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大剣のアリスティア  作者: 雉子谷 春夏冬
第一章「神様は赦してくれない」
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第一話(覚悟を決めた。私に全ては選べない)・2

 絶望的な数だ。もしこの輜重部隊の詠術師が凄腕で、騎士も傭兵も神罰狩りの経験が豊富ならどうにかなるかもしれない。


 ナナシは両の拳を震えるほど握り締め、木々に隠れた蒼い光が立ち上る根元の辺りを睨みつける。

 前線にいるであろう戦うための部隊なら、ナナシの思うような部隊かもしれない。しかしそんな部隊は形は違えど、しっかりとした規律が目に見えて分かる。


 ナナシは樹上から降りない。

(義理もないし、道理もねぇ)

 この部隊の中腹から恐怖に上擦った叫び声が響く。大陸公用語ではない、ナナシには意味の解らない単語の羅列。


「詠唱!? 早すぎるだろ!」


 思わず叫んでしまう。木々に隠れて部隊がどうなっているのか見えないが、とても陣形が完成しているとは思えない。


 バキバキと枝が折れる音が連続すると、蒼い光をまとった、やたら腕の長い人間のような形のものが、部隊前方から剣士の目線よりも高く跳び上がってきた。弧を描き、部隊の中腹へと落下していく。

(猿の神罰獣……)


 詠唱は断末魔に変わり、ナナシにもわかるくらいの高さまで血と肉片が宙にまき散らされ、雨に混じる。十中八九、先ほど見かけた詠術師の体の一部だろう。


 悲鳴の合唱が始まった。眼下は文字どおり、今この瞬間に地獄と化した。

 冷静な部分は、離脱を訴えている。このままでは巻き込まれる。現にこの一瞬だけで、降り注ぐ血しぶきは4、5人分どころの話ではない量になっていた。


 ナナシは突き刺した長剣を引き抜かず、叫びながら樹上からひと息に飛び降りた。


「ただ働きはやらねぇ!」


 すると背中側、腰の辺りについた小型の糸巻取機がギュルギュルと不協和音を立てて落下速度を緩和する。長剣の柄頭と腰の糸巻取機が、細い糸でつながっていたのだ。ちょっとした城壁ほどの高さから降りて、しかしなんなく地面に着く。


「だから! お前らが運び損ねた食糧で手を打ってやる!」


 誰に言うでもなく叫ぶと、梯子木の幹の間に隠していた見るからに重い鞘を掴んで、走りながら腰に装着する。その背後を糸に巻き取られた長剣が、ナナシの背を高速で追いかける。

 

 奇妙の長剣と鞘だった。分厚い布でぐるぐる巻かれた鞘のほうが明らかに長く幅も広い。

 そんなおかしな長剣を見もせず空中で掴むと、さらに速度をまして最後尾の荷車に追いつく。


「逃げろ、走れ!」


 人足達はおろか、護衛で雇われたはずの傭兵も腰を抜かしてへたり込んでいるのを、乱暴に引き上げたり、蹴飛ばしたり、とにかく自分の後ろに流していく。


「走れってんだよ死ぬぞ!」


 荷車にしがみついて隠れているつもりの男どもを引っ剥がし、茫然自失しているやつの頬を張り、とにかく今来てた道を逆走させるナナシ。混乱のなか、何者であるか誰何する声はない。


 不意に、先ほどのような枝が大量に折れる音がすると、少し離れた所にあった荷車が押し潰された。


「きやがったな」


 押し潰したのは、空から降ってきた異形。おそらく詠術師を殺した先ほどの個体。

 その異形の体躯は子供のように小さい。しかし両腕は成人男性の何倍も太く長い。


(原型は猿だな、やはり)


 蒼い燐光を纏うその体表は、毛でも皮膚でもなく金属光沢を放ち、芸術作品のような人工物に見えるのに、壮大な自然界の景色を前にしたときに感じる畏敬を想起させる。


 大きく広げた腕の先端、掌がもいだ果実のように掴むのは、何人もの人の頭。ちぎり取られた首からボタボタと、雨に混じっても薄まらない赤黒い液体が滴り落ちる。


「上等だよてめえ。俺が相手だ!」


 わざとナナシは声を張ってこちらに注意を引きつける。

 すると猿型神罰の両腕の中間あたり、人なら肘の部分が勢いよく背中側に折れ曲がった。


 手にしている人頭を投げつけるつもりだと直感したナナシは、右手に構える剣をちら見する。雨に濡れる刀身は、後ろでもたもた逃げ惑う人影をにじませていた。


 ナナシが腰を落として構えた瞬間、風切り音よりも早く、苦悶の表情の砲弾が同時にいくつも飛んでくる。

 その全てを右手の剣と、特製鉄砂を仕込んだ左手のグローブで叩き落とした。頭蓋を砕く感触が、両手を痺れさせる。


「くそやろうが!」


 返り血を拭わず、間合いを詰めようとすると、猿型神罰もまた同様に向かってきていた。

 ほとんど近づけていないにも関わらず、空高く突き上げた猿型神罰の両拳が雨とともに剣士に降り注ぐ。


 鉄の塊といって差し支えない猿型神罰の拳を、ナナシは両手で握り直した長剣で、受け流し、弾き返し続ける。

 金属と金属がぶつかりあう轟音が響きわたり、逃げていた者たちも思わず振り返る。彼等が目にした光景は凄まじいものになっていた。


 疾風怒濤のごとく浴びせてくる殴打の連撃を、この雨の中、火花散らしながら受け続ける剣士。

 傭兵の誰かが悔しそうに呟く。


「詠術師がいりゃあ……」


 猿型神罰とナナシは対等に渡り合っているようで、実は互角では全くない。人の体力は有限だが、神罰獣のそれは底があるかもわからない。打ち合い続けているということは、裏を返せば剣の間合いの遥か外で、一方的に攻撃され続けている状況でもあるのだ。


 なによりも詠術師がいない。


 ナナシは鋭利な刃で、叩き切るように拳を弾いている。にも関わらず、猿型神罰の拳はかすり傷一つつかない。せいぜいへこむくらいで、それすら瞬時に元の形に戻ってしまう。むしろ刀身とそれを振るう腕のほうが良くもっていると言えた。


 詠術師がいなけば、神罰獣にはなにも効かない。だからこそ詠術師が真っ先に殺された時、この部隊は総崩れになった。


 それなのになぜあの剣士はその場に留まり、攻撃に晒され続けているのか。その理由に生き残りの傭兵達が気づいたとき、彼らは人足達にも手を貸し、肩を貸し、協力して逃げ始めた。


 しかし遅かった。変化は神罰獣側にもあった。


 ナナシは違和感を抱く。その違和感の正体が、僅かに猿型神罰の体が傾いていることに気づいた時、ナナシは考える前に反射で避ける動作に入ったが、それでも神罰獣の能力が勝った。


 みぞおちに衝撃。むりやり肺のなかの空気を吐き出させられ、逃げゆく者達も追い越して、遥か後方へ吹き飛び、泥道に転がっていく。


 短かった足が、右足だけ矢を超える速度で伸び、ナナシのみぞおちをとらえたのだ。

 伸びた足を縮め、猿型神罰はゆっくりと歩を進めながら、両腕を鞭のようにしならせて、逃げ遅れた人間の頭をもいでいく。どんな手の構造をしているのか、頭を掴み取ったまま次々とブチブチひきちぎっていく。


「俺が相手だって言ってんだろうが!」


 泥まみれの体を起こし、怒声をはるナナシ。みぞおちに受けた蹴りの衝撃は、体を少しふらつかせていた。


 最悪は重なり続ける。構え直した剣士の耳に届くのは、グチャグチャと泥が飛び散る音。緩やかな曲がり角から姿を見せたのは、別の神罰獣2体。どちらも四足歩行だが、違う型だった。


 鹿型の神罰獣は、雨に流されないほどべったりと返り血にまみれて。


 猪型は太く禍々しく捻れた角に、絶命した人間達を飾りのように縫い付けて。


 堂々とナナシの前に立ちはだかる。


 前方にいた神罰獣が、後方に現れる。

 それはつまり、前方にいた部隊の全滅を意味していた。

 ナナシは刀身を軽く拳で叩く。刀身は人の体温程度の温もりを発していた。


「上等だよくそったれどもが。まとめて相手してやらぁ」


 ナナシが自分の心臓あたりに拳を置いたとき、目を疑った。道ではなく密集する梯子木の隙間から、小柄な人影が踊り出たのだ。

 枝が引っかかったのか、外套についた頭巾が外れ、輝くような銀髪が流れる。


 そして、ナナシははっきりと見た。雨がたくさんの粒のように見えて、音すらかき消えた時間のなかで。


 その少女は確かにナナシを見て、涙で潤む瞳のまま微笑んだのだ。


 瞬きの間にその時間が失われると、止む気配がない雨の、煩わしい音がやけ耳に刺さる。

 唯一の色のように輝く銀髪をなびかせて、少女は迷わず3体となった神罰獣の群れへ走りだしていた。

 死体あふれる泥道に足をとられることもなく、軽やかに走り抜ける名も知らぬ銀髪の少女の後ろ姿。その煌めきは雨すら弾いていると錯覚させる。


(いや、たった1人でなにができる)

 あんぐりと開いていた口を閉じて、ナナシは慌ててその小さな背中を追い始めた。まとわりつく泥のせいで、前に進んでいるのに、少女との差は一向に縮まらない。


「なんなんだよ!」


 自分でもよくわからない苛立ちを怒声にかえて、少女のもとへ走り始める。

 日の光が雨雲と木々に遮られた森の道に、灯火が灯ったような目を引く美貌。一瞥でも脳に焼き付く鮮烈な麗姿。


 ナナシからすれば見覚えは一切ない。そのはずなのに、少女がナナシに向けた視線は、旧知に向けられるものだった。


 3体のうち、真っ先に少女を殺そうと動き出したのは、先程まで剣士とやり合っていた猿型神罰。命を摘み取るその長い手が少女に迫る。必死に泥を蹴っても剣の間合いには未だ至らない。

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