賭博場への潜入
賭博場は没落貴族から買い取った、瀟洒なお屋敷であった。
そこの大広間を改装し、賭博する場として提供しているらしい。
案内された大広間に進むと、薄暗い中で大勢の人達が賭博に興じていた。
女性の数は想像していたよりも多い。この中から、シスターカミラを探すのは困難だっただろう。
「これは、調査がしにくかったでしょうね」
「まったくだ」
裏社会と繋がった賭博場は賑やかだったけれど、普段の社交場とは異なる殺伐とした空気が流れていた。
ゲームを行う台には金貨が積み上げられており、負けた者と勝った者の明暗がひと目でわかる。
カードゲームを行う台がもっとも多く、端にルーレットやダイスなどの台が置かれていた。
各台にディーラーがいて、不正行為がないか目を光らせている。
場に馴染むために、クラウスはいくつかのゲームに参加する。
やる気はまったくなく、適当に賭けていたようだが、彼は勝ち続けていた。
運がいいというか、なんというか。
こういうのは、欲がない人ほど勝ってしまうのかもしれない。
一時間ほど経っただろうか。ダイスで三枚の金貨を三十枚に増やしていたクラウスだったが、すでに飽きたらしい。
集中力が切れたから帰るか、なんて話しているところに、菫色の髪を靡かせて歩く、四十歳前後の女性を発見する。
彼女はシスターカミラに見えなかったのだが、なぜか引っかかりを覚えたのだ。
クラウスの服の袖を引くと、すぐに察してくれた。
「どの女だ?」
「菫色の長い髪の――」
「ああ、あれか」
「でも、近くで見ないとわかりませんわ」
瞳の色を見たら、わかる。シスターカミラは芥子色の瞳をしていた。
菫色の髪の女性は普段のシスターカミラよりずっと若く見える。けれども、地味な修道服姿から、化粧をし、ドレスを着たら別人のように見えるのだろう。
今はとにかく確認するしかない。菫色の髪の女性がいたルーレットの台に、クラウスは堂々たる態度で参加する。
先ほど得た三十枚の金貨を出すと、周囲は大いに盛り上がった。
ディーラーがルーレットの盤を回し、小さなボールが投げ込まれる。
皆の視線がルーレットの番号に集中する中、私はただひとり、菫色の髪の女性に注目した。
芥子色の瞳を確認した瞬間、胸がどくんと脈打つ。
シスターカミラに間違いない。
気付いたのと同時に、ルーレット台を囲む人達が沸いた。
シスターカミラが番号を的中したようだ。
金貨はすべて彼女のものとなる。クラウスは悔しそうな演技をしていた。
「今日のところは、これでお暇いたしますわ」
声を聞いたら、間違いないと思ってしまう。
クラウスの袖を引いて、彼女がシスターカミラであることを暗に伝えた。
すると、クラウスは何を思ったのか、声をあげる。
「これはディーラーと結託したインチキだ」
振り返った菫色の髪をした女性の顔は、引きつっていた。
「おい、逃げるな!」
クラウスが立ち上がろうとした瞬間、私の脳裏にある光景が浮かび上がる。
それは菫色の髪をした女性の腕を掴んだ瞬間、クラウスが腹部を刺されるというものだった。
すでにクラウスは立ち上がり、菫色の髪をした女性に腕を伸ばしていた。
「あなた、お待ちになって!」
クラウスの腕を引いた瞬間、ナイフを握ったディーラーが目の前に飛び出してきた。
あのまま菫色の髪をした女性の腕を引いていたら、クラウスは確実に刺されていただろう。
菫色の髪の女性は人込みをすり抜け、出口を目指す。
ディーラーは周囲の者に指示を出し、クラウスを襲うように命じた。
私は逃げて行った菫色の髪の女性を追いかける。
「シスターカミラ! シスターカミラなのでしょう!?」
体力作りをしていたのに、急に激しい咳に襲われる。喉からぬるりとした血の味がじわじわ広がっていた。ここで血を吐くわけにはいかないので、ぐっと我慢する。
それにしても、なぜ血を吐きそうになっているのか。
目の前がグラグラ回り、目眩も覚えた。
先ほど脳裏を過ったのは、予知夢でみた内容だったのか。
こんなときに、血を吐いている場合ではないのに。
だんだんと後ろ姿が遠ざかっていく。このままでは逃げられてしまうだろう。
外に飛び出していった瞬間、私は叫んだ。
「シスターカミラ! 菫色の髪をした、シスターカミラ!!」
すると、付近に潜伏していた騎士達が出てきて、菫色の髪の女性を取り押さえる。
その様子を確認すると、ホッと胸を撫で下ろす。
賭博場に行く前に、外に騎士隊を配置してあると聞いていたのだ。
安心したら、咳き込んでしまう。きっとハンカチは血だらけだろう。今にも倒れてしまいそうなくらい辛かった。
「お嬢さま、大丈夫ですか!?」
駆け寄って手を差し伸べてくれたのは、マティウスだった。
ホッとしながら、彼の手を掴もうとした。
その瞬間に、背後より引き寄せられる。
「よくやったじゃないか」
クラウスだった。襲いかかってきた者を倒し、ここまで戻ってきたらしい。
彼は私を小麦の大袋のように担ぎ上げてくれる。
普通の貴公子であれば、横抱きにするような場面なのだが。
さすが、悪魔公子としか言いようがない。
「お前には借りができたな」
「ええ! 今すぐ返してくださいませ!」
「どうやって?」
私はここだ! とばかりに口にする。
それは、私の悲願でもあった。
「わたくしと、結婚してくださいませ!」
「は?」
いったい何を言っているのか、という声色であった。
担ぎ上げられているので、彼がどんな表情かはわからない。
「どうか、お願いいたします。わたくしには、あなたしかいないのです」
「わけがわからない」
「それは、結婚してからお話ししますので」
馬車がやってきて、扉が開かれる。クラウスはその馬車に詰め込むように私を乗車させた。
「あの、返答は?」
「お断りだ」
そう言って、クラウスは扉を閉める。
女性からの懇願を断るなんて酷いとしか言いようがない。
やはり彼は、悪魔公子の名に恥じない、冷酷で血も涙もない男なのだと思ってしまった。




