山の頂へ
俺たちはいちど山小屋へ戻った。
「とんだ肩透かしだったわね」
モーガンはそう言いつつも、まだ終わってないことを察しているようだった。
これを素直に受け取ったのはグヴェンだけだ。
「ともかく、早く村に帰って皆さんを安心させてあげましょう」
素直ないい子だ。
水を差すようで悪いが、俺はこう制した。
「待て。まだ終わってない」
「なんです?」
「聞いただろう。この山には巨大な鳥がいる。ご老体の話によれば、その正体はグリフィンらしい」
「グリフィン!? なぜこの山に……」
「あー、それは分からんが……。まあとにかくいる。俺たちはこの問題に対処するべきだと思う」
「もちろんです! 魔王軍の出現となにか関係があるかもしれませんしね!」
すまんが、まったく関係ない。
ここでいかにも勇者的な行動をして住民の好感度をあげておけば、前回みたいに白眼視されることもなくなるだろう。グリフィンを退治したとあれば、国王も少しは俺を見直すはずだ。
機知で印象を改善できない以上、モンスターをぶっ殺して点数を稼ぐしかない。勇者なんてのは古来から、とにかく虐殺してナンボみたいなところがあるしな。
「モーガン、グリフィンの気配は探れそうか?」
「魔力の痕跡は、あくまであの老人の家からしか感じ取れないわ。これ以上は、魔術的ではなく、学術的なアプローチに切り替えたほうがほうがよさそうね」
「学術? なんだそれは? 俺がまともな教育を受けてるとでも思ってるのか?」
このジョークに、彼女はにこりともしなかった。
「いいえ。だからわたくしの知識を使うわ。グリフィンは山の頂上に巣を作る傾向にある。いるとすればそこでしょうね。さいわい、この山はあまり高くないようだし」
「登山か……。まあいいだろう」
あちこち探索するとなると大変な作業になりそうだが、山頂へ行くだけなら半日もかかるまい。まだ日も高い。いまから向かってもよさそうだ。
*
山頂を目指して進むと、やがて巨大な羽や、鉤爪で切り裂かれたと思われる動物の残骸を見つけることができた。野犬が残骸に群がっていたが、俺たちがエサを横取りする気がないと分かると、警戒を解いて食事を続けた。
「グヴェン、戦闘の経験は?」
「問題ありません。あらゆる状況を想定し、修練を重ねて参りました」
「想定? 実戦の経験は?」
「ありませんが?」
それがなんだと言わんばかりの態度だ。
神の加護を得た以上、簡単に死ぬことはない。しかしグリフィンは、初心者が相手をするには難しい相手だ。
「初の実戦ってわけか。分かった。じゃあ命令だ。お前は手を出すな。敵の相手は俺がする。モーガンは援護」
「待ってください、伯爵! 私も戦えます!」
「俺は命令したんだ。従ってくれ」
「しかし……」
意見があるようだったが、俺は続きを聞くつもりはなかった。
全盛期の俺にとっても楽な相手ではない。しかしここにはモーガンもいる。彼女の魔法があれば、グリフィンをその場で丸焼きにできる。塩を持ってきて正解だった。
*
遠方で、切り裂くような怪鳥の咆哮があった。
太陽が真上に来た昼のことだ。
目を凝らすと、大鷲が鉤爪にシカを捕らえ、山頂へ向けて飛翔しているのが確認できた。モーガンの言った通り、グリフィンはそこに営巣しているらしい。
白骨の散乱した山頂では、怪鳥がランチを楽しんでいた。
巨大なワシの体に、獅子の後ろ足をくっつけたようなモンスターだ。気を抜いているのか、ハトのようにクルクルという音を鳴らし、息絶えたシカをついばんでいる。
奇襲してもいいが、どうせ近づけばバレる。
俺は剣を抜き、仲間たちに告げた。
「プランはさっき説明した通りだ。俺が戦う。モーガンは援護。グヴェンは見学。以上」
草をガサガサ言わせながら近づいたものだから、グリフィンもすぐに気づいた。食事を中断してこちらの姿を確認し、新たなエサが自分からやってきたことに困惑している。
人の背の二倍はある。つまりはちょっとした小屋くらいの大きさということだ。シカを掴んで飛ぶくらいだから、当然デカい。
「お前にはなんの恨みもないが、これも山の生態系のためだ。おとなしく死んでもらう」
上段に構えた瞬間、胸部に凄まじい衝撃が来た。
後ろ足で蹴り飛ばされたのだ。
一瞬、呼吸が止まり、俺はジョークのように水平にぶっ飛ばされた。その脇をモーガンの大火球が通り抜け、グリフィンにかすりもせず遠方へ消えた。
ノーコンめ……。
俺は樹に激突して方向を変え、そのうちに地べたを転がった。
並の人間なら即死しているところだ。しかし神の加護を得た俺は無事だ。いや無事といっても死んでいないというだけであって、戦闘を継続できるかどうかは別問題だが。実際、起き上がれる気がしない。胸部の鈍痛も急速に強まっている。
「おい、クソ鳥、ちょっとは手加減しろよ……」
しかも俺たちのことは脅威ともなんとも思っていないらしく、グリフィンはすぐさま食事に戻った。
「伯爵! 伯爵!」
グヴェンが金切り声をあげながら駆け寄ってきた。
「伯爵! 死なないでください!」
「いや、大丈夫だ。そこまで大袈裟じゃない。かなり痛いだけだ」
胸元をさすると、胴当てが盛大にヘコまされていた。グリフィンを相手にするには装備がショボすぎたかもしれない。
グヴェンは涙目になっている。
「ほ、本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ。だからお前は手を出すな」
「しかし伯爵、あんなに簡単に蹴り飛ばされて……」
「油断してただけだ。次はうまくやる」
すぐにでも早く立ち上がりたいが、まだ動けそうもない。俺は呼吸を繰り返し、なるべく痛みを忘れようとした。だが体は次から次へと痛みを脳へ伝えてくる。
やがてモーガンがゆったりとした足取りでやって来た。
「ごめんなさい、魔力が尽きたわ」
「はっ?」
「得意のファイヤーボールで一気に焼き尽くしてやろうと思ったんだけど、なんだかコントロールが定まらなくて。まだ昨日のソーマが抜けてないのかしら」
「……」
そういえば俺は彼女の年齢を知らない。見た目だけなら二十代中盤といったところだが……。エルフの年齢を外見から判断するのは難しい。じつはかなりの歳なんじゃないだろうか。
「もう全然なにも出せないのか?」
「攻撃用のはムリね。薪に火をつけるくらいはできるけど」
「分かった」
つまりは俺が自力でなんとかするしかないということだ。
彼女のノーコンを責めるのではなく、山火事を起こさなかったことを感謝するとしよう。
俺は変形した胴当てを外し、呼吸に専念した。
こんなに強烈な一撃を食らったのは久しぶりだ。酔っ払ってバルコニーから転落して以来かもしれない。あのとき従者アルフレドは昼寝しており、たまたま通りがかった修道女の婆さんに介抱してもらった。
なんとか身を起こし、俺は二人に告げた。
「もし危ないと感じたら各自の判断で逃げてくれ。俺に構うことはない」
これにグヴェンが血相を変えた。
「やはり私も戦います!」
「ダメだ。戦闘の邪魔になる」
「私は戦うために剣の腕を磨いてきたのです! それをするなと言うのでしたら、私の存在する意味がありません!」
「未来永劫ダメだと言ってるわけじゃない。ただ、今回はダメだ。あの鳥は俺がひとりでなんとかする」
「そんな……。戦力の逐次投入は愚策です! 数の優位を捨てるのは、時代に逆行した蛮勇のすることです!」
どこでお勉強したのか知らないが、もっともらしいことを言いやがる。
俺は小さく息を吐き、こう応じた。
「その蛮勇なんだよ、俺は。時代遅れのな。だいたい、数がどうのってのは軍隊の話だろう。こっちは勇者だぞ。少数で乗り込んでいって好き勝手にやるんだ。それ以上ごちゃごちゃ言うのは俺が死んでからにしろ」
「……」
俺だって犬死にしたいわけじゃない。ただ、こんなところでグリフィンごときに降参するようなら、どのみち魔王軍にだって勝てない。
黙り込むグヴェンに俺は言った。
「英雄の戦いを見るのも修行のうちだ。きちんと言いつけを守れたら街でパンケーキを買ってやる。いいな?」
「はい……」
しょげた顔をする辺り、なんだかんだ言ってまだ十三歳ってことか。
*
ふたりをその場に残し、俺はひとりでグリフィンのもとを目指した。
まだのんきにメシを食っている。
俺は咳払いをし、グリフィンに話しかけた。
「おい、無視するな。伝説の勇者さまだぞ。まさか、もう勝った気でいるわけじゃないよな」
体内で魔力を賦活させ、右手の剣に注ぎ込んだ。こんな量産品の剣じゃすぐにひしゃげてしまうだろうけれど、この際仕方がない。
薄紫の稲妻が、バチバチと音を立てて刃にまとわりついた。
グリフィンもようやく対処すべき相手だと理解したらしく、距離を保ったままくるりと向きを変えた。鋭いクチバシが赤々とした血にまみれている。
しかしこいつはなにも悪くない。勝手に召喚されて、生きるためにシカを食っていただけだ。人間のエゴで死ぬ。だがこの時代、エゴで死ぬのはお互いさまなのだ。遠慮なくやらせてもらう。
「行くぞ」
地面を蹴って俺は駆け出した。
前足の鉤爪で引っ掻いてくるが、俺はスライディングして後方に回り込んだ。グリフィンは獅子の足で蹴り込んできたが、その足も空を切った。俺は剣を振るってその足を切断。グリフィンは喉奥から絞り出すような怪鳥音を出して、さっと飛び退いた。
デカい足がボトリと地べたに落ちた。これだけでも人の下半身ほどはある。戦利品としては悪くない。
激昂したグリフィンは、猛烈な勢いで特攻してきた。俺はそのクチバシに剣を叩きつけて受け止める。バチッと稲妻が爆ぜ、グリフィンはイヤがって顔を背けた。追撃のチャンスだが、本能的に前足で牽制してきた。こちらは手を出せない。
距離をとって対峙。
いい戦いだ。などとむかしの俺なら思ったかもしれない。
しかしすでにスタミナが尽きかけていた。ほとんど始まったばかりなのに。あきらかに運動不足だ。それに、切りつけるにしても、受け止めるにしても、グリフィンの体はいちいち重かった。接触しただけで体がこわばる。
魔力による消耗も思ったより激しい。
当時はとめどなく力が溢れてきたのに、いまはよほど踏ん張らないと出力を持続できない。
過ぎ去った十年という歳月が、いまこうして実感できているというわけだ。じつにありがたい話だ。つまりは平和だったってことだからな。
剣に宿る稲妻が、あきらかに弱まっている。
グリフィンもそれに気づいたらしく、やや強気になってじりじりと距離を詰めてきた。
早く終わらせないと危ないかもしれない。
だがひとつ理解した。敵は剣の出力を見て、こちらの勢いを判断している。フェイクにつかえるかもしれない。
俺はゆっくりと後退しつつ魔力を弱めた。刀身に宿る稲妻も、パチパチとショボいものになっていった。
グリフィンは悠然と翼を広げ、こちらを追い込もうとしている。
「うわあああああっ!」
突然、脇からグヴェンが特攻してきた。剣を大上段に振り上げて、ドタドタと素人みたいな走りだ。
まさか、俺がピンチだと勘違いして加勢に来たのか。
グリフィンが羽ばたいて、大きく距離をとった。
せっかく距離を詰めていたのに。
グヴェンは俺の前に立つと、「あっち行けー」と剣をぶんぶん振り回した。まるで子供のケンカだ。
俺はひとつ溜め息をつき、こう言った。
「ありがとう、グヴェン。助かったよ」
「逃げましょう、伯爵! 勝ち目がありません!」
「いや、それがな……。じつは意外と大丈夫なんだ」
俺はふたたび魔力を放出し、刃に稲妻を宿らせた。
「えっ? あれ? なんで……」
「敵を油断させる作戦だったんだ。だがいい。ふたりでやるぞ。側面に回り込め。挟み撃ちにする」
「は、はいっ!」
やや距離をとり、俺はグヴェンとともに怪鳥を追い詰めていった。
敵はキョロキョロと状況を確認し、どちらから相手をするか思案している様子だった。だが俺には分かるぞ。逆の立場だったら、弱いほうから片付ける。
娘を囮に使うのは気が引けるが、避けがたい事態である以上やむをえない。せめて状況を最大限に利用するしかない。
それにしても、娘の腰の引け具合といったらどうだ。数の優位で追い詰めているはずなのに、まるで余裕がない。グリフィンがちょいと頭を動かすと、ビクリとして身をすくませる。こんなに怖がりなのに助けに入ってくれたんだな……。
よし、娘を囮にする案はナシだ。
俺は湧き上がる力を魔力に変え、刀身の焼けんばかりに稲妻をたぎらせた。放射された閃光が周囲を照らすほどだ。
久々にフルパワーを出した。
グリフィンも警戒して目を鋭くしたし、娘も唖然としていた。いかにも「これから必殺技を出します」と宣言したようなものだからな。だが、残念ながら違うぞ。
俺はそいつを握りしめ、怪鳥めがけて投げつけた。光の矢となった剣はグリフィンの肩部に炸裂。しかし急所でもなんでもないから、倒すほどの力はない。俺はひるんだ怪鳥に駆け寄り、跳躍して翼にしがみついた。
グリフィンは羽ばたいて空へ逃れようとしたのだろう、だがもう一方の翼を火球が焼いた。モーガンだ。さすがに一発分は残しておいたか。
俺は腰から短剣を抜き、暴れまわるグリフィンの腹に突き立てた。ところが想像以上に体毛や皮膚が硬く、まるで内部まで通らなかった。魔力は使い果たしてしまった。ここからは腕力しかない。
必死にしがみつきながらも、俺は何度もナイフを叩きつけた。しかし本当に、表面をチクチク刺しているだけだ。あまりの暴れっぷりに、俺はついに振り落とされた。
追撃は来なかった。
グリフィンも相当にスタミナを消費したのだろう。やや身をかがめ、苦しそうにクルクル唸っていた。
とっとと決めたいところだが、あいにく短剣しかない。俺の使っていた剣はグリフィンに突き刺さったまま、半分に折れてしまっていた。
ふと、一本の剣が降ってきて大地にザンと突き刺さった。
「伯爵、私の剣をお使いください!」
「お前はどうするんだ?」
「囮になります! 私だって、いざとなれば鎧を使って受けるくらいのことはできます!」
「分かった」
本人がやると言ったのだ。やってもらおう。彼女は勇者の娘というだけでなく、神の加護を受けている。信じるしかない。
俺は剣を手にとった。まあこっちは剣術なんてものを知らないし、基本的に加護に任せて切りつけているだけなのだから、魔力が切れたいま素人同然なのだが。刃物をもっただけの中年男性だ。
グヴェンを両手を広げて誘導している。
「こっちよグリフィン!」
娘のほうならヤれると思ったのかもしれない。攻めあぐねていたグリフィンは、のそのそとグヴェンの周囲を移動し出した。
だが手は出させんぞ。
俺は剣を構え、怪鳥の横からプレッシャーをかけた。隙を見せればすぐにでも殺る。
剣術の心得はない。だがそんな俺にも、ひとつだけ教訓がある。それは「どんなタフなヤツでも切ってればそのうち死ぬ」ということだ。
(続く)