残された者達へ
それからというもの、私は身辺整理を行った。
国王陛下から賜った見舞金を中心とする財産の相続人は、ネーネにしておく。私が死んだあとも彼女が困らないように、何かあったときはヴェルトミラー伯爵家のマグリットの侍女になれるよう、紹介状を書いた。
侍女達には新しいドレスを仕立て、銀の胸飾りを贈った。彼女らの主人はコルヴィッツ侯爵夫人なのに、私によく仕えてくれたお礼である。
他にも、自分で購入した春や夏のドレスは古着屋で売り払い、受け取ったお金は養育院へ寄付した。
フィルバッハのお店は相変わらず盛況である。
コルヴィッツ侯爵夫人の家にお世話になると手紙を書いてから、ドレスは送られてこなくなった。
コルヴィッツ侯爵夫人曰く、喧嘩別れをしていたので、気まずいのかもしれない、とのこと。
ふたりの仲をいつか取り持ってあげたかったが、それもできそうになかった。
コルヴィッツ侯爵夫人には、どうやって感謝の気持ちを示せばいいのかわからない。
見ず知らずの私を暖かく迎え入れてくれた優しいお方だ。いつしか、本当のお祖母様のように思っていたのだ。
コルヴィッツ侯爵夫人よりも先に、クラウスを置いて逝かなければならないことを、心苦しく思う。
私は自分の我が儘で未来をねじ曲げ、コルヴィッツ侯爵夫人やクラウスと関わってしまった。
彼らの幸せを思えば、出会うべきではなかったと今では思っている。
「コルヴィッツ侯爵夫人、何か私にしてほしいことはありますか?」
「あなたが私の傍にいるだけでも嬉しいのに」
「なんでもいいんですよ」
「そうねえ。だったら、私のことを、お祖母様って呼んでくれるかしら?」
「そんなことでよろしいのですか?」
「エルーシアさんに、ずっとそう呼んでほしかったのよ」
ならば、叶えるしかない。
背筋をピンと伸ばし、微笑みかけながら口にする。
「わたくし、お祖母様のことが大好きです」
「まあ! 奇遇ね。私もよ。大好き」
そう言い合い、コルヴィッツ侯爵夫人と抱き合う。それだけなのに、泣きそうになってしまった。
アルウィンには、クラウスに優しくするようにお願いしておく。
「いい? これからはアルウィンがクラウスを癒やしますのよ? 甘い声で鳴いて、可愛らしく頬をすり寄せるのです」
「にゃあ?」
よくわからない、という顔で見つめてくる。そんなアルウィンを抱きしめ、眠ったのだった。
◇◇◇
クラウスの休みもあと少しとなったが、最後の最後にあるイベントが待ち構えていた。
「爵位継承の儀式を行うらしい」
国王陛下に指名されて以来、クラウスはシュヴェールト大公を継承した。
その後、多忙を極めていたため、儀式をする暇がなかったようだ。
「しなくていいと言っていたのだが、親族がうるさくてな」
「きっと、形式を重んじているのでしょうね」
ヨアヒムの継承権を飛ばし、自らが爵位を継いだので、気まずい部分もあるのだろう。
親族との付き合いは、この先避けて通れない。このまま逃げ続けるわけにはいかないのだろう。
「クラウス様、わたくしも参加してもよいのですか?」
「面白いものではないのだがな」
「クラウス様の正装姿を、見てみたいのです」
シュヴェールト大公家に伝わる、天上の衣という三ヤード以上ある長いマントを着用し、儀式に挑むのだという。
とてつもなく美しいマントだと噂には聞いていた。ぜひとも見たいと思っていたのだ。
「クラウス様、どうかお願いします!」
「そこまで言うのであれば、先頭の席を用意しておこうか」
「せ、先頭!? 本家の方々を差し置いて、一番前に座るのはどうかと思うのですが」
「未来のシュヴェールト大公夫人になるのだろう? おかしな話ではないが」
クラウスがニヤリ、と笑う。私が嫌がるとわかっていて言っているのだろう。
「……わかりました。本妻気取りで、先頭に座ります」
「そうしてくれると、勇気づけられるな」
儀式の服装規定は白い正装だという。
侍女に見繕ってもらい、悪目立ちしないように努めなければならない。
◇◇◇
爵位継承の儀式を前日に控えた晩――私は夢をみた。
それは、クラウスが何者かの襲撃を受け、倒れる瞬間であった。
目にした瞬間、ああ、明日の儀式がそうだったのか、と思う。
これまでにない、巡り合わせであった。
私の身辺整理はすべて終了し、いつ死んでも心残りはない、という状況だったのだ。
いいや。
正直に言えば、もっともっと生きたかった。
クラウスと結婚して、妻になって、楽しく暮らしたかった。
ネーネにだって、まだまだしてあげられることはあっただろうし、コルヴィッツ侯爵夫人にも恩を返し切れていない。侍女や護衛にだって、休みを与えたり、特別給金を与えたりと、できることがあったはずだ。
アルウィンとだって、たくさん遊んであげたらよかった。私がいなくなったら、きっと寂しがるに違いない。
ただ、予知夢でみた未来の私よりは、ずっと幸せだっただろう。
私にはもったいないくらい、皆から優しくしてもらった。
それを、十分だと言われるくらい返したかったのに……。
ついに明日、私の命が尽きる日を迎える。
遺書は遺していない。この一ヶ月もの間、クラウスに遺したい言葉は庭に植えた花に託している。おそらく気付かないだろうが、美しい花を咲かせ、クラウスの心を癒やしてくれるに違いない。
朝――目覚めると、頬が濡れていた。
何か悲しい夢でもみてしまったのだろうか。まったく記憶に残っていない。
ここ最近、バタバタしていたので、ぐっすり熟睡していたのだろう。
隣で眠るアルウィンの寝顔を見ながら、もう少し眠ろうか、と思った瞬間、廊下から声がかけられる。
「エルーシア様、おはようございます」
「お、おはよう」
今日は爵位継承の儀式に参加するため、朝から身を清めないといけないらしい。
そんなわけで、いつもより早い起床となったようだ。
侍女達の顔をひとりひとり見ながら、感謝の言葉を伝える。
「みなさん、いつもありがとう」
なぜだか、この言葉を今、伝えなければならないと思っていたのだ。
侍女達はやわらかく微笑み返してくれる。
さあ、新しい一日のはじまりだ。




