予定外の訪問者
声に聞き覚えはない。いったい誰がやってきたというのか。
「この部屋ですか?」
「いや、もっと奥だ」
だんだんと足音が近付いてくるにつれて、胸は早鐘を打っていた。
「ここの部屋を覗いてみるか」
「そうですねえ」
扉が開かれる前にクラウスは私を担ぎ、窓から飛び出す。すぐさま窓は閉められた。
クラウスは私を肩に担いだまま窓枠に掴まり、宙ぶらりんの状態でいた。
秋といえども、夜は冷える。冷たい風が吹きつけていた。
「……いないな」
「鼠の鳴き声だったんじゃないですか?」
「どうだか」
足音が窓のほうに迫っている。覗き込まれたら見つかってしまうだろう。
ぎゅっと唇を噛みしめながら、どうか見つかりませんようにと心の中で祈った。
しかしながら、男は窓を覗き込んでしまう。さらに、手にしていた角灯を掲げるではないか。
「何かいますか?」
「――いいや、何もいない」
そう言って、踵を返す。足音はだんだん遠ざかっていった。
クラウスは私を近くにあった樹の太い枝に下ろしてくれた。自らはそのまま落下し、着地する。
樹を伝って降りてきた私を、クラウスが抱きしめた。
「大丈夫か?」
「ええ、平気。でも、窓を覗き込んだのに、どうして見なかった振りをしたの?」
「見なかった振りではない。見えなかったのだろう」
なぜ? と思っていたが、現在の私達の恰好を思い出す。
イヤコーベとジルケから賜った全身黒尽くめの恰好だったのだ。おまけに髪も黒いことから、完全に闇に溶けていたのかもしれない。
「窓を覗き込んだ人、誰だったかわかった?」
「顔見知りではないが、騎士隊の制服に身を包んでいた」
「なっ――!?」
騎士がこのような時間に何用なのか。クラウスはハッとなり、早く戻ろうと腕を引いて走り始めた。
厨房の食材運搬用の扉から中に入る。すると、人影があったので驚いた。
「これはこれは、ご夫婦揃って、外で何をしていたのでしょうか?」
振り返った男は、銀色の髪に紫色の瞳を持つ、二十代半ばくらいの男性。もうひとりは騎士だった。
「誰……?」
思わず口から出た言葉に、銀色の髪を持つ男性は答えた。
「自分はヨアヒム・フォン・ディングフェルダーと申します」
それはクラウスの従兄であり、シュヴェールト大公を継承するはずだった者の名であった。
年頃は二十歳半ばくらいか。長い銀色の髪をひとつに纏め、眼鏡には銀のチェーンがかけられている。ストライプの派手な外套を着込んでおり、首元から見えるタイは花柄、ととにかく派手な格好をしていた。
「あなた方は、ここで働くローゼ夫妻で間違いありませんか?」
ヨアヒムの問いかけに、クラウスが一歩前に出て「そうです」と答える。
「おお、南部訛りの発音ですね。あなた方は、南部にある田園地帯出身ではありませんか?」
「そうです」
「やはり!」
クラウスは発音まで、設定に忠実だったらしい。私はなるべく喋らないほうがいいだろう。彼の背後に隠れておく。
「少し、王都の美しい発音を心がけたほうがいいかもしれませんね。人生の先輩からの助言です」
「はあ、どうも」
金にがめついという噂のヨアヒムは、他人を見下し、勝手にペラペラ喋るいけ好かない男だった。
クラウスはいぶかしげな声色で問いかける。
「あんた達はなぜここに?」
「ウベル・フォン・ヒンターマイヤーから連絡がありまして。シルト大公の遺体の盗難と死の謎について打ち明けたい、と言っていたものですから」
ウベルはいったい、何を話そうとしていたのか。
「ヒンターマイヤー氏は自分の直属の部下でね。この事件が解決したら、一気に出世できるのですよ。だから、張り切って上司である自分を招いたのですが――」
ヨアヒムの眼鏡がキラリと光る。何かを探るように私達を見ていた。
「玄関を叩いても反応がない。中に入っても、人の気配はまるでなかった。ヒンターマイヤー氏は食堂で発見したのだが、白目を剥いて眠っていた」
なんて寝方をしていたのか。心の中で頭を抱え込んでしまう。
「最初は毒でも盛られて死んでいたのかと思いましたよ。ほら、今晩自分達が訪問するものですから、口封じでもされたのかも、とね」
ただ、彼らはただ眠っているだけだった。
「しかし、皆が皆、眠ってしまうというのはいささか不自然だな、と思いまして。そう考えているときに、二階の奥のほうから物音や声が聞こえたと言うものですから」
騎士とふたり、ヨアヒムは確認に行った。その先で、私達と鉢合わせしそうになったのだ。
「まあ、物音や声は気のせいでした」
背後に佇んでいた年若い騎士が、「シルト大公の幽霊だったのかもしれないな」と独り言のように呟く。
「ちょ、ちょっと! へ、変なことを言わないでいただきたい!」
怪奇現象が恐ろしいのか、ヨアヒムは顔を真っ赤にして怒っていた。
本当に幽霊だったらよかったのに、と思ってしまう。
「ま、まあ、何もかも、杞憂だったわけですよ」
厨房に夕食で出した白ワインの瓶が置かれていた。それを指し示しながら、ヨアヒムは説明を始める。
「このお酒は度数が高く、別名〝睡眠ワイン〟とも呼ばれていて、酒の弱い者であれば、一口飲んだだけで眠ってしまうそうです。おそらくですが、食堂にいた者達は酒に弱かったのでしょう」
万が一を考えて、そういうワインを選んだに違いない。さすが、クラウスである。
「話は戻りますが、なぜ、夫婦揃って外にいたのですか? 食事は魚料理だったので、まだ終わっていないですよね?」
私は一歩前に出て、外にいた理由を話し始める。
「ち、近道なんですう」
「近道?」
「ええ! 屋敷内にある階段を下りていくよりも、二階にある非常階段から下りて厨房に回ったほうが、圧倒的に早くてえ」
南部訛りに聞こえるよう、精一杯頑張る。非常階段については、下働きをしているときに何度も利用していたのだ。
「非常階段? 確認してもよいですか?」
「ええ、まあ、よいです」
ヨアヒムと騎士を二階の非常階段があるフロアまで案内する。
彼は疑い深い性格のようで、騎士に非常階段を使って下りてくるように命じ、自らは屋敷の階段を使って下りてくると言う。
「ではいきますよ。せーの!」
踵を返したヨアヒムは、全力疾走で階段まで向かった。あんなに急いでは、検証の意味があるのかわからなくなりそうだが。
私達も非常階段を使い、厨房を目指す。
少し急ぎ足くらいの速さで歩いていたのだが、ヨアヒムよりも先に厨房に辿り着いた。
遅れて到着したヨアヒムは、肩で息をしつつ、信じがたいという表情で私達を見ていた。
「た、たしかに、非常階段を使ったほうが、は、速いようですね」
認めてくれたので、ホッと胸をなで下ろす。
ただ、彼の表情が余裕たっぷりな点が少し気になった。
「なんだか疑ってしまって、申し訳ありません。ヒンターマイヤー氏から、シルト大公家で働く使用人が疑わしい、なんて話を聞いていたものですから」
ヨアヒムは薄笑いを浮かべつつ、私達に尋ねる。
「あなた達のお部屋、少し調べさせてもらってもよいでしょうか?」
それを聞いた瞬間、ゾッとする。
もしや、父の殺害に使った凶器は今、私達の部屋に置かれているのではないのか、と勘づいてしまった。




