです」と言ってオトはノートにサラサラと何かを書きつけた。
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violin
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「クラシック音楽に使う楽器の一種です。木でできていて、楽器の下の方をアゴで固定し、弦を弓で弾いて音をだす。製作者は『ストラディバリウス』が有名です。この上にカタカナで訳語を書いていただけますか?」
え? 簡単すぎない?
紫陽は戸惑いながらノートに書き付けた。
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バイオリン
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「その通りです」オトはなぜか紫陽の書いた字を右手の平で隠した「これ、何と発音しますか?」
「ヴァイオリン…………」
◇
オトはしばらく紫陽を見つめるとニッコリ微笑み、そのまま首を傾げた。
紫陽もついつい首を傾げる。
「カブラギさん」
「はい」
「あなた今なぜ『バ』イオリンと発音しなかったのです?『ヴァ』イオリンと言ったでしょう?」
オトは唇を突き出すようにして『ヴァ』と発音した。
「え? あ? ほんとだ……。だってほら……。『v』で始まってたからつい。『v』ってほら。ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォでいいませんか?『ルイヴィトン』とか……」
「表記は『バイオリン』ですね?」
右手を外す。確かに紫陽の字で『バイオリン』と書いてあった。
「いや。だってそう習いました。小学校のとき、書取りの練習で。カタカナの書取りだったんです。『バイオリン』の絵が描いてあって『バイオリン』て」
「本場の発音はどちらですか?」
「それはその『ヴァイオリン』じゃないですか?『v』ですし」
「じゃあなぜ、『バイオリン』自体が日本に入ってきたとき『ヴァイオリン』と表記しなかったのでしょう?」
はぁ〜? なんで? なんでだ?
◇
「それは……。たぶんですけど、『ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ』て表記がなかったからじゃないですか? 五十音に『ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ』はないですよね? たぶんこれ、割と最近の表記ですよね? ない物は書けないから1番近い発音を当てたのでは?」
「正解です。じゃあカブラギさん。『海』はなぜ『カイ』なのでしょう?」
「あっ!」