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第5話 叡智の書



 玄二から説教をされた後、虚は真っ直ぐ帰宅する気にもなれなくて、何となく、開発都市の中をふらついていた。


(いつから、こんな風になっちゃったんだろうな)


 かつては諜報、暗殺のプロとして、世界最強とまで謳われた虚だが、昼間の戦闘で晒した無様を見れば分かる通り、今はその強さの片鱗も感じられない。


 それもこれも全て、“固有魔法”という、魔導士が一人一つ持っているユニークの魔法が攻撃適正ゼロであるという、戦闘に身を置く魔導士としては致命的な欠陥が原因だ。


 この世界における魔法は、大きく“基礎魔法”と“固有魔法”に分かれている。


 “基礎魔法”は練習して、魔力が足りれば誰でも使える魔法で、低威力の攻撃魔法とか、移動用の飛行魔法なんかがそこに該当する。



 対して”固有魔法“は使用者の個性が色濃く反映された魔法だ。RPGのスキルツリーをイメージするとわかりやすいか。全員にユニークスキルが与えられていて、各々一つのツリーに派生する系統魔法を習得する事が出来る。尤も、スキルとは違いレベルやポイントは存在しないので、魔法の習得は各々の努力と才能に寄るものとなるが。


 こう並べると”基礎魔法“と”固有魔法“の差は、せいぜいオリジナリティ程度に聞こえるかもしれない。だが、両者の間には隔絶した差がある。誰でも扱える代わりに前者は後者に比べて使用魔力にムラが多く、また成長性に乏しい。パソコンでいう所の個別にカスタマイズされたマシンと汎用型のマシンの差を想像して貰えばわかると思う。


 魔導士にとって最も重要と言っても過言ではない”固有魔法“に攻撃適正がないというのは軍の士官学生としては余りに致命的だ。初めこそ元々持つ戦闘能力の高さで食らいつく事が出来ていた虚だったが、周囲が固有魔法を成長させる程に実力差は開き、今では”最弱無敗“などと不名誉なニックネームが付くまでに至った。

  

「そろそろ日付も変わるし、流石に戻るか」


 ふと立ち寄った公園の時計が二十三時を大きく過ぎているのが目に留まり、虚は気乗りをしないながらも帰路へつく。 


 虚達士官学校の二年生は、実務演習という名目で、軍の人数不足を補うべく、日々調査や討伐の任務を行なっている。


 実務演習を行うにあたり、生徒達は四人一組の班に編成され、任務をこなす傍ら生活を共にしている。虚にとっては、昼間一緒にサイクロプスを討伐した三人の少女が班のメンバーだ。美少女三人と一緒に共同生活しているからといって羨ましく思うなかれ。班室には空間拡張魔法が掛けられており、各員には個室が充てがわれている。要はシェアハウスだ。


 学校に隣接された殆ど校舎と見紛うような建物の中に入り、三階の中央階段近くにある自分たちの部屋の前で立ち止まる。


『第七班(仮)』


 そう書かれた部屋の前で立ち止まり、虚は軽く息を吸い込むと扉を開けた。理由は追って説明するが、(仮)なのはまだこの班分けが本決定ではない為だ。


「ただいまー……っと、さすがに誰も起きてないか」


 今日だって任務で遠征してきたばかりだ。深夜と呼んで差し支えないこの時間までは流石に誰も起きてないと思われた。


「とりあえずなんか飲んで落ち着くか……」


 すぐに寝ようとしても、どうせ色々考えて眠れない。虚はそう思って飲み物を取りに向かった。


 班室は、キッチンが備え付けられた共通の生活スペースであるリビングルームと、隊員各々の個室に分かれている。リビングは二十五畳もあり、家具も備え付けで、魔力を使ったホログラムディスプレイなども任務内容の会議用に付いており、学生向けにしてはかなり贅沢な作りになっている。


「ふうっ」


「おかえり。随分遅かったね」


 インスタントのホットコーヒーに口を付けて、一日の疲れが溶け込んだ息を吐き出した虚に、暗がりの中から声が掛かる。


「ったく、脅かすなよ…起きてたのか、霧崎」


 誰もいないと思っていたので、虚は歩美の声にビクッと体を退け反らせて驚きを露わにする。それだけびっくりしても、マグカップの中のコーヒーを溢さなかったのは流石の体幹だ。


「脅かしたつもりはないよ。私はずっとここに居ただけなわけだしね?」


 キッチンの方から僅かに溢れる明かりに照らされて、歩美は悪戯が成功した子供のように無邪気に笑う。きっと虚が部屋に入ってきた時から驚かそうと構えていたのだろう。幻想的な光と生来の無邪気さが共存した、儚げな景色に虚はしばし目を奪われる。


「こんな時間にどうしたんだ? 眠れないのか?」


 本当は、なんで歩美が起きていたのか、声を掛けられた時点で虚は分かっていた。けれど、歩美の言葉に正面から耐えられる自信が無かったから、わざと当たり障りのない話題を振って、核心に触れられる事から逃げた。


「……待ってたんだよ。御影が帰ってくるのを」


 虚が逃げの姿勢を見せた事に、微かに悲しげな表情を見せたが、それでも歩美は真っすぐに向き合って、はっきりと要件を告げた。まるで、逃げる事は許さないと、言外に言っているみたいに。


「それは……待たせて、悪かったな」


 自分に対して真摯に向き合ってくる歩美を前に、適当な態度では示しがつかないと思い、虚も逃げるのをやめた。


「いいよ。偶にはのんびり夜更かしするのも悪くなかったしね。……それで、御影はまた、“炎魔人”の所に行ってたの?」


「……ああ。といってもちょっと玄さんと喧嘩しちゃって、大した事はしてないけどな」


「じゃあ、帰りが遅かったのは……帰りたくなかったから、かな?」


「まあな。仕方ないだろ。あれだけ無様を晒したんだ。帰りたくもなくなる」


 班で共同生活をするのには一体感が高まり連携が取れやすくなったりとメリットも大きいが、当然デメリットもある。まさに今虚が陥っているように、班での活動が人間関係に直接的に影響する、というのもその一つだ。任務で失態を犯した直後でも、どうしても顔を合わせなくてはならない。


「……ねえ、御影。もう、十分だよ。もう十分、私達は君に守ってもらった。……もう、私は苦しんでる御影を見ていられないよ」


 まるで自分の事のように、苦しそうに胸を押さえて、か細い声で虚の身を案じる歩美。そんな様子から、ここが話の核心なのだと虚にも伝わった。


「霧崎が心配してくれる気持ちは嬉しいけど……悪いな。それだけは、どうしても出来ない。どんなに周りから侮蔑に目を向けられようと、お前らにきつく当たられようと、俺はお前らを守り抜くとあの時誓ったんだよ。……それでもし、知らない間にお前らの身に何かありでもしたら、俺は俺を許せずに、きっと壊れてしまうよ」


 歩美の心配が本心からのものであるというのは、虚もはっきり感じ取れている。さっき玄二にも同じような事を言われたから、自分がどんなに無謀な事をしているか、彼女達三人との間にどれだけ実力差があるかも、理解している。けれど、皆が暗に言う、この班から抜け、自分の力が生かせる場所を探せ、という諫言には、虚はどうしても従うわけにはいかなかった。


 それはかつて、まだ班を組んでもいない、虚と蓮、雪菜、歩美の三人の少女がまだただの友人だった頃。とある事件に巻き込まれ、瀕死の重傷を負い、病院で眠ったまま起きない彼女達のその眼前で、虚は彼女達がかけがえのない存在である事に気がついた。だから、もう二度と彼女達を失うような事にはしないとその場で誓いを立てたのだ。


 全てはその誓いを守る為に、その時の最悪な気持ちを忘れない為に、虚は分不相応で、自分にとっては毎回死地に赴いているのと同じだと理解しながらも、彼女達と同じ班に身を置き続けているのだ。


「そういう事だから、いつか真っ向から追い出されるまでは、俺はやめる気はないよ。……せっかく起きててもらったのに、悪い」


 虚はそれだけ言い残すと、飲みかけのコーヒーを片手に自室へと移動する。


「ねえ……皆、はっきり言わないだけで、御影の事を心配してる。蓮だってそう。口は悪いけど、あの子が一番気にしてる。その気持ちだけは、分かって」


 虚が自室へと消える瞬間、その背に向かって歩美が懇願するように最後に言葉を掛ける。けれど虚はその声に何かを返す事はなく、そのまま静かに部屋の扉を閉めた。


(……本当は、俺だって分かってるんだ。もう諦めるべきだって事は)


 自室に入ると虚は半分程残ったコーヒーを飲み干して、それをローデスクの上に置く。熱湯で淹れたはずのコーヒーはすっかり冷めて風味が変わってしまっていた。


 そうして最後の杞憂を置き去ると、ベッドに体を投げ出し全ての力を抜いてただ天井を見つめながら、思考の中に意識を沈めた。


 この世界において、虚はどうあっても無力。サイクロプス大方の魔物との戦闘では完全に役立たず。ようやく暗殺技術を応用して食らいつくことが出来る小型の魔物との戦闘も、高威力の魔法の前には圧倒的に効率で劣る。


 今の状況が、彼女達を守るという目的からは程遠く、むしろ守られてすらいるという歪なものであると、虚だって頭では理解しているのだ。


(けど、諦めてしまえばきっと後悔する。それに、俺が俺ではなくなってしまうから)


 最強の暗殺者という誇りも消えて、新たな世界で強くなる手段も奪われて。唯一残った大切な者達を守りたいという気持ちすら失ってしまったら、本当に何もなくなってしまう。


「……なんせ、使える魔法がこれだもんな」


 皮肉な笑いを浮かべて、虚は虚空に手をかざす。すると手の先の空間がぽうっと白く光り、幾何学的な紋様が幾つも浮かび上がる。


《叡智の書》


 それが、士官学校に入学した頃から今日に至るまでずっと虚を苦しませ続けている、攻撃適正ゼロの便利魔法の名前だ。この使えない固有魔法を変えられたらどれだけいいかと、幾度となく虚は思った。


 幾何学的紋様の全ては虚が触れることで操作する事ができるコマンドだ。《解析(アナライズ)》、《記録領域(メモリー)》、《入出力(ターミナル)》、《記憶保存(バックアップ)》。


 これらのコマンドを用いて、対象の情報を得たり、様々な情報を記録したり、必要な情報があれば自身の記憶に書き足したり、と、便利魔法と呼ばれているだけあり出来る事は沢山ある。勿論、攻撃魔法は一切コマンドの中に存在しない。


 最初の頃は一定数いたものの、虚のように攻撃適正がないか、低いかする生徒は、もう士官学校には残っていない。そういう者は皆とっくの昔に戦う事を諦めて、分析官や文官を目指して違う道を歩んでいる。虚の場合はなまじ元々の戦闘力があったから、今日まで殆ど無理やりについて来れてこれてしまっただけだ。


 だから、玄二も歩美も、虚の身を案じて言うのだ。考え直せと。これ以上、最前線で戦う魔導士として生き残るのは無理だから、身の振り方を改めろと。


 けれど虚には、どうしても、彼女達を前線で戦わせて、自分は安全な後方で支援に回るなんて、出来なかった。諦めようかと考えるたびに、眠ったまま起き上がらない彼女達の顔が脳裏にチラついた。


「……ん?」


 そうして自責に駆られ、思考の波に苛まれつつも、虚が日課である《叡智の書》の内部データの整理を行なっていると、ふと、異変に気がついた。


「なんだ、これ」


 いつも見ているコマンド画面に、違和感がある。並んだ幾何学的紋様のコマンドが一つ増えて、見たことの無い物が追加されている。


「随分と久々の進化だ」


 これまで、周りの魔法は劇的に進化して、次々と威力の高い魔法なんかを習得していくのに、《叡智の書》に起こった進化といえば、魔物の身長体重が分かるようになるとか、あってもなくてもいいような、どうでもいいものばかりだった。いつまでたっても調べて、整理して、それだけの最弱魔法。それを虚がどんなに悔しがっていたことか。だが、それも今日で終わりを告げるのだ。


「《CONNECT》……?」


 表示されたコマンドには、英語でそう書かれていた。


 コマンドの解説をしてくれる機能なんて物はないので、何が起こるかは発動してみなければ虚にも分からない。だが、とにかく使ってみないことには何も始まらない。そう思って、虚は恐る恐る指を近づけ、コマンドを押すと、


 ――次の瞬間、虚の視界は無数の明滅する光の波によって埋め尽くされた。


「があああああああああああああっ!」


 視界を埋める光の正体は、虚の知らない未知の情報。映像が、文章が、音が、匂いが、感覚が、知らない事だというのに、それらはあらゆる五感に訴えかけて、虚の中へと入ってくる。


 それはまるで氾濫した川の如き勢いで、次々に新たな情報が、虚の脳を犯し続ける。


(頭が痛い、焼けるように熱い。何かを考えるたびに情報の波にかき消されて、考えまとまらない。 ……このままじゃ、俺は死ぬ)


 あまりの情報量の多さに処理が追いつかず、焼ききれそうになって、虚の脳が激痛を発し続けている。そんな状態だから、どんどん正常な思考が出来なくなって、ただ、最後に思い浮かんだ“死”という言葉だけが脳内で繰り返され始めた。


(死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ!)


 とめどなく頭に流れ込むのは、世界の記憶。他人の記憶。誰かの一生の喜びや悲しみ、苦しみさえも実体験のように頭に刻まれる。もう自分と他人との境界線さえ曖昧で、虚は自分自身だが誰なのかの認識さえ出来なくなりかけていた。


(……死ぬ?それは駄目だ)


 焼けて掠れて千切れそうな僅かな意識の中で、誰かの記憶に飲み込まれかけたその時、虚の精神の核ともいうべき中心部分が、弱弱しくではあるが、確実に声を上げた。


 ――途端、虚の視界を満たし、脳を蝕む情報の海の中に、はっきりと三人の少女の顔が浮かび上がった。


(そうだ。俺は死ねない。生きて、あいつらを守らないと……)


 そこからは殆ど無意識に体を動かしていた。


 《叡智の書》の選択画面の、《CONNECT》よりも更に下。一覧にすらなっていない場所に小さく表示されている禁忌のコマンド。――《初期化》


 脳にある情報の全てをクリアする、拷問時に情報を守るためくらいにしか使い道の分からなかった最悪の自爆コマンドを、虚は躊躇なく開き、実行した。


 途端、脳を焼き焦がすような激痛が薄れ、情報に犯されていた視界は徐々に暗闇に包まれていく。


 ……虚の意識が続いたのは、そこまでだった。



***



早朝の、僅かに空が明るくなり始めたくらいの時間。その世界の殆ど誰もが寝静まっている時間に、真っ暗な室内で、布団もかけずに床でうつ伏せに寝ている灰色の髪の少年を見下ろす影があった。


「強力な魔力を感じて来てみたものの、どうにも見当違いだったのでしょうか」


 灰色の髪をみっともなく広げて、いくら春先で多少暖かいとはいえ感心しないだらしなさを見せる少年を見て、その影は何だか馬鹿馬鹿しくなってしまって、ため息を吐いた。


「けれど、私にはもうこれが最後の希望なのも事実です……慎重に、見極めないと」


 少年を眼下に収める位置である天井近くの“空中”で、影は決意を固めると、昇った陽が室内を照らしたのに少し遅れてそのまま姿を消した。


 太陽の光が室内を照らしたその一瞬、白に照らされて夕焼け色が美しく光ったのを、うつ伏せで眠り続ける灰髪の少年、御影虚が気付く事はなかった。


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[一言] タグにハーレムがなかったから読んだのにハーレムじゃないですか。 詐欺?
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