第二話(楽しみだったことは否定しません)・4
「あんたの言っていることはさっぱりわからん」
仕度をする、といって姫に背をむける。
「まあなんだ、うまかったよ。ごちそうさま」
相手の顔を見ず、一方的に告げてナナシは小屋へ向かう。
抗議にも似た不協和音をたてる戸を押し開けて小屋に入ると、手早く装備の点検に取りかかる。
武具を手にとり、目覚めた時の違和感がはっきりとわかる。
(手入れをされてる……)
もやが晴れてきた記憶のなかで、確かに自分は泥まみれで戦っていた。だが装備にすらその痕跡はなく、丁寧に鉄製のものには油まで塗られている。
「余計なお世話かと思ったのですけれど、あなたが眠っている間に簡単な整備をしました」
「うおい! 入ってきてんのかよ!」
背後の声にどきりとして振り返ると、きょとんと首を傾げた姫の姿。ナナシが驚いていることを不思議そうに見つめ返してくる。
「だめ、だったでしょうか?」
おそらくは音も気配もなく背後についたことではなく、了解をとらぬまま装備を整備したことを言っているのだろう。確かに持ち物を勝手にいじられるのは気持ち悪くはある。
(まあ、済んだことはもういいとして、それより)
「だめというか、その前に俺着替えるんだけど……」
「ええ、どうぞ」
「どうぞ!? いや出てけよ!」
ますます何を言っているのかわからない、と困惑した表情をするアリスティア姫。
「私ドレスを着る際、侍女に手伝ってもらいますよ。あなたの装備は点数も多くてドレスを着るよりも大変でしょう?」
「コツがあるもので、お姫様のお手を煩わらすことはごさいません」
「言い方に棘があることくらいわかりますよ」
「そりゃありがたいね、気持ちを汲んでくれるわけだ」
と、あっち行けとばかりにぞんざいに手をふるナナシ。
「なにを恥ずかしがっているのでしょう」
「いいからもう出てってくれませんかねぇ、いい加減!」
まだなにか反論したそうに口をパクパクさせていた姫だが、分かりましたと呟いて踵を返し、音もなく小屋から出て行く。
その様子にナナシはため息がもれる。
(もうばれちゃいるんだろうが)
相手が王族だろうと、他人に素肌を見られることはいやだから仕方ない。こちとら一介の流れ傭兵で、王に庇護された民ではない身の上。そう決め込んで一度着た上着を脱いで、素肌にさらしを巻いていく。
人蜘蛛の糸で作られたこのさらしは、上手く巻ければ衝撃をよく吸収し、切られても刃が通らないほどの強度になるが、その分巻きづらく時間がかかる。
さらしを巻き終わっても終わりではない。姫の言う通り、ナナシの装備は数が多い。それは1人で傭兵稼業をするための必然の重荷だった。
流れるような手つきで防具に仕込み武器を体に纏わせていく。その一連の流麗な動きは着替えというより、観るものがいたならば独特な舞を想起させただろう。
最後に外套を翻し鞘に納まった剣を背にすると、小屋の出入り口のドアを極々ゆっくりと、少しずつ力を込めて引いていく。
ドアは悲鳴に近い音を立てて開いていく。
開け放たれた先には、稟とした佇まいのアリスティア姫。
互いに目があって、一方は微笑み、一方は獰猛な笑みを浮かべる。
「どうかしましたか?」
「いいや。ただ、退屈とは無縁な旅になりそうな気がしているだけさ」
「奇遇ですね。私もそう確信しています。ところで……」
「なんだ?」
「私はあなたをなんとお呼びしたら良いのでしょう?」
「名乗る名前がない。だからナナシでいい」
「名前がないからナナシ、さん」
考え込む素振りを見せる姫に、ナナシはげんなりする。
「あーお姫さん」
「私のことはティア、とお呼び下さい。敬称もいりません。それより」
瞳を輝かせて身を乗り出すティア、対称にうんざりした顔で身を引くナナシ。
「私、名付け人になりましょうか?」
「そんなのいらない、必要ない」
「王都では名付け人になってほしいと、私に依頼が殺到してたのですよ。全部クラリス、あ、私の侍従長がお断りしたのですけれど」
ぽんと手を叩く姫のきらめく笑顔で、ナナシはこのお嬢様がこちらの話を聞く気がないことを察した。
「もしナナシさんが依頼を受けてくれて、私の用件が終わった時、報酬とは別に名前を贈りますね」
「あーあ、まあ好きにしなよ。勝手に名付けたって、俺がそう名乗るかは俺の勝手だしな」
「名乗りますよ。必ず。私の勘はよく当たるのです。だから楽しみにしていて下さいね」
ナナシの荷物は体中に分散させている小袋を除けば頭陀袋1つだが、アリスティア姫の荷物は大きな行李が2つもあった。見た目どおりの重量そうなのに、あんな細腕でどう運んできたのかという疑問は、広い面の底にくっ付いていた車輪が物語っていた。
「ラティカじゃこんなのも売ってるんだな。車輪付きの行李なんて見たことねえ」
「いいえ、これは私が今回の旅用に設計制作したものです」
「自分で作ったってことか?」
「私はこう見えて器用なのです。裁縫も工作も得意ですよ」
ナナシの隣に並んで胸をはるアリスティア姫。そんな彼女をナナシは無遠慮に観察する。
ナナシは神を信じない。それでもこの銀髪の少女は、神が手ずから造形したと言われれば、納得しかけるくらい整った容姿をしている。
「あの、なにか?」
ナナシの不躾な視線に居心地が悪くなったのか、アリスティア姫は戸惑いの声をあげた。
「いや、あんたは目立つからな。顔、隠せるなら隠したほうがいい」
「あ、この髪、銀髪でも目立ちますよね」
髪色のことだけじゃねぇよ、と告げるか迷いつつ見ていると、アリスティア姫は器用にくるくると髪をまとめ上げ、頭上でお団子状にしてから外套つきの頭巾をすっぽり被った。
どうですか、と言わんばかりの笑顔を向けてくるアリスティア姫に対し、ナナシは感想は告げず、歩き出す。
「行き先が神罰に飲まれている以上、のんびりしてていいこともねぇ。道行きの詳しいとこは歩きながら聞こうか」
「わかりました」
並んで歩きだすアリスティア姫の手が、空であることにナナシはすぐ気付き、振り向いてギョッとした。そんなナナシにお構いなく姫は説明をし始める。
「まずはこの農道から街道に合流しましょう。それからしばらく街道沿い、ダーナ公国方面へ向かいます」
「いや悪い、全然話が入ってこない。なにあれ?」