第一話
2014年7月10日、北緯37.34.36 東経125.38.4 北朝鮮の海州沖50kmの上空に一機の旅客機が沈みゆく夕陽を追うように飛んでいた、その旅客機はJL869便、乗員乗客178人を乗せ18時10分に成田を離陸し北京へと向かっていた。
韓国仁川国際空港の管制官キム・ミンジュは先ほど上空を通過したJL869便のレーダー機影に目をこらしていた、それは機影の位置が指定された空路より少し北にずれ領空ギリギリを飛行していたからだ。
「これはまずいぞ…」キム・ミンジュは胸騒ぎを覚えた、それは一昨日から京畿湾沖で始まっている米韓合同演習が脳裏に浮かんだからだが…この演習は「例年行っている防衛的訓練」と発表されてはいるが明らかに北朝鮮への示威行動に他ならない、キム・ミンジュは管制の現場で北の戦闘機が数年前よりこの時期に限って領空ギリギリまで索敵訓練することを知っていた。
今も北の戦闘機らしき機影2つが JL869便に対し斜め後方より肉迫しつつありその距離はおよそ3マイルほど、数分前ソウル空軍基地から民生支援のためスクランブル発進が成されたとあったが…スクランブル機影はいまだJL869便の後方10マイルほどで出遅れは否めない。
キム・ミンジュは息を吐くのも忘れたようにレーダースコープに釘付け状態で刻々と変わる機影位置を目で追っていた、その時であるJL869便がレーダーからフッと消えた、それと同時に北の戦闘機らしき機影も急ターンし開城方面へ進路を変えた、JL869便の高度は32000フィート…この高度でレーダーから掻き消えるなどはありえない!。
管制官キム・ミンジュは一瞬で凍り付いた、それはまさしくミサイルなどによる撃墜と予想されたからだ、その時 管制塔内に非常サイレンがけたたましく鳴り響いた。
黄海道は李氏朝鮮の行政区分である朝鮮八道の一つで黄州と海に面した海州辺りの地域をさし朝鮮半島中西部に位置していた。
一五九二年(文禄元年)五月二十九日、その黄海道の南東に位置する開城を二番隊の加藤清正軍、三番隊の黒田長政軍が完全制圧し入城を果たした。
すると諸将らは五月二日に陥落した朝鮮の首都|漢城府(現ソウル)に参集し軍議を開くと各方面軍による八道国割と呼ばれる制圧目標を定めた、六月の初め三番隊の主将黒田長政がひきいる豊前中津五千の将兵らは八道の一つである黄海道を制圧する命を受けると開城からおよそ二十里西の海州へと進軍していった。
海州は風光明媚な港湾に面し 北には首陽山がそびえる美しい湊町である、この湊町でいま三番隊の黒田長政軍は海州以西を拠点とする朝鮮軍と小競り合いを繰り返し既に五日間が経とうとしていた。
だがその小競り合いもきのうからは牽制程度に変わってきた、それは開城の北方三十五里に位置する朝鮮第二の都「平壌」を陥落すべく一番隊の小西行長軍から急遽「援軍要請」が届き、本陣はその要請に呼応すべく遠征準備に掛かっていたからだ。
そんなにらみ合いのさなか本陣では遠征準備に大わらわであったが鉄砲組小物頭の吾平と文蔵は密かに本陣を抜け出し、林を抜け荒れた畑を一町ばかり走って海州湾の真っ白な砂浜に飛び降りた。
五平は辺りに人影がいないことを確認すると砂浜に腰を下ろし文蔵にも座るよう促した。
「クククッ、抜け出しゅところは見られなかったちゃうだ、ほら握り飯だ」
言うと五平は懐から竹皮の包み二つを取り出しその一つを文蔵に手渡した。
「にしゃ、これは重臣らん昼飯じゃなかか、バレたらマズイじゃなかか」
「ないに二つぼんくらり戴いたぐらいならがとかりはせんしゃ」
五平は欠けた歯でニカッと笑い海を眺めながら粟の握り飯をほおばり始める。
「そげなこつちゃり文蔵ちゃ聞たかゆんべん騒動ば」
「いい聞いたっちも なしても男の空から降っちきよったげなな」
「そーちゃ、厩のと厚か板屋根ば突き破り長政様ん愛馬ん背に落ちたげな、幸い馬はなんっちもなかったの 落ちてきよった奴はたまがった馬にけとばしゃれ虫ん息っちゅう話ちゃ」
「なんっち…朝鮮ちゃ人が空から降っちくるんちゃろうか」
「そげなアホなこつのあっけんかちゃ、そいちゃり落ちてきよった奴はすっぱだかやったげな」
「へーっフンドシも無しかよ、こりゃまたどげんゆう事ちゃろう」
「儂もひとづてに聞いた話じゃからもうちょっとわかるごとは知らぬの、降っちきよった男は髪の短こうて日焼けなく、なしけんも6尺ばちかっぱえる大男やったげな」
「そいは雷神様の空から落ちてきよったんばい」
「文蔵ちゃ…しゃっきから聞いとれば阿呆なこつぼんくらり言うて、神代ん昔ならいざ知らず今ん世に雷神の空から落ちてくるわけのなか!」
「吾平ちゃよっそわしかなぁ口から粟ば飛ばしゅなちゃ、やぁなして6尺もん大男の空から落ちてくるんか、説明のつかんちゃろう」
「んん、そいもそーやけど…まっ朝鮮では日の本では考えられぬこつもあっけんちゃろう、そいちゃり明日ん出立ん事よ、おぬし神尾様ん下で先鋒隊に編入しゃれたっち言いよったったいの気ばつけた方よかっち」
言うと吾平は竹の皮に付着した粟を瓜漬けですくい取り カリカリと音を立てながら文蔵の耳元でささやき始めた。
「差配役の神尾様は前は小西軍ん五島純玄様ん部下で勇猛果敢で知られた戦奉行やった、ばってん気の短かんの玉にきず、尚州ん戦いで五島様の軽挙妄動ばつつしめっち言ったったいに彼は兵三十三人ば引き連れ抜け駆けし、結局は敵ん名将李鎰ばとり逃のし 引き連れた兵ん八割もむざむざ死なしぇてしもたんだと。
結果 切腹はまぬがれたもんん小西隊には置いておけぬっち うちん3番隊に放り出しゃれたんちゃ、まっ神尾様ん勇猛ぶりは釜山に上陸したばいころちゃり音に聞こえておったゆえ長政様もしぶしぶ引き取ったっちゆう話やけど…せいらいん気質はなおらんちゃろう、こんども平壌侵攻ん先鋒ば長政様に願い出たげなの彼ん配下はたまったもんじゃなか、十中八九は無駄死にちゃ」
吾平は竹の皮を丸めるとふところに入れ立ち上がった、文蔵はそれを見てあわてて瓜漬けを口に放り込み 立ち上がりながら吾平の脇を小突いた。
「吾平ちゃおぬしひとごとんごとゆうの儂ん身にもなっちもんは言うもんだ、儂っちっちしても先鋒やらなんやらまっぴらだ、ばってんいまさら組替えば願い出ても許さるるわけは無かちゃろう、もう逃げ出したばいいちゃ…」文蔵は尻の砂をはたき海をまぶしそうに見つめた。
「そぉだちゃ 朝鮮くんだりまで来てなして死なねばいかんか、逃げたくなる気持ちは儂ばってんがとかるちゃ、朝鮮から明に攻め込むなご途方もなか事…秀吉様は狂っちまったんかいなぁ」
粗末な盗み食いが終わると吾平文蔵の二人はやりきれぬ表情をあらわに小さなためいきを漏らすと砂浜際の土手を駆け上がった。
そのころ本陣では明日からの平壌遠征に向け大筒・火薬・兵糧の準備におおわらわである。
六月の初めに小西行長がひきいる一番隊が開城から北進し、黄海道の平山、瑞興、鳳山、黄州を占領しさらに平安道に進撃すると破竹の勢いで平壌の門戸である中和へと攻め入った、黒田長政率いる三番隊はこの中和を攻める小西行長の一番隊を援護するための出陣であり、一番隊と合流後は大同江の北岸にある平壌へと侵攻を進める計画だった。
そのころ長政の本陣脇の仮小屋で昨夜空から降ってきた男がようやく目をさましたところである。
「おっ、目をさましたようじゃな、さぞのどがかわいたであろう」従軍医 伊藤弦斎は男の脈を測りおえるとまぶたに指をそえその瞳孔に見入った。
「もう良いようじゃ、平三やこの男に水を飲ませてやれ それと母里太兵衛殿に男が目をさましたと伝えてくれぬか」そう小者に言いつけ土間に降りると重い戸を引いた。
外はまぶしいばかりに陽が照り輝いていた、梅雨も明け洗濯日和であろうか本陣脇の空き地には所狭しと色あせた洗濯物が風にたなびいている。
今年四十六になる弦斎は外に出るとまぶしげに目を細め海を見詰めた、気が付けば何と遠い異国に来たものよと思う、そのとき不意に昔の想いがよみがえった、このまぶしい陽光のせいだろうか。
(あの日もこのようなまぶしい光にあふれていた…確か十六才の秋頃だったか播磨姫路城の郭外れに殿の職隆様が急に現れ儂に京へ行かぬかとおおせられた、そのとき柿の木に登っておられた祐隆様が驚く儂を見つめうらやましそうな顔をなされていたなぁ…あれからもう三十年もたつのか)
天文十五年、黒田長政の祖父になる黒田職隆が播磨姫路城の城代になった翌年、その職隆に嫡男の祐隆(長じて通称:官兵衛)が生まれた、しかしその母“いわ”は生来の病弱で乳の出が悪かった。
同じころ 郭内の百間長屋に住まう下級武士であった伊藤孫四郎にも長男(太一郎)が生まれ その妻である“とよ”の乳房は豊満で 乳が出過ぎる事を聞きつけた“いわ”は城中に“とよ”を招くと乳母として祐隆(官兵衛)に乳を分けて欲しいと願った。
“とよ”はこれを快諾したことで長男(太一郎)も城中で祐隆の乳母子として育ち 乳兄弟の縁で黒田家の嫡男祐隆(官兵衛)とは格別なきずなで結ばれることになる。
孫四郎の長男太一郎(弦斎)は職隆の推挙で十六歳の秋 医術を収得するため京へと旅立った、当時京では「医聖」と称された曲直瀬道三の啓迪院が一番の医学塾で 道三とは旧知の間柄であった黒田職隆の推挙とあって太一郎は入塾試験も無く啓迪院に入塾を許された。
太一郎は生まれついての秀才で 幼い頃から読書好きな官兵衛とともに多くの書を読みその才は官兵衛を凌ぐとまで言われた、職隆はそんな太一郎をこの草深い播磨で埋もれさせるはおしいと考え戦国の世に必須な医術を学ばせようと京行きをうながしたのだ。
京に出た太一郎は職隆が思った通り啓迪院に入るやその才は大きく開花し他の塾生を圧倒した、そして永禄十年 入塾してわずか五年という歳月で塾頭へと上りつめ周囲を驚嘆させた。
塾頭になった太一郎は烏丸中御門第に出入りを許され将軍足利義昭に診療を行ったことが切っ掛けでその名声は京中に知れ渡るも…乳兄弟の官兵衛が戦で怪我を負ったと知るやそれら名声を捨て播磨へと帰った。
それから二十有余年、官兵衛の典医として幾多の戦に従軍し官兵衛や腹心家来の病・怪我の治癒に専念した。
しかし天正十七年、謀られて官兵衛が隠居を強いられると代わりに嫡男の長政が家督相続を許され従五位下甲斐守に叙任したのを機に弦斎は若き長政の典医に推挙された、以降常に若殿長政のそばを離れず このたびの朝鮮出兵にも従軍したのであった。
「弦斎様、空から降ってきた男が目をさましたとか」
物思いにふけっていた弦斎の前にヌッと現れたひげもじゃの大男は黒田二十四騎の中でも特に重用される黒田八虎の一人「母里太兵衛」であった、彼は槍術に優れ剛力の勇将として音の聞こえた武将で 栗山善助と共に黒田軍の先手両翼の大将をつとめる剛の者である。
「おお太兵衛どの参られたか、明日からの遠征で忙しい最中お呼びだてしてもうしわけござらぬ、例の男が目をさましたゆえお呼びしたのじゃが…」
「ほう目をさましましたか、それは重畳 なんせ屋根を突き破り馬にけられたとあってはもう助からぬとばかりに思っておりもうしたが…何とじょうぶい奴、して口はききましたかな」
「いえまだ口はきけずただぼうぜんとしておりますわい、初め馬にけられたと儂も聞いたのじゃが よう調べたところ馬にけられた痕ものうてただ頭を板屋根にぶつけただけと見立てもうしたわ」
「さようでござるか…しかし空から降ってくるとはまこと奇っ怪な、さればその男 敵の乱破・素破のたぐいやもしれませぬなぁ」
「太兵衛どの一度尋問されたらいかがでござろうか」
「そうですな…では案内ねがえますか」
太兵衛は弦斎に案内され仮小屋の土間に通されると草履を脱いで板の間へと上がった。
板の間には薄汚れた筵が一枚敷かれ、その上に色白の男があぐらをかいて座っていた。
太兵衛はその男の前に進むと 廻りを歩きながらつぶさに観察しだした、男は聞いていたとおり裸のままで前を見つめ、縮み上がった陰茎を隠す様子もなく 尿を漏らしたのか股間下の筵は黒く濡れていた。
男の年齢は四十才前後…色は驚くほど白く筋肉は薄い、髪は短く刈り上げられ うなじや頬に鮮やかな剃りあとが見られることから朝鮮でも上級の両班か或いは高僧であろうと思われた。
しかし男の前に座りその手を取って見入ったとき思いは変わった、その手のひらには僅かな傷跡も無く、また作業胼胝も全く無い、まるでどこぞの若様のように重い物など持ったことがないような手のひらなのだ。
また爪の隙間に汚れはれなく綺麗に切りそろえられ、体全体を観察しても肌荒れは無くノミやシラミに喰われた跡なども見られない、そして整えられた髪に顔を近づけたとき頭髪からえも言われぬ良い香りが漂った。
(この男一体どんなところで暮らしていたんだ、まさか朝鮮王族の一人なのか…)
母里太兵衛は首をかしげながら今度は男の目に見入った。
「やや、弦斎様…こやつの目はあまりにもうつろでござるが狂っているのではありますまいか」
「いや頭を強く打つと一時的にこのような症状を呈することは儂は今まで幾度も経験しておる、あと一時もすれば頭もはっきりするでしょう、どうでござろう 申の刻(16時)の頃もう一度ここにお越し願えますかな」
「分かりもうした、ではそれがしは本陣に行っておるゆえ何かあったらすぐにもお呼び下され、では申の刻に再び」そう言うと太兵衛は座を立ちなおも不審げに男を一瞥すると仮小屋から出て行った。
太兵衛を見送ったのち弦斎は男の前に膝を進め額に手を当てた、熱の有無を確認し指で瞼を開けるとその瞳孔に見入った。
「ふむぅ熱も引き瞳孔も正常に反応しておるというに…」
弦斎はひとりごとのように言うと 後ろにひかえている二人の小者に「儂は一刻ほど明日の準備をしてくるゆえこの男を厳重に見張るように、ともすれば急に暴れるやもしれぬよってしばっておけ、よいかくれぐれも注意をおこたるでないぞ」そう言うと弦斎は座を立った。