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第二十四話

 昼八ツ半、馬や荷車も揃い一行は豊前に向け出発した、誠二郎は馬に跨がったが相変わらずぎこちない、朝鮮の女は馬のすぐ横に並び 誠二郎の袴の裾をしっかり握っていた、笠で表情は見えないが異国の地に連れてこられ どれほど心細いかと女の心情を慮った。


女は船を下りてから片時も誠二郎から離れず、常に誠二郎の着物の何処かを握っていた、この衆人の中で唯一 誠二郎だけを頼りにしているのだろう。


あの船上で沐浴した女が部屋に入ってきたとき誠二郎は驚いた、まるで土汚れたたけのこの皮を剥いたら真っ白な身が現れるように色白の美しい娘が姿を現したのだ、マントの前がはだけ艶めかしい裸が見えたとき誠二郎は思わず唾液を嚥下したほどだ、恥ずかしながら一瞬で体が反応したのを今でも覚えている。


一年もの禁欲生活を送り、女に対し生殺与奪の権を握る男であれば躊躇無く女をその場に引き倒し抱いていただろう、この女もこれまでさんざん男らのなぶり者にされてきたはず、それゆえ観念し こうして誠二郎の前に肌を晒し、幼いながらも己の躰を与えることで今後の庇護を目の前の男に委ねようと肌を晒したのだ、しかし誠二郎は女を一瞥しただけで再び計算書に視線を戻してしまった、正直言えばこの時はまるっきり数式など目に入っていなかった…。


据膳喰わぬは男の恥と思えどなぜか体がピクリとも動かなかった、それは女の美しさが尋常ではなかったからか、それとも年端としはもいかぬ少女が生きるため異国の男に媚びる姿は見るに堪えなかったからか…もし女が不細工だったら、もしふて腐れた態度だったら抱けたというのか…。


男の生理とは身勝手で不可解なものよと誠二郎は思った。

(美への萎縮か…はたまた自分の娘と同年代だからか、まっおおかたそんなところだろう)と勝手に断じて頷いてしまった。


だがこの旅の途中どこかの宿でこの美しい女を抱いてしまうだろうと予感めいたものも感じていた。



 一行は程なく肥前唐津の湊町に入った。

湊町に入ると先行した鍛冶の作左右衛門の案内で宿に導かれた、この波静かな唐津湾に面した町は一昨年までは名護屋城築城で多くの資材が本州より荷揚げされ賑わいみせたという、しかし今は名護屋城下へとその賑わいは移り寂れる一方だと宿の亭主がこぼしていた。


宿の亭主は一行が豊前中津の奉行一行と知るや久々の上客とばかりに普段使わない最上部屋へ誠二郎と女を案内した。

部屋に入るとすぐに女中が愛想笑いを浮かべ上等な浴衣と手拭いを乱れ盆に載せて持ってきた、こんな時代でも現代のサービスと大差ないことに驚き、用意された浴衣に着替えると窓辺に寄って夕闇迫る唐津湾を眺めた。


女はと言えば部屋に入ってから着替えもせず終始俯いて座敷の隅で所在なげに座っていた。

やがて女中が障子を開け、湯殿にご案内しますと声をかけてきた、誠二郎は窓辺から離れチラと女の方を見た、相変わらず俯いたままである、まさか一緒に入ろうとも言えず一人女中の後に続いた。


風呂から上がり部屋に戻ると夕餉の支度が整っていた、日本に来て初めての食事である、しかし期待したほどの馳走ではなかった、誠二郎は現代の旅館で出るような豪華な馳走を期待していたが…戦国時代に誠二郎が思う御馳走など有る訳もないと少しガッカリした、だが唐津は海産物豊富な湊町である 新鮮な刺身と煮魚が膳にのり熱燗が付いてこれは嬉しかった。


膳に着くと部屋の隅で項垂れる女に「こちらに来て食べないか」と声をかけた、その声に反応して女は誠二郎を見た、しかし言葉は通じなかったようだ誠二郎は仕方なく食べる真似を見せ指で膳を指し示した。


女は理解したのかオズオズ膳の前にすり寄り料理を見つめた、女にしても御馳走には違いない、誠二郎は箸を取ると汁を啜って見せた、すると女もそれにならい箸を取り汁の椀を持ち誠二郎に微笑んだ、少し嬉しくなり盃に熱燗を注ぎ一気に飲み干す。


女は余程腹が減っていたのか食べ終わりは誠二郎より早く、誠二郎がまだ食べているのに気付くと恥ずかしそうに下を向いた。


食事が終わり煙管を燻らせる、しかし美しい女が部屋にいるというだけでどうしてこんなに緊張するのだろうか、誠二郎は気分を紛らすため立ち上がった。


だが立ち上がったとてやることは無い、考えた末に変な思いにならぬよう部屋の隅に置かれた座卓に行き、荷から文箱を取り出すと計算書を座卓に置いた、そして船上での続きを始める。


暫くして女のことが気になりチラッと見た、女は膳の前に依然座ったまま寂しげに窓の外を眺めている、外は暗がりで何も見えぬはずと思うが、もの言うタイミングが掴めない。


書く手を止め計算書を見つめながら どうしたらこちらの意を伝えることが出来ようかと考えた。

その時 筆の穂先が目に入った(あっそうか筆談という手があったな、この女…その容姿や振る舞い方に現れる気品から並の生まれではないように思える、ならば漢字の読み書きなど理解出来るかもしれない)


誠二郎は「ちょっと」と女に声をかけ手招いた、そして半紙を取り出すと「姓・名」と漢字を書き、にじり寄った女に見せた。


すると女は暫し考えてから何かを早口で喋った、だが何を言ったのか全く分からない、仕方なく筆を差し出し 書く真似をして女に筆を持たせた。


女は筆を受け取ると机前まで進み何やら書きだした、誠二郎はその文字を見て驚いたまるで教本にでも出てくるような美しい文字だった。


書き終わると女は誠二郎の顔を見て文字を一文字ずつ差し示し司憲府大司憲的娘李多喜サホンブテサホンタル リ・タヒリムニダと言った。


(司憲府大司憲!と言えば朝鮮の官位で従二品相当…この女は両班の娘だったのか。

どうしてそんな高貴な姫君が捕らえられたんだろう、まっそれはおいおい聞くとして氏名はリ・タヒと言うんだ…)


誠二郎は女の顔を見つめ「り・タヒ?」と聞いた、女は嬉しげに「クレヨ、クレヨ」と二回発音した。

これで名は分かった、そのとき女の髪から再びあの異臭が漂った、行水程度では臭いまでは落ちないのかと思い、何とか風呂に入れる手立てはないものかと考える。


そのとき障子の外から「膳を下げさせて下さい」と声が掛かった、「入れ」というと女中が「もうお済みですね」と言いながら部屋に入ってきた、「先にお床を伸べさせて下さい」そういうと奥の襖を開け布団を敷き出した。


誠二郎は再び半紙に風呂・湯浴・洗髪と三行書いて女に見せた、それを見て理解したのかザンバラの髪を手で梳くと少し摘まんで鼻に近づけた、すると女の顔は曇り誠二郎から少し離れ恥ずかしげに俯いてしまった、この女も髪の臭いにようやく気付いたようだ。


布団を敷き終わり奥から出てきた女中に、「この女は朝鮮の者だが少々旅の汗で臭う、済まぬが風呂に連れて行ってよく洗ってはくれぬか、それと朝でよいから娘風に髪を結い直しくれ駄賃はたんとはずむよっての」と伝えた、すると女中は「へーっ朝鮮のおなごですか…それは言葉も通じず難儀なことで、分かりました二人がかりで磨き上げましょう、では膳を下げてから又伺いますので少々お待ち下さい」そう言って女中は出ていった。


再び半紙に「浴室洗身躰」と書いて女に見せ、立って乱れ盆から浴衣と帯を取り上げると女の膝に載せた、そして丁度来た女中に百文ほど渡して女を預けた。


誠二郎は座卓に戻って計算の続きを進めた…しかしどうにも暗算に集中出来ず妄想だけが膨れあがっていく、(計算はもう無理だな)そう思い筆を放り出しその場にゴロンと仰向けに倒れた。


(さてどうしたものか…)と襖一枚向こうの閨を思い浮かべた、布団はくっつけるように二つ並べて敷かれてある、今宵は一つ屋根の下であの女と隣り合わせで寝る事を思うと…はて、いまの酔いが手伝えば手を出さずには済まされまい。


(ええい、女が拒否したら潔くあきらめればいいのさ)

そう思いながらも股間を強く握ってしまう誠二郎である。



 次の朝早くに一行は宿を出た相変わらず空は澄み渡っている、女は朝方女中に髪を娘風に可愛く結ってもらったのがよほど嬉しいのか笠も被らず誠二郎の袴の裾を握り髪を見せつけるようにいつまでも誠二郎を見上げていた。


昨夜女は、二人の女中に躰の隅々を時間を掛け磨き抜かれ淡い紺地の浴衣を着せられた。背中まで延びた黒髪は綺麗に梳かれ薄く化粧も施され部屋へ戻ってきた。

誠二郎は知らぬ間に寝てしまったが物音に気付き起き上がった、その時目の前には目も覚めるほど美しい女が立っていた、襟足から頬にかけてぬめるようなその艶肌に思わず見とれてしまう。


暫く二人は見つめ合い、気が付いたように誠二郎は我にかえった。

(はぁっ…、とても抱ける女じゃない)漂う気品に怖じ気づくとはこのようなことかと頭の片隅で思う。


誠二郎はあきらめたように女を手招くと座卓前に座らせた。

その後 思いつくままに筆談し笑い合って過ごしたがやがて夜も更けていく。


目で女に寝ようかと見つめる、すると女の貌から笑顔が消えた、暫くして俯き加減で立ち上がり閨の襖を開け誠二郎を振り返る、それに促され女の後に続いた。


布団に入ると反対を向いて目を瞑った、だが寝つけるものではない 心拍が聞かれやしないかと両手で胸を覆う、暫くすると布団が擦れる音が聞こえ甘い香りが漂った、そして背中に熱い吐息がかかり震える手の感触が伝わる、誠二郎はギョっとするも背中に柔らかなぬくもりと女の甘い吐息を感じた途端 心はだらしなく溶けていった。


やがてその行為に及んだとき女は悲しそうにすすり泣いた、誠二郎はすぐに止めようと焦った、だが腰は意志とは別の生き物だ、事を終えると女は誠二郎の胸に顔を埋め暫く泣いていた。


その内すやすやと可愛い寝息を立て始める、誠二郎は枕元の煙草盆をそっと引き寄せ煙管に刻葉を詰めた、盆の種火に煙管を近づけ大きく吸う。そのとき行灯の薄明かりに照らされた淡く透けるような豊満な乳房とそれに続く品のある美しい寝顔が浮き上がった。


それは幼い面影を残す初々しい少女の貌だ、これまで暴漢どもにどんな仕打ちを受けたか知らねど…今この閨で少女は安心して誠二郎に躰をあずけ安らかに寝息を立てている。


その寝顔を見たとき…敵に躰を与え庇護を求める少女の哀れな心根を思うと勝手なもので誠二郎は取り返しの付かない悔恨と高貴な少女の身に起きた悲惨な境遇を想い胸がしきりと痛んだ。


四百年後に落とされたときのあの孤独感…異国に掠われた少女の孤独感、孤独の深さに違いはあれど 故郷に帰れぬ寂しさを埋めるものは人肌だけかもしれぬと このとき誠二郎は思った。



 誠二郎一行は旅を楽しむような足取りで南に向かっていた、やがて左手に大きく唐津湾が広がり波間に壱岐の島が朧に浮かび上がって見えた、今宵は博多の繁華な宿に泊まり明日は急ぎ足で豊前に向おう、目指す中津はもうすぐである。


これから中津でどんな運命が待っていようかと誠二郎は澄み切った天を仰ぎ見た、その時少女が袴の裾を強く引いた、見ると少女は朝鮮の方向を指差し何か言っている、しかしその言葉は海から吹き上げる風音にかき消され誠二郎の耳には届かなかった。

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