悪い話と悪い話
コルヴィッツ侯爵夫人に心配をかけてはいけないので、落ち込んだ姿なんて見せないようにしよう。
なんて思っていたのに、出会い頭に抱きしめられてしまった。
何も言っていないのに、何かあったのだとバレていたようだ。
「しばらく、一緒にゆっくり休みましょうよ。ね、エルーシアさん」
「は、はい」
コルヴィッツ侯爵夫人の温もりを感じていたら、涙が溢れてしまう。
そんな私を、コルヴィッツ侯爵夫人は励ますように優しく撫でてくれた。
◇◇◇
翌日、コルヴィッツ侯爵夫人とレース編みをしているところに、クラウスの訪問が告げられた。
黒尽くめの姿だったので、仕事帰りだったのだろう。
「ふたつ、報告がある。悪いことと、悪いことだ」
「どちらも聞きたくありませんわね」
現実から目を背けるわけにはいかないので、クラウスの報告に耳を傾ける。
私を心配してか、コルヴィッツ侯爵夫人が手を優しく握ってくれた。
「まずひとつ目は、シルト大公の遺体の頭部にあった打痕が、転倒によるものでなく、何かしらの凶器を頭部にぶつけたさいにできたものだ、という報告が上がった」
「つまり、お父さまは誰かに殺された、ということですのね」
「そうだ」
カッと目頭が熱くなって、瞬きをした瞬間には、ぽたぽたと涙が零れてしまう。
父を殺すなんて、あまりにも酷い。
いったい誰がそのような凶行に出たのか。絶対に許せる行為ではない。
コルヴィッツ侯爵夫人が差し出してくれたハンカチで涙を拭う。涙はとめどなく流れてきた。
「発見当時も打痕を確認し、多く出血していたのだが、現場を確認した医者が倒れたときにできたものだろうと判断していたようだ」
その医者も怪しいと思い調べたところ、診療所はもぬけの殻だったという。
おそらくだが、犯人と医者が結託して、事件を隠そうとしたのだろう。
「もうひとつの報告は――」
「ちょっと、クラウス! 次から次へと、言うものではないわ」
コルヴィッツ侯爵夫人の言うとおり、まだ事実に感情が追いついていない。けれども兄がいない以上、父についての話はすべて私が聞かないといけないのだ。
淡々としているクラウスを見ていると、気持ちが少しだけ落ち着いた。私も彼のように、感情を押し殺せたらいいのだけれど。なかなか上手くいかないものだ。
「あの、ラウ様、わたくしは大丈夫、です。お聞かせください」
クラウスは無言で頷き、持ち帰った情報を報告してくれた。
「遺体を確認した医者と、シルト大公の遺体が姿を消した」
「なっ!?」
医者が書いた診断書なども根こそぎ盗まれていたようだが、唯一、医者が書いたであろう診断書の下書きらしきメモがゴミ箱の中に残っていたそうだ。
「ただこのメモは正式な書類ではないため、証拠として証明できる材料ではないらしい」
ひとまず、死体損壊罪として調査が始まるらしい。
調査は鉄騎隊ではなく、騎士隊が担うようだ。
「次に危険が迫るとしたら、シルト大公の財産を継承する権利があるエルだろう」
「え、ええ」
誰かが私の命を狙っているかもしれない、と考えただけでゾッとしてしまう。
クラウスをまっすぐ見つめ、ずっと胸にあった思いを打ち明ける。
「わたくしはもう、死が救いだとは考えておりません。ラウ様と結婚して、穏やかな家庭を築きたいと思っています」
だから、私は生きたい――そう告げると、クラウスは珍しく微笑んだではないか。
見間違いかと思って目を擦ってみたが、彼の表情は変わらない。
「よかった。そう言ってくれたら、守る価値もある」
「守る価値、ですか?」
「ああ、そうだ。事件が解決するまで、私はエルの護衛を命じられた」
「つまり、四六時中傍にいる、ということですか?」
「まあ、そうだな」
クラウスが護衛をしてくれるならば心強い。
そう思ったのと同時に、夫婦でもないのに常に一緒にいるなんて、無理があるのではないのか、と思ってしまう。
「お祖母さま、そんなわけですので、エルは実家に連れて行きます」
「ダメよ!! 寂しいじゃない!!」
コルヴィッツ侯爵夫人はカッと目を見開いて訴える。瞳が若干血走っていた。
「これまでの話を聞いていましたか? エルは事件に巻き込まれようとしているのです。ここにいたら、お祖母さま自身も危険に晒すことになります」
「私は平気よ。これまで何度も女癖が悪い夫の愛人からの恨みを買って、命を狙われてきたんだから! 屋敷の警備体制なんて、あなたの家よりも充実しているんだから!」
シーンと静まり返る。
コルヴィッツ侯爵夫人の暴露に、クラウスも少し目を見張っていた。
「隠していたけれど、これまでエルーシアさんを訪ねてきた怪しい商人は罪を調べて騎士隊に突き出したし、侵入者は塀を跳び越える前にこっそり処分させていたのよ!」
父の亡きあと、私は真っ先に狙われてもおかしくない状況だったが、コルヴィッツ侯爵邸の警備体制が私を守ってくれていたようだ。
「だから、エルーシアさんはここにいてもいいでしょう!?」
クラウスは腕組みしつつ、険しい表情で頷いたのだった。
◇◇◇
その後、クラウスとコルヴィッツ侯爵夫人がふたりで話したいというので、私は侍女数名と共に席を外す。
ここにいる侍女も全員、元傭兵だと言うのだから、驚いたものである。どの侍女も、武人にはとても見えないのだが……。
なんでも、コルヴィッツ侯爵夫人が直々に所作などを伝授したらしい。そんな成果があり、彼女達は生まれてこのかた侍女を務めているようにしか見えないのだ。
私も、コルヴィッツ侯爵夫人に弟子入りし、マナーの講義を受けなければならないのではないか、と真剣に考えている。
それから二時間後、私は再度呼び出された。
クラウスがコルヴィッツ侯爵邸に居候する、という方向で落ち着いたらしい。
「これから三人で、仲良く暮らしていきましょうね。結婚しても、ここで生活してもいいのよ」
「お祖母さま、それはちょっと……」
「いいじゃない。きっと楽しいわ」
クラウスが鉄騎隊の仕事であまり家に帰らないのであれば、私はコルヴィッツ侯爵夫人がいるここで楽しく愉快に暮らしたい。
私の未来に、明るい光が差し込んだ瞬間であった。




