王都にて
王都は高い城壁に囲まれていた。
だがそこへ近づく前から、なにやら騒がしいことが分かった。勇者の到着を一目見ようと、お祭り騒ぎになっていたのだ。
苦しうない。
「見て見てっ! エルフがいるわっ!」
「きゃーっ! 勇者さまーっ!」
「すっごいイケメンよっ!」
「ところで、あのおじさん誰なの?」
「知らなぁーい」
メインストリートに群衆が詰めかけての大騒ぎだった。それはいいんだが、皮肉は聞こえないように言って欲しいな。
新たな勇者が見つかっていないことは誰もが知っているはずだ。つまりはおじさんが勇者なのであり、イケメンに見える女はあくまで従者である。わざと言っているとしか思えない。
さすがに王都だけあって、住民たちは皆よい服を着ていた。ボロいのもいることはいるが。ほとんどの貧乏人は城壁の外に住まわされている。
ジャスミンは愛想よく手を振っているが、俺はそんなことをする気にはなれない。ましてやモーガンのように投げキッスをするなど。グヴェンも姿勢を保ち、強い表情で俺の後ろについてくる。
城門前につくと、衛士が近づいてきた。さすがにそいつは勇者を間違えず、まっすぐ俺のもとへ来た。
「ギンズバーグ伯爵、お待ちしておりました。遠路はるばるお越しくださり感謝します」
「うむ」
俺は騎乗したまま応じた。
身分の低い連中と違い、俺たちは途中まで馬で入ることができる。なにせ伯爵だからな!
しかしさすがに途中で下馬し、俺たちは歩いて宮殿内に入った。
過剰に着飾った貴族たちが顔をしかめたり、目を丸くしたりし、遠巻きに俺たちを眺めていた。
謁見の間には、さすがにヒソヒソ話をするような輩はいなかった。ただ、俺の記憶よりもかなり老いた男が玉座についており、脇に若い男女が侍していた。
俺は前に歩み出てひざまずいた。
「ギンズバーグ伯、ただいま参上いたしました」
「ふん。遅かったではないか。なにをしておったのだ?」
痩せこけた老人は、喉からかすれた声を出した。
以前会ったときは、もっとふてぶてしいツラをしていたように思うのだが。さすがに寄る年波には勝てないか。時の流れは、エルフ以外には平等だからな。
「旅の途上、避けがたい理由により、グリフィンやキメラと戦っておりました。これも国を守ることにつながればと思い……」
「ええい、こざかしい! 辺境の民など救って勇者気取りか! 王であるわしが呼んだのだぞ! そのような些事に関わらず、すぐに参るのが筋であろう! 礼儀も知らぬ田舎者めがッ!」
すると側近が困惑顔で口を開いた。
「陛下、あまり大声を出しますとお体にさわります」
「忌々しい。神が加護を与えなければ、こやつなどただの物乞いではないか。そんな卑しいものに爵位を与えたわしへの恩をなんと心得る」
出たよ。
そういえば十数年前、俺がこいつにナメた口を聞いたのも、こうしてバカにされたからであった。あのときは親に用立ててもらった服で城に来たのに、肥料の匂いがするだの汚らわしいだの散々に言われたのであった。ま、王ってのは偉そうなもんだと思ってるし、別にいいんだが。実際こっちも調子に乗ってたしな。
俺は反論せず、ただ頭を低くして聞いていた。
国王もやがて冷静になってきたのか、ふんと鼻を鳴らしてまぶたをもみほぐした。
「言い返して来んのか? 少しは大人になったようだな、ギンズバーグ卿」
「私の使命は魔王軍と戦うことです。お命じくだされば、すぐにでも出立いたします」
「待て。そう急くな。紹介したいものがおる」
王はやや冷笑を浮かべ、侍していた男女を招き寄せた。
どれも十代の若者に見える。立派な衣装を身にまとった少年は騎士だろうか。彫りが深いというか、やや濃すぎる顔をしている。石像みたいだ。従者はふたりの少女。頭からローブをかぶった小柄な魔術師と、チンピラみたいな金髪の女だ。
「孫のアンドルーと、その従者だ。今回の旅は、こやつらを同行させよ」
「えっ?」
まさか、国王の孫が加護を受けたのか? 神は気まぐれだ。こういうことがあってもおかしくはない。
王はこう続けた。
「魔王の首はこやつが刎ねる。貴様はその手伝いをせよ。加護は受けておらぬから、貴様が盾となるのだぞ。命に変えても守れ。もしアンドルーが死なば、貴様の命もないものと思え」
「はい」
なんてことだ。
魔王追討キャンペーンを王家のイメージアップに使おうってのか。加護も受けていないガキを守りながら戦えば、戦いの質が低下する。
するとアンドルーは俺の前に来てしゃがみ込み、優しく手を握りしめてきた。
「お会いできて光栄です、ギンズバーグ卿。私はアンドルー・イグドラシル。まだ若く経験もない身ですが、力を貸してもらえると嬉しく思います」
ジジイと違って人格者だな!
笑顔も濃すぎるけど。
いや、問題はツラじゃない。加護だ。実戦経験もない凡人を激戦区に投入するっていうんだから、こいつはただごとじゃないぞ。
アンドルーがさがると、王は満足そうに笑みを浮かべた。
「では下がってよい。晩餐会の時間になるまで、部屋でくつろいでおれ。それまでにその馬のようなにおいは消しておくようにな」
「はい」
久々に会った感想は、まあ、「死ね」以外にないな。
*
部屋で着替えを済ませた俺は、特になにをするでもなくバルコニーから城下を眺めた。
レンガ屋根の建物が、遠方までずらーっと並んでいる。はるか先には城壁。麦畑なんて見えやしない。まあ壮観な眺めだ。旅が始まってからずっと天気もいい。
ふと、ドアがノックされ、返事をする前にグヴェンが入ってきた。綺麗なドレスがよく似合っている。顔は母親に似たかもしれないな。ぷりぷりと怒った顔がそっくりだ。
「伯爵! 先ほどのはなんなのです!」
せっかくのドレスなのに、大股でドタドタ詰めかけてきた。
「どうしたグヴェン、落ち着きなさい」
「国王の態度です! 私たちは国のために戦いにおもむくのですよ! それをあのような扱い……悔しくないのですか!」
「おいおい、あまり妙なことを言うな。誰が聞いてるか分からんだろう」
するとグヴェンは引き返し、廊下をキョロキョロ確認してからまた戻ってきた。
「なぜ一言も言い返さないのです?」
「いいか。前回はカッコつけて言い返した結果、あんな辺境にぶっ飛ばされるハメになったんだ。黙ってるほうがマシだ」
「しかしあの態度……何度思い返しても許せません!」
「そういやエリスも怒ってたな。ふたりで国王をぶっ飛ばして新しい国を作ろうぜ、なんて言ったっけ。まあ口だけだったけどな」
「ではいまこそ実行しましょう! 剣はどこです?」
「やめておけ。晩餐会ではご馳走が出る。そいつを食って満足しようじゃないか」
「ドラゴンステーキも出るのですか?」
「たぶん出ない」
するとグヴェンは地団駄を踏んだ。
「そんなのご馳走とは呼べません! 伯爵、私、悔しいのです! 次はなにか言い返してください!」
「断る。状況が悪くなるだけだ」
「私は伯爵と違って馬のにおいなんてしないのに! いつもキレイにしています!」
「俺だって馬のにおいなんてしないぞ」
するとグヴェンはにわかに平静を取り戻し、すんすんと鼻を鳴らした。
「たしかに、馬ではなく父上のにおいがします」
「嗅ぐな」
しかもいま父上って言った……。
グヴェンは気づいていないらしく、思案顔で部屋をうろうろし始めた。
「どうすれば仕返しできるでしょうか……。伯爵、なにかいいお考えはありませんか?」
「グヴェン、ドレスがよく似合ってるぞ。本来なら、俺もお前にそいう服を着せてやりたかったんだが……。お前には苦労をかけてばかりだな」
「急になにを言い出すのです! 私は服などいりません。剣と鎧さえあればいいのですから。それより、悪いと思うのなら早くお金を返してください。お金がないと言うわりに、ビールばかり飲んでいたではありませんか。話が矛盾します」
「いや、それは当初予定していた予算との兼ね合いでな……。複雑な計算式になるから、専門的な知識が必要になってくる」
「聞かせてください。私にも算術の心得がございます」
「待て。いまは晩餐会に集中しろ。これも大事な式典だ。あんまり無計画にメシを食ってると、貴族どもからバカにされる」
「なんなのですか貴族とは!」
キレ始めた。
俺たちもいちおうは貴族だからな。
「ともかく、お行儀よくしてくれ。お前は賢い子だからできるよな?」
「心配ご無用。このグヴェンドリン、もはや子供ではありません。好き嫌いもありませんし、それが食べ物かどうかは舌ではなく胃で判断するようにしております」
「うむ……」
食べ物かどうかは舌でも判断しろ。
*
不安は的中した。
貴族たちの列席する晩餐会が始まると、王の演説中にも関わらず、グヴェンはナイフとフォークを手にしてそわそわし始めた。
だがマナーを知らないのは俺の娘だけではなかった。アンドルーの従者も、「腹減ったんですけど!」と食器をカチャカチャやり出した。
貴族たちは顔をしかめつつも、しかし王の演説を聞いているフリを続けた。
王のありがたい話はこうだ。魔王軍はいまやミッドランドだけの脅威にとどまらず、全人類共通の問題である。神の加護を受けた勇者に追討を命じるのはもちろんのこと、大規模な兵を動かす必要があり、そのためには莫大な金が必要となる。なのでお前ら貴族はもっと積極的に貢納しろ云々。俺も腹が減ってきた。
やがて疲れた王が腰をおろすと、参加者は一斉に溜め息をついた。
いちど言えば分かる話を、なんども繰り返しやがる。しかも話によれば、前回の掃討作戦は資金が足りず途中で切り上げていたらしい。そういう中途半端なことをするからまた魔王軍が来るのだ。王の失策であろう。
「ではミッドランド王国のますますの発展を祈念し、乾杯」
アンドルーの号令で、俺たちはグラスを掲げた。
やっと酒が飲める。白ワインだ。まろやかな酸味とほのかな甘みの品のある味わい。まあ悪くないんだが、俺はもっと雑味のあるビールが飲みたいんだな。
「わあ、おいしい」
ふと、グヴェンの声で俺は我に返った。
まだ前菜も出ていない。というかワインしかない。まさかワインを飲んだのか。ビールより先に!
だが見るとジンジャーエールだった。さすがに配慮されたか。
「伯爵、これおいしいです! 一口どうですか?」
「いや結構」
意外と無邪気だな。俺のこと嫌ってたんじゃないのか。
ドラゴンステーキは出なかったものの、代わりにビーフステーキが出てきた。娘はなにを食ってもおいしいおいしいと大はしゃぎである。さっきのブチギレはなんだったのやら。
マナーは俺も知らないから、出されたものを適当に食った。俺たちが田舎の成り上がりだってことは周知の事実なんだから、いまさら恥じることはない。アンドルー従者のチンピラ少女がフィンガーボウルの水を飲んだのはさすがに驚いたが。
やがて女性たちがはけると、男だけの時間となった。
酒を飲みながら下世話な話をするわけだ。
王はとっくに退席している。歳も歳だ。長生きしたければ、ムリはしないほうがいい。
貴族のひとりが話しかけてきた。
「いやあ、しかしギンズバーグ卿はお羨ましいですな。土地税を免除されているのでしょう? 蓄財もはかどるのでは?」
口だけ達者な世襲貴族だ。たいした家じゃない。先祖がどうやって貴族になったのかも分かったものではない。
「蓄財の余裕などありませんよ。あの痩せた土地をお見せしたいくらいだ」
「そう悪く言うのはいかがかな。王から拝領した土地でしょう。もとはレッドフィールド伯の領地であったものを、切り取ってあなたに封じたのです」
「感謝はしていますよ。しかし私は、統治のなんたるかも知らぬ田舎者ですからね。いかにすれば豊かになるのか、まるで想像もできませんで」
「ま、エルフたちの機嫌を損ねないことですな。なにせあいつらの取り柄と言ったら見た目だけで、中身は狡猾で卑怯ですから。せいぜい領地を奪われぬよう気をつけることです。おっと失礼。あなたのお仲間にもエルフがいましたな」
「結構」
こいつが囀るおかげでワインもはかどる。
するとアンドルーが会話に参加してきた。
「あの地はかつて、ミッドランドとエルフが幾度も戦火を交えたと聞きます。かつて詩人も歌ったように、赤き血の流れる荒野だったのでしょう。そこを平和に治めているだけでも、王への忠義を尽くしていると言えるのではないでしょうか」
国王の孫にこう言われては、貴族も黙り込むほかなかった。
爺さんに似なくてよかったよ。
実際、あそこは過去に幾度か戦地となったらしい。
俺の拝領した土地は、平地だから兵を進めれば取れる。しかし取ったあとで、その使いみちのなさに愕然としたはずだ。戦略的な価値が低すぎるのだ。
さいわいレッドフィールド伯が人格者だったおかげで、俺は近隣とはうまくやれていた。というより、あの土地はレッドフィールド伯も持て余していたらしい。俺に押し付けることができてほっとしたのだとか。
べつの貴族がグラス片手にやってきた。でっぷりと太った陽気な男だ。
「しかし勇者さまも難儀ですな。前回に引き続き、またしても魔王の追討とは。それも若い時分ならいざしらず、十年越しのカムバック。しかもご息女が一緒とは」
酔っ払っているのか赤ら顔でよく喋る。
「ま、これも神の気まぐれというものでしょう。前回も気まぐれで選ばれたのです」
「おお、神! まさしく! ときにギンズバーグ卿、ご存知ですかな? 魔王軍にも神の加護が与えられておるという噂」
この大声が響いた瞬間、会場がざわめいた。
危ない話題に、いともたやすく突っ込んでしまったようだ。
男は気づかずに揚々と続けた。
「もしかすると神々も、人間のように派閥を作っていさかいを起こしておるのやもしれませんな! 人間と違うのは、こうして酔っ払うことさえできぬということだけ。そう考えれば、あるいは我々のほうが幸福かもしれませんぞ! うんうん」
そしてワインをぐびりと飲み干した。
勇者や従者に加護を与える神々がいるのだから、魔王軍に加護を与える神もいるのでは、という説は前からあった。いや、そんなのは神ではなく悪魔だとか、そもそも神はひとつであるという説もあるが、いまだ結論は出ていない。
とはいえ、それは神秘というほどの神秘でもなかろう。俺は紫電と対話したことがある。じつに俗っぽい女神であった。魔王に加護を与えてるヤツがいるのかどうか、聞けば教えてくれるかもしれない。
神々との対話は、王都の大聖堂でも続けられているはずである。情報が出回っていないということは、知ってる人間が黙っているということだろう。どんな不都合があるのかは知らないが。
(続く)




