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逆行懐古録Ⅱ 魔女の棲む丘  作者: 黒川杞閖
二月「魔女の棲む丘」
3/7

『思い出話をしてみよう』

 老婆が口にしたナタリアという名前に、覚えはない。

 それどころか、俺はこの機械の腕を持つ老婆のことも知らなかった。

 ――その、はずだ。

「そうか、やはり知らないか」

 無理もないねと、彼女は力なく笑った。

「また……『違った』んだね」

「え、何です?」

 銀色の手の中に戻ったキセル。俺を知る見知らぬ他人。煙と共に吐き出された老婆の言葉。壁紙の染み。ぴりついていて埃っぽい屋外とは比べられないくらいに穏やかな、この家の中。この壁の中にあるすべてのことがちぐはぐで、どこかフィクションの世界の出来事のように感じられる。当然、俺は椅子に座って脚を組んだままの彼女が言ったことを理解できず、間の抜けた返しをする。彼女は俺の顔を見ると目を細めて、

「なに、年寄りのたわごとだ。勝手な理想の押しつけだ。気にしないでおくれ」

 と、穏やかに笑うのだ。しかし、やはりと言うべきなのか、その表情に心はなかった。彼女は視線を脚の上に置いた手に落とすと、手袋を撫でながら小さくささやいた。

「……していたんだ」

 一度目は、はっきりとは聞こえず。

「愛していたんだ」

 ――二度目は、俺の耳に鋭く刺さった。

「え、何のことです……?」

「ふふ、秘密だよ」

 ただ、その意味を理解するまでには至らず。

 俺はまた、戸惑うだけだった。

「どれ、若人よ。とわに朽ちない宝石よ。老人を住み慣れた家から追い払おうっていうなら、代わりに思い出話のひとつでも聞いていってくれないか。そしたら、あんたの言うことも考えよう」

 老婆はこちらの困惑など意にも介さず、エメラルド色の光で俺の顔を照らした。俺はさっきから、この不思議な人物について何ひとつ理解できていない。そもそも、この人は……。

「あたしの名前はナタリア。ナタリア・ブルック」

「えっ……」

 そうこう思っている間に、彼女は名乗る。まるで、こちらの疑念を見透かしたかのように。ふたつの意味でたじろいだ俺を見て、また彼女は笑う。あたしはヴィンスじゃないよ、と。今度は、どこか楽しそうに。

「あなたは……」

 次から次へと謎を投げつけられて、俺は月並みな言葉しか紡ぐことができない。

 老婆はそのさまを楽しむかのように、またにっかりと笑う。

「あたしは、丘の上の魔女だ」

 今度は、腹の奥底から。

「魔女と言っても、本物みたいに魔法が使えるわけじゃない。歳だって人と同じ早さで重ねている。だからこの魔女っていうのは、ただの蔑称だよ。性格が悪いってこと」

 不思議な老婆……ナタリアさんは、からからと笑う。彼女は、魔女という言葉にはふたつの意味があるのだと語った。

 ひとつは、魔法を使える女の人のこと。魔力はこの世界にありふれているものだが、それをきちんと引き出せるのは稀有な才能の持ち主だけである。たとえば、先生やミアのような人のことだ。

 もうひとつは悪魔のような女の人のことで、自分はこっちなのだと彼女は言った。

 若い頃の彼女はひどい暴れん坊で、当時の戦乱の中で兵士として大暴れしたのだという。その様子が悪魔のそれのように例えられたことから、いつしか敵味方関係なく、誰からも悪魔のような女、転じて魔女と呼ばれるようになったのだと。あるときは不必要に城門を破壊し、またあるときは橋を落としてひとり高笑いしていたと、彼女は遠くを見つめて言う。

「それ、決して性格のせいだけじゃないですよね……?」

「あはは、どうだろうね。当時のあたしはまた、生意気でね。性格も相応にひどいもんだった」

「はあ……。じゃあ、その腕も……?」

「ああ、戦争の中で『こうなった』んだ」

 彼女は 手袋をした右手で、袖の上から機械の腕を撫でた。腕を見つめる彼女の視線はやさしく、何かここにはないものを懐かしんでいるように思えた。彼女の若い頃……今から六十年ほど前にあった戦争といえば、それは。

「ああ、そうだ」

 ナタリアさんは、思い出したかのように明るい声を発する。

「そういえば、もうひとつ通り名があってね。あれは割と気に入っていたんだ」

 銀色に照らされていたエメラルドの瞳が、すっと細くなる。ナタリアさんは顔を上げて、やさしい顔をしたままで俺を見て、

「『霞が谷の白銀姫』ってやつさ」

 笑った。

「…………」

 魔女は微笑んでいる。

「きれいな名前だろう? サトリ」

 今からおよそ六十年前の戦争。今では魔法戦争と呼ばれるそれは、帝国と周辺国によるとても大きな戦いだった。多くの魔法使いや兵器が投入されて、数え切れないほどの人が巻き込まれた。正確な死者の数は、未だにはっきりしないのだという。魔法戦争の特徴として語られるのは、魔法の理論を応用したまったく新しい武器の数々が誕生したことであった。それは時に大型の機械であり、手の中に収まるような道具であり、時に人間であった。

 俺の生まれた村は、そんな『兵器』のひとりに粉々にされたのだ。ライムの村は、今や不毛の土地と化していた。

「……ええ、とても。ずっとあなたに会いたかった……そんな響きだ。白銀姫」

 あの日のことを忘れられない俺の手は、自らの腰に差さった銃のホルスターに伸びていた。


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