第三十六話
誠二郎は気持ち悪さに目が覚め 呻きながら体を捻った、久々の二日酔いである、暫く俯せで耐えていたが喉元まで吐瀉物が込み上げ とうとう堪えきれず隣りの布団に寝ている多江に気付かれないよう そっと布団から抜け出すとふらつく足取りで厠へと向かった。
胃の中のものをすっかり吐き涙目を寝間着の袂で拭きながら閨に戻った…すると寝ていたはずの多江は起きており そっと湯飲みを差し出してきた、「起こしてしまったか…ごめん」そう言い多江の手から湯飲みを受け 乾ききった喉に流し込んだ。
障子から洩れる朝の光は弱く まだ朝六ツ前であろうか、昨夜は夜遅くまで大殿と三左右衞門の三人で呑み屋敷に着いたのが子の刻夜八ツ過ぎだったという、ほぼ酩酊状態で どうやって屋敷まで帰ってきたのか思い出せないほどであった。
朝五ツ半、いつものように馬で城に出仕すると三ノ丸に入った。
普段なら二ノ丸書院の御支配部屋に入り、各支配を集め朝礼会議を行ってから奉行部屋に行くのだが…今日はその気になれず主税奉行部屋に座ると部下に二ノ丸の御支配部屋に行かせ本日の朝礼会議は無しと連絡させた。
茶を飲みながら座卓上に山と積まれた未決書類に目をとめた、その途端 (はぁ)と溜息が漏れた、誠二郎は一度頭を振り 目頭を強く押さえると姿勢を正し、書類の一冊を手に取って目を通しはじめる、書類を読み承認欄に捺印をしていくうち何度も吐き気におそわれた、その度に手は止まり厠に走ろうかと身構えるも何とかそれには耐え 淡々と仕事をこなしていった。
いつしか未決書類の山は既決箱に移り 誠二郎は寛ぐように正座を崩すと煙管を取り出した。
煙草を詰め火を点け大きく吸い込んだ、しかし旨いとは覚えず一服吸っただけで灰を叩き落とした、しかし朝方のあの吐き気だけは知らぬ間に消えていた。
巳の刻四ツ半、大殿如水との待ち合わせのため誠二郎は供の者一人を連れ西門に向かった、その頃には二日酔いもようやく醒め ふらつきと頭痛は消えていた。
西門に着くと大殿如水はまだ来ていなかった、誠二郎は門衛に「今何時じゃ」と聞くと「もうそろそろ四ツ半と思われまする」と応えた。
すると胃の調子が戻ったのか急に空腹を感じた、朝はとても食べられる状態になく茶も飲まずに屋敷を出てきた(こりゃ夜までもたんな)そう思いながら西門を出た軒先で佇むと中津川の堤に目をやった。
(昨夜呑みながら工廠副長の佐八郎を呼び、川向こうに迫撃砲の的となる仮小屋を造るよう指示したつもりだったが…あれは現実だっただろうか…)誠二郎は朧な記憶に首をかしげていた。
その時「遅れて済まぬ」とやってきたのは供四人を連れた大殿如水と三左衛門である。
「ご苦労様に御座ります、では参りましょうか」と誠二郎は快活に声を掛け先頭に立って工廠の煙突を目指し歩き出す。
「誠二郎よ、昨夜はあれほど呑んで今はそれほど元気とは呆れるわ、儂と三左衛門などは先程まで二ノ丸で吐瀉しながら唸っておったのだぞ」と如水は吐露し「もそっとゆっくり歩いてくれぬか」と苦しげであった。
誠二郎は(俺だけじゃなかったんだ)と苦笑し歩調を落とした、先回大殿を工廠に案内した季節は二月の初めで川面から吹き付ける風は刺すように冷たかった、しかしきょうは夏の盛り前というに太陽は容赦なく照りつけ、遮るものとてない堤道は逃げ水が揺らぎ燃えるようだった、やがて工廠の煙突が迫り黒々とした噴煙が見えた。
「誠二郎、以前来た頃と比べ工廠の規模が大きくなったように見ゆるが…」と後方より大殿の声がかかった、誠二郎はその声に振り返ると「川側へ十間ほど工場を広げましたゆえ」と応えた。
「ほぅ たった十間そこそこでこれほど大きく見ゆるものか」と感心しきりに如水は工廠正面を見ていた、しかし実際は工廠の正面幅は十間しか広がっていないが工廠の奥行きは倍近くも広がっていた、それは昨年の六月に工廠西側に化学肥料・農薬工廠を増設したからだ。
やがて一行は工廠正門に辿り着き 厳重なる警戒の門を入ると衛兵を横目にさらに奥の門をくぐった。
今日の入門受付所は人や大八車でごった返していた、この現象は化学肥料・農薬工場増設以降の現象で、誠二郎はこの通門渋滞を避けるべく現在西側に化学肥料・農薬工廠専用門の造作を急がせていたところだった。
全員が受付で氏名を書き胸に入門許可証が縫い付けられると、内門扉の右に作られた小さな扉が開かれ一行は中へと入った、三左衛門はもう慣れたのか扉上に頭をぶつけることはなかった。
誠二郎は先導して北側の工作工廠の入口へと向かう、ここでも衛兵のチェックを厳しく受け工作工廠に入る事が許された。
工作工廠の組立場まで歩くと以前展示されていた二寸七分榴弾野戦砲は既に撤去され、代わりに二寸七分迫撃砲1基と迫撃砲弾三発が展示されていた。
大殿如水はその横を通ると足を止め展示された迫撃砲に顔を近づけた。
「ほぉ…これが昨夜聞いた迫撃砲なるものか、それにしてもなんと小振りな砲じゃこと」
そう呟きながら砲身を手で触り、砲口から中を覗いたりして「こんな薄い砲身で砲身炸裂の心配はないのかのぅ」と不審顔で誠二郎を振り返った。
「大殿、この砲は花火の打ち上げ筒と思って下され、花火と同様に打ち上げ初速は低いため発射薬は少量でよく、別段金物でなく木製筒に箍嵌めでも可能な砲で御座ります」と応えた。
「そんなものか…」と如水は納得のいかぬ顔で隣りに並んでいる迫撃砲弾を見た。
「ほう…弾は球ではのうてこんな形をしておるのか」と言いながら興味げにひょいと手で握ると胸に抱きかかえた。
それを見た供の者らは「ギョッ」とした顔を引き攣らせおよび腰で後退を始めた。
如水はそれに気付き砲弾を落としそうに怯え 顔を強張らせた、誠二郎はすぐに砲弾を如水の腕から受け取り「火薬は入ってはおりませぬゆえ皆さん安心して下され」と微笑んだ。
「そうじゃろう、儂も分かっておったがお前らが逃げるゆえまさかと思っての…」と少し顔を赤らめ言い繕った。
誠二郎は砲弾を皆の前に掲げると「この部分に一貫目の炸薬が詰められ この羽根が砲弾の直進性を高めまする、またこの六枚羽根中心部の細筒には発射薬が詰められ、こうして迫撃砲の砲身内に砲弾を落としますと発射薬が爆発し砲筒より飛び出す仕掛けで御座る」と実際に砲弾を砲口に少し装入して説明していった。
「誠二郎、砲弾は三発有るがそれぞれ形が違う様に見ゆるが」と床に立てられた残る二発の砲弾を見つめ如水は首を傾げた。
「はっ、この二発は発煙弾と照明弾にござる、発煙弾は敵の目くらましに使い、照明弾は夜戦時 上空に打ち上げ一時的に昼の明るさを作り出す砲弾でござる」
これを聞き如水は「ほう、もうそこまで考えておるのか」と感心頻りに砲弾を見つめた。
試作した迫撃砲は、アメリカ製M29 81mm迫撃砲を模したものだ、諸元・性能は以下の如く。
諸元・・・口径:二寸七分(φ81mm) 砲身長:四十二寸七分(1,290mm) 重量:約十六貫(60kg)
性能・・・俯仰角:40度~85度 最大射程:三十二町(約3,500m) 発射速度:二十発/分
砲口初速:二町/s (218m/s) 砲弾:二寸七分迫撃榴弾・発煙弾・照明弾
迫撃砲は臼砲とも呼ばれ、この時代にも棒火矢・火矢筒と呼ばれる臼砲に似たものが有った。
その火矢筒の砲弾は羽根付きの木製棒に火薬筒を取付け導火線を仕込んだ時限木製砲弾で、導火線長さを調節して敵陣内や敵陣上空で破裂させるものであった、ゆえに目の前の迫撃砲はまるで火矢筒を模したかの様でもある。
この砲の砲弾は楕円状の曲射弾道を描き、砲口初速は低く抑え射程は短い。
また構造はいたってシンプルな火砲で、少人数で運搬・運用ができ操作もいたって簡便なため砲兵の運用に依らず歩兵が装備する砲であった。
この時代の道路整備されてない戦場への運搬を考慮すれば、野戦砲の如く威力は有るものの三百貫も有る重量砲の運搬などほぼ不可能だろう、ゆえに誠二郎はあの朝鮮時代に考案した打上花火もどきの迫撃砲を小径化した81mmクラスの中口径迫撃砲なら分解して数名の兵員で携行できると考え野戦砲製造を廃し迫撃砲に変更したのだ。
また迫撃砲は砲口初速は218m/sと低速に抑えているため各部の強度は低減でき、射撃時の反動は地面に吸収させるため駐退機や復座機といった複雑な反動制御機構も省略できる、それと砲口装填式(前装式)のため閉鎖機は不要となり同口径の榴弾砲と比べ格段に軽量・コンパクトな砲となった。
当然 命中精度と射程は犠牲にしなければならないが軽量ながら大きな「面破壊力」をもち 高い速射性や低コスト且つ短期間に製造できる点など長所は多く、誠二郎は本日試射を行い大殿の製造許可が下りれば来年の夏までに百門ほどこの迫撃砲を製造し、併せて兵一人でも携行可能なバズーカ砲百門ほども製造する予定であった。
展示された迫撃砲を詳細に見た如水は「銃の組立状況も見たい」と言い、供の者を連れ以前の倍近くに拡張された銃組立ラインの現場へと歩いて行った。
誠二郎と三左衛門はそれを見送ると現場に設えられた休憩コーナーに行き、冷水機から湯飲みに冷えた水を汲むと二人して椅子に腰掛けた。
この休憩コーナーには今年の春に据えられた冷水機と現場クーラーが設えてあった、冷媒は化学肥料工廠で生産されるアンモニアを使用し現代並みの冷えを確保していた。
三左衛門は冷えた水を飲み、汗で濡れた襟を寛げると冷風を胸元に当て「これはええ」と腑抜けた様に姿勢を崩した、一方誠二郎の方は煙草だ、朝方は不味い一服であったが汗をかいたからかこの上なく旨いと感じた。
二人は暫し寛いだあと互いに目を見合わせ会話に入っていった。
「誠二郎殿、大殿は明日にも名護屋に向かわれるが、いま儂らが進めておる農政改革の書類に早急に目を通していただき、認めを頂かなければならぬがそちの方はどうよ」
「それがしの方も大量なる書類がござるが…とても半日で見切れる量では御座らぬ、多分大殿はそなたらに任せたと仰せられることでしょうなぁ」と誠二郎は冷えた水を一口呑んだ。
「だから困るのじゃ、大殿の認めがないまま儂らがこのまま独断で改革を進めれば後で古参組に何と言われるか知れたものではない、うまくいけば良いが失敗すれば詰め腹ものよ」と溜息を漏らした。
「仕方御座らぬではないか、どうせ古参組からすれば儂らのやることなすことは面白うないものよ、ゆえに儂は既に腹をくくっておるのさ、貴殿もあきらめなされ」と誠二郎は笑った。
「おぬしは武士でもないくせに剛胆じゃのぅ、やはり下郎からの叩き上げは強いわ、そこにいくと儂のように生まれや育ちが良い者は かように弱いものよ」と嘯き声を上げた笑った。
そこへ大殿がヌッと現れた「お主ら気色ええほど寛いでおるが…」と言いながら二人の間に割り込むように長椅子に腰掛けてきた。
「おおっ…何じゃこの冷え感は」と如水は周囲に目を走らせ、冷風が吹き出すクーラーに目をとめた、すると如水は弾かれたように席を立ちクーラーの前に行って吹き出しノズルに手をかざした。
「こ…これは何としたことか、風が冷たいではないか」と眼を剥いて誠二郎を振り返った。
「大殿、これは冷風機と申しそれがしの世では各家庭に備わっている冷房器具でござる」と言い、立ち上がって湯飲み盆から器を取り出し冷水機のコックを捻り冷水を注いで如水に手渡した。
「大殿、呑んでみて下され冷えておりまするぞ」と如水の表情を見た。
如水は手渡された器を暫し見つめ恐る恐る口に運んだ、そして一口含むと目を輝かせ一気に呷った。
「おおっ何と冷たい水じゃ、これはええ もう一杯くれ!」と器を差し出した、誠二郎は微笑みながら器を手に取ると今度はなみなみと注いで返した。
今度は一口ずつ味わうように呑んでいく、そしてクーラーと冷水機を交互に見ながら「誠二郎には毎度 度胆を抜かされることばかりじゃ」と小さく呟いた。
三々五々銃器組立ラインを見た供の者等が休憩コーナーに集うと、珍しいクーラーや冷水機に集り煩いようにその仕掛けや構造を聞いてきた、誠二郎はどう答えてよいか少し思案すると庭の打ち水でその現象を語りだした。
「それは気化熱または蒸発熱現象と言い、液体が気体に変化するとき周囲から熱を吸収する現象をいい、その熱をうばって蒸発するため冷えるのです」と説いた。
しかし皆の顔付きから誰一人理解した者はいないと感じた、そんな説明程度で科学に対し五歳児レベルの彼らが理解出来るわけもなく実験を目の当たりに見せて説明しなければとも思ったが、そんな気も起こらず「さぁ、武器庫の方に案内しましょう」と皆を促した。
組立場を出ると川側に増設した武器庫へと皆を案内し頑丈な扉を開いた。
武器庫の広さは18m幅×50mの奥行きで背合わせ対の銃架が十五列並び、ほぼ銃架は満載状態にあった、皆一様にその量に驚いたのかそれとも部屋の寒さに驚いたのか…武器庫内は除湿のため夏は20℃に設定されていた。
「何と言う寒さじゃ、これも先の冷風機と同様の仕掛けか、それにしてもこの銃の量は何としたことか、一万数千丁と話しには聞いていたが…こうして直に見ると圧巻じゃのぅ、誠二郎ようやった」と如水は驚きを隠せないまま銃架の間を歩き、時折銃を手に掴み満足そうに頷き見惚れていた。
暫くして工廠副長の佐八郎が武器庫に入ってきた「工廠長、御申しつけの用意が調い申した、いつでも試射が出来まするが」と聞いてきた、「そうか、では模擬弾を数発撃って砲の迎角を微調整しておいてくれぬか、出来れば実弾一発で小屋を破壊するところを大殿に御見せしたいよっての」と小声で伝えた。
「分かりもうした、ではすぐに的合わせを行いまするゆえ頃合いを見計らって大殿をお連れ下され」と佐八郎は一礼すると武器庫より出ていった。
次ぎに武器庫より火薬工場に移動すると実包製造ラインを大殿に暫し見て頂き、火薬工場隣の巨大な実包倉庫も見て貰った、ここも武器庫と同様に湿度管理がなされ、実包がおさめられた木箱の山が霞がかかるほど遠くまで続いていた。
誠二郎はそろそろ頃合いかと覚え「大殿、迫撃砲の試射準備が出来もうしたゆえ参りましょうか」と声をかけ、一行を先導して扉を幾つもくぐり工場西奥の試射場へと案内していった。




