第四十六話
八日をかけ草案を書き上げると主税部の官吏十人ほどを使い二十冊の写しを作りあげた。
その表紙には「黒田家 陸・海軍大綱草案」と大きく題字し、次頁は目次 以降は序文・軍政大綱・軍事大権・軍政組織(陸・海軍本部)・軍令組織(参謀本部)・軍事司法・軍隊組織・階級制度等々…頁数は五十頁ほどに纏めた小冊子となった。
「おおぅ出来たか!」長政は誠二郎が編纂した草案を受け取ると喰い付く様に頭から読み込んでいった、だが読み進むにつれ 所々に意味不明な字句が散見され その都度誠二郎に不明字句の読みとその解釈を求めた。
誠二郎はそれらに丁寧に応えながら半紙にその字句と解釈を書き記していく。
一刻ほどかけ一通り読むと「ほぅ二十冊も作ってくれたとは有り難い、評定前に重臣らにも配るといたそう…それはそうと誠二郎、そちは先から何を書いておったのじゃ」
「はっ、殿が質問された字句の解釈など書き連ねておりもうすが」
「ほぅまた何で…」
「殿が判らぬと言うなら重臣御歴々にも判らぬと覚えまする、ゆえに字句の解釈表でも作ろうと思いまして」
「おおぅそれは助かる、儂や重臣らは無骨一辺倒で恥ずかしながら漢文などは苦手じゃからのぅ」
(漢文…そういえば明治維新当初 政治関連用語の新語・造語に際し 古き漢文を変形して多用されたと聞いたことがある、殿は難解な字句を漢文と解釈されたのか…)
その後 誠二郎は丸二日かけて訳文辞書を作り、その写しを二十部作成し長政に渡した、その二日後 長政は重臣ら十名を二ノ丸奥書院に招集すると評定を開催した。
招集された重臣は、栗山利安(善助)、母利友信(太兵衛)、安田誠二郎、黒田一成(三左衛門)の四人の老職と、四千石以上の重臣である後藤基次、井上之房、黒田直之、黒田利則の四人そして今回の朝鮮の役で特に功があった衣笠久右衛門と桐山信行の二名も二千石加増され共に三千石となり重臣の仲間入りを果たした。
この衣笠久右衛門と桐山信行の重臣入りに関しては半月ほど前のことになるが、長政が誠二郎に向かって「我が黒田家は残念ながら武に優れた者は多いが 政となるとのぅ…その辺りは七年もわが家を見ているおぬしなら大方見当はついておろうが、どうであろう おぬしの目から見て後の黒田幕府の要を担う者はこの黒田家におろうか」とまるで世間話でも聞くように問うてきたときがあった。
そのとき誠二郎は咄嗟に「衣笠久右衛門殿なら…」と答えてしまった。
答えてからすぐに(あっ、まずかった…)とは思ったが、朝鮮の役当時より黒田家の出来物は栗山利安と後藤基次そして衣笠久右衛門の三人ぐらいで後は武闘に優れ成り上がったと感じていたのも事実だ。
「衣笠久右衛門…はて彼はそんなに出来るのか、もう五十過ぎぞ」と長政は首を捻り「彼奴は大殿が取り立てた者で儂には懐きよらん、正直得体が知れずどうにも好かぬ」とけんもほろろの言いようだった。
この長政の言から何故彼ほどの出来物が一千石程度の俸禄で止まっているかは解った。
「おぬしは衣笠久右衛門と言うが儂は桐山信行の方が上と見ておったが彼奴はどうよ、歳もまだ四十五じゃし儂にはよう礼を尽くしてくれる」
「殿が言われるとおり衣笠久右衛門殿はそれがしにも得体の知れぬ人物に映りもうす、それは権謀術数に長けるからではないでしょうか、彼を評して言えば天下取り戦略には衣笠殿の力量が今後必須になろうとそれがしには見えておりまする」
「ほぅ…えらい惚れ込みようじゃが、おぬし彼奴と何かあったな」
「いえ特段にはございません…が正直申して煙たい存在と申せましょうか、それがしがそう思うは出来物ゆえでござりましょう」
「変わった評しようよククッ分かった、そちの申すことを信じてみよう、では衣笠久右衛門と儂が推す桐山信行の二名をこの度の朝鮮役の功労者として特別に二千石加増いたすとしよう」
誠二郎は(エエッ!)と驚くも、昇進とはこんな内輪話で簡単に決まってしまうものかと呆れた、だが元世でもおおかたこんな具合に決まるものと独りごちた、ただあの尊大ぶった桐山信行だけは敬遠したかったが…どうやら殿のお気に入りらしい、得てしてああいう奴が出世するんだろうと思うも(あの鼻持ちならぬ態度を続けるなら足をすくってやる)そう想う誠二郎であった。
長政は招集した重臣らの前で初めて京や大坂のきな臭い近況、つまり豊臣恩顧の大名らが今や対抗勢力である徳川家康側に組みする動きが活発化してきたことや、秀吉亡き後の政治空白に付け入り権力闘争が激化の一途を辿っている状況、また石田三成が佐和山に隠居した事の顛末などを詳細に語った。
そして京大阪で収集したこれら情報の分析から来年には天下を分けて必ずや大争乱が起きるとの見解を語り、「我が黒田家は大殿との協議の末 徳川方に組みする事に決めた、そして一朝事有る時は家康殿の元に馳せ参じ御味方仕る、例え戦う相手が豊臣恩顧の大名とてこれを敵に回し天下分け目の戦いともなれば黒田家は大勇猛心を奮いおこし徳川方に御味方し家康殿に天下を取らせ参らす!」
長政はここまで一気に語り瞑目した、評定は静まりかえって咳き一つ聞こえず、重臣らは長政の次の言葉が発せられるのを固唾を呑んで見守った。
やがて長政は眼を大きく見開き おもむろに口を開いた。
「皆の者、儂が今言ったのは方便よ、だが黒田家は今後徹底して徳川方に組みする姿勢は崩さず、それは家康殿が天下を取るまでに過ぎぬがな…。
天下分け目の戦いともなれば 我が国におけるこれまでの戦の中で最大規模となろう、ゆえに勝っても負けても相互の疲弊は深刻となろう…そこが付け目よ!、我が黒田家はどちらが勝とうが知ったことではない、勝った方に全身全霊を以て打ち掛かり天下を必ずや我が手中に収め黒田幕府を打ち立てて見せようぞ!。
皆の者、先日工廠で見せた数万丁にも及ぶ最新鋭兵器群を見て、またその試射で恐るべき威力を目の当たりにしどう思うたか!、儂は徳川殿が反目する諸勢力を滅ぼすのを待ち、後に漁夫の利を得るような姑息な天下取りは正直言って気に入らず!、明日にでも九州諸勢力を平らげ東に打って出たいとさえ思うておる。
あの数万もの驚異的破壊力を有す最新鋭火器を前にして 何処の大名が挑んでこよう、もし挑んでくるとあらばそれは匹夫の勇に過ぎぬ、そんな者は瞬殺で退けられよう、儂は一月もあれば天下を取るに造作はないと思うておる程じゃ。
しかしじゃ、大殿は待てと仰せである、大殿は天下は既に我が手中に有りとて慌てるに及ばぬとな、それよりも天下を取った後の政を如何に為すかに重きを置き 次代に備えよと仰せられる、あの頼朝公や尊氏公が幕府を開いたがどれほど実権が保てたか、すぐにも外戚や管領に取って代わられたではないか、つまりは幕府を興したとて確固とした体制を建てる能力が無ければ最初から天下など望むべきも無しと仰せなのじゃ」
長政はここまで喋ってから皆の顔を眺めた、案の定 皆の顔は豆鉄砲でも喰らったかのように目を大きく見開き声も出ない様子である、ただ善助・太兵衛・三左衛門それと誠二郎の老職四人だけは落ち着いた眼差しで長政を見つめていた。
長政が口を開いた途端に「天下取り」が発表され、続いて何の脈絡もなく「幕府」というとんでもない言葉が発せられたのだ、豊前のこんな草深い田舎の一大名が中央へと乗り出し、天下に覇を唱える豊臣政権と二百五十万石を領する右大臣徳川家康を向こうに回し天下取りの争奪戦に割り込もうと言っているのだ、あの工廠に眠る恐るべき兵器の量と試射を もし見ていなかったら…殿は確実に乱心されたと思ったであろう。
皆呆然と息を殺し それでも天下取りの概念を朧気ながら脳裏に浮かべていたのであろう。
皆が我に返るのにそれほどの時間は係らなかった、誰しもあの兵器の威力を目の当たりにしたとき一角の武将であれば天下は取れると少なからず考えたはずだ、シーンと静まりかえった書院のなか 重臣らの顔に次第に赤みが帯びてきた。
その時「天下取りじゃ!」と誰かが叫んだ、それにつられるように座が響動めいた、皆口々に天下取りを叫びだしたのだ、長政は暫くそれを放置した、そしておもむろに「静まれ!」と一喝し一人一人を睨め回した。
「皆の者、いくら優れた兵器が有りとて それを扱う者が優れ手でなければ無用の長物よ、つまりは兵を訓練し その兵等を管理する手法が優れぬ限り天下取りなど夢のまた夢に終わるであろう、よって我が黒田家は今日より戦時体制に入り徹底して軍事を先鋭化していく。
それには最新の兵器には最新の軍事技術が必要というもの、そこでじゃ 先日皆の者に渡した黒田家 陸・海軍大綱草案は読んだであろう、あれはここにいる安田誠二郎が創案したものよ、彼は皆存じよりの通り儂らが朝鮮に渡っている七年の間に国元を富ませ、あの恐るべき兵器の数々を生み出した男よ。
大殿も儂も七年前 彼をこの国随一の学者と惚れ込み黒田家の行く末を託した者である、彼はその期待に応え天下が取れるまでに国を富ませ新鋭兵器を用意してくれた、だが未だそれら兵器は精神がともなわぬ“物”に過ぎぬ、よってこれよりそれら“物”に精神を付与せねばならず、その精神とは先鋭化された国の統治・行政・軍事であり、その精神へと導くのはこの黒田家 陸・海軍大綱である。
これより彼に黒田家 陸・海軍大綱草案の解釈講義を行ってもらう、それには数日を要するが皆が理解し矛盾箇所が指摘できるようになれば修正を加え我が黒田家の軍事大綱としたい、また統治行政など新しき政治手法の講義も引き続き彼に行って貰う、儂も共に聞くゆえ皆の者も真摯な態度でこれに臨んで欲しい」
長政の言葉で皆は一斉に誠二郎の方を向いた、数日前殿から渡された「黒田家 陸・海軍大綱草案」は一通り目を通したが正直言って珍粉漢で、昨日訳文辞書を渡され首っ引きで調べながら読み通したが時間も無く殆ど理解出来ず今日に至った。
そんな難解な大綱を目の前の卑小なる男が作ったのかと皆 目を見張る思いで誠二郎を見つめた、中でも母利太兵衛と後藤基次それに衣笠久右衛門の三人の眼差しには対抗心か羨望かは判らねどその瞳は怪しく濡れ始めていた。
だが当の誠二郎は本日から解釈講義をさせられるとは思ってもいなかった、皆が事前に草案を読みその矛盾点や問題点などを話し合い 加筆・修正するだけと思い評定に臨んだのだが…実際はそれ以前の問題で、解釈講義から始めなければいけないらしい、これは時間が係るぞと思い既に脚に痺れを感じ(椅子の用意はないのかよ)と憂鬱に暮れた。
考えてみればここに居並ぶ重臣らは戦に明け暮れた強者どもである、黒田八虎とか黒田二十四騎と呼ばれる猛将達、戦に優れていれば管理職に登用される時代でもある、そんな彼らの学力はどの程度のものであろうかと誠二郎は想った、文章読解力は小学生それとも中学生程度?或いはそれ以上なのか、中には儒教の『大学』『論語』『中庸』レベルを読解するものもおるやもしれず解釈レベルを何処に置いて喋り出したら良いものかと思案したが…(まっ皆の目の色を見ながらレベルを決めるか)そう思ったとき長政が「誠二郎始めてくれ」と言い上座に座るよう促した。
誠二郎は立ち上がると一瞬脚の痺れで転けそうになったが何とか踏ん張り上座に移動し座った。
「フーッ」と息を吐き姿勢を整えると畳の上に「黒田家 陸・海軍大綱草案」を置き皆を見渡した、そして「安田誠二郎でござる、これよりそれがしが草稿致しましたる大綱につき講義致しまする、不明点や矛盾点がござったら声を掛け質問して下され、では4枚目の軍政大綱より始めまする」と講義に入っていった。
「軍政または軍事行政とは軍事組織を管理運営するための行政活動を指し防衛行政などとも言いまする、なお行政とは公的な事業の遂行を管理する活動を意味しまする。
軍事行政の概念は軍隊を運営する際に発生する人事管理や会計業務などの業務を管理する行政活動から安全保障政策の実施にあたっての御家当主(殿)と軍隊の関係を調整することまでを総括しており、いずれにおいても作戦部隊の運用が可能となるように準備する活動であり、軍事力の直接的な使用に関わる軍令の機能は含みませぬ、しかし現実には軍政と軍令を明確に分けることは難しく、不明確な領域が広範に生じる不具合性も孕みまする。
具体的な軍事行政としては教育計画、軍事費の会計、装備調達、人事管理、軍事基地の管理や民事などの業務があり、軍令の機能である戦略、戦術、兵站を含む軍事の組織、管理、行動に際しても影響を及ぼしていると言えましょう。
またここに書かれた軍事政策とは狭義には軍事行政において作戦行動に必要な軍事力の造成を目的とする政策を指しまするが、軍事目的を達成するための政治的な行動方針でもありまする。
これは次項の軍事大権の項で詳しく申し述べまするが本営指令部の管轄にある事項であり、軍事活動における抑止・排除政策を包括する政策となり軍事戦略に基づき安全保障政策や外交政策で規定され、軍事政策は仮想敵国を設定し諜報活動を行い軍事情報を収集、その軍事力を分析しこれに対抗するための軍事計画を準備する。
ただしこの軍事政策はしばしば外交政策と対立することがありまする、つまり国益のための軍事的な行動は戦国社会にとっては疑惑の対象となるからでありまする…」
誠二郎はここまで一気に語り顔を上げた、そして理解の度合いを見るため皆の目を見ていった…だがすぐに呆れた、誰もが訳文辞書で該当字句を探すのが精一杯で誠二郎の講義速度に付いてきたのは善助と衣笠久右衛門の二人だけだ、また彼らの眼差しは昔 会社の技術講習会で誠二郎が「フレームボディの固有振動数と共振」というテーマで講義を行った際、その時の若き技術者らと同様の眼差しだったのだ。
(さて…どのレベルまで下げるべきか、それともクラスを分けるべきか…)と途方に暮れた、
その後この講義は五日間続き、以降二日を掛け皆と相談しながら時勢に合うよう修正し草案を改定した、現代であればこんな草案など講義するには及ばず、事前に予習してもらい半日ほど皆と相談し加筆修正すれば済む程度のものであろうか。
しかしこの草案を時間をかけ読解した者らは眼から鱗ほどの感銘を得たらしい、それは講義が進むに連れ軍事の先鋭的な世界観さえ見え始めたのか目つきさえ違ってきたのだ、そして皆の誠二郎に対する態度はまるで学者に教えを請う態度に変化し、特に母里太兵衛や衣笠久右衛門などは草案を既決したときはその喜び様は尋常でなく、彼らに限らず皆一様に誠二郎を惟敬の眼差しで見つめるようになっていた。
陸・海軍大綱が制定された数日後、軍隊組織・階級制度に添って戦時体制下における組織と担当諸役が決められ発表された、だが一方 長政が考案した平時の旧態役職も併せて発表され対外的には長政考案の旧態組織表を前面に出し、新たな戦時体制下の組織と担当諸役は関ヶ原の合戦前日まで対外的に秘匿されることになった。
まず陸軍の組織は、役所である官衙と部隊組織である軍隊、そして将兵を養成及び教育する学校に大別され設定された。
官衙には、黒田軍本営(元帥:黒田孝高【如水】・大將:黒田長政)、参謀本部(参謀総長:栗山善助)、憲兵司令部(長官:母利太兵衛)、教育総監部(総監:黒田三左衛門)、兵器行政本部(本部長:安田誠二郎、部長には工廠長の佐八郎が付いた)
軍隊組織は陸軍と海軍に分け、陸軍は第一軍から第四軍まで組織し、各軍の下にそれぞれ所属部隊として各々三個師団を設け各師団には一~三連隊と兵站部をそれぞれ置いた。
第一軍の司令官は栗山善助中将と参謀長は後藤基次少将、第二軍司令官は母利太兵衛中将と参謀長は井上之房少将、第三軍司令官は黒田三左衛門中将と参謀長は黒田直之少将、第四軍司令官には安田誠二郎中将と参謀長には黒田利則少将がそれぞれ就いた、
海軍組織は未だ黒田家には軍艦は無いため当面は大型安宅船を改造し工廠で艦載砲を至急造るとして第一水軍司令官として衣笠久右衛門少将を任命した。
以下 朝鮮より帰還した中級・下級家臣らは第一から第四軍までの師団長・連隊長・砲兵部長・工兵部長・参謀副長・参謀などに振り分け、階級は大佐から中尉までとした。
また足軽頭から雑兵に至るまでは少尉から二等兵までとし、これまで水軍で働いていた者等は第一水軍に充てた、一方これまでの行政機関である普請奉行・町奉行・主税奉行・蔵奉行・畳奉行・障子奉行・主炊奉行のうち畳奉行・障子奉行は廃し、奉行を部長と改め各部の下部組織も併せて充実させていった。
こうして軍隊組織・階級制度・行政組織は動き出し、各部門はその創設や改変に大童となっていったが、重臣らは統治・一般行政など新しき政治手法の講義にも暇を見つけては参加するようになっていった、こうして豊前黒田家は近代の軍事理論を背景に着実に天下取りへの道を進み始めたのだ。




