魔女と輝石
「あんたは、あたしを助けるために来たんじゃなかったのか?」
「……」
銃を向けられた魔女は穏やかに微笑む。
「サトリ、あんたは何がしたい?」
そして、俺に向かってやさしい声で尋ねるのだ。
「……俺は」
彼女が聞いているのは俺自身のこと。
ほかでもない、銃を構えた自分自身のこと。
俺は、実際のところこの人をどうしたい? おそらく、引き金をひと思いに引いてしまえば魔女は死ぬだろう。俺の故郷を跡形もなく消してしまった白銀姫の力の正体には、おおよそ察しがついている。もしそれが正しければ、彼女の力の源はあの機械の両腕ということになる。そして、それ以外は普通の老婆と何一つ変わらないのだ。
――俺が恐れるような相手ではない。
俺は今すぐに、ここで、自分の人生を狂わせた相手を、
「俺は、あんたを……」
――殺せる。
「なんだ、泣きそうな顔をして。情けないねえ」
殺せるのに。
――どうしてこんなにも、鼻の奥が熱いんだろう?
気がつけば銃を構える手は震えていて、もはやまっすぐ照準を合わせることさえできなくなっていた。何ということだろう、俺は自分の身体の感覚さえ掴みきれない状態になっていたのだ。情けないことに、原因は目の奥にぐるぐると渦を巻いている青黒い動揺と混乱に相違なかった。本当に、情けない。
「まったく……白銀姫が憎いんじゃないのかい」
そうだ。俺はどうしてこんなにもぐずぐずになってしまっているのだろう。
俺は目の前の彼女を憎んでいるはずだ。生活を破壊して、家族を奪って、俺を普通の人間ではなくしてしまった。それらは全部、白銀姫のせいだ。そう思ってきた。だからこそ、俺はこの人に銃を向けた。この人の人生に何があったのかは知らないし、夫を殺してしまったことだって彼女の危険性を表すエピソードでしかないはずだ。危険な人物は生かしておくべきではない。それが俺の『秘密』を知っている人物であれば、なおさら。
そうだ。それだ。
「俺は」
「あんたは昔からそうだ。自分の決断力の弱さと他人へのやさしさの区別がついていない」
彼女はどうして、俺のことを知っている?
俺が若い頃の――彼女が俺の秘密に気付くほど昔の――彼女に会った記憶はない。村にナタリアなんて名前の人はいなかったし、白銀姫になった後の彼女に直接会った覚えなんかなおさらない。俺は今まで出会った人のことは書き残すようにしているし、こんな特徴的な腕を持った人なら余計に忘れるわけはないのだ。
知りたいと思った。
白銀姫を恨みに思う気持ちが消えたわけではないが、知りたいと思ってしまった。
――俺と彼女の、因縁のはじまりを。
あるいは血の通った人間を、年老いて自分より弱いことが明らかである相手を一方的に撃ち殺そうという行為から逃げ出す理由を見つけただけかもしれないが。それでも知りたいと思ってしまった。
だから俺は、魔女に向けていた銃をそっと下ろした。
「俺はあんたに聞きたいことがある」
「そうかい」
魔女はこちらの震える声に気付いているだろう。しかし何も言わないのだ。あざ笑うことも、叱ることもしない。彼女はただ、天を仰いでたばこの煙を吐き出していた。
「それなら、明日の夜明けごろにまた来るといい。日が昇りきるよりも早くだ。いいね」
魔女は静かに目を閉じた。
「あたしはここにいるからさ」
その横顔は、どこか寂しそうであり、待ちわびていた客人との別れを惜しむような、人間らしい色彩に満ちていた。
「……解りました」
俺はそんな彼女に、別れを告げることしかできない。
銃をホルスターにしまって、そっとドアの方を振り返って。
「ああ、そうだ」
ドアノブに手を触れたところで、魔女が声をかけてきた。俺は思わず彼女の方を振り返る。
すると。
「あんたは、間違っちゃいないよ。あたしがわがままなだけさ」
「……?」
どうしてだろう。魔女は――ナタリアさんは、うつむいて一筋の涙をこぼしていた。
*
彼女の涙の意味をつかめないまま、翌朝の鳥が鳴き出す頃。俺は再び彼女の家を訪れていた。黙って飛び出した手前、もう組織には戻れない。実のところ、俺はこの近辺の空き家で一夜を過ごしていたのだが。
「ナタリアさん、おじゃまします」
ドアを叩いてみたが、反応はない。
「入りますよ」
何度か試したが、一向に反応はなかった。このままではらちがあかないと、俺は鍵のかかっていないドアをそっと押して、人気のない廊下を進み、ダイニングへと向かった。
「ナタリアさん……?」
家に足を踏み入れた瞬間から薄々気付いていたことではあったが、ダイニングに到着したときにそれは確信へと変わった。
――魔女は、この家のどこにもいなかったのだ。
その代わり、魔女の座っていた椅子の背もたれには彼女の銀色の左手が、ちぎれたような状態で引っかかっていた。
「……ナタリアさん」
持ち主を失ってもなおぎらりと光る彼女の左手、手袋を失くした薬指には、手と同じ色の指輪が二本はめられていた。そしてぬくもりを失った手のひらには、エメラルドにも似た緑色の輝石がしっかりと握り込まれていた。