魔弾の射手
まずはグリフィンが動いた。前のめりでの鋭い突進。グヴェンは悲鳴を上げながら後ろに倒れ込みつつ、身を捻って渾身のパンチを叩き込んだ。全体重を乗せたガントレットでのパンチはクリティカルヒットし、グリフィンのクチバシを粉々に打ち砕いた。
俺は少し出遅れてしまったが、仰け反ったグリフィンの首へ横からズブリと突きこんだ。鉤爪を振るってきたので剣を手放して距離をとり、グリフィンの必死に悶えるさまを見守った。
壮絶な最期だった。
雄叫びをあげることもできずにくぐもった声を出し、怪鳥は巨体をのたうたせ、羽を撒き散らしながら死んだ。
娘はへたりこんだまま呆然と見つめていた。
こちらももはや手を出せず、眺めていることしかできなかった。
*
その後、俺たちは魔術師の小屋を尋ねていた。
ピーターに聞かせるわけにはいかないから、小屋の外でのヒソヒソ話だ。
「おお、やってくれたか」
「これが証拠のトリ肉です」
「うっ」
葉に包んだ塩漬けの生肉を見せると、老人は不快そうに顔をしかめた。
「わしが菜食主義者じゃとは考えんのか」
「そういうことは先に言ってよ。それより、あなたの言うとおりグリフィンを始末したんだから、なんか報酬はないの? どうせ魔法のアイテムとか持ってるんでしょ?」
「どこまで厚かましいんじゃ。そんなことじゃから辺境に飛ばされるんじゃぞ……」
「俺が聞きたいのは皮肉じゃない」
老人は溜め息をつき、ローブの袖をまさぐった。
「分かった分かった。ほれ、盾のアミュレットじゃ。使用者の魔力に反応し、盾を発生させることができる。あんたらなら使いこなせるじゃろ」
「ありがとう」
なんだかよく分からない紋章の描かれた金属チップに紐が通されている。
俺は老人からアミュレットを受け取ると、そのままグヴェンに渡した。
「私に? よろしいのですか?」
「経験の浅いお前が持つのが一番だろう。俺は伝説の勇者だから簡単に死なないし、モーガンは後方支援だからな」
「今回もっともダメージを受けたのは伯爵のような気が……」
「それは先頭に立って戦ったからだ。いいから持ってなさい」
老人がふっと笑みを浮かべた。
「娘か。よく似とるの」
「ホント?」
俺はつい嬉しくなって聞き返してしまったが、娘は顔をしかめていた。しかしどんなに否定しても親子は親子だ。
「しかし皮肉な話じゃの。魔王軍がふたたび国を襲ったのに、新たな勇者は誕生せず、娘が従者に選ばれるとは……」
「神ってのは気まぐれで困る」
「たぶん連中にも連中の事情というものがあるんじゃろ」
「どうせ信者獲得のためのパフォーマンスだよ。加護を与えた人間が活躍すれば、自分たちの凄さをアピールできるんだから」
「だったらなおのこと疑問じゃな。紫電さまは、なぜ新しい勇者を用意せんかったんじゃ」
「簡単さ。俺を超える逸材を見つけられなかったってことだ」
実際そんなわけはないだろうけど。
*
小屋を出て村へ戻った。
ピーターからの手紙を渡してやると、村人たちはおおいに喜んだ。ついでにグリフィンをぶっ殺したから、急いで山頂に行けば肉が食えることも教えてやった。
少女も明るい顔を見せてくれた。
「勇者さまだったんですね! おじさんって言ってごめんなさい! お父さんのこと、ありがとうございます!」
「なに、こちらこそお役に立てて光栄だ」
あのチャラい父のもとで、こんな立派な娘が育つとは。
すると村の長らしき老人がやってきた。
「なんとお礼を言うべきやら……」
「これも勇者の努めだ。もし礼がしたいというのなら、ギンズバーグ領で生産されているビールを買ってくれ。なにせあそこには、それしか産業がないからな」
「ええ、それはもう」
領地に近いこの辺りの人間なら、おそらく買ってくれるだろう。味は保証できる。これで少しは販路が広がってくれるといいのだが。
その後、村を出て宿場町へ。
結局、モーガンは俺の馬に乗せることになったから、移動中は変な気持ちになって仕方がなかった。馬に乗っている間、彼女はわざとこちらに身を預けてくる。娘は終始イライラしっ放し。
宿に入ると、亭主に声をかけられた。
「伯爵、王都から手紙が来てますぜ」
「手紙?」
まさかたった一日寄り道しただけで苦情のお便りか。
娘は部屋へ直行してしまったので、俺はモーガンと酒を飲みながら手紙を読むことにした。
内容はこうだ。
次の宿場町に従者を待機させておくので、合流して王都へ向かうこと。以上。
今度こそ十代の少女なら、娘の話し相手になってくれるかもしれない。さいわい、酒に付き合ってくれる仲間は足りている。
「新たしい仲間? むかしを思い出すわね。今度は手を出しちゃダメよ?」
「意外だな。君はそういうのに寛容だと思ってたんだが」
するとモーガンは、妖しくほほえんだ。
「もちろん寛容よ。いつでも誰でも受け入れるわ。けど、娘さんが気を悪くするから」
「それが分かってるなら、馬の上でちょっかい出すのをやめてくれ」
「ふふ、嬉しいくせに」
「うるさいよ」
しかし実際のところ、いまは娘のこと以外は考えられない。彼女が傷つかないよう、規則正しい部隊運営をしなければ。
モーガンはワインを口にし、こくりと喉を動かした。
「あなたの異名、おぼえてる?」
「『幸運の勇者』だ。ただのラッキーボーイって言いたいんだろ。言われなくても分かってるっての」
「そしてわたくしが『異国の妖術師』。そのまんまね」
「エルフとは長いこと戦争してたからな。あんまり持ち上げたくなかったんだろう」
「今度の少女たちは、どんな名前をつけられるのかしら」
「なんでもいいが、娘にふざけた名前をつけたら承知せんからな」
母親が「麗しき旋風」だったんだから、グヴェンにも同じような感じで頼むぞ。
*
翌朝、宿を出た。
新しい仲間が加わると伝えたら、グヴェンも少し嬉しそうにしていた。ついでにパンケーキも買い与えた。
二頭の馬を並べての、のどかな旅だ。今日も天気がいい。
「レオン、わたくしのパンケーキは?」
モーガンが後ろにしなだれてきた。またこうすると娘の機嫌が悪くなるってのに。
俺はしいて真面目な顔で押し返し、こう応じた。
「君はあの丸薬で十分なんだろう」
「そうだけど……。口寂しいわ。誰かわたくしのお口になにか入れてくれないかしら」
「少し黙っててくれないか」
パンケーキを食べ終えた娘は、冷たい目でこちらをチラと見たが、特になにも言ってこなかった。ひとまずは許してくれたらしい。
宿場町は、徒歩での移動を想定して設置されている。だから馬で移動すると半日ほどでついた。
ここでも、最初に出くわしたのは人だかりだった。前回と違うのは、集まっているのが女性ばかりということ。
「きゃーっ! 勇者さま、ステキーっ!」
その声援は俺に向けられたものではない。
くりくりとした金髪、青い瞳、整った鼻筋。男であれば綺麗すぎる。細身のコートをすっと身にまとった、それは男装の麗人だった。歳は十八、九だろうか。
「言っただろう。ボクは勇者じゃないよ。従者ジャスミン。女性だよ」
「けど今度の勇者って、中年のおじさんなんでしょ? 私イヤだわ。どうせならあなたが勇者になってよ」
「それは困るな。彼は世界を救ったギンズバーグ伯だよ。敬意を評さなければ」
白い歯を見せての涼し気な笑み。
ハンサムなだけでなく、心も高潔なようだな。
俺は適当なところで馬をおりた。
彼女もこちらに気づいた。
「伯爵のご到着だ。少しいいかな。挨拶をしたいんだ」
ジャスミンがそう告げると、周りの女性たちも素直に道を空けた。だが女たちは、俺には辛辣だった。「あれが勇者なの?」「やっぱりイメージと違う」などと勝手なことを言ってくれる。
言っておくが、こっちだって十年前は十歳若かったんだからな。イメージ通りかどうかはともかく。
「お待ちしておりました、ギンズバーグ伯爵。お会いできて光栄です。ボクは従者ジャスミン。銃剣の扱いには心得がございます。戦闘の際は、なんなりとご命令を」
華麗にひざまずくと、その所作の美しさに女性たちがまたキャーキャー言い出した。
「堅苦しいのはよそう、ジャスミン。俺はレオン。そっちは娘のグヴェンドリンで、こっちはモーガンだ」
紹介しながら、俺は娘の様子のおかしいのに気づいた。
顔を赤らめてそわそわしている。
もちろん友達になりたくて緊張してるだけだよな……。お父さん、ちょっとどうしていいか分からないぞ。
ジャスミンは立ち上がった。
「みなさんのことはすでに聞き及んでおります。仲間として受け入れてくださると嬉しいです」
「わたくしは女性同士でも、朝でも昼でも夜でも大丈夫よ。仲良くしましょう」
モーガンがおかしなことを言い出した。
これに対抗するように、グヴェンも拳を握りしめて身を乗り出した。
「私はグヴェンドリンです! そ、その……私は剣術が得意でして! よかったら今度一緒に稽古しませんか!?」
「もちろん」
目を細め、ニッとシャープな笑み。
グヴェンは足をバタバタさせている。観衆からは落胆の声だ。
いやー、この流れはちょっと予想してなかったなぁ……。
*
その後、宿に入った。
俺たちはパブで打ち合わせ。いつもなら部屋に直行するグヴェンも居残った。分かりやすすぎる。
「歓迎しよう、ジャスミン。この部隊は、基本的に気軽な雰囲気でやっていこうと思ってる。気を楽にしてくれ」
「はい」
俺に対しても、彼女は嫌味のない素敵な笑みで応じてくれる。好感度が高すぎるぞ。さっきの群衆より、はるかに人間ができている。
グヴェンが椅子に座ったまま足をバタつかせた。
「あの、ジャスミンさんはこの辺りの出身なんですか? どこかの貴族のご令嬢だったりして……」
いや、君も本当は伯爵家の令嬢なんだぞ……。
このしょうもない質問に、ジャスミンは優しい笑みで応じた。
「そう。この辺りの下級貴族。九人兄弟の末っ子でね。よく知らない家に嫁に出されそうだったんだけど、今回の件で破談になってね。一時的に自由を得ることができたってわけさ」
「そんな! ひどい! もしその相手がいなくなれば、ジャスミンさんは自由の身になれるのですか!?」
唐突にバーサーカーの血に目覚めるんじゃない。
ジャスミンもさすがに苦笑だ。
「さあね。ボクの価値が高まれば、父はもっとランクの高い相手を見つけてくるんだろうけど……。どちらにしろ、ボクに選択権はないよ」
「この世界は間違ってます! 伯爵、なんとかなりませんか!」
なんともなるわけないだろ。自分の領地の税率さえ自由にできないのに。
俺は返事もせず、顔をしかめたままビールを飲んだ。
ジャスミンも話題を変えたかったのだろう。こちらに話を振ってきた。
「伯爵はビールがお好きですか?」
「えっ? まあ、たしなむ程度には」
そして二十四時間たしなんでいられる。ちょっとした特技だな。
グヴェンが涙目になった。
「まさかジャスミンさんもビールを?」
「いや、ボクはお酒は飲まないんだ。兄弟に酒癖の悪いのがいてね。なんだか飲む気になれなくて」
「分かります! お酒なんて人をダメにするだけです! ああ、神はなぜ人にこのようなものをお与えになったのでしょう……」
言っておくけど、ここ酒場だぞ!
周囲の大人たちが気まずい顔になってんじゃねーか。
モーガンはしかし余裕の笑みだ。
「いいお酒もあるのよ。あなたはまだお子ちゃまだから分からないでしょうけど」
「ではオバサンになれば分かると?」
「なれるまで生きていられればね」
ぺろりと舌なめずり。
娘はヘビに睨まれたカエルのようになってしまった。
可哀想だが、いまは黙っていてくれるとありがたい。
俺はジャスミンに尋ねた。
「そういえば、君は珍しい武器を持ってたな。銃剣といったか」
「ええ。銃に刃を取り付けた新しい武器です。その銃も、魔力で弾丸を放つボク専用のタイプで……。父が用意してくれました」
「遠距離も近距離もいけるってことか。頼もしい仲間になりそうだ」
「伯爵にお力添えできれば光栄です」
本当に好青年みたいだな。しかしこういう完璧に見える人間は、たまに裏側がぶっ壊れてたりするんだよな。彼女がそうじゃなければいいけど。
「ところで君は……男性として扱ったほうがいいのか?」
「ああ、この口調のせいで誤解を与えてしまったかもしれませんね。特別なお気遣いはいりません。兄弟が男ばかりでして、ボクも男として育てられたもので……。気になるようでしたら直しますが」
するとグヴェンがカッと目を見開いた。
「気になりません! どうかそのままでいてください!」
「ありがとう、そう言ってくれると嬉しいよ」
「……」
グヴェンは鼻の奥から犬みたいな声を出して、また足をバタバタやり始めた。
複雑な気持ちだ……。
(続く)