第十九話
殷々と轟く砲撃や銃撃音は次第に激しさを増していく、だが長政の心中は心ここに在らずといった具合で、秀吉が数年後に没することを悲観しているのか もの思いに沈んでいた。
栗山善助は窓辺に沈む長政の横に進むと「殿、しっかりあそばされませ、太閤殿下は御歳五十六…五年後に他界されるとあらば六十を超える大往生では御座りませぬか、殿 もう気に病みますな、御気をしっかりとお持ち下さりませ」と慰めた。
やがて長政は顔を上げると善助を見つめ「すまぬ近江長浜でのことを思い出すとのぅ…」そう言うと 目から涙を零れさせた。
「安田誠二ともうしたか、その方 そこまで知っておるなら殿下が残した辞世の句など覚えておらぬか」と長政は目頭を押さえ誠二を見た。
「はぁ…たしか秀吉様の辞世の句は“露と落ち 露と消へにし わが身かな 浪速のことは 夢のまた夢”が後世では知られておりまする」と応えた。
「浪速のことは 夢のまた夢とは…殿下には似付かぬ句よのぅ、未だ心残りがあったろうも、それも虚しいことと想われたのか…」
またもや長政は沈んでしまった、善助は振り返ると これ以上何も申すなといった顔で誠二を小さく睨んだ。
「殿、そう気を落とされまするな、この安田なるものが言った内容が全て真実とは限りませぬ、もしや作り話かも知れませぬよって…」
「何を言う!これほど理路整然なる回答に疑いを挟む余地などあろうか、この地に堕ちて一年も経たぬ者がこれほど詳しい情報がどうして語れよう。
もうよい!気鬱はこれを以て吹っ切るわ、こうなればとことんこの安田に聞いてやろうぞ、安田誠二とやら これよりおぬしが知っている全てのことを話せ」そう言うと部屋の廊下に控える者に向かい「酒を持って参れ!」と怒鳴った。
その夜、誠二の話は慶長の役以降の世の乱れ、特に誠二が知る限りの関ヶ原の戦いの顛末、その後の豊臣政権の没落から大坂の役とも呼ばれた慶長十九年の大坂冬の陣と、慶長二十年の大坂夏の陣で徳川家康が豊臣宗家(羽柴家)を滅ぼした顛末などを語り、次いで関ヶ原の戦いで官兵衛・長政父子は徳川方につき、軍功により筑前国五十二万三千余石を与えられ福岡藩を立藩、長政が初代藩主になったことや、黒田家はその後二百七十年間の長きにわたって栄え、明治の世になったとき帝より侯爵に列せられ華族となったことなどを伝えた。
その後は昭和・平成の歴史や善助が知りたがった武器の技術や製法、そして長政が興味を持った航空機の発達史や航空理論など理解は困難であろうが例えなどまじえ極力平易に話していった。
誠二はまたもや落下の夢に魘され飛び上がるように目覚めた、辺りを見ると誰もおらず部屋の会議机に伏せいつしか眠ってしまったようだ。
あれから明け方近くまで徳川幕府創設から終焉までの思いつく限りの出来事を披瀝し、次に武器製造に関わる近代から現代に至るまでの技術進歩を語り、また西洋で起こった幾多の戦争やその戦術、戦時特有の経済学までも話しはおよんだ、しかしそれ以降は久々に深酔したのか思いつくままに喋ったり、何やら秘密めいたことを談義した記憶はあったがよくは覚えていない。
誠二は立ち上がると大きく伸びをし本殿廊下へと出た、すると廊下に控えた上級兵士が「朝餉の用意が調うてござる、どうぞこちらへ」と言われその兵士の後に続いた。
廊下を幾重にも曲がると明るい部屋に通された、入るとそこには長政と善助が談笑しながら朝餉を食べている最中だった。
「おお誠二郎、起きたか お主もここへ来て早よう食え」と善助が手招く。
誠二は畏まって善助の隣りに座ると兵が漆塗りの折敷を掲げ部屋に入ってきた、それを恭しく誠二の前に差し出すと一礼して引き下がった。
なんと折敷には白飯が山ほどもられた椀と、身が厚く大きな干魚の炙り 味噌汁、それに青菜に香の物まで載っていた、誠二は絶句し暫く見とれてしまった、食べてもいいの…そんな顔で善助を一瞥し、椀を掴むとすぐに白飯を貪るように掻き込み始めた。
「おいおいそう急がずとも城を出るのは一刻後じゃ、もそっと落ち着いて食べよ」と善助に戒められ、横で見ていた長政が「誠二は余程腹が減っていたとみえる、昨晩も馳走をたんと食ったはずじゃが…まっ日頃は麦か粟しか食えぬよって仕方なかろう。
誠二よ、昨夜はそちの話を聞いて眼から鱗が落ちる想いであったぞ、儂は子供の頃より鳥のように空を飛びたいと何度思ったやら、それがそちの話を聞いてその可能性に心躍る想いよ、何と言うたか…そうハンググライダーと言うたな、それが出来たなら是非にも儂を乗せよ、今から楽しみじゃて。
それと話が変わるが そちの名じゃが誠二という名は武士として威厳が感じられぬ、よって誠二の後に郎を付け今後は誠二郎と名乗っては如何じゃろう」朝餉を食べ終えた長政が普段見せない高揚した顔で誠二を眩しげに見つめた。
「はっ、誠二郎という名を有難く拝命致しまする」正直 名前などどうでもよかった、今の誠二には目の前の白飯と身がふっくら焼けた干し魚しか目に入ってはいなかった。
「よし、これで決まった安田誠二郎と致そう、それと今日よりそなたは黒田家の重臣じゃ、今は戦の最中ゆえ扶持高は決められぬが追って沙汰するとして、役職を決めねばならぬが善助や 昨夜誠二郎が申した例の件を完遂するためにはどれほどの役がよいかのぅ…」と考える仕草に善助を見た。
「そうですなぁ…これより誠二郎には御家のため大事な役目を引き受けて貰わねばなりませぬ、その為には誠二郎が動きやすい身分へと引き上げねば我々がいない間 計画がうまく進みませぬよって、法外とは存じまするが侍大将級のお役目ほどは最低必要かと心得まするが…」
「何と…侍大将級とな、それでは母里太兵衛と同役ではないか…それはちと飛び過ぎやしまいか旧臣らが黙ってはおるまい、それにそれほどの大役ともなれば大殿にも御許しを頂かぬとのぅ」
「んん…ではこの朝鮮の地においては母衣衆程度の御役にとどめ、領地に帰り 誠二郎が例の大事を成し遂げれば それは彼の手柄となり、大殿の御許しは容易に得られようというもの、どうでござろう取り敢えずは母衣衆と致しては」
「そうか母衣衆のう、その程度の形骸役であれば母利太兵衛らも文句は言うまい、分かったそのように計らえ」長政は納得した顔で頷いた。
「これ誠二郎、いつまでも意地汚く食ろうとらんで殿に御礼を申さぬか」と誠二の食べ方に呆れ、慌ただしく箸を動かす不作法な手を叩いた。
「あっ、これは失礼致しました…でっ何のお話しでござりましょう…」
「……此奴飯に夢中で何も聞いておらんかったのか…こまった奴よ、おぬし今日より母衣衆の御役に就いたという事よ、十数段飛び越えての大出世ぞ!」
「はぁ…そうでござりますか、それは有り難くお受け致しまする」と言った端から善助が食べ残した炙りの残りに目を光らせていた。
「やれやれ…これが欲しいのか、ほれ持って行け、四百年後には人間とは皆こんな素っ頓狂者に成り果てるのでござろうか」と言いながら善助と長政はさも可笑しそうに誠二を見つめ笑い始めた。
朝餉の後、誠二は善助から今後のあらましや、御役の母衣衆とは何をする役柄かなど簡単な説明を受けた。
その話しによれば 母衣衆の母衣とは軍装品で、背中に装備する布帛であり存在の誇示と流れ矢を避ける効果を持つマントのようなものであろうと誠二は理解した。
そして母衣衆とは戦場においては殿の側近中の側近であり、主に伝令を兼ねた軍使の代名詞として使われ、上位御抱え武者の象徴だと教えられた。
「しかしそんな御役を頂いてそれがしが書状でも運ぶのでござろうか」と善助に聞いたとき。
「馬にまともに乗れないやつが何で伝令が勤まる、もうよい!おぬしは何も考えずに殿のお側にいつもくっついておればよいのじゃ、そのうち分かる日も来るだろう」と面倒臭そうに言う。
「そんなことより昨夜そちが申しておったあの恐るべき計画…殿はたいそう驚かれ いたく御喜びの御様子、しかしながら言葉だけでは通じぬ、よっておぬしが帰国するまでに噛んで砕いた上申書を策定し提出してくれぬか、それともう一度聞くが おぬし昨夜胸を叩いて本件の事 殿に請け負うと誓ったが…本当にやり遂げられるのだな」と目の奥を覗き込まれた。
その眼力に気圧され誠二は即答に「はっ、それがしにお任せあれ」と応えてしまった。
(そちが申しておった恐るべき計画…俺が一体何を計画したというのだ、酔った勢いで二人にとんでもないことを洩らしてしまったようだ、また今もまかせろと言ってしまったが、はぁぁ昨夜俺は一体何を喋ったというのだ…何も覚えていない…)
その日の朝四ツ半(10:50分)白川城の全兵は軍列を整えると黒田家の戦幟をおし立て白川城の正面門より堂々と出で白川街道を一路開城を目指し行軍を開始した。
遠く八町ほど先には夥しい数の敵軍が扇状に取り囲んでいるのが見える、しかし予想通り彼らは近づいては来なかった、昨夜は敵を寝かせないため大筒砲撃や火縄銃三千丁を陽が昇るまで乱射させ、敵を五町半径から八町半径まで後退させたのだ。
何のための包囲網なのか兵等は首を傾げ敵兵を横目に見ながら開城を目指した、総員およそ五千の軍団は前衛に鉄炮隊二千人を配し、中央には大筒九門と槍組弓組の足軽・雑兵ら一千三百人、それに荷駄隊や人夫ら七百人が続き、殿には特に厳選された鉄炮組一千の兵で構成され、黒田家の戦幟や大家紋旗を翻し行軍していった。
黒田長政はほぼ中央に位置し、黒田家重臣はその前後を固めていた、誠二はと言えば母利太兵衛のすぐ後ろに続き、馬の手綱も覚束なく ふらついた足取りで馬上の人になっていた。
「ふん!おぬしが鎧兜に母衣を纏うとは…まったく母衣衆も地に堕ちたものよ、殿は一体何を考えてござるのやら呆れるわ、ほれふらついて馬に振り落とされるなよ」と先程より母利太兵衛の揶揄には辟易していた。
一昨日までは一介の小者に過ぎなかった白兵衛が今は母衣衆という上級武将へ昇格する快挙、己が一番驚いているのだから揶揄されても致し方なしとばかりに嫌味を言ってくる太兵衛には愛想笑いでも浮かべるしかなかった。
だが誠二はそんな母利太兵衛のイヤミより後続する弓組や槍組の足軽兵に混じって殿お抱えの金傷医療班が続いていることが先ほどから気になっていた。
金傷医療班の治兵衛や三郎が自分を見つけ近寄ってこないかと怯えていたのだ、それは彼らが行使した暴力や陰惨なる虐めは誠二の体に痛いほど染みこんでいたからだ。
城を出るとき治兵衛は馬上に真新しい鎧兜を身に纏った颯爽とした武将を見つけた。
(はて…あのような色白長身の武将が黒田家にいたかなぁ…)そう思い馬の前まで行ってしげしげとその横顔に見入った。
(あっ、白兵衛だ…)それが白兵衛と分かるや肝を冷やした、背に黒い母衣を着けているのをみると母衣衆だとすぐに分かったが…しかし何で奴が上級武将になれるのだと首をひねった。
一刻ほども歩くと治兵衛は辛抱たまらず彼一律の処世術であろうか、前方に走り出て母衣衆の横に列ぶと「白兵衛様、御出世お目出とうに御座いまする、今後ともよしなにお引き立て願わしゅう…」とひれ伏さんばかりに頭を下げ愛想顔で誠二を見上げた、しかし目だけは笑っておらず羨望の光が痛いほどに突き刺さった。
それを感じたときゾーっと鳥肌が立ち、反射的に馬から降りて挨拶せねばとジタバタするも右足が鐙から外れなかった。
その時 後続の若き母衣衆である稲垣寅左右衛門が後ろから迫り「この慮外者がぁ!行軍中に母衣衆に声を掛けるとは何事か!」と手に持った短鞭で治兵衛の顔をしたたかに打った、治兵衛は悲鳴を上げ仰向けに転んだが、顔をひきつらせ脱兎の如く一目散に後方へ逃げていった。
(たすかったぁ)と思うも、もう自分は小者ではなかったと気付き、どうしてもっと鷹揚に対応出来なかったのかと悔いた、しかしあの治兵衛の眼に見つめられると何故か竦んでしまう誠二である。
夕刻、敵の攻撃に晒されることもなく開城邑へと入った、開城は北に松岳山をひかえ東南に礼成江、漢江、西山に臨津江が流れ、山と河に囲まれた自然条件に恵まれた都だ、まさに風水説のいう栄える場所と言えよう。
徒大将級の上級士官らは開城の城に入り、それ以下の士官や足軽らは接収した儒学堂や両班の広大な屋敷へ分宿した。
誠二は黒田長政に従って入城すると、内郭右手の洞泉殿を黒田家の宿舎としてあてがわれた。
母衣衆は長政の部屋から二つ置いた部屋を区割りされ、同輩三人は鎧兜や母衣を脱ぐと手足を伸ばし寛いだ、誠二は皆に倣い具足を脱ぎ始めたが着せられたときその順序をよく見ていなかったため皆に隠れるようにしてジタバタして汚く脱いだ。
具足を片付けようやく窓辺にもたれると外の景色を眺めた、この開城は昔 高麗の首都だけあって城は広大で江陰城や白川城の如く出城とは訳が違った、誠二はこの地に落ちて初めて城らしい城に出会ったようだ。
そのとき同輩の稲垣寅左右衛門が窓辺にやってきた「このたび新たに母衣衆筆頭になられました安田様で御座りまするか」と人なつっこい笑顔を見せた、歳の頃は二十を二つ三つ越えた辺りであろうか育ちの良い顔付きの青年であった。
そう見れば誠二を除く母衣衆の三人はいずれも稲垣寅左右衛門と同年代にも見えた、誠二のように四十を超え彼らの父親ほどの初老武士などはいなかった。
「安田誠二郎と申す、以後お見知りおきを」と応えると「はて…黒田家の要職に安田氏なる御家は聞いたことがございませぬが、やはり黒田本家の縁戚に繋がる御方でござりましょうか」と聞いてきた。
「いえそれがしは尾張の出の者で…」
「ほぉう、これは太閤殿下の縁戚に繋がる御人で御座りましたか、これはこれはお見それ致しました」と分かったような顔で頷いた。
誠二はこの納得顔に特に否定もせずに頷いてしまった、以降 太閤殿下の縁戚に繋がる家柄と誤解され、また彼らの父親ほどの年齢と名目ばかりの筆頭役も手伝ってか同輩らは誠二を上官として接するようになっていく。
城に入ってまる一日が経った、しかし長政や善助からは何の知らせもないまま誠二はすることもなく日長一日を部屋でゴロゴロしたり城の郭をブラブラ散策して過ごした、しかし善助が言った「帰国するまでに上申書を策定せよ」が何の事やらと気にはなっており、また帰国する日がいつなのかも聞いておらず折を見て恥を忍んでも善助に聞かねばと心を痛めていた。
そんなある日、日頃より妙に懐く稲垣寅左右衛門から城下に出てみませぬかと誘われ初めて城下を歩いた、するとそこには朝鮮人の日常の暮らしがあり また街に賑わいがあることに驚いた。
占領中の都に敵側の庶民が同居する不思議…戦後GHQの占領下にあった日本もこれと同じような日常が現出したのだろうと誠二は想った。
街を一頻り見て歩き、途中で酒屋を見つけると朝鮮人らに紛れ薄汚れた椅子に座った。
酒はアラク酒という焼酎で大きな丼に注がれ出てきた、一口飲んだときアルコール度数は意外に低いと感じられたが先日 殿や善助らと正体を失う程呑んだことを思い出し自重し一杯だけに止めようと思った。
そんな思惑など知らぬ寅左右衛門は既に二杯目で盛んに誠二に呑むよう勧める、こいつ酔い廻ったなと感じた頃 誠二は何気ない顔で「母衣衆へ御役替えになったばかりで役の内容が正直よう分からぬのよ…」と寅左右衛門に洩らしてみた。
「御役が分からないとは…筆頭殿はまた面白いことを仰る、ではそれがしが御教えしましょう」と虚ろな目で誠二を見つめ 戯けるように胸を張り、丼に口を付けグビッと一口呷った。
「元来黒田家には母衣衆などという御役などありませぬ、その昔 信長様が馬廻から選抜して使番として用いた黒母衣衆や赤母衣衆が御座って、その職制を参考にしたと言われる豊臣家の黄母衣衆などが世に知られておりまする。
我が殿が朝鮮釜山に上陸したおり、黒田家の縁戚に繋がる我等らに御役が無いのを憂い、可哀相にとでも思われたのか これを真似て急遽創設した形ばかりの御役なのです…。
ゆえにそんな殿の慈悲を慮れば我々だって朝鮮に来たからには母衣衆の本業である使番などを果たしたいのですが…御重臣方はそんな危ない真似はさせられぬと坊ちゃん扱いにしおって…こうして無聊を託つ日々で情けない…」と急に意気消沈し焼酎を呷り始めた。
その後の稲垣寅左右衛門が語った話を総合すると、昔 映画で精鋭の武者が本陣と前線部隊の間を赤いマントの背中を膨らませ騎馬で戦場を駆け巡る勇ましい姿を見たことがあったが、あれが母衣衆であったのかとようやく理解した。
しかしそれに比べ同輩の母衣衆はどう見ても精鋭の武者と言うには程遠く、鎧兜を脱いだ目の前の寅左右衛門などは誠二の肩ほどの背丈しかなく、刀を腰にさせばその重さにふらつくような脆弱な筋肉しか持ちあわせていないのだ。
誠二はこの時 殿や善助が言った「形骸役であれば母利太兵衛らも文句は言うまい」と「そのうち分かる日が来るであろう」の意味がようやく理解でき疑問の一つは氷解した、しかしもう一つ残る「恐るべき計画」だけは未だ思い出せなかった。




