第二話(楽しみだったことは否定しません)・1
「王子、というと他国の方はみんな違和感を感じるようなんですよね。強いて表現するなら王女でしょうか。我が国にそんな位はないので他国ものと意味合いが異なりますけど。姫、でもいいのか。でも自分では言えないですよね」
あまりにも気負いない名乗りに、ナナシはなんと返せばいいのか返答に詰まる。ようやく口からでた発音は少しかすれていた。
「そんなことを真に受けるとでも?」
アリスティア姫を名乗る、銀髪の少女は瞳を少し潤ませて、晴れやかに笑った。
「信じられないのは当然ですね。でも、あなたに嘘をつかない。これが私にとって重要なのです」
(あなたに? 変な言い回しをするやつだな。人に、じゃないのか)
ナナシはじっとこの少女を観察する。王族うんぬんは頭から信じられないとしても、衣服はよく見ればすべて獣皮と人蜘蛛を寄り合わせた上等なもので、なによりも詠術師だ。高等教育を受けられる貴族でなければ詠術師にはなれない。
正規の軍属には見えないし、たしかにどこかの王侯貴族でもおかしくはないが、だとしたらなぜ神罰に飲まれた地に単独でいるのか、ますますわからない。
「私を助けていただけるんですよね?」
戸惑ったまま二の句がつげないでいると、少女はそう微笑む。
なに言ってんだこいつ。表情だけでなく、言葉にもしようとすると、その前に少女は突然手をたたいた。
「そうだパン、焼いていました! お腹、空いてますよね? 食事にしましょう」
くるりと背を向けて、今開けたばかりの粗末なドアから再び外に出る彼女。と思ったらひょこっと顔だけ小屋へのぞかせた。
「外で頂きましょう。よいお天気です。あ、服、着てからでいいですからね。乾いていますよ」
なんとなく出鼻を挫かれた気分を味わいながら、ナナシは包帯を乱暴にとり衣服を身につける。少女の言葉通り乾いていることに、眉をひそめた。
剣帯や蜘蛛糸帷子はつけず、抜き身の長剣を手に外に出ると、柔らかな陽光に包まれて佇むアリスティア姫に、思わず目を奪われた。
ただ、彼女は木漏れ日の中、微笑みをこちらに向けているだけ。
それだけなのに、陽光も爽やかな空気もすべて彼女を際立たせるために存在しているような、すべてから祝福されている美しさがあった。
気恥ずかしさに視線を引き剥がして下を見ると、焚き火を起こしているのに、煙がほとんど出ていないのに気がつく。
よくよく見ると、辺り一面ぬかるんでいるのに、焚き火を中心に円状にそこだけ地面が異様に乾燥していて、その乾いてる地面に2つの穴が空けられている。その穴の一方で火を熾していた。
(ずい道式焚き火を知っている奴なんて、傭兵でもそうはいないぞ)
ナナシの怪訝な顔に気づいているのかいないのか、自称アリスティア姫はやさしく手招きしている。
不自然なほど椅子代わりにぴったりな形をした石が、火を挟んで2つ。奥側を彼女が腰掛けたので、ナナシは無言のまま手前の石に座り、いつでも構えられるよう剣を地面におく。
座った瞬間、ナナシは強烈な違和感を覚える。
(なんで俺は座ったんだ?)
もちろん聞かねばならないことはある。服が乾いていることから、意識を失ってからある程度日が経っているし、運ばれた以上現在地もナナシはわからない。
しかしこの少女とは、一刻も早く別れたほうがいいと直感が警告している。
なのに、なんとなく無警戒に腰を落ち着けてしまった。これではじっくり話をする構えだ。
焚き火には焼き網などを支える鉄製の台、窯子があり、その上に網、小さな鍋、丸パンが乗せられている。
鍋のなかは、白くとろみがついたスープと、その中に数種類の野菜が煮込まれ浮いていた。
彼女は手際よく木製の柄杓で、お椀にスープを注ぐと、ナナシに手渡した。
あまりにも自然に渡すものだから、思わず受け取ってしまったが、即座に後悔する。しばらくまともな食事にありつけていない胃袋に、この旨そうな匂いは拷問である。
関わるべきじゃない。そうささやく理性の声は本能にあっさり降伏し、気がつけば椀の中身をかき込んでいる。
口の中で広がる様々な野菜の甘味と、その味を引き立てるスープ自体の塩気が、重なり合って押し寄せてくる。そればかりではなく、わずかな弾力を残し、噛めば噛むほど旨味が吹き出してくるのは、紛れもなく獣肉だった。かなり細かく刻んであるが存在感は十分ある。ナナシはたっぷり口の中で味わった後、ゴクリと飲み込んだ。そしてまたかきこむ。なぜ獣肉があるのか、なぜこんなに柔らかいのか、疑問は頭をよぎるが、あまりのうまさに棚上げされ、お椀が空っぽになるまで手と口は止まらなかった。
スープを平らげて、ナナシは大きく満足げに息をつく。
「これ虫肉じゃないだろ? 本物の獣肉だな? こんなふんだんに使うなんて…」
「良かった、お口にあったようで」
空になった碗を焼き網に乗せると、ナナシは周囲を確認しながら尋ねる。
「ここは?」
「山界よりではありますけれど、人界側のプランク大農園の端です。そこの小屋は多分、農具とかの保管や、休憩所として使っているのでしょうね」
プランク大農園という地名に聞き覚えなく、地図にもそんな記載はなかったと思いながらも、人界側だという事実に驚く。
「てっきり山界側に迷い込んだと思っていたのに。じゃあ大分危険だったんだな」
(輜重部隊のやつらもまさか人界側で襲われないと油断してたのか)
「そうですね。改めてありがとうございます。あそこでくい止めていなければ、我が国の穀倉地帯に絶大な被害が出るところでした」
微笑みながら焼いていた丸パンを姫は手に取る。
「ささやかではありますけど、この食事はそのお礼です」
「ささやか、ね」
先ほどのスープに入っているのは野菜くずではなくまともな野菜で、肉も虫肉でもなく獣肉。ナナシのここしばらくの食事では間違いなくご馳走だった。
「そのまま食べても美味しいのですけど」
言いつつ、姫は手にとったをパンを鍋に落とす。掌から鍋に落ちる瞬間に丸パンは細切れになっていた。
「あんまり胃腸を刺激しては体に悪いですからね。しばらく食べていないようですし」
その言葉に、ナナシは腕を組む。
「俺は腹芸ができない」
唐突な申し出でも、アリスティア姫は困惑するでもなく静かに見つめ返してくる。
「もっと直接的にいこうや。あんた、俺になんかさせたいんだろ? こんな獣肉まで振る舞って」
アリスティア姫のこれまでの過剰ともいえる配慮は、優しさから来るものではない。そうナナシは判断している。
貴族は傭兵を単位でしか認識しない。そんな使い捨てにここまで手間をかけるのは、なにか裏があると思うのは当然だ。しかし、ナナシは腹の探りをするつもりは毛頭なかった。
ナナシにとっての理想は安全な人里までの道のりと、そこまでの食料の確保をしつつ、この少女には深入りしないこと。
「大剣使い」
そんな思惑はアリスティア姫のたった一言で消し飛び、ナナシは硬直した。
「北の狼族の大部分は神罰に殺されたのではありません。大剣使いに殺されたのです」
ナナシは目を見開く。蘇る赤い記憶、赤い文字、『おまえの剣を待つ』。
喉がひりついて相づちもできないナナシに、姫はさらに言葉を重ねる。
「そうです。私はあなたに用がある。隣の公国の噂は私の耳にも届きます。大剣使いを探す赤髪の長剣使い。あなたのことですよね? 名乗らないと噂の剣士さん」