緑色の意思
サトリ …故郷を失った旅人
ナタリア …魔女を名乗る老婆
ミア …西の魔術師の弟子
西の魔術師 …偉大なる魔法使い
もうすぐ戦争が始まります。
あなたはどうか、どこにも行かないで。
*
いつかの日曜日。晴天。この土地特有のやや強い西風は、今日も景気よく砂埃を巻き上げ続けている。俺は村のど真ん中に立って、わざとその砂埃にまみれている。こうするたび、世話焼きの青い魔法使い(の弟子)にはやめろと怒られるが、彼女の言うことを全部聞いてやる義理はない。服が汚れるとか、身体が汚れるとか、そんなことはさして気にならない。どちらも、洗えばいいのだから。そんなことよりも、俺にはもっと重要な事柄がある。俺はただ、生まれ故郷を見ていたいのだ。粉々に破壊され、もう何も残っていない故郷を、そのど真ん中から見ていたいのだ。
もう、五年も前になる。
俺の生まれ育ったライムの村は、帝国との魔法戦争で『砕かれて』しまった。小さな国の片田舎にあるこの村に、特別な何かがあったとは思えない。ただ、たまたま標的にされてしまったのだと、そう思っている。
「もう、鐘楼の形だって思い出せない」
俺は、瓦礫さえ残らない村を眺めてぼやく。
「水車のあった場所だって……」
ぼやくうち、ひとりでにため息がこぼれる。それに気がついたとき、俺は声を出すのをやめていた。
何をどうしたって、ここにあったものは戻らないのだ。それこそ、時間が巻き戻りでもしない限りは。
『時間を戻す……そんな魔法、あたしが使いたいくらいさ』
この前、西の魔術師が遠くを見つめながら言っていたことを思い返す。彼女のような高名な魔法使いでさえ、まっとうな方法では時間に渉することはできないのだという。そう、かつてここを砕いた戦いに関わった、あの人でさえも。
「…………」
俺は西の魔術師――先生を許せるのだろうか? その疑問からは、もう五年も逃げ続けている。先生も俺に回答を求めないし、もう一生、いや永遠に曖昧にし続けたってかまわない。俺は先生に拾われたあの日から、ミアに出会ったあの日から、もしかしたらもっと以前から――先生を恨むことができなくなっているのだから。
先生の青い瞳のことを思いながら、俺は大銀杏のあったところに向かって歩き出した。もう、近道やら路地の凸凹やら、そんなことを気にする必要もないのだ。
「これは」
俺は大銀杏の跡地を見て、思わず驚きを声にする。もう何もないと思っていた故郷に、新しい緑色が現れていたのだ。
「若木か……」
見れば、俺の背丈よりも大きな銀杏の若木がそこに佇んでいた。どうして遠くから見て気付かなかったのだろう。何もないこの土地では、視界を遮るものなど何もないのに。
『見ようと思わなければ、人の目には何も見えやしないんだ』
また、先生の声が頭に響く。
俺は銀杏の若木を、意味もなく上から下までじっくりと眺めた。今まで存在に気付かなかったことを、わびるように。鮮やかな緑に、まだ深まりきっていない幹の色。若木は、この村が忘れてしまった生命の色を一手に引き受けて輝いている――きっと、先生ならそんな表現をするんだろう。どこまでも払えぬ先生の影を足下の落葉に重ねながら下を向く。そのときだった。俺の足下の何かが、俺を呼んだのだ。その呼びかけにあらがう暇も与えられないまま、俺は両の目を奪われた。
「これは……?」
それは、影の中の光だった。
緑色の、光。
「石……?」
俺はいびつな形をした光を拾い上げると、それを胸のポケットに収めた。
今日は、年に一度の村を訪れる日。ライムの村の、命日だった。