幼馴染と恋人と
チュン……チュンチュンっ
(あぁ、もう朝か)
東向きの窓から未だ青白い朝日が入る。
目覚まし時計は時を告げずに静かに秒針を進めている。
(あと……ちょっとだ…け……)
と、寝汚い考えでいっぱいな玲は、顔に光が当たらないようにと布団を、もぞりと引き上げる。
しかしいつもの如く、その行為は聞きなれた声に遮られた。
「こぉらー。玲、起きなきゃ朝練遅刻しちゃうよー?」
いつも2度寝に入り込みそうになると、この声が部屋に響く。
「ぅぅぅ〜。後ちょっと〜」
「だぁめっ。早く起きなきゃ布団に潜り込んじゃうよー?」
「……」
「分かった。んじゃ早速」
「起きるぅぅっ起きた〜!ふゎぁぁぁ」
「分かれば宜しい。ふふ、あくびも凄いけど、寝癖すごいよ?んじゃ後でね」
そう言って寝癖を一撫でした後、手をひらひらと振った尚は、トントンとリズミカルな音を立てて階下へ降りていった。
毎度の事だが、お隣さん兼幼馴染である尚は羨ましいほどに朝に強い。
しかし、部活に所属しているわけでも、朝に用事がある訳でもない尚は、変わらず毎朝玲を起こしにやってくる。
幼馴染と言うこともあり、今時珍しく親に止められることなく、何なら「いつもありがと、お願いね〜」と母に言われ、こうして毎朝上がり込み玲を起こしに来るのだ。
「まぁ、困るわけでもないから良いか」と、毎朝取り止めもなく考え、身支度を済ませて階下へと足を進めるのである。
そして、当たり前のように玲の隣の席に座り一緒に朝食を取ると、「今日は玲の好きなチーズインポテトだよ」とのコメントを入れつつ尚も手伝ってくれたと言うお弁当を手渡され、「おぉ!ありがと」と目を輝かせながらいそいそと鞄の中に仕舞い込む。そして一緒に徒歩圏内にある高校へと向かう。
因みに玲が朝練に行くと、尚は図書室で予習をするそうだ。お陰(でなくても元より頭の出来は良かったのだが)1年最後の3学期の今まで常に成績トップである。
そして昼休みは、いつも一緒に食べ、たまにおやつを貰い、放課後部活へ行き、朝と同じように図書室で待っている尚に声をかけて一緒に帰宅する。
これが小学校から変わらぬ、玲と尚のルーティーンである。
体を動かすことが好きな玲は、部活に入るにあたり、「いや、毎朝早いのは悪いし良いよ」「帰り遅いし待ってなくて良いよ」と断りを入れた事もある。けれど「遠慮しないで」とキラキラと輝く笑顔で尚に斜め上に往なされ、母が「あんたがシャンとしないから面倒見てもらってるんでしょ」と援護射撃で蜂の巣にされる有様だ。
まぁ、朝は弱く、一人で帰るときは買い食いで散財する玲が悪いので、ぐうの音も出ないのであるが。
そんなある日、玲と同じクラスの友人(因みに尚は隣のクラスだ)が紙パックのフルーツオレをズゴゴッと音を鳴らしながら言った。
「ってかさ、尚と玲って付き合ってんの?」
これだけずっと一緒なら、そう思われても仕方ないのだろう。しかし、玲は同じくズゴゴゴっと鳴らして吸い込んだ紙パックを、プハッと解放してから簡潔に答えた。
「いんや??」
その瞬間「へ?」と言う間抜けな友人の声が掻き消される勢いで、周りから奇声が上がった。
「はぁぁぁぁぁぁ?!!!!!!」
「「「えええええええええ?!?!」」」
あまりの大音量にビクッと肩を跳ねさせた玲は、目を丸くしてクラス中に視線を向けると、何人かが立ち上がって玲を凄い表情で凝視しているではないか。
「な、何?」
「「「「付き合ってない」」の?!!」」
「…うん」
「あんなに一緒にいて?!」
「……ないけど」
「オハヨウからオヤスミまで一緒にいて?!?!」
「オハヨウはそうだけどオヤスミは無いよ」
「あんな頭も顔もパーフェクトなのが四六時中横にいて?!?!」
「見慣れると言うか、見飽きてると言うか?幼馴染だし、そこまで意識したこともないし」
「え……恋愛対象じゃ無いの?」
「特に考えたことないけど、まぁ…」
矢継ぎ早に投げかけられた質問に、目を丸くしたまま答え続けた玲は、ここで初めて「恋愛対象とは」と頭の中で誰ともなしに質問を投げる。
恋愛対象とは──好意もしくは、交際したいなと思う相手である。
尚と玲は、偶々お隣の家に住み、出産時期が同じであることから、母同士が仲良くなり、子が生まれると、お互い助け合い育てた結果、家族ぐるみで大変仲の良い幼馴染となったのである。
幼少からその様に育ち、やんちゃな玲は小学校に上がると割とすぐに部活を始め、気がつけば夢中になっていた。毎日楽しく忙しかった玲にとって、尚をそんな風に見直したことがなかったのだ。
「尚は尚だし?幼馴染だよ」
玲にとって、現時点でこれ以上の回答はどこを探られても出て来はしないのだ。
「え、それじゃ……」「チャンスってこと?」
そんな声がそこここで上がる。
まぁ艶のあるサラサラの黒髪、優しげに垂れた目元、整った容貌。成績は入学以来常にトップで料理もできる。試合に応援に来ればタオルからドリンクと言った差し入れなどなど、至れり尽くせりの気配り上手。
モテないはずがない。
余りに当たり前の関係すぎて、関係が変わるとか、間に誰か入るとか考えもしなかったのだ。
「うーん……ま、いっか」
元来深く考え続ける事が苦手な玲は、そのまま飲み干したパックを教室の隅にあるゴミ箱へ投げ捨てた。
「お、ナイス」
流石バスケ部である。
その日から玲と尚の周りは騒がしくなった。
図書室に迎えに行けば、他の生徒が尚の両隣を陣取っていたり、昼休憩には知らない女子生徒が猫撫で声で混じってきたりした。
「わたし〜、ずっと気になってて〜。付き合ってないってほんと〜??」
積極的にグイグイと迫るの初めて間近で見た玲は、「コレが巷で噂の肉食女子か」と驚きながらも頷いたのだった。
そんな日が数日続いたある休日。
朝寝坊どころかそろそろ昼に差し掛かろうと言う時、いつものように部屋に侵入者がやってきた。
「レイ、もうすぐ昼だよ?起きなよ」
「〜〜んむぅ……まだねむ…」
「目が溶けちゃうよ?」
「それ、は困..る」
揶揄うような笑い声が部屋に響く。
暖かな布団の中に埋まるように籠っていた玲は、その笑い声に釣られるように口角が緩く上がる。
尚の笑い声は昔から胸が温かくなる心地がするんだよなぁと、寝ぼけた頭でぼんやりと思っていると、尚がベッドの端にキシっと音を立てて座ったのが分かった。
「─付き合ってないって言ってたって聞いた」
「んー?ん」
「幼馴染……だけど。まぁ確かにそうなんだけど」
「んー…」
そうだねと、内心頷きながら生返事を返すと、柔らかな沈黙が静かに降りる。
「玲は……幼馴染以上には、思えなかったりする?…の、かな」
「え?」っと埋もれた頭を起こそうと蠢かせると、布団を捲れないよう押さえつけられた。これでは頭が出せないではないか。
「そのままで良いっ、教えてくれる?」
「ん」と布団の中からくぐもった声を漏らして返事を返した玲は、ポスッと上げかけていた頭をもう一度シーツに落とした。
「……しょーじき考えた事ない。けど」
ベッドから小さな振動が伝わり、尚の動揺を伝えてくる。
確かに恋愛とか、そう言うのを考えたこともなかった。だけど、ずっとこのままの関係は無理だと言うことくらい玲にも、ここ数日の周りからの意見でも分かっていた。
ただ、バスケの試合を楽しそうに見てくれなくなることも、テスト前に勉強を一緒にしてくれなくなる事も、朝「おはよう」と言ってくれなくなる事も、想像できないでいる。
そこに玲以外の誰かが入り込み、今まで享受してきた事を、その“誰か”になり代わられる事を考えるとモヤモヤするのも確かで。
果たしてそれが恋愛感情なのかが分からない。
「側に居ないのは、嫌かなぁ」
「……そっか」
緩んだ空気を感じて、玲も何故かホッとしたのだが、布団の向こう側で小さな呟く声が聞こえ、「ん?」と短く問うた玲が、布団から顔を出そうとしたところ、ギシリっと音が鳴ったと思うと、腰の上に圧迫感を感じた。
「ん?尚?」
そろりと布団から顔を出すと、布団を抑えていた手は、玲の布団から出した顔の両端につかれ、尚に見下ろされた格好になっていた。
「……ハヨ?」
「おそよう、玲。自覚は成長の一歩って言うもんね。まだまだ早いかなと思ってたんだけど、こうも周りが騒がしいと仕方ないよね?ゆっくり過程を味わうのも良いけど、そうも言ってられなくなったのは玲のせいだし。ね?」
「???んん???」
「今日は一緒に自覚してみようね?」
「んんんんん??!」
そう言うなり布団に潜り込んできた尚に抱き込まれると、昼過ぎまで成すがままとなったのだった。
「えー?玲、手を繋いでたって事は、結局付き合い出したって事??」
「いや、あの、なんつーか、微妙?」
「微妙って何?好きだ〜とか、付き合おう〜とか無かったとかそう言う???」
週明け月曜日。
登校風景を見かけた部活友達は、進展があったのかとニマニマしながら、朝練後の更衣室で話しかけた。因みに同じクラスでもあり、先日尚との関係を問うた本人でもある。
「んー、こっちの問題と言うか?」
「んん?」
「なんっていうか、追いつかない感じ?」
「ほう、追いつこうと思った時点でそう言う事じゃないの?」
「そう、かな」
なんとも言えない顔をしたまま胸を押さえる玲に、着替え終えた友人は更衣室に置かれた簡素なベンチにどかっと腰を下ろしてタオルを首にかけた。
「それに、アレに追いつくのは無理じゃね?」
「どう言うこと?」
「あ、それも気付いてない感じ?」
「??」
友人の頭には入学以来、玲の隣を独占し続ける尚の姿が過ぎる。
登下校どころか昼食も共にとり、あからさまに同じ中身のお弁当を見せつけるようにこっそりアピールし、試合が有れば必ず観覧。スポーツドリンク、蜂蜜レモン、おにぎり、汗拭きタオル、おしぼり、制汗スプレーなど一式を完備。
休みの日もほぼ一緒で、友人と出かけると言い出そうもんなら、「奇遇だね」と言いながら出先で遭遇する。
方々からの関係についての問い合わせに、思わせぶりな微笑みで肯定(と思わせ、明言は避ける)で返し、入学して2ヶ月でその尽しっぷりに「玲の嫁」として認識されるに至った。
「言う通り背中を押すべきなのか、良心に従って危機を知らせるべきなのか」
うむむと唸りながら掛けたタオルを引き寄せ顔を埋めた友人は、何かを小さく呟いたようだが、玲には届かなかった。
「ま、時間の問題と思うけど、精一杯悩めば良いんじゃね?」
「お、おう」
更衣室から出ると、尚が少し離れたところで待っていた。
「尚、どした?」
玲が尚に気付いて慌てて駆け寄ると、にっこりと微笑んだ尚は、「何もないよ」とだけ答え、するりとさり気なく玲の鞄を奪い取って手を取り指を絡ませて握った。
「な、なおっ」
「意識して貰わなきゃね。次は“玲の旦那”って言われたいし」
顔を赤らめた玲の頬に軽く口付けを送った尚は、機嫌良さげにゆっくりと、わざと目につくように教室に向かって歩いて行く。
「うへー。あいつマジやべぇ」
後ろ姿を半目になりながら眺めた友人は、ボソリと呟く。
その小さな呟きについッと視線を送った尚は、ニンマリと口角を上げて黒い微笑みを送った。
***
事は玲の友人が教室で、つい尋ねてしまった日まで遡る。
授業の合間にちょっとした恋バナでもと思って振った話題のはずだった。
付き合ってるとハッキリ聞いた事は無かったが、「付き合ってるんだろ」くらいの気持ちで。勿論、「YES」と返事をされて「だよね、いつから?」とからかい半分で聞くつもりでいたのだ。
まさか、「いんや?」と返されるなんてよもや思うはずも無い。
その日数時間も経たずに、1年生の間に話は広まり切り、翌日には学校中に広まってしまったのだが。
内心で「まずった」と冷や汗をドバドバ、なんだったら背中がジンワリと湿った次の休憩時間。教室の外から呼び出されて、階段裏の人気の無い所で尋問を受けるに至った。
「ねぇ、どう言う事か聞いて良いかな?何で『彼女いないってほんと?!』なんて事、声高に聞かれなきゃならなくなったか。なんか知ってる?」
「えっあのー…えっと」
「お陰でさっきからウザいのに絡まれるわ触ろうとするわでさ。ほんと、玲以外触るなクズがって感じなんだけど。ねぇ、知らない?」
「いや、なんつーか……」
ダラダラと汗をかきながら、蛍光灯の光をバックにハイライトの消えた瞳で単調に問う尚は
「 さっさと吐いてくれるかな? 」
トラウマものであった(友人談)
半泣きで状況を切々と話した友人に、笑顔で「今後は気を付けろよ?あと勿論協力するよな?な??」とやはりハイライトの消えた笑顔で言われて、思わず首を縦に振ってしまった。憐れ。
しかし尚は、「これもある意味チャンス」と考え直して、1ヶ月ほどその状況に甘んじることにした。
しかし、1ヶ月耐えるつもりが無理だったのだ。
たったの1週間ちょっとで、我慢の限界をいち早く迎えた尚は、休日に玲の部屋に入り込み、寝起きの無防備で素直さ5割増状態の玲に心境を尋ね、強硬手段を取り現在に至る。
上機嫌で甘やかな微笑みを常に隣に向ける尚は、頬に口付けられて真っ赤になって慌てる玲を見て思う。
早くいつかみたいに……
***
「こんなに小さいのに、玲はいつか居なくなっちゃうのねぇ」
「女の子だもんねぇ。ほんとねぇ」
いつものように、玲の家のリビングでのんびりと子供を遊ばせながら見守っていた母親2人は、そんな事を呟いた。
「ママ、れいちゃ、いなくなっちゃうの?」
まだ舌足らずな発音で驚いた顔をした尚が、自身の母にそう問えば、困った顔した母は「女の子は、大きくなったらお嫁に行くのよ」と、諭すように頭を撫でて言い聞かせた。
しかし、分かっていない子供には、「玲に会えなくなる」と変換され、じんわりと瞳に涙を浮かべる。
「えっ、まだまだ先だし」「行かないかもしれないし、お婿さん貰うかもだし」とオロオロしながら宥める新米母親ズに、ドーナツ型のオモチャを振っていた玲がトテトテと近寄り、「お嫁さんってなーに?」と聞く。
「お嫁さんは女の子、お婿さんは男の子でね。結婚して家族になるのよ」
ざっくりとしすぎた回答は、流石玲ママと言うべきか。「ふーん?」と生返事をした玲は、遂には泣き出した尚を見て言ったのだ。
「ナオはお婿さん?で、レイがお嫁さん?」
「そうねぇ」と微笑ましげに声をあげる母親ズはさておき、当の尚は天啓を受けたような衝撃を受けていた。
友達よりも、もしかしたら誰よりも大好きな玲と、“結婚”すると離れなくて済む。ずっと一緒にいられるのだと。
幼いながらに淡い恋心が芽生えていた尚は、益々玲に引っ付くようになり、気がつけば淡い恋心は玲の隣で順調に育ち、花を咲かせてしっかり根付いていった。
***
(早くいつかみたいに、尚を花婿に、玲を花嫁にって……実現させて…)
未来の展望を明るく描きながら、尚は甘やかな微笑みを強くする。
しかしそんな尚も気付いていないが、あくまで一般的に結婚する場合、玲が嫁になり、尚が婿になるとは言っていたが、「玲が尚の嫁になる」とも「尚が玲の婿になる」とも言っておらず、淡い恋心と思い込みの結果の産物である。
しかしあまりにもあからさまな態度で、甲斐甲斐しく世話を焼く尚に、両家族は微笑ましく生温く見守っているにすぎないのではあるのだが。
未来はきっと神のみぞ知るのであろう。
お読みいただき有難うございました。
男女幼馴染シチュ描きたかっただけなのですが、敢えて性別どっちがどっちと言わずに書き出してみました。
おかしい。何故女あるあるを男に当て嵌めると腹黒というか、病み系に?なるのだろうか。
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玲: 女 女子バスケ部
焦茶でふわふわ猫っ毛のショートボブ。
クリっとまん丸の目で元気に動き回る様は、とても可愛く密かに人気。
尚:男 帰宅部
黒髪サラ毛(ロン毛ではない) 垂れ目。今のところ身長はちょっと尚が高い。
成績優秀、料理も上手い。「リアルスパダリかよ」と人気。
玲の友人:女 女子バスケ部
玲と席が隣。玲もだが、ゴミを投げ入れるなどちょいガサツ女子。尚の笑顔の威圧の被害者。