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第三十二話

 文禄四年二月、官兵衛は秀吉から肥前名護屋城の在番を命じられた。その半年後の八月になると今度は二千石の隠居料を与え御側衆に取り立て大阪城下に広大な屋敷まで用意したという。


官兵衛は秀吉の急な心変わりに不審を抱き、大阪へ向かう前に豊前中津城に立ち寄り 急ぎ誠二郎を呼んだ。


「誠二郎、この度の殿下の心変わりをどう見る、ただ単に儂を御側衆に加えたいだけか…それとも餌で釣って儂を誅殺するつもりか」


「………申し訳御座りません、秀吉様の御心ばかりは…」


「銃火器工廠の件がもしや殿下に気付かれたとか…或いは秀次様に接近しすぎ勘気を被ったということはないかのぅ」


「昨今の内外情勢と秀吉様の健康状態を鑑みますれば ご本人の不安は如何ばかりか、秀吉様はあと三年の御命です…晩年ともなりますれば昔からご昵懇の官兵衛様を御側に置きたいと思われても不思議など御座りますまい、それと中央から遥か遠い豊前で密かに製造される武器などに関心がいくなどはとてもとても。

また後の歴史でも大殿様(如水)が御側衆として大阪入りされ公家衆や大名衆の度重なる連歌の会に招かれたと記録にも残っておりまするゆえ…」


「そうか…ならば安心してよいのじゃな、ところで殿下の寿命は以前そちに聞いたが、最近儂も健康が優れぬ…まさか儂の方が先に逝くということはないか」


「はっ、それはもうまだまだ先のことで御座いまする…」


「そうか、まだ先のことか…ふむぅ儂の最後など聞いてみたい気はするがやはりやめておこう、でっ武器作りは進んでおるかの」


「現在は少々資金不足で…秋の実りを迎えませぬと」


「やはりそうか、おぬしには苦労ばかり掛けるが関ヶ原まではあと五年、よろしく頼み入る」


その後 官兵衛(如水)には三回ほど面談し、この時代の政治経済や社会情勢など誠二郎が記憶する歴史から掻い摘まんで伝えると官兵衛は安心したように八月の末 大阪へ発っていった。



 九月、秋の収穫間近に誠二郎は三左衛門を伴い領内の作柄状況を見て回った。

だが誠二郎は技術屋で三左衛門は軍人だ、素人の二人がどう見ても稲の出来足など分かるはずもなく当初は義務的にただ漫然と見て回っただけだ、しかし十日にも渡る巡視中に百姓からいろいろ聞かされ農薬を使用しないこの時代の有機農法の難しさが次第に分かってきた。


特に六月からの長雨と八月からの日照りにたたられ「穂首いもち」という稲病が蔓延し収穫量は例年を下回ると百姓らは落ち込んでいた。


また豊前の南部では「ゆうれい病」が発生し、その被害は深刻で発病した稲は枯死するか たとえ穂が出ても不稔となるらしい、またその他の稲の病気もいろいろ聞かされた、それら稲病を聞く内 どうやら病を発生させる病原菌はカビの一種でなかろうと思われた、が想像の域は出ない。


また稲に取りつく害虫も数多く有り、茎を害する虫、葉を害する虫、根を害する虫、穂や籾を食べる虫などその種類だけでも二十種ほどを知った。


この時代、殺虫剤・殺菌剤など有るはずもなく田植え時期に儀式を行い「豊作」や「害虫退散」を祈る神頼みしかなく、あとは人手で害虫をせっせと取りのぞくのみだ。


だが朗報として豊前西部では収穫後、刈り株に付いた害虫が越冬しないよう刈り株を焼いたり 土の中にうめたりし、また冬の間は水田に水を入れっぱなしにする方法や水田の周りの雑草を焼き払う方策などが行われ害虫駆除に効果があるという話を聞いた。


誠二郎はその話を聞き「害虫駆除法」として小冊子を纏め、それらを伝えながら各地を廻っていった。

しかし本音のところはその程度の駆除法では目論む収穫量にはとても覚束無い、やはり殺虫剤・殺菌剤や肥料の開発は必須と感じた。


一方農地を見て回る内、新田開発可能な地域がまだ多くある事にも気付いた、誠二郎らは百姓に何故こんな良地を開墾しないのかと聞いたが何処でも人手が無いと嘯かれた。


黒田家は文禄元年より領地内の若い百姓ら二千人余を雇い兵として朝鮮に送り 多くを病死や餓死させてきた、それゆえ百姓らは何を今さら白々しく聞くのだといった顔で誠二郎らを睨んだ。


土地があっても開墾する手が無い、だからといって慶長の役が終わるまで待つゆとりなどない。

未開墾地をざっと見ただけで六万石は増やせると試算できた、六万石も有れば兵五千は増員できそうだ、いかにも惜しいと三左衛門は悔しがったが百姓を増やす手立てはどうにも思いつかなかった。



 百姓を増やす方法は隣国より百姓を誘引する方法が最も手っ取り早いといえよう。

ここ豊前は海に面し背後は筑前・豊後に隣接している、もし百姓を誘引するならば隣国の筑前・豊後からだが、この時期は九州諸大名の殆どは朝鮮に兵を投じ何処も禄高以上の軍役に苦しんでいた、ゆえに自領の農民が隣国へ逃散するのを怖れ何処の大名も国境に兵を出し厳しく取り締まっていた。


豊前の南に隣接する豊後の大名 大友吉統は文禄二年一月 小西行長が平壌より脱出し鳳山を護る大友吉統の元へと逃げ延びたとき、彼はいち早く鳳山を捨て逃亡を図ったことで秀吉から勘当状が下され国を追われた、よって現在豊後は秀吉の直轄領として蔵入地に編入されている、そんな豊後にいまへたに手を出そうものならえらい目に遭うだろう。


一方西の筑前はといえば秀吉の甥である従三位・権中納言の小早川秀秋がこの年に筑前の国主になったばかりで神経は尖っている、ゆえにこの筑前の百姓らに手を出せば これもえらい事になろう。


結局二人は隣国より百姓を誘引する事はあきらめ他の手立てを模索する事になっていく、そんな或る日 中津から六里ほど西に行った赤松村の庄屋宅に一泊したときの事である。


二人は夕餉を馳走になり三左衛門は体を拭きたいと井戸端に出かけ、誠二郎は今日調査した内容を覚書帳に書き記していた。


「誠二郎殿、おぬしも体を拭いてくるといい今日は蒸し暑かったゆえ汗で気持ち悪かろう」と三左衛門が縁先から声をかけてきた。


「そうですなぁ、今宵は蒸し蒸しするゆえ明日は雨でしょうか」誠二郎は筆を止めず独り言のように呟いた。


三左衛門はそれを聞いて天を見上げた「月も星も見えぬよって雨かもしれませぬなぁ、まっ雨程度ならよいが颶風ぐふうや豪雨ともなれば折角実を付けた稲が台無しになるでのぅ、それと水害じゃ…あれは何年前じゃったか豪雨で中津川上流が決壊し濁流が相原村をはじめ八村に渡って流れ込み多くの田畑が消失したが…今年は収穫まで何事も無ければよいがのぅ」


「それは七年前の大雨のことですな、それがしも以前その水害の件は聞きもうした、なんでも一千町歩ほどが流され復旧に三年も係ったとか…水害は怖いですなぁ」誠二郎は言いながら 平成時代でも台風の通り道である九州に水害が多発したことを思い出した。


「ところで誠二郎殿、四百年後の世でも颶風ぐふうや大雨には難儀したので御座ろうか?」


「左様 この天災ばかりは時代が変わっても何ともなりませぬ、ただ颶風や大雨がいつ到来するかといった「予報」は早期に知らされ、民衆は到来前に頑丈な建物や高台に避難が出来るようにはなりもうした…それでも今と同様に田畑は消失し被害者も皆無と言う事はなく死者・行方不明者は出もうしたが」


「そうでござるか…天災は四百年たっても防ぎようはないということでござるな。

さて、明日には城に戻らねばならぬが…これで収穫期まで天災が無ければ稲の病害虫により一万石程は減収となりましょうが、そうなれば大殿の命である兵の増員は…今年は無理でしょうなぁ。


それはそうと誠二郎殿、農地を回って収穫量を増やす何かよい方策など浮かびもうしたか…儂はさっぱりじゃ、戦の思案はすぐにも浮かぶが こと農法に関しては儂では無理というもの、四百年後でも米の生産はしておると思うが やはり土地当たりの収穫高は今と代わり映えはしないのかのぅ」


その言葉を聞いて(んん…)と誠二郎は思った、そう言えば以前 新聞の日曜版に作物の収穫高推移のグラフが載っていた事を思い出した。


確か耕地1反あたりの実収石高(農業生産物を米に換算した生産高)は江戸時代初期には0.96石であったものが江戸時代を通し右肩上がりに増加を続け明治初期には1.45石までに達し、明治の後期からはその石高はさらに上がり続け平成の頃は4石まで跳ね上がっていたはず。


この現象は農薬や化学肥料の普及によるものと解説され、これを以前の有機農法に再び戻したなら収穫高は三分の一まで低下するだろうと有機農法の難しさを解説していたことを思い出した。


「三左衛門殿 思い出しました、四百年後では一反当たり四石近くも採れ、この豊前ならば七十二万石にもなりましょうぞ」


「な、なんと新田開発せずとも現状の耕地面積で四倍も増産できると言うのか…」三左衛門は眼を剥いてうなった。


「なんでじゃ、何をしたらそんな夢物語のようなことになるのじゃ、誠二郎殿の教えてくれ!」と縁先を駆け上がり誠二郎が座る座卓前に殺到した。


その血相を見て「まぁ落ち着きなされ」と誠二郎は苦笑した。


「それは農薬と化学肥料の賜物でござる、農薬とは稲や野菜に寄生する病害虫を駆除し、化学肥料は現在の有機肥料ではなく化学的に造った肥料のことでござる」


「誠二郎どの…おぬし何を言っているのかさっぱり分からぬ、もそっと分かり易すうに説明してくれぬか」


「んん…どう申せばよいのか」と誠二郎は天井を見上げ思案した。

「農薬とは簡単にもうせば毒薬のことでござる、この毒薬で病害虫を殺すのでござるが御存知の如く毒薬の致死量は殺す対象生物の体重で決まりもうす、毒薬が人に害を及ぼさないほんの少量でも極小の害虫にとっては致死量になりもうす、ゆえにほんの僅かな毒薬を田に流したり野菜等に噴霧するのでござる。


また化学肥料とは、いま百姓が使う堆肥は有機肥料と言い米や野菜の生育に必要な「有効成分」が堆肥中に含まれるためこれを用いるのでござるが、堆肥中に含まれるその有効成分は余りにも寡少のため その有効成分だけを人工的に造り出し苗に大量投与してやることで作本の生育を促すので御座る」


誠二郎は言いながら(農業や農薬・化学肥料のことなど何も知らないくせによく言うよ)それって当たっているのと自問しながら、新聞で読んだことを思い出し喋った。


「米や野菜の生育に必要な成分が堆肥に含まれているというが、その成分とやらは何なのじゃ?」


「それは肥料の三要素と言い 窒素、リン酸、カリウムを指し、さらにカルシウムとマグネシウムを加えて肥料の五要素とも申しまする」


「ちっそ・りんさん・かりうむ…なんじゃそれは、初めて耳にする言葉じゃが、もそっと分かり易く喋ってはくれぬか」


「んん 三左衛門殿、これを分かり易く応えるともっと不可解に聞こえますよって今宵はその成分名だけでも覚えて下され」


「それもそうじゃ、多分聞いたとて珍粉漢じゃろう、してその成分や毒薬…いや農薬とやらは おぬし造れるのか」


「それがしは機械技術者で化学は苦手でござる、故に今すぐにその製法は思い出せませぬが…時間を貰えば朧な記憶を繋げれるやもしれませぬ」と言ったものの全く自信は無かった。


「左様か…それにしても四倍とは、話し半分としても二倍 兵にしたら一万人以上は増やせよう、これは凄い、いや凄すぎるぞ!」と昂奮顔で三左衛門が叫んだ。


「それは皮算用というもの、農薬や化学肥料が例え出来たとしても試験や試用期間に数年は係りましょう、実現するのはいつの事やら分かりませぬぞ」


「それもそうじゃな…しかし今はそれに頼るしか手が無い事も誠二郎殿 心に刻んで下され」


「はぁ…やるだけやってみまするが…」と言ってはみたが、期待してくれるなとも言いたかった。



 翌朝十日間の領地巡視を終えた二人は中津へ向かった、その頃になると誠二郎もようやく乗馬にも慣れ以前は馬の後頭部しか見えず、また行き先などは馬に聞いてくれといったところであったが、今や緩やかに馬を歩かせ景色を堪能できるまでになっていた。


城に着くと巡視中に纏めた覚書帳を元に作柄調書や害虫調書など数冊の小冊子を作成し関係部署に配布した、それを終えると朧な化学の記憶を想い起こしそれらを繋げる作業に入っていった。


誠二郎は子供の頃から武器が好きで、為に火薬が造りたくて中学・高校はオタク集団と称された化学部に所属していた、そのとき化学実験でいろいろなものを実験したり生成し、窒素、リン酸、カリウムなどは何度も使いまた生成した事があったはずと思うも俄には思い出せなかった。


それでも日が経つにつれ一つを思い出すとそれを深掘りしまた他に繋げ関連づけて思い出す、そんな不確かな作業を続けながら年の瀬を越え文禄五年の正月を迎えた。


誠二郎の屋敷は姫路町から城寄りの武家町にあり、家禄六千石に相応しい広大さで家来も七十名ほどに増えていた、しかしその半数近くは現在朝鮮の機張城にあり、用人や与力衆を除く三十人余りは主税方と工廠の技術部に勤めさせていた。


正月一日に家来やその家族を集め盛大な新年の宴を催し二日目からは二日余りを多江と過ごした、そのころ多江は六千石の安田家奥方に相応しい気品と容貌を備えていたが妻ではなかった。


どれほど見目麗しく教養があろうとも朝鮮人である、それは下女以下の非人の分限だった。

多江は大殿官兵衛が慰み者として誠二郎に与えた性奴隷に過ぎず、朝鮮から共に帰還した者達も廻船上での出来事を見ており、また安田家の家来衆も薄々ながら気付いていよう。


故に正妻にしようにもそれはこの時代では不可能事であった、そのため誠二郎は屋敷内だけは彼女を正妻の分際として処するよう家の者らに厳しく言い聞かせ、また両班の姫君という生まれ育った品性がそれを裏打ちしてくれた。


誠二郎は当初 慶長の役が終息し朝鮮が安定したなら多恵を漢城府の親元へ帰そうと考えていた、だが四年近い歳月を共に過ごした今…とても帰せるものではない、大殿はこれまで重臣らの姫君を誠二郎の正妻に娶せようと何度も薦めたが全て断ってきた、それは多恵しか眼中に無かったからだ、正妻には出来なくとも多恵一人を一生愛すると心に決めていた、それゆえ多恵を朝鮮に帰すなど出来るわけがない、しかしいずれは多恵の心中や帰還の想いなどを聞かねばとも考えていた。


多江は今年二十一歳になった、以前にも増しその輝くような美しさと透き通るような白い肌は五十近い誠二郎を惑わせ夢中にさせた、ゆえに恥ずかしながらこの二日間は殆ど閨で過ごしてしまった。


四日目は多江を連れ姫路町の街並みを歩いた、呉服屋に寄り反物を買うとそぞろ歩きで街の賑わいを見たり店を覗いたりして遊んだ、通り過ぎる人々は多江の気品と美しさに圧倒され誰しもが眩しげな顔で振り返るのを感じながら二人は満足げに街を歩いたものだ。


五日目、新年四日間の休日を終え閨の疲れも癒えぬまま初登城した、城でも同様に新年の祝儀が執り行われ酒が振るまわれた、これを早めに切り上げた誠二郎は二の丸書院の御支配部屋に戻り顔を平手で叩き酔いを覚ました。


そして農薬・化学肥料に関し、この三ヶ月間で思い出しメモに記した記憶の断片をジクソーパズルのように丹念に嵌め込む作業に没頭していった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 私の作品で紹介している技術や道具に関しては自分なりにできる出来ないの判断をしているので、使えると思ったら好きに参考にしてもらっていいです。 米と麦を施肥と無施肥での収穫量の違いで米は3割、…
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