第二十五話
豊前国の中津城は周防灘に注ぐ高瀬川(中津川)の河口に築城された梯郭式の平城である、天正十五年 黒田官兵衛は豊臣秀吉より豊前六郡十二万石を与えられると天正十六年よりその領地の中心である高瀬川河口に中津城を築き始め、本丸・二の丸・三の丸はほぼ完成を見たが櫓や内郭はいまだ造営は続けられていた。
誠二郎一行は肥前名護屋を発ち緩やかな足取りで旅を楽しむように豊前へと向かった、そして四日目の朝 豊前の山国川を渡り中津の城下へと入った。
城下の賑わいは誠二郎が予想した以上に活況を呈し、方々では寺や武家屋敷そして民家の普請工事が進められていた。
一行は中津城の大手門前に着くと護衛兵二人と鉄炮組の二人を残し鍛冶らはそのまま城下の自宅へと帰した、そしてリ・タヘは一番年嵩の鍛冶 作左右衛門に懐き始めていたため誠二郎の住まいが決まるまでは取り敢えず彼の家に預けることにした。
リ・タヘは吉兵衛に手を取られ誠二郎から引き離されることを知るや蹲って子供の様に泣きだした、誠二郎はオロオロしながらタヘの涙を拭いてやり「チャムシ(しばらくの間)」を何度も耳元で囁きようやく納得させた。
鍛冶らが去ると護衛兵の一人に馬を返してきてくれと言いつけ、残った四人で大手門脇の門衛詰め所へと足を踏み入れた。
詰め所の役人に朝鮮から今し方戻った者で安田誠二郎と申すが御重役に面会したいと告げた。
すると門衛は「これはこれは朝鮮からお戻りとはご苦労に存じまする、なれど帰還者登録の取り扱いは西門で行っておりますゆえ、誠に申し訳御座りませぬが西門まで御回り下され」と丁重に入門を断られた。
仕方なく大手門より出て西門へ向かう、このとき鉄砲組頭の佐八郎が官兵衛付きの護衛兵に「朝鮮帰還者の通用門が何で西門になったんじゃろう」と聞いた。
「はてそれがしも初めて知りもうした…先月それがしが大殿と朝鮮に赴く際は大手門が帰還者取扱所であったものを…いつの間に、御重役様らの考えがあってのことで御座りましょう」と首を傾げた。
「御重役様と申しても今 城に誰がおるよ、殆どの重臣らは朝鮮に渡海されておるではないか、殿のお留守中に帰還者登録門を勝手に変えるなど不届きとは思わぬか」
「それもそうですなぁ、どなたが決められたのでござろう…」とまたもや首を傾げる。
「お前達、そんなこと どうでもよいではないか、何故そのような事に拘るのだ」と誠二郎は佐八郎を振り返って問うた。
「いえ…何と言う訳では御座りませぬが、今お城で留守居を仰せつかる御重役と言えば朝鮮より御帰国された御支配の桐山孫兵衛様しか思いつきませぬ、そのほかは普請奉行の益田正親様 それと時枝平太夫様ほどで、門の通用を変更できる程の御役では御座いませぬゆえ合点が行かぬと…」
「門のことぐらいで役権限が上だ下だと面倒臭いのぅ、どうせ風水か奇門遁甲の占術などで決めたのさ、それより西門はまだか」と誠二郎は疲れた様子で佐八郎に聞いた。
「はっ、そこの城壁角を曲がり三町ほど言った川端にござる、しかし西門とあらば御重役が詰める二ノ丸の表書院までは遠くなるよって まだ大分と歩かねばなりませぬが」と佐八郎は申し訳なさそうに答えた。
「何だ、西門とは目的の書院より遠ざかるのか…はぁ馬を返すのは早計だったか」と愚痴をこぼす。
西門に着くと帰着登録を済ませ門衛に城中の案内を請う、すると御重役に面会の御許可を戴いて参りますので暫し待たれよと一行は座るところも無い門前に立たされた。
(おいおい電話も無しかよ…今から歩いて二ノ丸まで聞きに行くったって…)
誠二郎は時の流れの悠長さにこの先が思いやられた。
門の左手には高瀬川が海に注ぐ雄大な景色が眺められた、四人は仕方なく小高い土手に上がり爽やかな風に吹かれながらその風景に暫し見いった、やがて馬を返しに行った護衛兵が戻ってきた頃ようやく門衛が戻り、どうぞこちらへと五人を城内に通した。
城内では各所で普請工事が行われていた、西門から入った一行は三の丸奥の城壁北側を進み櫓を迂回し辻を幾重にも曲がって内郭の二ノ丸表書院の入口に至った。
五人は表書院の二之間へと通され まずは茶が振る舞われた、誠二郎はやっと寛ぐように脚を崩し中庭の緑に目をやった、佐八郎が朝鮮に渡海する前はこの書院は工事中だったと言いながら書院の造作など見入りはじめる。
四半時ほど待たされると奥から一人の偉そうな男が入ってきた、そして五人の前にドカっと座ると「桐山信行(通称:孫兵衛)と申す、朝鮮よりの御帰還ご苦労様に御座る、して鉄炮番頭の井上佐八郎殿が急なる帰国、朝鮮より急使として参られたのか」と佐八郎を見た。
この重職 桐山信行は佐八郎を見知っているような口振りだ。
「桐山様 御無沙汰いたしております、それがしはこちらの安田誠二郎様の御供で参った次第で」
と昵懇の間柄なのか懐かしむ顔で応えた。
「はて、この御仁は初めて見ゆる御方じゃが…」
「それがし安田誠二郎と申しまする、朝鮮で長政公に召し抱えられた者にござります、ここに殿様と栗山善助様からの書状を預かって参りました、まずは御目を通し下さりませ」と油紙を開封し中より書状二通を取り出すと桐山信行の前に差し出した。
桐山はそれを受け取ると封の紙縒りを切り殿からの書状より検め、首を傾げながら次いで善助の書状に目を通した、そのとき一瞬顔が曇ったのを誠二郎は見逃さなかった。
「ふむぅ、殿様と御老職は貴公を甚くお褒めの様子じゃが…。
主税奉行で召し抱え一千石を賜るとあるが…この儂と同俸禄とは近年希に見る御取立てよのぅ。
しかしここに詮索無用とあるは如何なる事じゃ、また現状の各普請は中断しその予算で鍛冶場と工作場を作れとあるが 詳しくは貴公の指示に従って事を進めよとある、ほう…儂は聾桟敷かよ…」
明らかに桐山の顔には憤りの色が見えはじめた。
「それがしは普請には疎く俄に鍛冶場だ工作場と言われても協力は出来かねる、貴公 主税奉行というからには金の扱いには慣れて御座ろう、鍛冶工作場普請の費用捻出は全て貴公に御任せするゆえ勝手次第に事を進められよ。
これより普請奉行を呼ぶよって御差配して下され、それとここに書かれてある大屋敷を賜るとの件は現在 城の東に武家屋敷を普請中に御座るが…それを中断せよとの殿のおぼし召し、そうであれば大屋敷は難しゅうござるのぅ、まっ 何処ぞを探せば町人長屋に空きなどあるやも知れず、とにかくそのようなことは普請奉行の益田にでも聞いて下され」
急に突っ慳貪なもの言いに変わり
「益田殿を呼ぶよってここでお待ち下され」そう言うと書状二通を誠二郎の前に突き返し、立ち上がって部屋から出て行ってしまった。
一同は唖然とした顔で誠二郎を見た。
「俄に帰国した新参者が一千石のお召し抱えで詳細はその者に聞けでは…そりゃぁ面白うもないわなぁ」とぼそり誠二郎は洩らした、殿ももう少しは書きようが有ろうものをとこの先が思いやられた。
「それにしても桐山様の対応は不遜に過ぎまする、師匠の主税奉行職は殿が帰られるまでの仮職に過ぎず、本来であれば桐山様の上に就かれる御重職の御身分なのにあの態度はどうで御座ろうか」と佐八郎は憤懣やるかたなしといった体である。
暫くして一人の老人が二名の若い武士を連れて部屋に入ってきた。
「おう佐八郎 久しいのぅ」と今度の重職は気さくな感じの老人であった、「これは益田様、お変わりもなく御達者で」と佐八郎は先ほどまでの怒りはどこえやら、目の前の老人に親しげに返した。
「この御方が安田誠二郎様ですな、それがしは益田正親と申し普請奉行を仰せつかっておりまする以後御見知りおきを、それとここに連れてきましたは主税方の組頭 須田与五郎と今井源治郎にござります」紹介された組頭二人は畏まって誠二郎の前に平伏した。
「これまでの主税奉行は昨年の夏に朝鮮で流れ矢に当たり逝きもうした、ゆえに安田様がその後を継がれる事になりまする、それがし普請奉行を仰せつかってはおりまするが金勘定はいたって不得手、今後ともよしなにお引き回し下さるよう御頼み申し上げまする」と誠二郎に向かって深々と平伏した。
これを見て誠二郎も慌てて平伏した、それにしても腰の低い御仁である、俸禄が少し違うというだけで成り上がりの新参者にこれほど礼を尽くすなど余程出来た人物であろうと感心した。
後から聞いた話だが、この益田正親(通称:与助)は播磨国姫路近郊の貧農の出で、黒田官兵衛に取り立てられ下僕、薙刀持ち、徒侍を経て士分となり八十三石を拝領する。
こうして士分に取り立てられ姓が必要となった際に黒田長政の正室糸姫の義母・大匠院が益田氏の出であり大匠院のお気に入りと長政の勧めもあって「益田」の性を名乗ることになったと言う、学問浅く ゆえに読み書きは苦手であるとも聞いた、この時 益田正親は五百石の禄を拝し朝鮮出兵の折は足軽大将を務めた老練な武士であった。
「何でも鍛冶場と工作場を作られると今し方 桐山様に御聞きもうしたが、それがし普請方がその工作場なるものを請け負いまするが、予算は如何ほどを御考えでござりましょうや」
「いや全容までは試算しておらず建屋絵図面などあと十日ほど係りますよってそのとき貴殿と主税方と協議致しとうござる、あっ そう言えば大殿より貴公宛てに書状を預かっておりました」と誠二郎は懐から一通の書状を取り出し益田与助の前に置いた。
「おおこれは大殿官兵衛様からの書状、嬉しい限りじゃ」そう言うと満面の笑みを浮かべ書状を開いて「御無礼」と言って読み始めた。
「んん、書状では安田様関連の普請を最優先し、城と城下整備は後回しにせよとの仰せ…また安田様に極力尽くせとのご命令じゃが詳しくは書かれておりませぬ、それに工作場で製造する内容は関係者以外には一切知られぬよう厳重に機密体勢をとれとも書いておられますが…安田様、一体何を作られるのでござろうか」
「いやそれは殿よりの御達しでまだ申せぬ、この部門が確立し体制が整いましたならその時お教え致しまする」と誠二は申し訳なさそうに応えた。
「おっとそうでござりました、確かに詮索無用と最後に書いてありまする」
と益田は慌てて言い添えた。
「しかし先程 桐山様がえらい険相でお戻りでござったが…何ぞ殿より叱責の書状でも預かってこられたのでありましょうや」と益田は不審顔で聞いてきた。
「いえ何のことやら、それがしにはさっぱり分かりませぬが…」ととぼけて応えた。
「桐山様は四十前とお若うござるが衣笠久右衛門様とは昵懇の間柄で、お二方は馬が合うともうしましょうかよく似てござる、学才があり権謀術数に長け 家中では一番の出世頭と噂されておりまする、ゆえに悪いことは申しませぬ彼とは極力啀み合わぬほうが御身の為と存じ上げまする」
と何やら含む顔でアドバイスをくれた。
誠二郎はこれからの秘匿工作により他の御重役らとは軋轢が生じることだろうと憂鬱な気持ちになっていった。
「さて安田様、お住まいを何とかせねばなりますまいのぅ、しかしながら主税奉行で石高一千石と御聞きし、先の大殿の書状では戻り次第さらに加増するゆえ屋敷は余裕有るべしと書かれておりましたが…申し訳御座りませぬ 大屋敷は未だ手さえ着かぬ状況、大屋敷が出来上がるまでの当座だけ些か狭い家屋でござりますが普請が終わったばかりの屋敷が大手門より一町ほど東に行ったところに出来ておりまするのでそこに入って下さりませ。
大殿は安田様には格別な思し召しの御様子、城下整備は後回しにせよとの仰せでは御座りまするが今より城に近い一等地に安田邸を造作致しまするので出来上がるまでの一時 誠に狭い屋敷になりまするが御容赦のほど御願い申し上げまする」
(おいおいすぐに造ってくれるというのか…これは申し訳ない、だが独り身に大屋敷とは何と大袈裟な、いや待てよ…それほど家来を雇えと言う意味…)
「さてさて長旅でお疲れで御座りましょう、本日はこれまでとしこれより御屋敷に御案内いたしましょう、主税方の仕事始めは明日からとして今日の所はゆるりと躰を休めて下され、須田与五郎殿 おぬしの御上司様になられる御方じゃ粗相の無いよう新造の屋敷まで案内してくれぬか」と横に控える男に声をかけた。
こうして昼九ツ半(13時)には真新しい屋敷に案内され、鉄炮番頭 井上佐八郎と班長の田所吉兵衛はそれぞれ自分らの屋敷へ帰っていった。
護衛兵二人は官兵衛に申しつかったのかそのまま誠二郎の郎党に推挙され屋敷に残った。
二人の兵は年嵩の方が棚橋助三郎と言い、もう一人が木村重太郎と言った、誠二郎にとって初めての家来衆である。
二人は一旦家に帰り、両親に帰還の挨拶をしてから荷物などを持って夕刻には戻りますと言って出ていった、こうして誠二郎は大きな屋敷に一人ぽつんと取り残され やることもないため屋敷の中を見て回ることにした。
まず入口門は腕木門でその両側に中間所と六畳ほどの中間の間が設えられ、塀瓦で区切られた敷地の広さは千坪ほどもあろうかという広大さであった、その中に母屋と二つの離れそして土作りの蔵が建てられてあった。
まずは母屋から探検である、玄関を入ると八畳ほどの玄関の間が有り、その左に同じく内玄関の間が続き 奥に一の居間・二の居間・三の居間と続きさらに左に十坪ほどの土間が設えられ厨となっていた。
玄関右手は八畳ほどの一から四の間が続きその奥に三つの奥の間と合間が中庭を取り囲む様に造作され檜のいい香りが辺りに漂っていた、そして母屋両翼からは渡廊下で繋がれた離れへと続き落ち着いた佇まいを見せている。
誠二郎は母屋を見ただけでもう充分と思った、誠二が40のときローンを組んで建てた家などこの屋敷に比べたら犬小屋だろうか。
(これが狭い屋敷というなら新たに造作してくれる大屋敷とはどれほどの広さなのか…百人所帯と考えれば部屋数だけで三十室以上は必要、それに事務所や倉庫それと百人を賄うキッチン・リビング、また主人用の生活区域を考えれば…)と空想はどんどん広がり途中ばからしくなって考えるのはやめた。
(それにしても腹が減った、そういえば今後は誰が飯を造ってくれるんだろう、まさかあの二人の家来がやってくれるとは思えぬから外食になるのか…)と思った。
(どこか飯を食わせてくれる所は有るんだろうか)そう思い城下に出てみようと身支度を始めた。
(えーと鍵は…んなもん預かった覚えはない、あっ初めから無いのか しかし不用心だよなぁ、先ほど主税組頭が当座の費用にと大きな銭函を置いていったが…何処かに隠さなきゃ)
誠二郎は重そうな銭函を母屋最奥の部屋まで引きずると押し入れ奥に隠した。
(しかし泥棒ならすぐに見つけてしまうだろうが…金庫がなけりゃ仕方あるまい)
そんなことを考えながら門を出た、出て南に向かうと新築された寺が有り暫し境内を見入ってからその通り奥を左に曲がり街へ向かう、暫く歩くと屋敷町から町人町へと変わっていった。
(何か飯屋のようなものは無いのだろうか)と探しつつ歩いた、すると「飯と酒の瓢屋」と書かれた薄汚い暖簾がかかった店を見つけた、誠二郎はニヤっと笑い暖簾を跳ね上げると中へと入った。
暖簾の割には中は意外に広く小綺麗な佇まいを見せていた、中には四人ほどの客がいたが武士らしき者はいなかった。
誠二郎は空いた席に座ると(メニューはないのかな)と辺りを見回す、しかしそれらしいものは無く仕方なく客が食べているものを注視した。
一人は小さな鍋に入った雑炊のようなものを小鉢に装って掻き込んでいた、もう一人は麦飯に焼き魚と汁、あと二人は職人風で丼に茶色の練り物と汁が入ったものを熱そうに食っていた。
どう見ても 旨そうには見えなかった、(この時代…蕎麦切りとか寿司や天麩羅などはまだ無いのだろうかと思った)暫くして奥から婆さんがやってきて「なんば食べるかお決まりやか」と聞いてきた。
「冷酒と飯をくれ」と言ってみた、さてこれで何が出てくるのだろうかと期待を込めたのだが。
婆さんは「酒は濁り酒で飯は麦飯になるばってんよかか」と聞いてきた。
「米飯はないのか」と聞いたら「米!」と驚いたような声を張り上げ「有るばってん炊かんっち無か」と応えた。
(おいおい今から炊くのかよ)とあきらめた、白兵衛の頃なら麦飯と聞いただけで涎を垂らしたものだったが今は懐の銭袋には長着の前が垂れ下がるほどに銭が入っている、それに一千石の奉行と言うからには米飯ぐらい食べてもバチは当たらぬだろうと思った。
「仕方ない麦飯でよい、魚は焼き魚と煮魚 それに汁も頼む」と言った、「はいはいがとかったんやけんちゃ」と訳の分からぬ事を言って婆さんは奥に引っ込んだ。
(あぁステーキ、鰻の蒲焼きに寿司と天麩羅、この時代に落ちる最後の昼飯は確か2000円の骨付きリブ定食だったかな、こうなると分かってたらもっと旨いものを鱈腹食っておけばよかった…)
と思ったとき、(そうだ、自分で作ればいいんだ)と思った。
この時代洋食用の香辛料は無いだろうが日本食の材料なら全部揃っているはず、誠二郎は料理は得意と自負していたからもし俺が飯屋などやればさぞ流行るだろうと想像し思わずニヤっと笑った。




