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第6話 空白の三ヶ月


 見渡す限りの平野の先、空と地表を隔てる地平線までの全てを炎のように染め上げる夕暮れの空。その果てしなく美しい景色の先を、時折人外の化物が蠢き、世界の異常を思い出させる。


(このまま夕陽の中に身を投げて、世界に起こった異常の全部を忘れられたら、どれだけ楽だろうか)


 げっそりと痩せこけて、死人のような感情のない腐った目をした虚は、校舎の屋上から見える景色をぼんやりと眺めながら、そんな事を考える。


(……なんてな。俺一人だけ楽になるわけには、いかないだろう)


 たった一度でも楽になりたいと考えた己を律するかのように、虚の脳裏を過ぎったのは、ついさっき見た、病床で意識が戻らず眠り続けている、三人の少女の顔。


「なんで俺は弱いんだよ……」


 押し寄せる果てしない後悔と、最も大切なものを守り切れなかった、己への不甲斐なさ。……そして、自らの身に宿る何の役にも立たない力への、激しい嫌悪。


 力が欲しい。《叡智の書》なんて使えない魔法を手に入れてからずっと虚はそう思ってきたが、今はこれまでの比ではないくらい強くそう思っていた。


 先日行われた班別の課外授業でのアクシデント。もう一週間以上経っているが、虚はその事をついさっきの事のように鮮明に思い出せる。


 軍の中で“天災”と呼ばれる、黒狼との不意の遭遇。それは力の限り応戦するも虚しく、蓮達を次々に襲い、鋭利な爪で瀕死の傷を与えていく。その様を戦いに入れず眺めている事しか出来なかった虚。やがて激昂し本気の殺意を向けたことだけは覚えているが、結局虚は何も出来ずに黒狼に蹂躙された。


 その後運良く課外授業を補佐している軍の隊員に発見され、すぐさま病院に運ばれた虚達だったが、結果は残酷だった。虚だけ殆ど無傷なのに、彼女達はもう一週間以上病室で眠り続けているのだ。このままでは命も危ういという。


「俺の心を救ってくれたあいつらを、絶対に守るとそう決めたのに」


 虚はかつて、最強の暗殺者であった過去に対し、最弱の魔法しか覚えられなかった当時の自分を受け入れられなくて、“強くなれないなら生きる意味がない”、そう思って植物人間の様な生活をしていた時期があった。当然士官学校の授業に出席などせず、日がな一日この屋上でぼーっと外を眺めていた。


 そんな時に手を差し伸べてくてたのが蓮だった。士官学校に入る前からの知り合いである蓮は、虚を自分の友人である歩美や雪菜に紹介し、強さ以外に、虚に生きる居場所を与えてくれたのだ。


 虚は自分が腐らずに済んだのは蓮達のおかげだと思い、それ以来彼女たちを守ることに力を尽くそうと決めていた。……だというのに、今回の結果だ。自分の不甲斐なさに吐き気がする。


「もし、あいつらが目を覚ましたら、次は絶対にあいつらを守ってみせる。魔法が弱いから? 俺の役目は分析だから? そんなの言い訳にもならない。……大切なものを失ってから後悔しても、遅いからな」


 例えそれが強くなることに固執していたあの日に戻る様な、苦しい選択だとしても、絶対に彼女たちを守ってみせる。


 地平線の彼方。かつての日本ではあり得ない、延々と何もない平野の先に沈む夕陽を傍目に、虚はそう誓うのだった。


 これは今から一年以上も前、虚が士官学校の一年生で、まだ”最弱無敗“とは呼ばれていなかった頃の、決意の話。


 そして物語は再び現在へと戻っていく。




***




 翌日。


 虚達は前日の疲れも大した事はないとばかりに、遠方にて難易度の高い任務を遂行していた。


 虚自身は弱いが、それを補って余りあるほどに蓮達は強い。だからいつも、受ける任務はだいたいが難易度別に段階分けされた中の、学生の身で受けられる最難関のものばかりだ。


 今日の任務は開発都市と他の都市を結ぶ補装路を塞いでいるクレイゴーレムの複数討伐。難易度としてはそんなに強い魔物ではないが、数が多いのと、インフレを止めてしまっている事から迅速な対応が求められている為、依頼としての難易度は高い。


「……なあおい、クレイゴーレムの討伐とは聞いていたが、これ五十体くらいいるんじゃないのか……?」


 クレイゴーレムの討伐なら、協力すれば何とか戦う事が出来るだろうと思っていた虚だったが、現場に来てみて、そのあまりの数の多さに驚愕した。


 ゴーレムは元来岩場などに生息し、その岩や砂などに含まれる成分を栄養として生きる魔物だ。だが、地球の技術で作ったコンクリートで補装した道路はどうやら彼らにとってはいい栄養らしく、こうして度々群れをなして集まってしまうのだ。


 "昨日まで"の虚の記憶では、いくら蓮達が強いとはいってもクレイゴーレムを同時に相手に出来るのは十五体くらいが限界のはずだ。因みに虚一人なら一体相手でもかなりギリギリの戦いを強いられる事になる。


 だから、眼前にうじゃうじゃいるゴーレムの群れを前にして、虚は撤退を提言しようとしたのだが、


「やっぱり緊急依頼って美味しいわよね。これで上位ランクの依頼と同じ扱いなんて」


「まあ、タイミング良く依頼を取れたとはいえ、この程度で上位の依頼評価になるのは心が痛むわね」


 どうにも虚がそんな事を言い出せるような雰囲気では無く、蓮達には一切の緊張感が無い。


「御影、どうかした? なんかそわそわしてるけど」


 虚の様子がおかしい事に気が付いた歩美が心配そうに声を掛けてくる。


「いや、どうかしたって、あんな数のゴーレムを前に、お前らは何を言って──」


「ほら、歩美行くわよ。あれくらいさっさと倒して帰りたいし」


 言いかけた虚の言葉を遮って、蓮が歩美に声を掛ける。


「あ、うん。……じゃあ、行くね」


 歩美は申し訳なさそうに虚に一言告げると、雪菜、蓮と共にクレイゴーレムの群れに突っ込んでいく。


「ちょ、お前ら──」


 それを制止しようとするも、虚が追いかけようとした時にはもう、三人は遥か先に進んでしまっていた。


 そして、一人残された虚は、遠方の様子を見下ろせる場所から、三人があっという間に群れの全てを倒し切ってしまう様子をただ呆然と眺めている事しかできなかった。


(……あれ? 実力差があるのは分かってたけど、いくらなんでもこれはおかしくないか?)


 "昨日"までは、彼女達の行動や戦闘にすらついて行けない程の実力差は無かったはずだ。ギリギリ、魔物の情報を事前に知る事が出来る、という虚の魔法の効力を足して、班に食らいついていられるくらいの差であったはずだ。


 そうしていつの間にか討伐は終わり、その日は午後も始まったばかりの時間には開発都市に戻る事ができた。

 

「ほんと、一体どうなってるんだ……?」


 既に蓮達とは別れて適当に都市の中を散策している虚は、あまりに唐突な変化に疑問を感じていた。


 どんなに記憶を辿っても、昨日までとは全く異なる彼女達の強さの理由が分からない。いつしか思考に没頭して、虚は桜並木の中を歩いていた。


「世界が終わっても、桜は咲くんだな……」


 この桜並木道は、異世界と融合し、多くの場所で地形が丸ごと変わってしまった今の世界では貴重な物となった。もう日本にどれだけ桜が残っているかもわからないからだ。だからここは桜が満開のこの季節には魔物の事など忘れて美しい景色を眺める事が出来ると人気がある。


「……ちょっと待て。何で“桜が咲いている”んだ?」


 虚の一番古い記憶は僅かに暖かさが残る秋の暮れ。ちょっと前には任務先で蓮達と紅葉を楽しんだ記憶もある。だというのに、桜が咲いているというのはおかしい。


(そんな事があり得るのか……? だが、そうだとすれば今までの出来事にも説明が付く)


 全ての点が繋がったような感覚がした虚は、疑問を確認する為、急いで班室へと足を向けた。


 部屋に戻るとすぐに蓮が今日はほんとに何もしなかった、だのといつも通りの嘲りの言葉を投げてきたが、そんなものにはお構い無しで、虚は自分の個室に直行した。


 そしてそこで、毎日更新されているはずのベッドデスクの日付を確認して、虚はようやく、自分の身に起こっている異常の正体を認識した。


「は、はは……なんだよそれ、笑えねぇ」


 ベッドデスクに表示された日付は三月の二十九日。虚が"昨日"だと思っていたはずの日付から、実に三ヶ月余りが経過していた。この日付表示は士官学校の方が管理して表示している一律の物だから、狂う事はない。何より、機械の故障を考えるまでもなく、今日一日で体験した出来事が、この表示が事実であると裏付けていた。


(タイムスリップって奴かこりゃ。目が覚めたら未来にいたっていう、映画的な? ……だとしたら勘弁して欲しいが)


 昨日まで、必死に蓮達と日々開いていく差を埋める為の努力を続けていたのだ。限界が見えていても、昨日より欠片でも強くなれるのならと血の滲むような努力を、虚は惜しまなかった。けれど目が覚めたら彼女達との差はあまりに決定的なものとなってしまっていて。虚はその事実に、絶望していた。


(けど、どんなに嘆いても、絶望しても、事態は変わらない。これが夢や幻の類でないなら、腐って時間を無駄にする事は出来ない。それがどんなに無駄な時間であるのかを、俺はもう知っている)


 蓮に屋上で声を掛けられるまでの、思い出したくも無いような絶望の日々がどれだけ無意味な物だったか。もしその時間を強くなる可能性を探る為に当てていれば、とガルムに襲われ、蓮達が目覚めないかもしれないという恐怖を知った後の時、虚は心底後悔したのだ。


(……ひとまず、昨日までの記憶を整理しよう。昨日は皆と任務に行って、玄さん達の道場で軽く汗を流して、皆と夕飯を食べて、夜、魔法の修練をして眠ったが)


 そこで虚は、一つの可能性に思い至った。


(待て、あるぞ。昨日だけした、普段とは違う行動が。昨日は魔法の修練の最中に『叡智の書』を弄って、情報整理のついでに記憶のバックアップをかけたはずだ)


 その日得た魔物の情報や、魔法についての重要事項については自身の記憶、そして『叡智の書』で調べた情報を、『叡智の書』の中に、ちょうどパソコンのファイル分けをするみたいに整理して保存している。そして昨日は、何が起こるか分からないから、と何となく思い立ち、虚は自身の記憶全てのバックアップを『叡智の書』の中に作成したのだ。


(昨日で記憶が途切れているって事はつまり、三ヶ月後の、“昨日”の俺に、何か記憶を消さなければならないような異常事態が起こったという事だ)


 蓮達には、やたらと強くなっている事以外には特に異常は見受けられなかった。それを根拠に、虚は異常の原因を自分自身に限定して考える。


(まあでも、何かあるとすればこれが一番可能性が高いよな)


 虚は虚空に手をかざし、《叡智の書》を起動する。幾何学的模様な連立して魔法陣を作り出し、一秒もしない内に、虚の目の前には虚にしか操作権限のない、『叡智の書』の操作メニューがホログラムのように浮かび上がる。


 異常の原因は、メニューを起動した瞬間、すぐに判明した。


(《CONNECT》……どう見てもこれだけ見た事が無いし、原因はこれだろうな)


 『叡智の書』のメニューの一番下に表示された、見慣れない《CONNECT》の文字。それ見て虚は異常の原因はこれだと確信する。


(けど、どう扱ったもんかな。下手に触ってまた記憶が消えても困るし)


 とりあえず何かが起こった時のために、虚は再び記憶のバックアップを取っておくことにした。人一人の記憶の扱いというのは繊細なもので、昨日作成したバックアップに今日の記憶だけをちょっと付け足す、なんて器用な事は出来ないから、一時間半にもなる長い時間をかけて、虚は再度《叡智の書》のなかに自身の記憶のバックアップを作成する。


(さて、準備は整った。……それじゃ、押してみるか)


 そうして、虚が《CONNECT》のコマンドに指を近づけたその時だった。


『押さないほうがいいですよ、それ。押しても貴方には制御出来ないですし、そうなれば脳が情報過多で焼き切れて死にますから』


 突如として虚の脳に直接、幼さを残した少女の声が響いたのは。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 突如として大量の魔物が溢れだした日本では暗殺技術が役に立たない。そこで主人公が手にしたのが、なんと情報系魔法!? しかも使いこなせていない……。これからの活躍を期待します。ペンは剣よりも強…
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