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なんでも屋さんとの会話と、ウベルとの結婚と

 メイド達から解放されると、私は階下の厨房へ向かった。そろそろパンの配達時間だったのだ。

 誰もいないときは厨房から外に出る扉に置くように頼んでいるが、昼間はなるべく受け取るようにしていた。

 しばし待っていると、荷車を引いたおじさんがやってくる。


「おうい、待たせたな」

「いいえ、今来たところですわ」


 パンを受け取り、代金を支払う。

 実は、そのお金はパンに対するものではない。私個人が、彼に支払っているものであった。


 貴族令嬢である私は、外出を認められていない。街を歩く際は最低限、侍女やメイドが必要なのだが、イヤコーベが許すわけがなかったのだ。


 屋敷に軟禁状態となった私に、手を差し伸べてくれたのが、このおじさんである。

 彼は以前までシルト家に仕えていたパン職人で、イヤコーベに解雇されたあとは街のパン屋さんで働き始めたらしい。

 残された私を心配し、パンを届けるふりをしてやってきたのだ。


 私がドレスを売ったり、欲しい物を購入したりするときに、街で用事を済ませてくれる。

 退職金として、彼らにこっそり母の遺品だった銀のカフリンクスを配ったことを、恩に感じているようで、何かと助けてくれるのだ。

 口が堅いのも、ありがたい話だった。


「古着屋のおかみが、最近フィルバッハのドレスを売りに出さないのか、とうるさいんだが」

「それは――」


 これまではひとり暮らしをするため、フィルバッハが贈ってくれたドレスはすべて売り払っていた。

 けれども、逃げても逃げてもウベルに連れ戻される予知夢をみてから、お金に対する執着心が消えてしまったのだ。


 贈ってもらったドレスは、ジルケに見つからないように隠している。

 代わりのドレスを注文するばかりだったので、店側からフィルバッハのドレスを買い取りたいという要望が出てしまったのだろう。

 これまではお金は必要ないと思い、ドレスを売らなかった。貯めていたお金の一部も、養育院に寄付してしまったのだ。しかしながら、今後は私にもお金やドレスが必要になるだろう。


「一着でいいから、なんとかならないだろうか?」

「そうですわねえ」


 おじさんの顔を立ててあげたいところだが、どうしようかと考える。

 できれば、売りたくはないのだが――と、ここでピンと閃いた。


「貸衣装として、お預けするのならば、可能ですわ」


 貸すだけだったら貸出料が入ってくるし、必要なときは手元に戻せる。

 イヤコーベとジルケにドレスが見つかることはないし、いいこと尽くめだろう。


「なるほどな、わかった。交渉してみよう」

「ありがとうございます」


 

 新しくクラウスと結婚するという野望ができたため、ドレスは確保しておいたほうがいいだろう。

 いい案が浮かんだものだ。


 彼は大公になっても、なぜか独身だった。婚約者なども、いなかったのだろう。

 なぜ、未婚だったかはわからないが、妻の座が空いているのであれば、そこに収まりたい。

 死の運命を回避したら、体に大きな負担がかかってしまう。

 それでも、ウベルやイヤコーベとジルケの罪を被せられ、惨めな思いをしながら殺されるよりはマシだろう。


「他に、必要な物はあるか?」


 いつもはないと言って首を横に振っているところだが、今日は違う。


「わたくし、クラウス・フォン・リューレ・ディングフェルター様についての情報が欲しくて」

「クラウスって、誰だ?」

「シュヴェールト大公の甥ですわ」

「なっ! シュヴェールト大公って、シルト大公家の敵じゃないか!」

「ええ、そう」


 おじさんはそれ以上追及せず、依頼料を受け取ってくれた。


「どういう情報が欲しいんだ?」

「彼と接触したいので、よく行く場所や、知り合い、あと好みとか」

「わかった」


 おじさんはわざと大きな声で、「またうちのパンをよろしくお願いします!」と言い、去って行った。

 次なるステップを踏み出せそうで、ホッと胸をなで下ろす。


 ◇◇◇


 降誕祭の晩餐での厨房は、信じがたい忙しさであった。

 大きな七面鳥の丸焼きを作り、こいを捌いてワイン煮に仕上げ、大きな鹿肉を焼く。

 付け合わせのジャガイモを、いったい何個剥いただろうか。記憶にない。

 準備を終えると、とんでもない疲労感に襲われる。

 厚めに剥いておいたジャガイモの皮を油で揚げ、厨房の隅で食べていると、ヘラから呼び出しを受ける。


「エルーシア、旦那様がお呼びだよ!」

「わたくしが、ですか?」

「そうだよ! さっさとおし!」


 全身油まみれだが、いいのか。いいのだろう。そう思いつつ、父の私室へ足を運んだ。

 そこには父だけでなく、イヤコーベとジルケもいたのだ。

 ジルケは勝ち誇ったような表情で、私を見ていた。

 これから何を報告されるか、というのは、なんとなく想像できた。


「お待たせしました、お父さま」

「エルーシア……酷い恰好だな」

「行儀見習いが、忙しくて」

「そういえば、食事の席にもいなかったな。それほどだったのか?」

「ええ、まあ」


 イヤコーベが選んだ使用人が、ほぼ使い物にならないので、私が頑張るしかなかったのだ。

 料理のレシピ集を残してくれた、前料理長には感謝の気持ちしかない。


「それで、お話ししたいこととはなんですの?」

「あ、ああ、そうだな」


 父は少し気まずそうな表情で、話し始める。


「バーゲンの学友である、ウベル君が来ていることは知っているだろうか?」

「ええ。少しお見かけしたのですが、とても素敵な御方でしたわ」


 思ってもいないことを口にしたので、唇の端がひくついていた。けれども、誰も気付いていなかったようで、ホッと胸をなで下ろす。


「その彼と、エルーシアを結婚させようと思っていたのだが」

「本当ですか!?」


 わざと喜ぶ振りをしたところ、ジルケがぶっと噴き出す。ウベルとの結婚を期待する私の様子が、面白くて堪らない、といった様子だった。


「いや、その予定だったのだが、ウベル君と結婚するのはエルーシアではなく、ジルケにしたんだ」

「そ、そんな!!」


 膝から頽れ、床に顔を伏せる。両手をつき、ガタガタと震える。

 こみ上げてきたのは――微笑みであった。


 目論見通り、ジルケはやってくれた。短時間で、ウベルの心を物にし、父や兄の決定を覆すよう、説得したのだ。

 さすがとしか言いようがない。素晴らしい働きであった。


「ウベル様と結婚できないなんて、わ、わたくしは、どうすればいいのか……!!」

「いや、お前はもうすぐ社交界デビューをするだろう? 結婚相手なんて、そこでいくらでも見つけられる」


 ここで、新しい婚約者を探してやる、と言えないのが父のダメなところだろう。

 ただ、クラウスと結婚したい私にとっては好都合だった。


「うう……ううう、ひ、酷い、です」

「仕方がないだろうが。ウベル君は、ジルケのほうを気に入ったのだから」


 私が惨めったらしく演技すればするほど、イヤコーベとジルケは喜ぶだろう。

 感謝を込めて、ここぞとばかりに見るに忍びない、哀れな娘を演じてみた。


「エルーシア、もう、部屋で休め」

「わ、わかりました」


 父の私室から出て、扉を閉める。

 その瞬間、血を吐いてしまった。予測していたので、すぐにハンカチで押さえこむ。

 ウベルと結婚する運命を変えてしまったからか、いつもより血が多い。目眩も酷かった。

 壁を伝いつつなんとか部屋に戻り、そのまま寝台まで行き着かず、倒れてしまった。

 舞台の緞帳どんちょうが閉ざされるかのごとく、視界が真っ暗になる。

 これが人生の幕が下りた瞬間でありませんように、と祈るばかりであった。

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