クラウスのお友達
コルヴィッツ侯爵邸での暮らしを始めるため、クラウスは実家に荷物を取りに行った。
三時間後、戻ってきた彼は思いがけないものを両手に抱えていたのだ。
「なっ、そ、その子はなんですの!?」
「鼠捕り番だ」
クラウスが抱えていたのは――猫。
しかも、ただの猫ではなく、三十九インチ(※一メートルくらい)くらいの、巨大猫である。
全身真っ黒で、瞳はエメラルドみたいに美しい。毛足が長く、全身もふもふであった。
「お名前は?」
「アルウィン」
「気高い友人……すてきなお名前です」
クラウスが床の上に下ろすと、優雅な足取りで私のもとへ近付く。
このように大きな猫など、初めてだった。
しゃがみ込んで指先の匂いをかがせると、頬をすり寄せてきた。
「――っ!!」
なんて愛らしい生き物なのか。
今すぐ抱き寄せてなで回したい衝動に駆られたが、ぐっと我慢する。
猫は人ではなく、家に懐く存在だと言われている。ここが過ごしにくいところだと思われたらいけない。
ひとまず、自由気ままにさせておこう。
「猫は、嫌いではないようだな」
「大好きですわ!」
幼少期から猫を飼いたかったのだが、父に反対されていたのだ。
なんでも猫は悪魔の使いと言われていて、病弱な者がいる家で飼育すると悪魔がやってくる目印になってしまうのだという。
その昔、猫を媒介にした病気が流行ったため、そのような謂われがあったのだろう。
母は昔から体が弱かったらしく、猫を介して病気になったら大変だということで、飼育は禁じられていたのだ。
そんな事情があったので私は猫を飼う代わりに、庭を出入りする鳥やハリネズミを愛でていたのである。
「エル、もう一匹――」
「猫ちゃんですの!?」
立ち上がって期待の眼差しを向けていたが、クラウスの背後から出てきたのは初老の男性だった。
「期待を裏切ってしまい、申し訳ありません。わたくしめはクラウス様の秘書官を務めております、チャールズ・バーレと申します」
恭しく頭を下げるので、私の背筋はピンと伸びる。
クラウスが私を指し示しながら「エル」と言う。アルウィンとまったく同じ紹介の仕方だった。仕方がないので、自分で名乗る。
「エルーシア・フォン・リンデンベルクと申します。以後、お見知りおきを」
チャールズは穏やかな表情で微笑み返してくれる。
眼鏡をかけ、口元には髭を生やした、柔和な雰囲気の紳士であった。
クラウスの扱いに苦労している者同士、なんだか仲良くなれそうだ。
「クラウス様、お荷物は部屋に運んでおきますね」
「ああ、頼む」
クラウスはアルウィンで両手が塞がっていたため、チャールズが鞄を運んできたようだ。
「では、ラウ様はわたくしのお部屋にどうぞ」
クラウスは頷き、素直に私のあとをついてくる。
一方で、アルウィンは古くから友人のように、私の隣を歩いてくれた。
部屋に到着し、長椅子を勧める。
クラウスは私に対面する位置に腰かけ、アルウィンは私の隣に飛び乗った。
アルウィンは撫でろとばかりに、私の手の甲に額を押しつけてくる。
優しく触れると、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。
「アルウィンは人懐っこいのですね」
「私にはこうではないのだがな」
クラウスは腕組みしつつ、険しい表情でアルウィンを見つめていた。
「実家に置いていくつもりだったのだが、出発する瞬間に玄関に現れて、自分を連れて行けとにゃーにゃーうるさく鳴くものだから、しぶしぶ運んできた」
「そうでしたのね」
普段は月に二度か三度、見かける程度だったという。
出かけるときも、姿を現すことすらなかったらしい。
「ご主人様であるラウ様が、しばらく戻ってこないと察したのでしょうか?」
「そんなわけあるか。ただ――」
「ただ?」
クラウスはジロリとアルウィンを睨みつつ、話し始める。
「エルと会った日は、かならず匂いをかぎにきていた。初めて会った日からずっと」
「まあ、そうでしたのね」
「だから、エルと会う機会だと思って、連れていくように言ったのかもしれない」
まさか、そんなに前から気にしていたなんて知らなかった。光栄極まりない話である。
「アルウィン、ふつつか者ですが、どうぞよろしくおねがいします」
なんて言うと、アルウィンは「にゃあ!」と元気よく鳴いてくれたのだった。
「ラウ様にこんなにも可愛いお友達がいたなんて」
「腐れ縁だ」
なんでも、アルウィンは二年前にクラウスが任務中に拾った猫だったらしい。
「屋根裏から屋敷に侵入しようとしていたら、こいつがいたんだ」
拳ふたつ分ほどの小さなアルウィンが、母猫かと思って近寄ってきたのだという。
小さな瞳を光らせながらにゃあにゃあと鳴くので、クラウスは首根っこを掴んで大人しくさせようとポケットに突っ込んだ。
「任務をこなす中で、子猫をポケットに入れているのをすっかり忘れてしまい、そのまま連れ帰ってしまった」
上着を受け取ったチャールズに指摘され、クラウスは子猫について思い出したという。
明るい場所で見た子猫は、全身やせ細っていたという。
「母猫からしっかり乳を貰っていたら、腹がぱんぱんのはずなのに、ガリガリだった」
おそらく母猫は長い間屋根裏に戻ってきていない。
このまま野生に放したら死んでしまう。そう判断したクラウスは、猫を獣医に診せたあと、チャールズに世話をするように命じたという。
「そして、気付いたらこんなに大きくなっていた」
「健やかに育ちましたね」
「まったくだ」
ちなみに、鼠捕りはしないらしい。茹でたささみや魚、猫用のカリカリしか食べないようだ。
「毎日一時間のブラッシングと、歯磨き、肉球にクリームを塗らないと眠らない、箱入り猫だ」
「身だしなみに気を使っていますのね」
「貴族並みだろうな」
毛艶がよく、美しい猫だと思っていたが、お世話する者達の努力の賜物だったのだろう。
「アルウィンの世話係も三名連れてきた。だから、可愛がる以外は何もしなくていい」
「わかりました」
専属メイドがいるなんて、シルト大公邸で暮らしていた私よりもいい生活をしていたようだ。
この世には想像を絶する存在がいるものだな、としみじみ思ってしまった。
その日の晩、信じがたいことが起こった。
アルウィンが私の寝室にやってきて、布団に潜り込んだのだ。
「あの、一緒に眠ってくださるの?」
「にゃあ~~」
私はアルウィンをぬいぐるみのように抱きしめて眠る。
なんて幸せなのか。
ぐっすり眠ってしまったのは言うまでもない。




