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第三十五話

 慶長二年二月、朝鮮への再派兵の命は豊前黒田家にも通達された、課せられた軍役は三番隊の筆頭にして兵五千と火縄銃二千五百丁、それに大筒六門と火薬五十樽である、これは文禄の役と同等の軍役だった。


そのころ朝鮮の黒田家在番地は釜山浦に近い機張郡で、黒田長政以下二千八百の兵が文禄二年より駐屯している、在番当初はおよそ五千弱の駐屯兵を擁していたが半島における戦況の停滞また明軍の撤兵などにより四年近い間に駐屯兵およそ二千が豊前に帰還していた。


よって出兵要請への対応は帰還した兵二千を再び朝鮮に戻す扱いとなろう、だが帰還した兵二千は殆どが雇い兵で在郷の農民や戦役募集で集められた者らである、再び集めるとなれば募集をかけるか農民の徴発を行わなければならない、だがこの兵役で兵一千については解決済みであった。


それは慶長二年に再出兵することは歴史から誠二郎や三左衛門には分かっていたこと、また二年前の文禄四年二月に大殿官兵衛より兵員増大の要請を受けた三左衛門がこれを担当し今年二月の時点で正規兵およそ一千の増員は終えていた。


しかし二年も係ってたった一千の増員では大殿が要求した秀吉の死去まで正規兵を一万にせよという要求などとうてい無理というもの、結局不足の一千余の兵はこの度も戦役募集と農民の徴発で賄わねばならず費用の捻出に誠二郎は頭が痛かった。


秀吉が死去するのは慶長三年八月十八日、あと一年と四ヶ月しかない これはどう足掻いても正規兵一万の達成はほぼ不可能、もし慶長の役で予想外の戦死者を出したならますます難しくなるだろう、三左衛門は誠二郎に会うたび兵の増員に嘆いていた。


一昨年は「穂首いもち」で減収し、昨年は肥料・農薬工場の新設でおよそ一万石の支出と慶長豊後地震の震災復旧費に二万石余を要し、また昨年四月から進めている農政改革の費用もばかにならず、ましてや慶長の役に必要な戦費の確保に頭を悩ます昨今、兵増員に回す予算など誠二郎にあるはずは無い。


ゆえに誠二郎は己の禄高六千石の内三千石を兵増員費用に充てると、三左衛門もそれに倣い三千石を供出し何とか兵増員特別会計の軽減を図ってきた…だが焼け石に水でこんな馬鹿げた経営をしていては先が思いやられる、そのため誠二郎・三左衛門は一層 農政改革に力をそそいでいった。



 それまで豊前黒田家は中津の本城以外に出城が大小三十近くも散在し、地方知じかたち行制もそれら出城の四割近くで行われており収支勘定報告は杜撰ずさんそのもので誠二郎は以前よりこれに目を付けていた。


この出城の城主は黒田家代々の大将・御支配クラスで現在殆どが朝鮮に渡海している、よってこの隙を狙った訳では無いが誠二郎の構想に賛同した三左衛門は昨年四月、黒田長政のお墨付きと大殿官兵衛の添状を得ると全領地の地方知行制をことごとく廃し蔵米制に統一していった。


この全領地蔵米制導入を改作法と呼び以後黒田家の農政の基本となっていくが、この農政改革の主柱である改作法を実施するにあたり農村支配の組織も整備していった。

黒田家は知行地をここ豊前に与えられた当初より以前の知行地と同様に村には肝煎・組合頭などの村役人を置き、さらに数十カ村を管轄する十村とむら肝煎を任命していたが これらの身分は農民であった。


ゆえに改作法の実施にあたって三左衛門は武士身分のこおり奉行と改作奉行という改作法に基づく新たな部門を主税部と同格に位置づけし、その管理下に農民身分の代表者として十村を位置づけることで農村支配の中央集権化を図っていった。


これにより農業生産力を高め、農民生活の安定や円滑な年貢の収納に期待できると誠二郎は踏み、この改作法と日本で初めて試される化学肥料・農薬の効果で今年秋の米収穫高を二万石増と読み、そして来年からは本格的に化学肥料・農薬が使用できることから六万石増、それと殖産振興による大幅な税収向上に大きな期待も込めていた。



 慶長二年五月上旬から六月中旬にかけ、名護屋の湊から黒田家将兵二千二百人が朝鮮に渡海していった、いよいよ慶長の役の始まりである、これより秀吉が死去する慶長三年八月十八日までの一年と二ヶ月の間は苛烈なる戦いとなろう、しかし慶長の役の結末を知る誠二郎にとってこの戦いの無意味さを知っているだけにやりきれなかった。


それは朝鮮に投入される兵や軍費はまるでドブに捨てるも同様でそこから何一つも生まれはしない、もし彼の地で死ねば犬死だろう、またこの役に投入される戦費は黒田家だけでも五万石を超えると試算され、秀吉たった一人の独裁者面子にどれほどの人命と金が失われれるのか…誠二郎はその虚しさに憤りを禁じ得なかった。


六月の初め大殿如水が総大将・小早川秀秋の軍監として釜山に滞陣することが決まった、如水は朝鮮に発つ前にここ中津城に三日ほど滞在した。


そして如水国入りの二日後、盛大な壮行会が行われ その日の夕刻に誠二郎と三左衛門は如水に呼ばれた、場所は二年前のあの二ノ丸奥書院である、誠二郎が部屋に入ると如水と三左衛門は壮行会で余程呑んだのか辺りかまわず大きな声で談笑していた。


誠二郎は襖を閉めるとその場で平伏し軍監御役の祝賀を述べた。

「おお誠二郎か、そんな堅苦しい挨拶などもうよいからおぬしもここに来て座れ、それと先程の壮行の折りは動き回ってばかりで殆ど呑んどらんかったじゃろう、そう思ってほれここに用意しておったのよ」


見ると座卓の上には豪勢な料理と酒が所狭しと並べられてあった、誠二郎は一礼すると座卓へ進み如水の前に対座した。


「まず一献傾けようか」そう言うと如水は塗りひさげを手に持ち誠二郎に盃を持つよう促した、盃は一回り大きくそれになみなみと酒が注がれ「おぬしの苦労話は今し方三左衛門から聞いた、ほんにおぬしばかりに苦労させ申し訳ないと思うておる、さぁ今宵は大いに呑もうぞ」

そう言うと如水も盃を取り一気に呷った。


盃を重ねていく内に久々に誠二郎も酔った、話しは自然と慶長に役の顛末へと移っていき如水は現地での戦いはどう推移していくのかと頻りに誠二郎に聞いてくる、だが誠二郎とてさすがに慶長の役の詳細顛末までは知らなかった。


「何じゃおぬし、覚えておらぬのか」と如水は焦点の合わぬ眼差しで誠二郎を見つめた。

「申し訳御座りませぬ、こんなことなら歴史をもそっと勉強しておればと今更ながらに後悔しておりまする」と応え、代わりにこの戦の無意味さを愚痴りながら「このたびは功名軍功などには一切とらわれず ただ無事な帰還のみを御心掛けいただき、兵士の方々も1人でも多く無事帰還できまするよう長政様にご進言下さいませ」と如水に懇願した。


この時、誠二郎は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ、それはこの無意味なる出征を取りやめ、日本で主だった武将がいない今、中央に軍を進め一気に政権を奪取するこそ得策であろうと…。


この行動はとりもなおさず秀吉を討つに他ならないが、如水にしても長政にしても秀吉を討つなど到底想像の埒外であろう、ゆえに言葉を呑み込んだのだが…この時 誠二郎は明智光秀の心境にあったのかもしれない。


その心境の裏打ちは、文禄三年の春より工廠で本格量産を開始した銃器類の備蓄量はこの三年の間で一万三千丁を優に超えていたからだ。

内訳は、歩兵9mm小銃七千丁、短機関銃三千丁、重機関銃一千丁、強力歩兵銃二千丁の備蓄を数え、ガンドリルマシン・ライフリングブローチといった特殊工作機械の配備以降は日々の銃器生産速度は三年前に比べ優に五倍は越えていよう。


また実弾の備蓄も 9x19mmパラベラム弾が百三十万発、12.7x99mmNATO弾が八十万発備蓄され、今や実弾の生産現場は自動化され、戦ともなれば日産十万発の生産さえ可能なのだ。


この裏打ちから渡海中の兵二千二百人を呼び戻し、領内に控える兵八百を合わせた三千の兵力を近代兵器に適合する訓練を施し、如水がこれを指揮したならば たった三千の兵でも政権中枢の大阪城を陥落させるに半日も掛からなだろう。


その実力の程を感じつつも誠二郎は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ、それは大殿如水ほどの軍師であればとうに考慮済みで、多分それ以上の軍略は考察済みと感じたからだ。


如水も何か言いたげに誠二郎を見つめていたが…急に顔を綻ばせると「最新鋭の銃器生産が今や一万三千丁を超えたと三左衛門が言うておったが明日にでも見せてはくれぬか」と如水は話しの方向を変えてきた。


「はっ、では早々に手配り致しましょうぞ。

それと銃器生産量は年内には大殿が命ぜられた一万丁の倍は超えようかと…但し大砲の方は未だ試作の域を出てはおりませぬ、と申しますのは以前大殿に模型を御見せした二寸七分榴弾野戦砲で御座いまするが、あれ以降開発は中止しておりまする」


「中止とな!ほぉそれはまた何故じゃ、何か難しい問題でも生じたのか」


「いえ問題などは…ありていに申せば金がかかりすぎ現状の黒田家財政では捻出は困難かと」


「そんなに金がかかるのか…」


「開発と設備調達だけでも最低一万石以上は…なお五十門も生産するとなれば…」


「なに!初期費用だけで一万石もかかるのか」と如水は眼を剥いた。


「それ以外に以前 模型をご覧になり気付かれたと存知まするが、図体大きく目方は三百貫ほどにもなり、これを戦場へ地引きするとなれば まず道路から整備しなければなりませぬ、それを考慮致せば実用には乏しいと覚えまする」


「そうか…では大砲はあきらめるしかないのか、んんそれではちと儂の計画に齟齬を来すが…」と意味ありげにボソっと呟き如水は酔いが覚めた目で盃を見つめた。


「いえあきらめたのでは御座りませぬ、その代わりと言っては何ですが迫撃砲なるものを現在開発しておりまする、これは口径二寸七分と 野戦砲と同口径でございまするが砲の総重量はたったの十六貫ほどで、分解して三人の兵が携行できる軽量砲で御座る。


なりは小そうござるがそれでも射程は一里ほども有り、弾頭には炸薬1貫ほどが詰められまするゆえ攻城戦に用いれば一・二発で天守を吹き飛ばせるほどの破壊力となりもうそう。

既に試作砲が五門ほど出来ておりますゆえ明日にでもその威力をご覧下さりませ」


「ほぅもう出来ておるのか、それは明日が楽しみじゃのぅ」

そう言うと再び酔いの眼差しに戻った如水は「さぁ呑め」と嬉しげに誠二郎と三左衛門の盃に酒をなみなみと注ぎはじめた。


二人は揃ってその盃を呷ると、続いて三左衛門が今度は自分の番だと言わぬばかりに、兵増員の計画やその資金源である農政改革について得意顔に如水に話し込んでいった。

その夜はこれまでの数年間の苦労を如水に聞いて貰えるだけで報われた思いになり、誠二郎と三左衛門は深く酔い痴れていった。

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