第四話
六月九日、三番隊の黒田長政軍は中和南部を流れる離漿川の河畔で朝を迎えると軍列を整え中和北端に向け行軍を開始した、白兵衛は薬籠が積まれた荷車の後ろを押しながらただひたすら歩いた、朝飯を腹一杯食ったせいか昨日のように空腹で気が遠くなることもなく腹具合も今日は良さそうだ、しかし殴られた唇は腫れ右目も腫れ上がり顔全体が猛烈に痛んだ。
昼前に大同江が見え始め 小半時で対岸に聳える平壌城も目の前に見えてきた。
やがて右手の河畔に無数の兵等が布陣する姿が見えてくる、白兵衛はようやく目的地に着いたと額の汗を拭きながらその兵の多さに驚いた。
目的地である大同江南岸には一番隊の小西行長軍と宗義智軍の一万八千の兵で埋め尽くされていた、そこへ三番隊の黒田長政軍と大友義統軍一万一千が合流したため その兵力は三万近くに膨らみ 美しい緑の河畔は瞬く間に黒褐色の鎧色に塗り込められていった。
一番隊の小西行長は黒田長政軍を援軍として呼びながらも 援軍到着を待たず平壌城に単独一番乗りを決めたかった、しかし大同江を目の前にしてその川幅の広さに驚いた、なんと川幅は八町もある大河だったのだ。
小西行長は途方に暮れ上流下流の南岸五里にわたって船を探索させたが朽ちた川船が数えるほどしか見つからず一万数千の軍勢を短期に渡河させることは不可能となり落胆に暮れていた。
合流し大隊となった日本軍は大同江北岸に展開する朝鮮軍をにらみつつすぐさま小西行長の陣営で合同軍議を開いた、しかし軍議は当初から罵声の応酬から始まった。
「敵城を前にして川が渡れぬからと数日間も無駄に遊んでいたとはなんたる情けなさ!」と三番隊の大友義統が小西行長に吼えた。
小西行長は「船が無いから渡りたくとも渡れんのだ、お手前は泳いでも渡れと言うのか!」と嘯く。
「おぬし加藤清正殿との先陣争いに気を取られ作戦のかなめを迂闊にするとは何たるていたらく、大同江は敵城の防御線であろう、その河を渡るに船の用意が無いとはあきれてものも言えぬわ!さぁどうするんだ、まさか船がないから引き返えそうとでも言うのか!」と返す。
「儂は大同江がこんなに広い川とは思っとらんかったし船は近隣より徴発出来るものと踏んでおったのよ」
「何を言うか!おぬし開城を出る時なんと言うた、その昔秀吉様に舟奉行に任命され水軍をひきいた武士、たかが川なんぞ渡るは意図易き事とほざいたではないか!」
「……………」
「御二方ともよしなされ、これでは軍議にはなりもうさぬ、もそっと冷静になられよ」と言い放ったのは四人の中で一番年若い黒田長政であった。
長政は幼少時代 近江長浜城で秀吉・おね夫婦から人質ながら我が子のように可愛がられ、同城で共に育った六才年上の加藤清正や福島正則らと剣技や相撲を競っても遅れは取らなかった強の者、以来この加藤清正・福島正則・黒田長政の剛胆さは秀吉旗下で最強とうたわれ、武断派として年若くとも長政の貫禄は他の武将を圧倒していた。
「いくら弱い朝鮮軍とて城を攻められるを手をこまねいて待つほどのあほではござらぬ、どうせ上り下り数里四方の渡河船はすでに北岸に引き上げられておりましょう、とうぜん文治派で知られる切れ者の行長様のこと、とうに次の手は打っておりましょうぞ」
「ふむぅ、長政殿よう言ったその通りよ、弓矢応戦の敵軍は一万 対して我が軍は火縄銃と大筒装備の三万のつわものよ、誰が見ても勝敗は明らかというもの先般我が陣営の柳川調信と景轍玄蘇を使者にたて朝鮮軍に対し降伏を呼び掛けたばかりよ、御歴々方吉報まで暫し待たれよ」とようやく胸を張った。
しかし翌日、朝鮮軍はこの勧告を拒否し防戦の構え見せそれまで対岸に展開していた敵兵らはまたたく間に背後の平壌城に籠城を急ぐように消え去った。
朝鮮国王(宣祖)は首都漢城府から命からがら逃亡しようやく北の果て この平壌城に逃げ延びたのも束の間、眼下に迫った数万の日本軍を見るや大将の尹斗寿・金命元・商彦に平壌城は任せると言い残し、黒田長政到着の三日後 今度は遼東との国境付近にある平安道・義州寧辺へ逃げ去った。
残った平壌城にこもる朝鮮軍は日本軍が大同江を渡河する前に川を何とか増水させようと雨乞いをこころみるも当然効果などあるはずもない。
六月十四日、平壌城に籠もる朝鮮軍の大将・商彦は日本軍が一向に攻めてこないことを不思議に思い部下に探らせた、すると大同江は船でしか渡れないと日本軍は思い込んでいるふしが見られるとの報告を得た。
商彦はこの報告で愁眉を開いた、ならば敵は渡河する船のみを見張っていると考え機先を制すべく精鋭兵に深夜 日本軍が知らない浅瀬の王城灘を歩かせ日本軍一番隊の側面に夜襲をかけよと命じた。
深夜、朝鮮夜襲軍は夜陰にまぎれ王城灘を歩いて渡り、一番隊 宗義智が眠る陣営を強襲した。
寝込み突かれた宗義智軍は寝惚け眼で完全に浮き足だった、中でも天幕内に控えていた宗義智旗下の部将 杉村智清は敵の侵入を察知するや果敢に立ち向かったが多勢に無勢 数人を討つも遂には囲まれ討たれた。
この有様を目の前で見た宗義智は怒り心頭に抜刀し、敵兵を一喝すると襲い来る朝鮮軍の武将や兵らを数人を討ち払ったが 時既に遅し、朝鮮の夜襲兵らは日本軍野営地の奥深くまで侵入し多くの兵を次々に殺戮していったのだ。
ようやく四軍の将兵がこの夜襲に気付き集結を開始するや数に勝る日本軍の勢いは一気に沸騰した、朝鮮軍はこの早過ぎる反応に驚き夜襲はここまでかと遁走へ移った。
この時、逃げる朝鮮軍の背後に小西行長と黒田長政の数千の軍勢が襲いかかった、これにより今度は朝鮮側が防戦一方に陥り敵将・高彦伯はこれはたまらずと大敗に敗走し我がちに逃げる朝鮮兵らの大半が討ち取られ、また河まで逃げた兵らも大同江の深みにはまり溺死するものが相次いだという。
黒田軍はこの戦闘で惜しくも黒田正好(長政の従弟)を矢傷が元で失い、長政自身も矢で肘を負傷した、このとき黒田長政は逃げていく朝鮮軍が大同江の王城灘から歩いて平壌城へと逃げていくのを目の当たりにし、大同江には歩いて渡れる浅瀬がある事をこの時初めて知ったのだ。
深夜「夜襲!」と言うけたたましい声に叩き起こされた白兵衛は寝惚け眼で金傷医療班の天幕へと走った、着くと治兵衛と三郎が薄手のわら布団に白布をかぶせていた、また弦斎は二尺ほどの大薬籠を開け 中から金傷用の器具を取り出すと白兵衛を見つけ「金鍋に湯を沸かせ」と命じた。
白兵衛は金鍋を手に取り陣幕裏の水桶へと走った、桶に鍋ごと突っ込み水をすくうと駆け戻り昼間造った石を積み上げた急造りの竈に鍋を架け残火は無いかと灰を棒で突っついた、しかし種火はすでに消えており急ぎふところから火打ち袋を取り出した。
袋から鉄片と火打ち石を取り出し辺りを探し燃えやすそうな枯れ草を集め竈前に積んだ、しかし火打ち石を使うのは今夜が初めてだ、自信なさげに火花を枯れ草に向かって放ってみる、しかし何度叩いても火花は枯れ草に燃え移らず途方に暮れる。
(はぁ見よう見まねで石を打ってみたが そう簡単に火は付いてくれんよなぁ、百円ライターでもあれば早いのだが…)
そのカチカチといつまでも続く火打ち石の音に業を煮やしたのか治兵衛が天幕より飛び出してきた。
「白兵衛、ぬしゃぁ火も点けられんのか!このたわけがぁ」と大声で怒鳴った。
「貸せ!」と言うや白兵衛から火打ち石をもぎ取り懐から革袋を取り出すと中から柔らかそうな茶色の綿のようなものを一つまみ引きちぎった。
「おぬし熟艾は支給されなかったのか!」言うと苛立ったように白兵衛が積んだ枯れ草を横に押しやり熟艾を置くと二回ほど火打ち石を叩きすぐに口を寄せて吹きだした。
熟艾はフッと明るくなり煙と共に小さな炎が立ち上がった、そこへ白兵衛が盛った枯れ草をかぶせる、やがて火は大きく燃え盛った。
三郎は立ち上がると懐から熟艾の革袋を取り出し、手に持っていた火打ち石と鉄片をその革袋に放り込むと白兵衛の前に突きだし「熟艾はお前が持っとれ、なくさんようになっ」そう言うと天幕に戻って行った。
(助かったぁ)白兵衛は治兵衛の背中を頼もしそうに見つめ、気付いて炎の上に枯れ枝を数本放り込んだ。
鍋の湯が煮えたぎったころ金傷医療班の天幕に黒田正好がかつぎ込まれた。
すぐにわら布団に寝かされ瞬く間に鎧甲が引きはがされると下帯一つの裸にされて仰向けに横たわった。
焼酎に浸された布で真っ赤に濡れた胸板が拭かれた、しかし患者が苦しそうに息するたび血泡がヒューと音を立てて噴きあがり何度拭いてもきりがなかった。
それを横合いから見ていた白兵衛は(傷は矢傷で左乳首の30mm横…あれでは助からないかも)となぜか思えた。
(第四肋骨の上、左肺静脈の僅か下、左心房筋を少し削られているかもしれない、鏃は胸膜を突き破り肺胞まで達しその矢を無理に引き抜いたから胸腔内に空気が漏れ入り 心臓や対側の肺を圧迫しているはず、それと己の体液と血液で肺はもう溺れかけている…。
肺の毛細血管還流圧は低い、この空気圧迫で肺の毛細血管を血液が通過できなくなっているはず、迅速に傷口の閉鎖と穿刺吸引を行ないまずは胸膜内圧を下げなければ血圧低下とショック症状を来たし死に至るはず…)
こんな医療所見がスラスラと脳裏を過ぎった、白兵衛はギョッとし今度は意識を以てその所見を反芻してみた、その瞬間自分は医者だったのかと一瞬思った、しかし何度掘り下げても所見止まりでその的確な手術法は全くわいてはこない、要するに知識でしかないと感じた。
(医者じゃなかったら俺は何なのだ…)
そのときCTかMRIが有れば現状の肺の状況や穿孔程度が解るのにと思いハッとした、CTかMRI…何じゃそれ!、その瞬間 MRIの図面や構造が脳から溢れるように涌いて出た。
(あぁぁそうだったのか…俺は…)破裂するほど溢出る記憶は止めどなく白兵衛は思わず膝を突き体を小刻みに震えさせた。
黒田正好は白兵衛が予見したとおり煎じ薬の効果は無く意識は戻らぬまま二日後に息を引き取った、弦斎の漢方医としての腕がどれほど優秀であろうとも真空ポンプや穿刺吸引など知るよしも無く、また三郎や治兵衛にしても外傷の化膿止めぐらいが限度であろうと この時代の医療レベルの拙劣さに想いが行った。
黒田正好が担ぎ込まれた一刻後、今度は黒田長政が顔をしかめ金傷医療班の天幕に入ってきた。
床几に座ると早々に治兵衛が甲冑・篭手・脇楯を外していく、すると横合いから弦斎が手を伸ばし長政の左腕から白小袖と襦袢をはぐりだした。
その時長政が「痛!」と叫んだ、左肘にはまだ鏃が残り 折れた矢竹が襦袢に引っ掛かったのであろう。
「殿申し訳御座りませぬ」言うと弦斎は襦袢を摘まみ 浮かせるようにそっとはぐった。
白兵衛はこの有様を呆然と見ていた、正面に座る長政は左肘から血を滴らせ目は夜叉ようにつり上がり ともすれば顔が苦悶に歪むのを必死にこらえているといった風情だ。
「爺、肘の筋は無事かのぅ…」
「当たった部位が肘の外側でよう御座りました、鏃は筋を外れ上腕骨小頭の半寸深さで止まっており軟骨までは達してはおりませぬ、これならば十日もすれば肘は動かせましょう」
「十日もかかるのか…まっ仕方あるまい」
「では鏃を抜きますよってこれをくわえて下され」
弦斎は洗いざらしの麻布を幾重にも織って長政の口にくわえさせた。
「しっかり噛んでこらえて下され、なにすぐに終わりますよって」
「これ白兵衛 湯鍋をこちらに」
白兵衛は我に返った顔で鍋を弦斎の前に慌てて差し出した。
弦斎は鍋の中から先の尖った小刀と“やっとこ”を箸で摘まみ出すと湯を切って白布の上に並べ「殿、それではまいりますぞ」と一礼した。
まずは焼酎を傷口に大量に注ぎ小刀を手に持った。
「治兵衛と三郎 殿の腕と体を強く押さえてくれぬか」言うと肘に突き立った鏃の尾部に小刀をコジ入れグリグリと音をたてて骨ごとその廻りを切開していく、長政の顔は苦痛に歪みクーッとくぐもった悲鳴を漏らした。
「さて、ひと思いに引き抜きますよって我慢して下され」
弦斎は“やっとこ”に持ち替えると小刀で浮かせた鏃の尾部をしかと掴んだ、「えい!」と声を発し鏃を思い切り引き抜く、長政の口からウッと悲鳴が漏れ体全体が床几から数寸飛び上がった。
「さぁ抜けましたぞ、よう我慢された」弦斎は引き抜いた鏃を白布の上に置き傷口に焼酎を流し込んだ、長政の額からは零れるような玉の汗が噴き出していた
白兵衛は白布に置かれた鏃を見た、鏃には折れた一寸ほどの矢竹が伸び、それらに付着した肉辺や血で赤黒く染まっていた、それを見るや一瞬身震いし麻酔も無く骨に深々と突き刺さった鏃を抜くとは…自分ならたぶん卒倒していただろうと思えた、しかし長政は悲鳴こそ上げたが今は平然とした顔で座っている、白兵衛はこの時代の武士の剛胆さを思い知った。
以降、日本軍は長政の目撃により大同江の王城灘が徒歩で渡れることが知れ、六月十六日 全軍徒歩で浅瀬を渡ると平壌城に怒濤のごとくなだれ込んだ。
一方、平壌城の金命元と尹斗寿は夜襲部隊の敗戦を知るや日本軍が渡河する前に門を開き兵士と民は避難させ武器は池に捨てさせたのち自身らは平安南道の北方順安へと逃げ延びた。
日本軍は平壌城を無血接収するとすぐさま立札を立て、民らに戻るよう触れを出した。
その一方で城内に残された兵糧十万石余を押収し、世に言う「大同江の戦い」は日本軍の圧勝をもって終結したのだ。
これにより三番隊の黒田長政軍は援軍の役目も終わり、平壌城に残留する小西行長に見送られ担当守備地区である元の黄海道海州へ帰還していった。