第六話
この数日間 北朝鮮の空は雲一つない晴天であった、それでも朝夕はめっきり寒くなり冬の訪れを予感させた、誠二は北朝鮮の冬は知らない だが天津の冬は何度か出張していたため天津と同緯の北緯40度前後であろうこの地であればおおよその察しはついた。
二人は後藤様がいるという城正門近くの城壁に向かった、途中治兵衛が大工の図匠とはどのような仕事をするのかと根掘り葉掘り質問をぶつけてくるが誠二は適当にはぐらかし要所で相づちを打ちながら歩いた。
しばく歩くと城門横に工事櫓が見えてきた、誠二はその木組みを興味げに見つめながら櫓下に行き上を見上げた…10mもあろうかという頂上部には多くの兵や人足らが石の入った籠びくを四人がかりで竿に担ぎ行き交っていた。
「後藤様はどこじゃろう…」治兵衛はキョロキョロと辺りをうかがい、ちょうど通りかかった人夫に居場所を問うた。
聞いた治兵衛は「あの上に御座らっせると」と櫓の上辺りを示した。
「行ってみるか」治兵衛は狭い板造りの階段を見つけると躊躇なく登りだした。
誠二も恐る恐るその後に続いた(何と言う急な階段だ…)その階段は60度もあろうかという急階段で、一段の段差は高く 手を使わなければ上れる階段ではない。
ようやく頂上部の板敷場に辿り着いた、誠二は息を整えながら城壁の間際まで寄り外を眺めた、この城に来て二ヶ月が経とうとしているが城外をこの様に一望に見下ろしたのは今日が初めてである。
(何と美しい景色だろう)目の前にはくねった河が遥か南に続き、その向こうの森や林の間には黄色く色づいた田畑が美しく散見された。
誠二は知らぬ間に子供のころ西濃の小高い山から見下ろした揖斐川沿いの美しい風景と重ね合わせていた。
(あぁぁ帰りたい)妻や子それに父母の顔が浮かんでは消えた、この地に落ちて既に五ヶ月、その間は常に死と隣り合わせの戦場にあり感傷に耽る暇さえ無かった、しかしこのひと月に限っては毎日が無聊を託つ日々でついついこの地に落ちる以前の生活を思い出してしまう。
自分は確かにあの夜 多くの乗客と共に死んだはず、なのに今はなぜか俺だけがここに存在している、それも四百年以上も前の時代だ…。
これは夢なのか、今まで何百回と考え 解けもしない数奇な運命や謎を又もや反芻している、あの日 機体後部を振り返ったとき何も無かった、ということはビジネスクラス辺りで機体が裂けたか破壊されたということになる。
機体が自然に裂ける…そんなことが起ころう筈も無い、誠二は技術屋として航空機の構造知識も人並み以上に熟知し通常の飛翔中に機体が裂けるようなとてつもない応力が発生することなどあり得ないと結論づけていた。
あのときの蹴っ飛ばされるような凄まじい衝撃は今でも体が覚えている、あの衝撃から考察すれば自然破壊ではなくどう考えても外部からの砲弾かミサイルの爆発衝撃としか思えない。
あの爆発が起こった辺りはたしか北朝鮮の海州沖で京畿湾の上空だったと思う、と言うことは何らかのミスで北朝鮮の領空を侵犯しミサイル攻撃によって撃墜されたのか…。
一方こんな考え方もある、貨物室に誰かが機体を真っ二つに裂くほどの大量の爆発物を仕掛けたということ…だが幾重もの監視をすり抜け大量の爆薬を機内に仕掛けるなど不可能事、しかしこの世の政治・経済・軍事の駆け引きは一般人には到底解らない、ゆえに誠二の想像の埒外の意味を持つのかも知れない。
「白兵衛、おみゃぁ又考えるとるのか、ほれ後藤様がお見えんなさったから挨拶しんきゃぁ」
治兵衛のいつもの威張った声に振り返ると 無精髭の小男が治兵衛の横にチョコンと立っていた。
小男は人の良さそうな笑顔で誠二を見上げていた。
「おぬしが白兵衛殿か、でかいな…でっ建屋の絵図面が引けると治兵衛に聞いたが誠かの」
「はっ、未だ気失せはしかとは治っておりませぬが図引きの記憶だけは蘇っており、木造建屋ならば百五十坪ほどの建築図は引けもうそうが、むしろ仕掛けなどのカラクリを工夫することの方が得手で御座いまする」と以前見た時代劇のドラマ風の言葉で応えてみた。
「そうか それは有り難い、何せここにおる者等は本式の建屋造りを学んだ者など一人もおらん、かくいうそれがしも普請担当とは申せしょせんは建築好きな武士に過ぎぬ、のう是非とも手伝って下され」
誠二は威張ったところの無いこの後藤という男の人柄に好感を抱いた。
「白兵衛殿、ではさっそくで申し訳ござらぬが今 急造中の石落としの仕掛けをとくと見てはもらえぬか」
そう言うと白兵衛の背中を押した、またあの急な階段を今度は下って地上に降りるらしく後藤は先に立ってひょいひょいと身軽に下り始めた。
後に従う誠二も後藤の真似をしようと五段ほど降りたとき足が踏み板端で滑り尻餅をつきそのまま途中の踊り場まで一気に尻で滑り落ちてしまった、見れば踏み板幅は誠二の足裏の半分もないのだ。
「白兵衛殿、おぬしの足はでか過ぎる儂の真似は無理というもの、ククッ落ち着いて降りられよ」
と踊り場で待つ後藤は尻を撫でながら顔を歪ませる誠二を見て笑いを噛み殺していた。
地上に降りると城の正門から城外に出て城壁伝いに十間ほど歩き後藤は立ち止まった。
「あれをご覧あれ、横二間×奥行き一間の石落としじゃ、まだ城の正門脇数箇所に設置したに過ぎぬが雪が降る前には城壁の正面・側面に隙間無く設えようと思っておるのだが…」
上を見ると城壁の上部に分厚い戸板1枚が水平に設置されていた、その戸板の一方は城壁側に受けられ出っ張り側は中央付近を斜めのつっかい棒一本で受け止められていた。
「まだ戸板に石などは載せてはおらぬが 先日実際に石を満載してあのつっかえ棒を外そうとしたのじゃがビクとも外れんのよ」
「あんな高いところのつっかい棒をどうやって外すのでござろうか」
「なぁに よおく見られよ、斜めのつっかい棒の下端が城壁の石角に当たっておろう、そのすぐ上に小穴が開いておるのが見えるかな、城内からあの小穴に棒を通し内側から強く押して外すのよ」
眼を細めて見ると確かにつっかい棒の支点部少し上に小穴が有り、そこから棒が少し突き出ているのが見えた。
「ああ あの穴から棒を突き出してつっかい棒を外すのでござるな…」
呆れるほど簡単な仕掛けだ。
(こんなものがこの時代では仕掛けというのか、クククッ呆れた)
「あのつっかい棒を城内から激しく突っつくのじゃが…つっかい棒はビクとも外れんのよ」
「後藤様、城内からあの棒を突き出すのは一人で行うのでござろうか」
「左様、丁度一人が立てるほどの踊り場が城壁の内側に設えてござってな、そこも見て貰えますか」
言うと後藤は再び城内へとって返すと誠二をその踊り場の下へ案内した。
「あれじゃ」と後藤が指差す方を誠二は仰ぎ見た。
そこには半畳ほどの踊場が内側城壁に添うように組まれ地上から猿梯子で登れるようになっていた。
「突き出し棒が城壁に差し込まれてあるのが見えるかの、あの棒を両手で掴んで思い切り城外へと突き出すのじゃが…一見誰が見ても簡単につっかい棒は外れそうな気がするのじゃが…」
誠二は城外で石落としを見た瞬間、すでにつっかい棒がなぜ外れないのかは解っていた、それは城壁内側から見た突き出し棒の直径と長さからも直感的に確信できた。
「後藤様、あれでは外れませぬ 外れぬ原因を説明致しますよって紙と筆を貸してくれませぬか」
と後藤の顔を正面から見据えた。
「ほぅ貴殿には分かるのか、ではこちらに来てくれぬか」
言うと後藤は簡単に答える誠二を怪しげに一瞥し、城壁下に設えられた工事詰所へと案内した。
工事詰所は十畳ほどの仮小屋で板の間にはござが敷き詰められ一畳ほどの大きな座卓が中央に配されていた、その座卓の上には何枚もの絵図面が乱雑に置かれてあったが後藤はそこから一枚だけを残し後は一纏めにしてござの上に置いた。
「白兵衛殿、これがあの仕掛けの絵図面じゃ、見て下され」
そういうと後藤はドカっと茣蓙の上に座り 誠二にも座るよう促した。
誠二は絵図面に見入った、その図面は想像した以上に精緻に描かれ、所々に何尺と寸法さえ入っていた。
「この絵図面はどなたが描かれたのでしょうか」
「儂が描いたのじゃが…豊前中津にいた頃は築城の絵図面を描いておっての、まっ素人絵図ゆえお笑いめさるな」と後藤は照れた。
「いえいえ、笑うなどと素晴らしい絵図で御座る、特にこの断面図などはよく出来てございまする」と誠二は御世辞抜きで感心した。
「紙はこれを使って下され、筆は少々太いが細いのが入り用でしたらすぐに持って参るが…」
「いえこれで結構」誠二は筆を受けとると墨壺に穂先を濡らし渡された半紙に後藤が描いた城壁石落としの断面絵図を写しだした。
ざっと仕掛けの絵図を写し終えるとその絵図の下に今度はベクトル図を描き始めた。
後藤はその手慣れた所作に関心を示したのか膝を乗り出し見入り始めた。
その線図の横には見慣れぬ文字が書き出されていく、そしてその都度白兵衛の口から訳の分からないひとり言がつぶやかれ後藤は首をひねりながらもその口元と書き出される奇妙な文字に見入っていった。
「一間は確か1818mm、一尺は一間の1/6だから303mm、1貫は3.75kgで石の比重はこの辺りの石だと2.7くらいかな…木と石の最大静止摩擦は0.4ぐらいだったから…」
誠二は子供の頃 珠算教室に通い3段まで取得していた、それがいま電卓の無いこの時代に暗算が役に立つとはとは思わなかった。
(つっかい棒の斜角はおよそ45度、つっかい棒に加わる軸力は石積量を約5トンとみれば2500×√2だから3535kgか…ここで最大静止摩擦を0.4とすればつっかい棒を外す力は3535kg×0.4=1400kgは最低必要)
(城内側から突っつく棒は直径8cmぐらいで長さが2mほどだから重量はおよそ6kg程度…この棒を初速1.2m/sで突っ張り棒の下端部に思いきりぶつけたとして、その衝撃力は木のクッション性から衝撃緩衝タイムは0.02s程度かな…。
f×0.02=6/0.98×1.2だからfの衝撃推力は367kgf しかないか…必要衝撃推力は先の計算から1400kgは最低必要だから…これではどう足掻いても外れるわけがない…)
誠二は咄嗟にmmとkgを尺と貫に換算し後藤に説明を開始した。
「この石積み枠の大きさならば石の量はおよそ千三百貫は載せもうそうか、であるならばこのつっかい棒にかかる力はおよそ九百四十貫にもなりまする。
このつっかい棒の下端を城壁の壁石で受けたとき これを滑らせて外す力は石と木の滑り抵抗に依存しもうそう、その力は計算に寄ればおよそ三百八十貫以上の力が必要となりもうす。
然るにそれを滑り外す あの突き出し棒では思い切り打ち出してもせいぜい九十貫そこそこの力しか出ず、これでは三百貫ほども力が足りませぬ」
「…………」
後藤は誠二の淀みない理路整然とした説明と紙に記された見たことも無いベクトル図や数式に圧倒され目を丸くし ただ唖然とした顔で誠二を見つめるだけだった。
後藤は暫くしてようやく言葉を発した。
「この様なことが算術で解くことが出来るというのか…お、おぬし一体何処でこの様な高等算術を学ばれたのか」
「はい、しかとは思い出せませぬが京辺りの宮大工にお仕えしたときと覚えまする」
と適当に応えながらも(この程度の算数が高等算術とはククッ呆れる)と噴き出す笑いを噛み殺した。
「そうであったか、んん凄い!さすが玄人の図師じゃて…では白兵衛殿 如何なる方法を用いればあの突っ張り棒は外れもうそうか」
「うむぅ…左様で御座いますな、この突き出し棒をもっと重くすれば…」
再び誠二は計算を開始した。
(衝撃推力は2000kgfも得られればよいから逆算すると…んん棒の重さは35kgにもなるんだ、しかしこれでは棒の直径は30cmにもなりあの城壁穴を大きく広げなければならない…)
(そうだ!それよりもあの棒はそのままで後端に35kg程の石を思い切り打ち付けた方が良さそうだ)
「後藤殿、あの突き出し棒を手で押すのでなく棒の後端に十貫ほどの石をぶつけた方が良いようでござる」
「白兵衛どの、十貫などという重い石をあの狭い踊り場で一人で操るは不可能と思うが…」
「なに簡単でござる、城壁の最上部に桁を突き出し、そこから縄を垂らし十貫ほどの石をぶら下げるというのは」
「おおそれなら簡単じゃ、ぶら下がった石を棒の後端に打ち付けるは一人でも容易きこと、それは良い方策じゃ、ふむぅ白兵衛殿 そちは凄い御人じゃ!まいった」
「いえ何の、後藤様の御役に立てればそれがしも嬉しゅう御座います」
後藤は立ち上がると誠二を眩しそうに見つめ
「では早速に試してみしょうぞ、白兵衛殿 用意が出来ましたらまたお呼びもうすよって、その際はぜひご覧下され、んん…これで何とか年の瀬までには全ての城壁修復と仕掛けなどを整えることが出来それがしも肩の荷が下ろせるというもの、白兵衛殿 改めて御礼申し上げる」その神妙なる言葉には畏敬の念さえ込められていた。




