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第十八話

 白兵衛はその夜 警護の兵十人に護られ白川城へと退避した、そして一時半後の夜四ツ半(22:30分)江陰城では敵を迎え討つべく槍組、弓組、鉄炮組、雑兵らがそれぞれ城外の決められた持ち場へと潜み待機した。


鉄炮組の一番組と二番組そして槍組と雑兵らは礼義河向こうの森に潜もうと河原へ駆け降りた、普段なら礼義河に架かる橋を渡るところだが、竜泉城の将兵らが江陰城に撤兵したのを機に橋は打ち壊されていた、為に一千にも及ぶ兵らは腰から下のものを全て脱いで渡河するしかなかった。


季節は一月の初め気温は零下五度前後であろうか、この辺りの平野は北の峰々に遮られ積雪量は比較的少ない、また正月からの晴天続きで僅かに積もった雪も殆ど溶けてはいたが、それが氷結し足元は不安定この上なく、それにもまして寒風吹きすさぶなか 川幅二十間ほどの川なれど川面に張った氷を割りながら腰まで浸かっての渡河は兵等にはきつかった。


岸に上がった兵等は歯をガチガチ鳴らし震えながらも急いで厚手の裁着袴たっつけばかまを履くと寒さしのぎのためか全員が全速力で森へと駆けだした。


その後 森奥右翼に陣取った鉄炮二番組二百五十の兵は凍えながら敵の来襲を待つ、組頭の井上佐八郎は機関銃に弾倉を装填すると早足に兵らを見て廻った。


佐八郎が怖れるのは火縄の種火だ、もし敵の斥候にでも見つけられたら作戦そのものが瓦解してしまう、佐八郎は小頭らに注意深く指図すると前列だけは自分の目で見て廻った。


今宵は漆黒の闇だ、それに引き換え川向こうに見える江陰城は不夜城の如く煌々と照り輝いて見えた、城内そして城壁にはこれでもかと言うほど篝火かがりびが焚かれている、これを敵が見たら日本軍は明らかに城内でひしめいているように見えるだろう、しかし城内には四百にも満たない雑兵や人夫らが篝火を絶やさぬよう慌ただしく篝籠かがりかごへ松材や脂を投入しているに過ぎない。


夜九ツ(23:40分)一老の栗山善助の読み通り 明・朝鮮連合軍の先鋒が江陰城西を流れる礼義河手前へ無数の松明たいまつを携え進軍してきた、そして井上佐八郎らが潜む目の前の草原に続々と集結し、瞬く間に三町ほどの広大な草原は夥しい数の兵に埋め尽くされていった。


またこの草原から峰泉邑に続く街道には松明たいまつを灯した行列がまるで真っ赤に染まったムカデのように つづら折りの街道遙か彼方まで続いていた。


井上佐八郎は想像を絶する敵の総力に怯えた、また息を殺し呆然とその光景に見入る兵等も寒さだけの震えでは無い。


本当にこの大軍を押し返せるのだろうかと佐八郎は想う、もし作戦が失敗したら一番に敵の逆襲を受けるのはこの森に潜む一千の兵達だろう、佐八郎は後方を振り返り もしもの時の退却路を模索し始めた。


夜九ツ半(0:45分)無数の松明を携えた数千の敵は渡河を開始した、それはまるで光の帯が地を這うように見え やがて怒濤のような喚声が上がると光帯は分岐し太い帯は直角に曲がり城正面へと向かい、細い帯はそのまま直進に白川街道へと流れた。


篝火に照らされた江陰城正面門にその光帯の先端が届こうかというとき、天地を揺るがす大音響が轟く、するとその大音響の衝撃波で光が吹き消されるように前衛より将棋倒しの様に光が次々に消えていく。


その時 白川街道筋の丘より漆黒の闇を震わす大音響が轟き、間髪入れず乱れ打ちの轟音に変化すると正面門の轟音と相まって共鳴したのか五町離れた佐八郎が潜む森の木々さえ震わせた。


その大音響に白川街道に延びた光帯は止まり次いで逆方向に流れを変えた、その光帯は江陰城正面から後退する太い光帯とぶつかりあうと弾けながら礼義河へと逆行する。


銃声の大音響はその流れを追尾するように川岸へと近づいていく、井上佐八郎は攻撃の時機を窺っていた、どうやら作戦は図に当たったようだ、佐八郎は唇を嘗めるとほくそ笑み後ろに構える鉄炮奉行 田所助九郎を振り返った、しかし彼の兜は見えても表情までは分からなかった。


目前の草原には続々と逃げ帰ってきた敵兵で溢れ ひしめきだした、それは峰泉邑に続く街道筋へ逃げたくともあの赤く光るムカデは依然後退せず その頭は今や膨れあがるばかりだった。


佐八郎は機は熟したと思い機関銃を前方に向けて構えた、それを見た兵等は腰屈みに後ろを向くと光が漏れぬよう次々に火縄に着火していく、それを後方で見届けたは鉄炮奉行 田所助九郎は頃合いと見て大声で「撃てぃ」と絶叫を放った。


森側から五百丁の火縄の轟音が轟いた、朝鮮連合軍は「すわ!側方にも敵有や」と度胆を抜かされ草原に犇めいた塊は大河の如く引いていく、だが万に近い敵軍は恐怖の余り我がちに逃げるため佐八郎の目の前では阿鼻叫喚の地獄絵が現出した。


人の上に人が乗り その上にも人が登る、その背中に無慈悲にも無数の鉛玉がくい込んでいく、そして頃合いを見計らった四丁の機関銃が轟音と共に一斉に吼え始めた、佐八郎の前方は既に敵の肉塊に埋め尽くされていた、ゆえに狙う必要などない、ただフルオートで銃身を左右に振るだけで 一発として無駄玉は無かった。


火縄銃に弾を装填する合間を四丁の機関銃が補う、それゆえ森からの射撃には息継ぎはなく肉の塊が弾け敵の兵らは次々に倒れていく、佐八郎はまるで狂気が取り憑いたように機関銃を撃ちまくった。

白兵衛から連続十個の弾倉を使ったら銃身が冷えるまで待つよう言われていた、しかしそんなことなどもう頭には無い、昂奮は極に達していたのだ。


そんな時、新たな弾倉を装填し後退したレバーを戻した瞬間 機関銃が勝手に暴走し佐八郎は驚いて我に返った、慌てて弾倉を引き抜くとようやく白兵衛の注意を思い出した。


冷静さを取り戻した佐八郎は草原を見渡した、草原は悲鳴の渦に沸騰し街道筋の赤いムカデはようやく後退を始めていた、その時 礼義河の岸辺からそのムカデの頭に向かって一千数百丁の火縄銃が一斉に轟音を放った、それを合図に森側の火縄銃は止み、代わりに草原に逃げ惑う敵の側方に向かって五百の槍・抜刀の白兵が襲いかかった。


敵はもう訳も分からず街道筋へ泳ぐ様に退避を続ける、その背中に次々と長槍が突き込まれ 向かってくる敵には抜刀した兵等が斬りかかっていった。


草原から閉め出されるように圧迫された敵兵は死にものぐるいに街道へ殺到し小さくなったムカデの頭はすぐに膨れあがる、すると礼義河の岸辺から大轟音が轟きその頭は萎む、この繰り返しが佐八郎の目の前に展開していた。


暫くして川岸からの銃撃は射程外になったのか散発的になりやがて鳴り止んだ、敵は草原に屍を累々と築き、街道筋の入口付近には死体の山が築かれた、赤いムカデは峠筋をうねるように去って行く、槍組抜刀隊はその屍の山を乗り越えると追撃に打って出た。


作戦は見事に図に当たった、この守城戦で投入された火縄銃は一千八百丁にもおよびこれ程大量の銃を一斉連射した戦は朝鮮では初めてではなかろうか、これに加えて分速六百発の機関銃四丁が加わったのだから鉄炮というものの威力を熟知しない朝鮮軍は相当慌てたに違いない。


当時、朝鮮にも火縄銃に似た火器はあったが旧式で殆ど戦場に投入出来る代物ではなかった、また明が所有する火縄銃や南蛮式火縄銃は日本の銃と比べ桁外れに射程が短く威力も弱いため これらは今回の江陰城の攻城戦には用いていない。


それゆえ飛び道具は弓のみに依存していたのだが…弓を射る前に天地を揺るがす大音響と耳元を掠める鉛玉の衝撃波を初めて経験した連合軍側はその恐怖に逃げ惑い弓矢を捨てて我勝ちに遁走したのだ。



 やがて空は明るくなり江陰城の検分士が戦場の屍を検分するため正面門から白川街道、そして草原から峰泉邑に続く街道を広く検分し敵兵の死者数をカウントしていった、その結果 敵の死者は二千三百三十八体にも及び動けなくなった負傷兵は一千余を数えた、また屍が最も多かったのは森の手前の草原であったという。


また負傷者や屍が身にまとっている具足から 殆どが朝鮮兵と知れた、明軍は朝鮮軍を前衛に仕立て己らは後方でこの度の戦を眺めていたに過ぎない、これは平壌での攻城戦のときも同様であった。


今回の攻城戦での明・朝鮮連合軍の死者及び負傷者の八割は朝鮮軍であったことが検分で知れた、では残る二割は漢民族だったのかと言えばそうではなく明国によって征服され投降或いは拉致されたチベットやタイ・ベトナムなど東南アジア系の人々を兵士に仕立て最前線に送りこむは戦勝国の習い、この度の連合軍も先頭は朝鮮軍で次は明兵であっても東南アジア系で構成され最後に生粋の漢族明兵が控えていたのが実態だろう。



 朝四ツ(9:50分)、江陰城の全軍に撤退命令が出された、守城戦は敵の意表を突いた夜襲銃撃が図に当たり敵を追い払う事が出来た、しかしこの戦いで敵の消耗数は僅か一割そこそこ、依然敵の主力は温存されたままだ。


斥候の報告に寄れば敵は退却途中二手に分かれ、竜泉城と江陰城の中間辺りにおよそ二万が停滞し、一万ほどが別働隊として南下し途中東に折れ、現在は江陰城の二里南を白川街道に平行して東へと進軍中とのことであった。


何のために一万の兵を分け先回りするような挙に出たのか、早朝軍議では江陰城を東西から挟み撃ちするためだろうとか、白川城を先に叩き江陰城を孤立させるつもりではと論議されたが いずれも明軍の真意は憶測の域を出ない。


一老 栗山善助は「現在敵二万は西三里先、一万は南東二里先にあり、いまなら江陰城を放棄し出立すれば敵より先に白川城に着き、応戦の準備を整える時間もとれよう、よってすぐに出立致すゆえ皆の者 準備が整った組より急ぎ出立させよ」と命じた。


江陰城を捨て 命からがら四里先の白川城に全軍が到着したのは昼八ツ半(14:30分)頃だった、栗山善助は迎えに出た黒田長政に江陰城の戦況を報告すると一刻以内に敵三万弱の追撃軍がこの白川城に殺到してくると告げた。


この時黒田長政は江陰城から引いてくる栗山善助ら将兵が到着次第 小早川隆景や吉川広家らが護る六里先の開城(ケソン)へ走りそれらに合流するつもりでいた。


しかし敵がすぐ間近に迫っていると聞き まずは体制を立て直し反撃に出て敵を散らした後に全軍撤退した方が無難と考えた。


直ぐさま栗山善助の指揮の下、江陰城から引いた将兵らは白川城正面と街道筋に配置され白川城に籠もる二千の兵も全員を城外に出し城周辺に配備を終えた。


白川城は江陰城と同様 小高い丘上に造られ城裏は急峻な山を背にしていた。

前方は白川街道が通り 城の左は屹立した土手をなし右は傾斜のきつい丘に続いている、よって敵の容易な攻めどころは街道筋の正面に絞られよう。


夕七ツ半、敵の前衛が街道の東西両翼に現れると半刻ほどで城の前面に広がる畑や丘にも展開を終え白川城を扇の形に取り囲んだ、だがすぐに攻めてはこず静観の構えに時は流れた、昨夜の火縄の威力を目の当たりにし容易には近づけないのであろうか、敵は射程外の半径五町先で機を窺っていた。


睨み合いは続きやがて陽は暮れてきた、守城兵らはまたもや夜戦に及ぶのかと溜息を漏らす、昨夜は一睡も出来ず ほんの僅か仮眠をとっただけでそのまま白川城に退き、気温は零下五度前後であろうか 誰もがその場に崩れて眠りたい衝動に駆られ その疲労は極にあった。


しかし明・朝鮮連合軍に比べたらまだましかもしれない、彼らは平壌での死闘からそのまま三十里の道のりを小西行長軍を追って踏破し、休む暇無く江陰城の攻城戦にかかり、そして命からがら退散したが休む暇さえ与えられず反攻へと転じ今は白川の地で攻撃の機を窺っている。


たぶん四・五日はまともには寝ていないだろうし、あの速さでは兵粮の荷駄は到底追いつけないはず、彼らの疲労と空腹加減は想像を絶するものであろう、そしてこの酷寒の荒野である 彼らの体力は既に限界を超え攻撃を仕掛ける余力など有るはずもないと栗山善助は読んでいた。


睨み合いに進展が無いと見た善助は長政に軍議の場を開くよう進言し、兵等には腹一杯の握り飯と熱い汁を支給するよう命じた。



 暮六ツ半(18:20分)白川城本殿では黒田家重臣らを集め軍議が開かれていた、まず席上で江陰城での敵の動きやその性格行動が論議され敵の弱みを考察し そこをどう突くかにおよんでいた、また平壌城攻城戦から今日までの敵の動きを分析し負傷者・兵粮・気温から兵の疲労限度や戦意の程度なども検討された。


その結果、彼らの今の攻城陣形は形だけに過ぎず、当方が打って出れば瞬く間に陣形を崩し間を広げるに終始し打って出るほどの力量は残されてはいないと読んだ。


であるならば敵の攻撃は当方の出方次第で、まずは兵を休ませるため今より火縄銃三千丁を撃ちかけ大筒九門を乱れ打ちにし敵の陣形半径を遠ざけ、疲労の極にある江陰城の守備兵だけでも寝させようとの結論に至った。


諸将らは席を立つと城外へ命令を伝えに出ていった、残ったのは黒田長政、栗山善助そして白兵衛の三人だけだ、白兵衛は一夜明けたらあれよあれよと諸将の列に加わっていたのだ。


「おぬし武家装束の身なりに着替えたら…なんと一角の武将にも見ゆるが、クククッ馬子にも衣装よのぅ」と善助が笑いながら白兵衛の六尺を超える偉丈夫に目を細めて見入った。


「この男、昨夜遅うにこの城に入った者よのぅ、あの時はごたごたしており この男が持参したおぬしの書状だけを読んで 引見は今が初めてじゃが…しかしこの顔は何処ぞで見たと思うが…んん思い出せぬ」と長政は思案顔で白兵衛の顔をジロジロ見やった。


「殿、この男はほれ 厩の屋根を突き破って落ちて参った例の裸の…」と善助は声を細め耳打ちした。


「おおっこやつが例の素っ裸の男だったのか…」長政は白兵衛(誠二)の顔を見つめ驚いた。


「確か弦斎殿が気失せと申していた奴じゃな…それで記憶は戻ったのか」


「はっ、記憶は戻ってござる」


「して昨夜のそちの書状に四百年後の時代よりまかり越した男とあったが…まさか 此奴の事を言っておったのか、儂は何を戯事を書状を書くのかと ほんに善助がしたためた書状かと疑っておったのよ、まっおぬしが言う事に間違いは無いとは存ずるが何かあかしでもあるのか」

長政は疑問顔で善助を見つめた。


「それがしも衣笠久右衛門殿から聞いたときは何を馬鹿なと笑っておりましたが、この白兵衛なるものが造りし機関銃というものを見たとき確信致したのでござる、あのような先進なる銃を造れるものなどこの時代 何処にもおりはしないと。


それに殿も聞いておられると存ずるが脚切断を余儀なくされた壊疽患者に蠅の蛆を移植し見事に治癒させたのもこの白兵衛でござる、またこの度は油煙の出ぬ高性能火薬も造ってござるのよ、これらが証かと存ずるが…」


「蛆で壊疽を治した奴が江陰城におると聞いて弦斎が驚いておったが…此奴だったか」長政は感心した顔でもう一度白兵衛を見つめた。


「白兵衛といったかの、そちが四百年後の時代から落ちてきたというなら、落ちる以前のことなど儂らが分かるように聞かせてはくれまいか」長政は誠二の緊張をほぐすためか少し微笑んで言葉を継いだ。


「はっ、何処から話してよいのか…」誠二は緊張を隠せぬまま長政と善助を交互に見て思い出すような顔つきで木訥ぼくとつに語り出した。


「まずはそれがしが今より語る内容は御二方にとって夢物語に聞こえるやも知れませぬ、それがどんなに荒唐無稽と感じられてもまずはお聞き願わしゅう存じます」と前置きを言い語り始めた。


「私の名は安田誠二と申しまする、在所は尾張と美濃の堺の小牧で 勤め先は鉄や鋼を加工する工作機械なるカラクリを造る“会社”というところでエンジニア…いえカラクリの絵図面や製造を指揮監督する技術者でございました。


昨年七月の夕刻、東国の成田という地から旅客機なるもので空を飛び中国…明国が滅んだ後の国名ですが、そこの北京というところへ商用で飛び立ちました、そしてこの朝鮮の上空を通過する際 突然その乗り物が何者かに砲撃され気が付いたときはあの海州の仮小屋にいたのでござります」

とここまで一気に喋ると長政が怪訝な顔で首を傾げたため語りを止めた。


「いま東国の成田と申したな、成田と言えば下総国新勝寺ぐらいしか思い浮かばぬが…善助はその地名を知っておるか」


「いえ、それがしは東国には疎いゆえ成田と申されても…」


「そうか…しかしそなたの在所である小牧は 八年前 秀吉様と家康様が戦った小牧や犬山のことよのぅ、そんなところに住んでおったのか…して旅客機なる空を飛ぶ乗り物とは如何なるものよ」


「はっ、鳥を大きくしたものとお考え下され、その大きな鳥の胴に人を二百人程乗せ空を飛びまする、私が撃ち落とされた際の速度は一刻(二時間)にして四百四十里で高さ一万メートル…およそ二里半の高さで飛んでいるときでございました」


「何と四百四十里とな…さすればここより我が領地の豊前まで半刻で行けると申すのか、そんな馬鹿な事があってたまるものか」長政は眼を剥いた。


「その速さにも驚きじゃが二里半の高きところより落ちて…おぬし頭にコブををこさえた程度で今はこうして生きておる事自体がおかしいではないか」と善助も疑念顔で誠二を見つめた。


「はい、ゆえに先程荒唐無稽と感じられてもまずはお聞き願わしゅう存じますとお応え申した通り、この不思議な現象は私めが最も不可思議と想うところでござります。


今それがしはあの日一旦死んだものと思おておりまする、それが何の不思議かこうして四百年もの前の時代に突如出現し、コブを造る程度で済みもうしたは神のみぞ知る神事でござりましょう」


「神のみぞ知るといわれてものぅ」善助の疑念顔は消えなかった。


「善助、おぬしが此奴に疑念を抱くのであれば儂は何を信用するのじゃ、もそっと確信を突いた質問をせぬか」と長政は苛立ちを隠せない。


「そうでござりました、では話を変え そちが四百年後より来たと言うならば、今のこの戦の行く末も当然知っておることになるが…何せそちからすれば古きこと、知ってるだけでも話してはくれぬか」


「私めは技術屋で歴史には疎く詳しくは存じませぬ、ゆえにあの時代の一般知識程度で宜しければお話し申し上げまする」誠二は暫く天井を見上げ思い出すような顔で喋り始めた。


「この戦いは後世では文禄の役と申し、本年六月に晋州(チンジュ)城の陥落をもって終結し、将兵らは閏九月上旬までに博多へ帰還致しまする、帰還したのは伊達・佐竹・上杉ら東国勢や奉行衆・御小姓衆のほか宇喜多・細川などおよそ五万の将兵にござります。


また残留する諸大名は加藤・毛利・黒田・吉川・小早川・小西・鍋島・島津・福島・蜂須賀など朝鮮侵攻の主力である九州の諸大名およそ五万の将兵で、そのまま朝鮮での在番へと移行致します。


またこの戦の戦死者はおよそ五万人とされておりますが、死因は敵に討たれた数は寡少で、その殆どが寒さ・飢え・疫病が原因とされておりまする。


その後、朝鮮に在番として残留する黒田家の城地は場所は釜山の東としか覚えてはいませぬが機長(キジャン)城という所で、加藤家は西生浦城、小西家は熊川城と記憶しております。


尚 文禄の講和交渉は朝鮮・明国と以降何度も行われてはおりましたが双方の思惑は虚々実々の様相を呈し結果的には講和交渉は決裂し再び派兵が決まりまする。


文禄五年(慶長元年)と申しますからこれより三年後の九月に秀吉様はとうとう業を煮やし朝鮮半島への再派兵を決定されます。


翌慶長二年に本格的に進攻作戦が開始され、九州・四国・中国勢を中心に編成された総勢十四万人を超える軍勢は逐次対馬海峡を渡り釜山浦を経て任地へと赴きます。


しかし翌年の慶長三年八月に秀吉様が死去され、没後の豊臣政権はその死を隠したまま朝鮮との和議交渉を模索しますが難航致します、しかし和議で牽制しつつ多くの犠牲を払いながらもその年の十二月にようやく博多へと総撤退を完了致したのございまする。


以上がその後の戦役のあらましで 今より五年ほど戦は続き、秀吉様の死をもって朝鮮・明国への覇権の夢は潰えることになりもうす。


必要とあらば秀吉様没後の騒乱や、黒田家と長政様の行く末などもお話しできますが…いかが致しましょうか」と言いながら二人の顔を見て まずは語りを結んだ。


「んん太閤殿下が御隠れあそばすとは…」

長政は秀吉の死が間近なのを知り絶句すると俯いてしまった、人質とは言え八歳の幼少より有岡城陥落までの数年 近江国長浜城で秀吉と正室おね(後の北政所)に子供がいなかったため長政は可愛がられて育った、それゆえ秀吉やおねを父母のように慕っていたことは善助は知っている、ゆえに長政の想いは痛いほど分かった。


その時、本殿を揺るがす大筒発射音が轟いた 次いで火縄銃と思しき連続音が聞こえてきた、どうやら城側の威嚇射撃が始まったようだ。


長政は席を立つと窓側に寄り障子を開けて外を眺めた、その夕闇迫る空に赤い糸を引きながら夥しい光の筋が放物線を描きながら南の暗闇へ吸い込まれていくのが目に焼き付いた。

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