魔女の棲んでいた丘
「ここですね」
「ああ、そうだ」
俺たちは廃屋の扉をくぐり、ミアの魔法によってナタリアさんの家があった場所を訪れていた。覚悟はしていたが、改めて焼け焦げた土地を眺めるのはなかなか勇気がいる。まして今は昼間で、何なら一番明るい時間帯で、俺たちは目に飛び込んでくるこの光景から逃げる方法を知らない。目を閉じればいいのかもしれないが、そうしたら歩くこともままならない。結果、俺たちは光の下に晒された景色を余すところなく見つめるしかないのだった。まあきっと、目を閉じたところで焼け焦げたにおいが俺たちを襲うだろうから、何をしても逃げられるわけはないのだが。
「この家の扉がかろうじて機能していてよかったです……そうでなければ、真面目に歩いてくるしかありませんでしたから」
ミアは、ほとんど焼け落ちてしまったナタリアさんの家を見つめてつぶやいた。彼女の扉くぐりの魔法は、行き先に開閉可能な扉がなければ使うことはできない。
「とはいえ、ひどいものです。本当に何もなくなってしまったのですね」
「ああ……」
帝国か、はたまた反帝国組織か。彼らがどうやってこの村を焼いたのか、俺は直接見ていない。ナタリアさんの遺したものをここで見つけて、そのまま彼女の腕と石を抱えてここから逃げたのだ。涙はこぼれて、視界はゆがんで、とにかく遠くへ遠くへと願い、走り続けた。組織の連中は俺を追っているかもしれないが、どうせまともな身の上ではないのだし、見つかることはないと思う。万が一見つかっても、彼らは俺を殺すことができない。俺はそういうものだからだ。ああ、何というか。俺は戦争が嫌いだ。
ナタリアさんの家は玄関のドアとそれに連なる壁一面だけを除いてほとんど形を失っていた。周囲は当然灰とがれきだらけで、丘から見下ろす景色もおおむね似たようなものだった。どこまで行っても白と黒。面白味もなにもありはしない。
「……本当に、ここでいいんですか?」
ミアは尋ねる。
「彼女が長く暮らしていて、旦那さんとの思い出も残っているこの場所がいいと思ったんだが……墓がこれでは、あまりに可哀想だと思う」
「そう……ですよね」
ミアはうなずいてくれた。心なしか、目の縁が濡れて光っているように見えた。
「なあ」
「はい」
「庭に埋めたら、先生怒るかな」
「……さあ、聞いてみないと判りません」
「だよなあ……」
俺は手にした銀色のかたまりを布にくるみ、鞄にそっと戻した。
ミアはその動作を確認すると、特に何かを言うわけでもなく静かに扉の方を振り返った。長い髪が、彼女の仕草に合わせて視界の端でふわりと泳ぐ。
「じゃあ、聞きに行くか」
「そうしましょう。お茶くらい出しますから。それに今月の課題のこともありますし」
「ああ、課題……」
ミアの師匠、西の魔術師から与えられた『俺を人間に戻すための十二の課題』、その二月分。俺はこれらの課題を様々な理由で失敗し、失敗し続け、こうして長い時間を過ごしている。ミアはそのお目付役というわけだが、どちらかというと道連れに近いように思える。何でも、俺がすべてを成功させるまで彼女は高位の魔法使いになれないらしい。何とも気の毒な身の上である。
課題はもっぱら厳しく、達成の方法も一切示されない。その上達成できるタイミングも限られている。だからこそ、こうして手こずっているのだ。
「――二月の課題は、何だったかな」
「もう……。そんなこと言ったって、教えませんよ」
俺は丘からのモノクロの景色をもう一度だけ目に焼き付けた。戦いから逃げて、白銀姫から逃げて、ナタリアさんからも逃げて、すべてが終わったころにのこのこと戻ってきた自分を、忘れないために。
なんだ、結局、何もできないままなんじゃないか。俺が嫌いなのは戦争じゃない、本当は――。
――風に乗った灰が入ったのだろうか、目に鋭い痛みが走った。
「行きますよ」
それとほとんど同時に、ミアが後ろを向いたまま俺の手を取った。彼女のやることはいつでも突然だ。
「……泣くくらいなら、あなたが殺してしまえばよかったんです」
鋭く、痛く、全然やさしくない魔女の声は、俺の胸を串刺しにする。
でも。
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
やさしくてやさしくない彼女の声を、俺は聞こえなかったことにした。
今だけは、誰にもこの壊れかけた心に触れられたくない。そう思った。
「……行こうか、今度こそ」
「はい、どこへでも」
ごめんな。
俺はひび割れた心の内側で、魔女に謝罪の言葉を述べたのだった。