第二十二話
大殿 黒田官兵衛を囲み 長政、善助、誠二郎ら三人は朝鮮渡航以降の戦話や平壌攻略の顛末、そして開城、漢城での飢餓状況などなど一通り話終えると 次いで朝鮮の風俗や名所話に移っていった、だが話すうち大殿は酔いが回ってきたのか虚ろな貌になると次第に誠二郎に絡んできた。
「誠二郎、おぬし四百年後の世界から罷り越したなどと大嘘をついておるようじゃが…先程も殊勝な顔でビールなどと伴天連言葉を使いおったがあれも嘘であろう。
ここにいる長政や善助など手玉にとって旨く謀ったようじゃが儂の目は誤魔化せぬ、そろそろ有り体に申したらどうじゃ」と誠二郎を光る眼差しで見つめてきた。
「大殿 酔われましたか、儂らの眼は節穴では御座りませぬ、この者は確かに未来より来た者に紛れもなきこと、我々を信頼して下さりませ」と善助も酔ったのか少々鼻白んで官兵衛に食い下がった。
「善助!お前などに聞いとりゃせんわ、誠二郎とやら おぬし嘘でないと申すなら今ここで何か証を見せてみよ、見せれぬとあらば大嘘つきとして成敗してくれるぞ!」と凄みを見せた、しかしそれは顔ばかりで眼の奥は澄み 酔い痴れてはいないと誠二郎には見えた。
「分かりました」誠二郎はやおら懐に手を差し入れると何やら塊を掴み出し机上にそれを置いた。
それはゴトンと重そうな音を響かせ鈍い光りを放つ鋼鉄の塊だった。
皆 置かれたその黒い塊をギョッとした顔で見入った、それは禍禍しい鈍い光を放ち一見して怖ろしげな武器と見ゆる代物だった。
「これは自動拳銃という手持ちの武器で御座ります」
そう言うと誠二郎は鉄の塊を取り上げ銃把を握ると左手で下部のマガジンキャッチを後退させマガジンを引抜いた、次いでスライドをガシャッと音を立てて後退させた。
薬室に残った実包が跳出し、それを拾って机上に置いてから静かに引き金を引きつつ撃鉄を戻した、それはワルサ-P38を模した大型拳銃であった。
この銃の元となったワルサ-P38はドイツの銃器メーカー:カール・ワルサー社が開発した軍用自動式拳銃で第二次世界大戦中にドイツ陸軍に制式採用された銃だ。
この拳銃は誠二郎が好む銃の一つでもあり若い頃米国出張の折 友人に貸与を懇願し一時預かったときに分解して図面化した銃でもある。
拳銃としては強力な9x19mmパラベラム弾を発射できるプロップアップ式ショートリコイルの撃発システムにダブルアクション機構を組み合わせた自動式拳銃だ。
誠二郎は銃把に再びマガジンを叩きこみ安全装置を下げセーフティーポジションにすると実包一発とともに拳銃を官兵衛の手元へ押しやった。
「御覧下さい、これは漢城にいたときに作り上げた護身用の自動拳銃というものでござります。
射程は半町程と性能は劣りますがこの弾倉には八発の弾が収納でき、この引き金を引きさえすれば弾は即時に発射ができ、続けて八発が連射できもうす。
弾は機関銃と同様9x19mmパラベラム弾が使えホローポイント弾にも適用可能にバレル際のフィーリングアングルは緩やかにして御座る、それと弾を見て下され、ラウンドノーズの先端が切り取られており この弾が発射されれば 腕などは引きちぎるほどの威力を発揮いたしまする」
とここまで言ってから、思いついたように「この銃は大殿の護身用にと用意しておりました、どうぞ御受取り下さりませ」と結んだ。
誠二は言ってから つい夢中で外国語を使ってしまったと思った、しかしどうせ日本語で言っても分からないだろうからとそのままに官兵衛を見つめた。
官兵衛は黙って拳銃を手の平に載せ裏表を返しその工作の程を見つめていた、その時の眼の光はもう酔った眼差しではなかった。
暫く沈黙が続いた、長政も善助も驚いた顔で拳銃に見入っている、そんな中ようやく官兵衛が結んでいた口を開いた。
「んんこの拳銃と先日見た機関銃とか称したかのぅ、それらを見る限り今の世の物ではない、この様な物は今の銃工匠ではどう逆立ちしても造れやせぬ、いやそれ以前に考えようもない代物じゃて。
じゃからといってこれを俄に見せられ、それを以て四百年後の人物とは断言できぬ、そちが長政と善助に語ったという 後の歴史とやらを儂にも聞かせよ、なぁに朝までかかってもかまわぬ じゃがその内容次第ではただでは置かぬぞ誠二郎」
と静かに言い放った、その眼差しは素面の時と何ら変わらぬ威厳に満ちた眼差しに戻っていた。
文禄二年五月十九日、官兵衛と長政そして善助と誠二郎は釜山浦に来ていた。
そのころ長政は浅野長吉の指図により日本から輸送される兵粮米の入管や兵粮配分業務を命じられ釜山浦には頻繁に行き来していた。
この日は朝早く官兵衛一行を伴い東莱邑城を発つと朝四ツ前に釜山浦に着いた。
善助は官兵衛一行が肥前名護屋に渡海する船を調達すると一行をその廻船へと案内した、廻船は平戸の商人 稗田孫八郎所有の黒田家御用達の千石安宅船であった。
この廻船は名護屋城下の湊から兵粮米を積んで十日前に釜山浦に着き、今日朝鮮からの物品を積み名護屋城下へ寄港し平戸へと戻る船である、この船には物品以外にも塩漬けされた朝鮮の武将らの首や耳・鼻が詰められた桶、それと釜山の奴隷商人から買った婦女子も密かに船底に繋がれていた。
桟橋に横付けされた安宅船に官兵衛が乗り込むと兵二十名ほどが続き、その後に誠二郎の一行が乗り込んだ。
誠二郎一行とは誠二郎を筆頭に鉄炮組頭 井上佐八郎と小頭の田所吉兵衛、それに鉄炮鍛冶頭 太田源三郎とその配下六名の計十名である、これは官兵衛の申しつけで誠二郎が人選した者達だ。
この日の朝、誠二郎は三人の若き母衣衆には「大殿の御用で豊前中津に暫しの間行って参ります」と別れの挨拶を行い城門に向かった、途中井上佐八郎や銃工匠らと合流し皆手を握り合って故郷に帰れることを喜んだ、特に鉄炮二番組班長の田所吉兵衛などは誠二郎の引きで急遽御共に加えられたことが余程嬉しかったのか城門に着くまでのあいだ辟易するほど礼を述べていた。
それにしてもこれほど早くに豊前中津に帰れるとは誠二郎本人も思ってはおらず正直驚いた。
あの日 大殿官兵衛に問われるまま夜を徹して戦国時代から明治に至るおよそ三百年に及ぶ歴史を思いつくままに喋り、併せて技術発達史なども子細に語り大いに大殿を驚嘆させた、また長政には申しつけられていた上申書を渡し 明け方になってようやく解放された。
それから二日後、大殿と長政に呼ばれ「上申書は読んだゆえ早々に実行に移せ、ついては今月十九日に儂は名護屋に参らねばならぬ、その一行に其方も加えるゆえ豊前中津に行け…役職は当面は主税奉行で扶持は長政が帰るまでは一千石とするがそれでよいな」
そう言われ誠二は余りにも目論見通りに事が運ぶさまに驚き 同時に出来すぎ感に杞憂さえ覚えた。
長政と善助は見送りに船上へと乗り込み、誠二郎に領地での行動詳細や注意事項を噛んで聞かせ、また豊前中津城に残留する重職らに宛てた書状を渡すと「儂らが帰るまで無事に事を成し遂げよ」と肩を叩かれた。
長政は船頭にもくれぐれも粗相の無いよう厳しく訓令すると昼前に安宅船は帆を上げ桟橋を離れた。
船は釜山浦の入り江を出ると帆を一杯に膨らませ遥か対馬の北端を目指した、航路はまず対馬の比田勝浦へ夕刻までに入り、船中泊して次の早朝 波穏やかなれば壱岐の竜神崎を目指し一気に渡海する、壱岐で一泊すると翌日には玄界灘を渡り名護屋の湊へ入港する、順風満帆であれば三日で渡海できようか、幸いこの時期は対馬海峡は穏やかなはずと船頭も言っていた。
その日の夕刻 官兵衛一行らの安宅船は無事に比田勝浦に入り停泊した、誠二郎は出来れば上陸して宿で止まりたかった、というのも甲板上には上客専用の箱矢倉が二つあり、その後方一つの矢倉を四つに仕切った部屋に官兵衛と誠二郎がそれぞれ入ったが部屋内がとにかく臭かった。
魚の腐敗臭が矢倉内に充満し、途中官兵衛が怒り出し船頭を呼び叱りつけたが、前矢倉の方はもっと酷く ここが一番臭わないとうそぶかれた。
部屋に居ては吐き気が込み上げるため誠二郎は甲板に出て日中は潮風に当たって過ごした、ゆえにとにかく一時でもこの船から離れたかった、しかし水主らは上陸しても漁師村で宿など無く、歓楽出来るところなどさらさらに無いと言われ仕方なく鼻を詰めての船中泊となったのだ。
翌日も快晴であった、早朝安宅船は比田勝浦を出港し一気に対馬海峡を渡る、しかし途中より波が激しくなり船は上下に揺れだした、思えば誠二郎が船に乗った経験は今まで二度しかなかった、一度目は知多半島師崎から伊勢の鳥羽までフェリーで渡ったこと、それと琵琶湖で子供らと周遊船に乗った二回だけである、ゆえに船がこれほど揺れるものとは思ってもみなかった。
ただでも臭気で吐き気がしているのに船酔いが加わり堪えようもない、誠二郎は矢倉を飛び出ると船縁に這いつくばり胃の中のものを全て吐いた、それでも収まらず壱岐の浦に灯る明かりが見えるまでの五刻もの間 誠二郎は船縁で波飛沫を浴びながら青い顔で嘔吐き横たわっていたのだった。
その夜はふらふらの体で佐八郎と源三郎に担がれ壱岐の芦辺という漁村宿に転がり込んだ、誠二郎がぐったりと布団で横になっているそばで佐八郎と源三郎は朝まで看病してくれた。
一晩寝た翌日の朝には気分は治まり、猛烈なる空腹を感じ佐八郎が止めるのも聞かず飯を鱈腹食ってしまった、また船酔いしたら吐けばよいとの捨て鉢なる境地にあったようだ。
宿から船に行く道すがら 途中で大殿に追いついた。
「誠二郎もうよいのか、昨夜は苦しそうな喘ぎが儂の所まで聞こえておったぞ」と官兵衛が心配顔で聞いてきた、やはり大殿も船酔いし昨夜は宿に泊まったらしい。
「しかし酷い船じゃのぅ、もう一艘島津家の船が釜山浦に来とったがあれに乗ればよかったのじゃが…正直儂は島津が好かんのよ、彼奴に世話になるぐらいなら商人船で我慢しようと平戸の船に乗ったのが運の尽きじゃった、いやすまなかった誠二郎、儂さえ我慢すれば苦しみはなかったものを」
と殊勝にも大殿官兵衛が誠二郎に詫びを入れたのだ、あの大軍師官兵衛がこんな自分に詫びを入れた…それだけで誠二郎は舞い上がってしまった。
それよりも誠二郎に付き従う佐八郎と源三郎などは尊顔さえめったに拝めぬ殿上人が昵懇の殊勝さで師匠に詫びを入れていること事態が凄いことと捉えていた、どれほど師匠は偉い御人なのかと眼を剥きそのやりとりを震える想いで聞いていた。
やがて湊へと着き、船に向かって桟橋を歩いていたとき廻船の甲板上に四人の婦女子が風に当たっているのが見えた、誠二は朝鮮の地に落ちて婦女子を見たのは開城の街を歩いたとき老女数人を見たきりで、若い女を見るのはこれが初めてだった。
約一年の禁欲生活からか風に靡いた裾から垣間見える女子の白い脚を見たとき 情けなくも心ときめき、(あぁぁ女だ)と恥ずかしくも心奥で叫んでいた。
船上から官兵衛ら上客の一行を見つけた水主らは慌てたように大声を放つと婦女子らを甲板から船底に降りる階段口へ口汚く追い始めた、そのころ誠二郎は船縁と桟橋に駆けられた渡板を渡り船縁に足を着けたときだった。
婦女子の一人が行き遅れたのか水主に襟首を掴まれ目の前を引きずられていった、その娘は年の頃十六.、七だろうか苦しそうな悲鳴を上げ抗うも水主はその頭を容赦なく数度殴りつけなおも引きずりを止めなかった。
誠二郎はそれを見て咄嗟に血が上った「止めぬか!」と叫び前に飛び出し 娘の襟首を掴む腕を叩いて外しにかかった、その勢いに水主は驚き娘から手を離すと怒りに満ちた顔で誠二を振り返った。
「きしゃま偉そーに我を叩きやのっち、にしゃなんぞ船に乗しぇるか!すぐに降りろぅ」と叫び殴らんばかりに丸太のような腕を振り上げた。
誠二郎はその怒声に怯えた、この咄嗟に出た行動は自分でも分からず恐怖に数歩あとずさる。
そのとき誠二郎のすぐ後ろに控えた佐八郎が「無礼者!」と叫ぶと抜刀して誠二郎の前に立ちはだかった。それを見た官兵衛お付きの屈強なる兵ら五人が渡板を勢いよく駆け上がるとその水主を取り囲むや抜刀して身構えた。
水主は一瞬で震え上がりその場にへたり込んだ、その横で先の娘は恐怖に震えていた。
「よさぬか!お前達 刀を仕舞え」割って入ったのは官兵衛である。
「臭い船に乱暴狼藉の水主とあっては腹も立とう、誠二郎こらえてやれ」そう言うと震える水主の前へ進み その頭を蹴り飛ばすや「その素っ首切り落としてくれようか!」と凄んだ。
その時、前矢倉から船頭が悲鳴を上げて飛び出してきた。
「あぁぁ大殿様、水主が何か粗相を致しましたようで…」と震えを帯びた声音で言うとその場に土下座に這いつくばった。
「船は臭おて堪らぬし水主は乱暴狼藉、こんな不埒な廻船など今すぐ沈めてやろうか!」
「御勘弁下さりませ、水主は半殺しにして海に放り投げますよってどうぞ堪えて下さりませ、この通りに御座いますぅ」と船頭は頭を甲板にこすりつけた。
「それとこの娘は如何致した、何で黒田家御用船に女が乗っておるのじゃ、それと婦女子数名を見かけたが、あれは朝鮮のおなごであろう、さては人買いか!きさまら御用船で人買いを働くとは不埒千万、太閤殿下より人買いはまかり成らぬとの御触れが出ていることを知らぬとは言わせぬぞ!」
「そうは言われますが釜山浦で隣の島津様の御用船には三十人もの婦女子が船底に隠されておりまする、我等はたったの四人、どうぞお目こぼしを御願い申し上げまする」とガクガク震え始めた。
「数の問題か たわけ!…しかしここまで来て朝鮮に戻れとは言えぬよってこの度だけは目を瞑ってやろう、しかしじゃこの娘は貰っておくぞ 文句はあるまいのぅ、誠二郎この娘が気に入ったのであろう、おぬしにやるからもう我慢せい」
そう言うとニヤっと笑い船矢倉にさっさと入ってしまった。
「御武家様どうぞこの娘はお連れ下され、それと船底にあと三人おりますよって好みの女がいましたならそれも差し上げましょう、そ それでどうか御勘弁を」そう言うと誠二郎の前で膝をつき再び拝みだした。
誠二郎は何やら気色の悪い猿芝居を見せられたようで後味悪い想いに溜息をついた。
「先の水主は殺すでないぞ!」そう言うと横で震える娘の手を取り黙って船矢倉の扉を開けた。




