恐れていたこと
すでに、社交界デビューをした貴族の娘達が、国王陛下と王妃殿下へ拝謁するために列を作っていた。
中でも、先頭に並ぶのは王族の親戚や、歴史ある門閥貴族の娘達である。
格の違いが、ひと目でわかるようになっているのだ。
私のもとに、ひとりの男性がやってくる。侍女が彼は王室長官だと耳打ちしてくれた。
「シルト大公家のご令嬢、エルーシア様、どうぞこちらへ」
「ええ」
私も一応、大公の娘だ。比較的前のほうに案内されるのだろう。
先に並んでいた貴族の娘達の視線が、グサグサと突き刺さる。
可能であるならば、目立ちたくなかったのに。
王室長官が案内したのは、あろうことか列の先頭であった。
「あ、あの、わたくしは、もっと後ろのほうでよいのですが」
「いいえ。我が国を支える盾の一族、シルト大公家のご令嬢であり、星章を賜った御方であるエルーシア様以上に、先頭に立つのにふさわしい者はおりません」
あまりにも気まずい場所に、私は立たされてしまった。
背中はすでに針のような視線が突き刺さっていた。針山のような気分を味わう。
一刻も早く帰りたい――なんて思っているところに、国王陛下と王妃殿下がやってきた。
皆、揃って膝を深く折り、会釈する。
国王陛下と王妃殿下は、出入り口付近で迎えた者達に優しい笑顔を向けていた。
用意された玉座にくるまで、しばらく時間がかかるだろう。それまでに、腹を括らないといけない。
息を整えていると、強い力で腕を引かれる。
「あんた、こんなところで何をしているんだ!」
ジルケが私に迫り、ギョッとする。国王陛下と王妃殿下に注目していたので、周囲の状況に目を向けていなかったのだ。
「あたしは王さまと王妃さまに挨拶できないって言われたのに、どうしてあんたが先頭にいるんだよ!!」
「ジルケ、大きな声は出さないでくださいませ」
ただでさえ、私は注目の的だったのに。彼女が傍で騒ぐので、悪目立ちしてしまう。
「あたしがシルト大公の娘なんだ。そこはあんたの居場所じゃない!!」
ジルケは掴んでいた私の腕を力いっぱい引っ張る。すると、踵の高い靴を履いていた私はバランスを崩し、その場に倒れてしまった。
「きゃあ!」
ジルケは私が立っていた位置に、堂々と立っている。
父の本当の娘でない彼女は、拝謁の権利なんて持っていないのに。
立ち上がった瞬間、背後より叫びが聞こえた。
「ジルケ、何をしているんだ!!」
やってきたのはウベルであった。彼はあろうことか、ジルケの頬を叩いたのである。
「な、何をするんだ!」
「それはこっちの台詞だ! 今、自分がどれだけ愚かな行為を働いたのか、分かっているのか!?」
「知ったこっちゃないよ! あたしは、これから王さまと王妃さまに挨拶をするんだ!」
「その権利はないと、王室長官から言われたばかりだろうが!」
衛兵が集まり、ジルケは取り押さえられる。どうやら、私を突き飛ばしたのと同時に、駆けつけていたようだ。
ジルケに向かって、ウベルは非難めいた言葉をぶつける。
「お前がそのように世間知らずで愚かだったとは思わなかった!!」
「それはこっちの台詞だよ!!」
そのやりとりを聞いた瞬間、胸がどくんと跳ねる。彼らのやりとりは夢でみた内容と、まったく同じだったから。
ここから逃げなければ、と思っていたのに、足が強ばって動かない。
どうして――? 今にも泣き出したくなったが、全身が銅像のように固まってしまった。
「もうたくさんだ!! ジルケ、お前との婚約を破棄する!!」
ついに、婚約破棄をしてしまった。
夢でみたことが、現実となってしまったのだ。
「ああ、ああ。いいよ、あんたなんか、こっちが捨ててやる。あたしはこれから、素敵な王子様を探すんだから!」
ジルケは衛兵に連れ去られながら、ウベルに向かって叫ぶ。
夢とは状況が異なるものの、言葉はまったく同じだった。
そして――ウベルは突然私に向かって手を差し伸べる。
「ああ、エルーシア! 俺にはやはり、君しかいない。俺は、エルーシアと結婚します!!」
言ってしまった。もっとも恐れていた言葉を。
視界がぐにゃりと歪み、今にも倒れてしまいそうになる。
一刻も早く、運命を変えないといけないのに。
「さあ、エルーシア。こちらへ」
ウベルが私に触れようとする。嫌だ、絶対に触れられたくない。
誰か、誰か助けて――!
「国王陛下と王妃殿下に、結婚のお許しを貰お……」
ウベルの手は、私に触れる寸前で誰かが叩き落とす。
バチン、と大きな音が鳴り響いた。
私は突然現れた第三者によって引き寄せられる。
視界に黒い髪と真っ赤な瞳が写った。
「残念ながら、彼女は私と婚約を結んでいる」
「なっ――!?」
私の肩を抱くのは、顔が血に濡れたクラウスであった。
全身黒尽くめで、こういう場にやってきていい恰好ではない。
けれどもそんな彼が、私には英雄のように思えた。
周囲から悲鳴が上がり、「悪魔公子だ!」という声が響き渡る。
ウベルは顔を真っ青にさせ、クラウスを見上げていた。
「エ、エルーシア、その男と婚約を結んでいたというのは、本当なのか!?」
私はクラウスの顔を見上げる。すると彼は、こくりと頷いてくれた。
事情はよくわからないが、クラウスは私を助けてくれるのだろう。
ならば、ここで覚悟を口にするしかない。
「わたくしは、クラウス・フォン・ディングフェルダー様と、将来を約束しております!」
ウベルは目を見開き、一歩、二歩と後退していく。
「ウベル・フォン・ヒンターマイヤー、用がないのならば、失せろ」
その言葉を聞いたウベルは、回れ右をして駆けていった。
ホッとしたのもつかの間のこと。一連の騒ぎを、国王陛下と王妃殿下が見ていたようだ。
謝罪しようとした瞬間、国王陛下が拍手する。
「長年不仲であった剣の一族、シュヴェールト大公家と、盾の一族、シルト大公家の者達が婚姻を結ぶなど、奇跡のようだ」
「ええ。私達も、祝福しないといけませんね」
国王夫婦に続くように、大広間にいた者すべてからの拍手を浴びる。
私がみた夢は、クラウスの登場によってひっくり返ってしまった。




