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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

うちの生徒が母親の生首ひっさげて登校してきた

作者: 悠聡

 ホームルーム開始を告げる朝のチャイムが校舎に響く。だがこの日はどの教室からも、「起立、礼」の挨拶は聞こえてこなかった。


「先生、そんなに震えてないで安心してください。凶器なんてカッターナイフ1本も持っていませんから」


 ついさっきまで誰かが遊んでいたのだろう、白チョークで相合傘の落書きが施された黒板を背に、教壇の上でけらけらと笑う男子生徒。学ランの襟にはめられた校章は、間違いなくうちの中学校のものだ。


 その男子生徒と相対するように、俺を含めて5人の教師が横一列になって彼を睨みつけていた。


 ふと俺はガラス窓越しに、ちらりと廊下に目を向ける。他の生徒たちはもう全員逃げ出したのだろう、校舎の中はしんと静まり返っていた。


 束の間の安堵に息を吐くものの、少年の姿が再び目に入った途端、俺の身体にはまたしても電流のような緊張が走り廻る。そして同時に、教卓の上に置かれた物体が否応なしに視界に飛び込んでくるので、胸の奥から反射的に酸っぱいものがこみ上げてくるのをぐっと堪えるのだった。


 木製の天板の上に、どんと置かれた黒いポリ袋。その中からは赤黒く染まった長い髪が溢れ出し、そして焦点の定まらないふたつの目玉が、不自然までに瞼を大きく開いてこちらを見つめていたのだった。


「きれいでしょ? 自慢の母さんですよ」


 そう言ってにっこりと微笑むと、男子生徒は手元のそれを愛でるように優しく撫でまわした。


「お前、何がしたいんだ!?」


 屈強な体育教師が威嚇するように問い質す。だがその震える声色は恐怖心を隠しきれておらず、まるで目の前にいる理解の範疇を超えた存在に屈しないよう自らを奮起させているようにも見えた。


「何ってそりゃあ、母さんを学校のみんなに見てもらいたかったからに決まっているじゃないですか。それ以外、どんな理由があるんです?」


 平然と答える少年に、教師一同はぶるると大きな身震いで返す。


 嘘であってほしかった。まさか自分たちの教え子が、母親の切断された生首を携えて登校してくるなんて。


「うちの母さん、美人でしょ? 息子の僕から見ても、母さん以上に魅力的な女性はいないだろうって思ってしまうくらい」


 話しながら、少年は母親の顔を覗き込む。その目はうっとりと緩み、陶酔しているようだ。


「血が抜けすぎてだいぶ青白くなってしまいましたが、これはこれでなかなか。陶器のお人形みたいで、かわいくないですか?」


「お前が……やったのか?」


 恐る恐る、俺は尋ねる。生首を直視しないよう、しっかりと少年に視線を向けて。


「はい、もちろんです」


 悪びれる様子もなく、生徒は即答する。聞くなり俺は一歩身を乗り出し、「何でだ、自慢の母親なんだろ!?」と語気を強めた。


「母さんがきれいだから、ですよ」


 だが少年はこちらに顔すら向けず、血に染まった長い髪をゆっくりと手で梳きながらそう答えたのだった。


 俺はこの3年1組の担任だ。朝の職員会議を終えてホームルームで配るプリントをまとめていたところ、血相を変えた生徒たちが泣き叫びながら職員室に飛び込んできたのがほんの10分ばかり前のこと。


 彼らは誰しも「首が、首が!」だの「先生、すぐ来て!」と連呼するばかりで何が何やらさっぱりだったが、その取り乱し様からただならぬ事態であろうことはすぐに察せられた。居合わせた職員一同は一斉に教室に向かい、そしてひとり佇む少年と、想像だにしなかった光景を目の当たりにしたのだった。


 とりあえず日々の避難訓練に従って、すでに登校していた生徒たちを全員校庭まで誘導する。誰かが校内放送を流して、急いで校庭に出るようにと全校に呼びかけたのも功を奏したのだろう、いつもなら生徒たちで騒がしい朝の校舎からは、あっという間に人影が消え失せてしまった。


 その間も一部の教員は教室に残り、「絶対にそこから動くな!」と少年の監視を続けていた。


 その残っているメンバーの中には俺も含まれていたのだが、それは根性が据わっているからというわけではなく、ただ自分のクラスで起こってしまったのだからここに残らなければという義務感からだった。正直に言わせてもらうと、一刻も早くこの場を離れたいという思いでいっぱいいっぱいだ。


 だが現状を受け入れる以上に、よりによって何でこの生徒がこんな凶行に及んでしまったのかという疑問が、先ほどから止まない。


 少年は素行に問題があるわけでもなく、成績も上から数えた方が早いくらいだった。生徒同士のトラブルに関しても耳には入っていないが、特別親しい友人がいるようにも見えず、意地悪に表現すればクラス内でも目立たない、印象に残りにくい生徒と言えた。


 強いて数少ない特異な点を挙げるとするなら、母子家庭で部活にも入っていなかったというくらいだろうか。


「はああ母さん、思った通り、やっぱり母さんは首だけになってもきれいだねぇ」


 俺たちの視線を気にも留めず、生徒はまるで猫でも可愛がるかのように母親の頭に頬をこすりつける。その異様な振る舞いに教師たちはぞっと立ちすくみながらも、全員が言い知れぬ恐怖に耐えつつ踏ん張っていた。


 たしかに少年の言うように、彼の母親は紛れもない美人だ。


 とても中学生の子を持つ女性には見えないほど若々しく、それでいて成熟した大人ならではの色気を漂わせている。以前、参観日に生徒の保護者が教室の後ろに並んだ際には、着飾った他の母親たち全員が彼女の美しさを際立たせるための舞台装置としか思えないほど、ただひとり輝いていた。


 また家庭訪問で自宅を訪れた時も、母子ふたり暮らしという2LDKのアパートは整理整頓が行き届いていた。それも急ごしらえで掃除をしたという雰囲気はなく、キッチンカウンターに並べられた調味料や予定の書き込まれたカレンダーから、普段からきっとこういう状態なんだろうなという生活感も感じられた。経済的に困窮している様子もまったく見えず、母子家庭と聞いて勝手にネガティブなイメージを抱いていた自分を恥ずかしく思ってしまったほどだ。


 見目麗しいだけでなく、とてもきっちりした人なんだなというのがもっぱらの印象だった。もし教え子の親という関係でなかったら、相手の方が10近く上であることも無視してお近付きになろうとしていたかもしれない。


 そんな俺の目から見ても素敵だと思えた人が、自身の息子によって変わり果てた姿にされてしまった。


「母さんに言い寄ってくる男、結構いたんですよ。ですけど全員突っぱねていました。父さんと約束したんだ、お互いに一生に一度の結婚にしようって。まあ、物心つく前に死んでしまったので僕にとってはどうでもよいことだったのですが、おかげで15年間母さんを独占できたのはラッキーでしたね」


 かつて母親だったものに頬ずりする少年に、俺は「なあ、聞かせてくれないか?」と尋ねた。


「はい、何でしょう?」


「これって全部、お前がひとりでやったことなのか?」


「ええ、思ったより大変でしたよ」


 頭を上げた男子生徒が、再びこちらに顔を向ける。その頬には乾きかけの血がべったりと貼りついていた。


「どうやって?」


「夜、寝ているときに喉元をブスっと。そこが急所だって聞いていたので。母さん、料理が好きでいつも刺身包丁をピカピカに研いでいるので、すごく助かりました。そこまでは良かったのですが首を外すのが思ったより大変でして、イトノコが何本も折れてしまいましたよ」


「お、お前!」


 手振りを交えながら苦笑いを浮かべる生徒に、ついに体育教師が顔を真っ赤にして怒鳴りつける。


「お前にとって大切な母さんだろ!? なぜ殺したんだ!?」


「母さんがきれいだからって言ってるじゃないですか。何度も同じこと訊かないでください」


 少年はむっとした表情を浮かべ、教師一同をぐるりと見回して返す。


「だからきれいだから殺すって、どういうことだと訊いているんだ!」


 しかし体育教師は引き下がらない。やがて生徒は呆れたように大きく溜息を吐くと、母親の頭をそっと撫でながら口を開いたのだった。


「実は母さん、最近小じわを気にしていまして」


 中空を見つめ、思い返すように訥々と話す。


「完璧な母さんでも老化には勝てなかった。日に日に美しさを失っていくのは生き物として当然のことですが、母さんはいつまでもきれいで、誰も敵わない美人でなければならないのです。これ以上、母さんが老けていくのを見たくない」


 そこまで言うと、少年はにこっとこちらに微笑んでみせた。


「だから殺すしかなかったんです。まだ美しい、今の内にね。いくらきれいな花でも枯れてしまえばその美しさを失いますが、そうなる前に摘み取ってしまったなら誰も枯れた姿を見ることはありません」


 ここで男子生徒は、ハハハと軽く声を出して笑い始める。その顔には悪いことをしてやったぞという邪な思考は、一切こもっていなかった。


「実は今日、母さんの誕生日なんですよ。40代に入るまで、昨日が最後のチャンスだったんです」


「そんなくだらない理由で、お前は殺人を犯したというのか!?」


 ついに俺は、我慢の限界を超えて声を張り上げてしまった。これまで相手していた体育教師とは別の教師からの怒号に、少年は一瞬面喰った様子を見せる。


「くだらない?」


 だがしばらくして呟くと、彼は今まで一度も見せたことの無いほど眉を吊り上げたのだった。母親を撫でていた手も、わなわなと震えている。


「勘違いしないでください。たしかに殺人は罪です。ですが母さんの美しさを蔑ろにするのは、それ以上の重罪です」


 毅然と言い返す少年の姿に、俺たちは返す言葉が思い浮かばなかった。こいつは自分たちの理解の及ぶ相手ではない、衝撃と諦めの入り混じった顔を浮かべて固まるしかなかったのだ。


「お前は親殺しの罪を一生背負っていくことになるんだぞ。それでもいいのか?」


 少し間を置いて尋ねる俺に、少年は「ええ」と首を横に振った。


「ニュースになればきっと母さんの写真もテレビに流れますよね。それで母さんの美しさを全世界に見せつけることができるなら、僕自身が踏み台になってもまったくかまいません」


「後悔はしていないのか?」


「そうですねぇ……」


 生徒は指で顎を軽くさする。


「もっと一瞬で殺せる方法を、きちんと調べておくべきでした。喉を切れば即死すると聞いていたのに、死ぬまでちょっと時間かかっちゃったんですよ。ひきつった顔のまま死なせてしまって、母さんには悪いことをしてしまいました」


 言い終えるとほぼ同時に、窓の外からサイレンが聞こえた。一台どころではない数のパトカーが向かっているのだろう、その音はいくつか重なって共鳴している。


「あ、もう来たのですか。日本の警察は仕事が早い」


 だが少年はこれっぽっちも臆する様子を見せず、予定どおりに物事が進んで安心したとでも言いたげに振る舞うのだった。




 その後、教室に飛び込んできた警察によって、男子生徒はその場で逮捕された。


 前代未聞の少年犯罪だけにマスコミにとっても美味しい題材だったのだろう。生徒の生い立ちや友人関係、はたまた学校の歴史までテレビやネットでは連日この事件に関する情報が流され、お茶の間を沸かせた。


 同時に被害者である母親の顔写真がメディアで取り上げられると、ネットではその美貌を称賛する書き込みに溢れ、テレビでも美人過ぎる被害者として大々的に報道された。こうして予想通り、少年の願いは叶ってしまったのだった。


 あれから一週間。俺たち教員は電話対応に保護者説明会、報道関係者に向けての記者会見、さらには教育委員会の視察への対応とで忙殺されていた。こんな状況では授業を進めることもできないので、生徒たちには臨時休校で家にいるよう指示を出すしかない。


 そして当の男子生徒は、今も勾留されている。捜査はまだ続いているそうだが、やはり仕出かしたことの重大さを受けて、刑事事件として起訴されるだろうというのが専門家の見立てだった。


 今日は面会の許可が出されたので、担任教師である俺は警察署を訪れていた。


 彼と会うのは連行される姿を見送って以来のこと。


 事件後に初めて知ったのだが、両親が駆け落ちした末にできた子のようで、祖父母ともまったく面識が無かったらしい。父を早くに亡くした少年は、残された最後の肉親である母親をその手にかけてしまった。彼は自らの手で、天涯孤独の身に陥ってしまったのだ。


 パイプ椅子に腰かけながら、アクリル板に隔てられた面会室で男子生徒を待つこと数分、「入れ」の声とともに、警察官に引きずられて件の生徒が入室する。


 驚きのあまり、俺はつい椅子から立ち上がってしまった。現れた少年は、見違えるほどげっそりとやつれていたのだ。


「久しぶりだな」


 俺は平静を取り繕って声をかける。


「先生……」


 顔を上げた少年の目は、涙で滲んでいた。事件当時はまるで良心の呵責など一切感じさせなかったあれと同じ人間とは、とても思えない。


「ど、どうしましょう、今更ながら恐ろしくなってきました」


 警察官に引っ張られながら椅子に座ると、少年はアクリル板に手を貼りつかせて縋りつくように話し始めた。


「そうか、お前もようやく反省したんだな」


 厳しい口調ながら、俺は少年をあれこれ責め立てようとは思っていなかった。むしろこいつにも人の心が残っていたのかと、不謹慎にも安心してしまっていたほどだ。


「まだ中学生なんだ、人生やり直すチャンスはいくらでもある。きちんと罪を償うと正直に言えば、きっと裁判でも――」


「そんなことはどうでもいい!」


 だがこちらの話は、少年の声に遮られてしまった。


「ここ最近、怖くて怖くて仕方ないんです」


 唖然とする俺の目の前で、少年は俯きながら頭を抱える。


「母さん、死ぬ直前に声を出したんですよ。ぐえって、一度も聞いたことが無いような、カエルみたいな汚い声で」


 震える手で、少年は自らの髪の毛をプツンプツンと引きちぎる。既にこれを何度も繰り返しているのだろう、少年の頭髪の一部は禿げあがって肌が露出していた。


「それだけじゃない、それから死ぬまでの間、かひゅーかひゅーって音を出しながら、目玉が飛び出そうなくらい大きく目も開いて……母さんは今まで、あんな醜い顔を僕にさえ見せたこと無かった。ただの一度ですら……」


 そう言って再びこちらを見上げた時、少年の顔は涙と鼻水でぐずぐずに汚れていた。


「死に際のあの顔と声が、いつまでも頭の中にこびりついて……夢の中でも何度も出てきて。きれいなままの母さんをいつまでも記憶にとどめておきたかったのに……こんなことになるなんて思ってもいなかった……今更ながら後悔しています」


 俺は何も答えることができず、しばらくの間、ぐずぐずとべそをかく少年と向かい合っていたものの、やがて「すみません」と警察官に一礼して立ち上がる。


「先生!」


 少年の呼び声が聞こえても、振り返ろうという気は起きなかった。そして足早に部屋を退出した後、背後から鉄製の重々しい扉がバタンと閉じられる音が耳に入り、ようやく首だけをそっと回したのだった。

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[良い点] 完全に壊れているサイコパスを上手く表現されていますね。 美しい姿のまま死ぬことの無かった母親に「せっかく美しいまま死なせたかったのに非道い母親です」と開き直ってたら、またサイコパスぽいか…
[良い点] 難しい題材だったと思うのですが見事に描ききっていて凄いと思いました! [一言] 内容はかなりハードで読みごたえがありました! 面白かったです!
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