古馴染み
俺たちは国の東端から、中央の王都へと向かっていた。国土は広大だが、街道が整備されているから道なりに進めばよい。路銀はある。無駄遣いさえしなければ問題はない。
次の宿場町に入ると、なにやら人だかりのできているのが見えた。
俺たちは馬を進め、やや高いところから人垣を覗き込んだ。中央にいたのはエルフ。王国の東に住む人種だ。俺たちのビールを買ってくれる客でもある。
その巫女服のエルフは、ちょうど輿から出てきたところらしい。周囲には小柄なゴブリンがひざまずいている。長い金髪をサラサラと風になびかせた高貴な顔立ち。目を細め、観衆に笑みを向けている。
俺は過去にこういう女を近くで見たことがある。名はモーガン・ストロベリーフィールド。そいつはたしかブタとヤっていた。顔も同じ。十年ぶりだというのに、まったく変わっていない。
俺たちが下馬すると、人々は道を空け、やってくるモーガンを通した。
「お久しぶりね、ギンズバーグ伯爵」
「レオンでいい。しかし奇遇だな。ここでなにを?」
「王都へ向かう途中よ」
「き、奇遇だな……」
いや、いい。俺のイヤな予感が当たっているとしても、いまは歓迎したい。神の加護を受けた十代の少女とやらが見当たらないのが気になるが。
俺の後ろからグヴェンが来た。
「従者グヴェンドリンです。お会いできて光栄です、ミス・ストロベリーフィールド。お噂はかねがねうかがっております」
これにモーガンは妖しい笑みを浮かべ、短く舌を出してぺろりと唇を舐めた。
「レオンとエリスの娘さんね。よく似ているわ」
じろじろとまとわりつくような視線で娘を見ている。
いくら女同士とはいえ、こいつは信用ならない。
俺は小さく咳払いをした。
「して、エルフの国の巫女が、王都へいったいなんのご用かな?」
「ふふ。あなたと同じよ、レオン。魔王を倒しに行くの」
「加護を受けた少女はどこに?」
「人間のおじさんと一緒に魔王と戦うなんてイヤ、なんて言って、どこかへ逃げ出してしまったわ。それで代わりにわたくしが行くことになったの」
「おじさん……」
まあたしかに「人間のおじさん」だ。しかし、もっとこう、言い方ってものがあるだろう。勇者だぞ。俺が負けていたら、エルフの国だってどうなっていたことか。
モーガンは、今度はこちらをじろじろと見つめてきた。
「受け入れなさいな。あなた、もうおじさんよ。わたくしはこちらのほうが好みだけれど」
モーガンはぐいぐい距離をつめて、首元に息がかかりそうなところまで迫ってきた。香を焚きしめているのか、鼻孔をくすぐるようないいかおりがする。
が、すぐさま娘が見咎めた。
「もう少し距離を取るべきでは」
「あら、ごめんなさい。わたくし、興味のあるものにはつい近づいてしまうの」
「伯爵、後ほど部隊の規律について提案があります」
ひどくつめたい目をしている。
いや、いいんだ。俺も同意見だからな。いくら嫁に逃げられて独身の身とはいえ、この女に手を出して身を持ち崩すのは望むところではない。
ところで彼女の移動手段は輿だ。八名のゴブリンに担がせているようだが、俺たちに馬についてこられるのだろうか。
俺が輿を見つめているのに気づいたモーガンは、また顔を近づけてきた。
「輿は国へ帰しますわ。その代わり、あなたのお馬に乗せてくださらない?」
「俺の馬? じゃあ俺はどうするんだ?」
「わたくしの後ろへ」
「ふ、二人乗り? いやいや、それはさ……」
「あなたの乗っているお馬、力がありますでしょう? わたくしを乗せるくらいなんてことないはず」
「そりゃ重さは大丈夫だろうけども……」
すると、娘が凄まじい勢いで咳払いをした。言葉は発していない。まるで蜂がブンブン警戒音を鳴らしているかのようだ。判断を誤れば刺される。
「ではこうしよう。俺がグヴェンの馬に乗る。そしてグヴェンとモーガンはこちらの馬に乗る。そうすれば馬の負担も減らせるし、バランスもいいのでは」
抗議は娘から来た。
「お断りします。私はこの馬を手放す気はありません」
「じゃあどうすればいいんだ?」
「一方がその駄馬に乗り、もう一方はロープにでもくくりつけて地面を引きずればいいのでは?」
たんぽぽを摘んでいた可憐な少女はもういない。
モーガンはしかし愉快そうだ。
「ふふ、エリスそっくりね。あなたに手を出して、裏でシメられそうになったあの日を思い出すわ」
「そんなことがあったのか……」
本当にバーサーカーだったようだな。けどそれは俺も悪いぞ。シメるなら俺のこともシメて欲しかった。彼女はそういうのがじつにウマいからな。
*
立ち話をしていると野次馬に囲まれたままなので、俺たちは宿に入った。ゴブリンたちは輿を担いで帰ってしまったので、馬の件を解決しなければならない。
娘はさっさと部屋に入ってしまった。
だから俺とモーガンは、一階のパブで酒を飲みながら打ち合わせに入った。
「あー、その前に、家庭の事情について説明しておくぞ。嫁も娘も家を出た。嫁は剃髪して寺院に入ったし、娘は俺を親だと思っていない。たまたま神に選ばれて従者になっただけだ」
「知ってるわ」
「知ってる!? なぜ?」
ビールを口に含む前でよかった。そうでなければこいつの顔面にぶちまけていたところだ。
モーガンは妖しくほほえんだ。
「エリスとはずっと手紙をやり取りしていたの。モンスターを八つ裂きにしたくて仕方がないから、精神修養したいって相談も受けてたわ。それで寺院に入ることを勧めたのよ」
「君のせいか」
「けどあなたもよくないわ。働きもせずお酒ばかり飲んでいたらしいじゃない」
「領主なんだから、そこにいること自体が仕事なんだよ。野犬を追いかけ回すのは本業じゃない」
「あの子、そういうのが受け入れられなかったみたいね」
「俺たちはいつまでも伝説の勇者ってわけじゃない。領地をもらってそこに落ち着いたんだから、相応の生活ってのがあるだろう」
「……」
すると彼女は返事もせず、ワインを口に含んで味わった。
長い睫毛の奥に、とろんとした目が見えた。酔いが回っているのか、雪のように白い肌がいまは紅潮している。その彼女の視線が、やがてこちらを向いた。
「あなた、エリスのことちゃんと受け止めたの?」
「えっ?」
「彼女は間違いなく病んでる。それは彼女自身も分かってた。だから、あなたにサインを送っていたはずよ。それ、ちゃんと受け止めた?」
「サイン? 昼間からビールを飲むなとは言われたけど……」
「つまり、あなたが素面のときに相談したいことがあったってことじゃないの?」
「いやいや、俺だって二十四時間ずっと酔っ払ってたわけじゃないよ。一日のうち何時間かは……素面だったと思うぜ。たぶん。昨日の酒が残ってなければ」
俺の記憶によれば、昼飯の前後二時間くらいは素面だったはずだ。そのタイミングで相談してくれれば問題なかった。
モーガンは溜め息とも嘲笑ともつかない息を吐いた。
「ちっとも成長してないのね。あのころはそれでよかったんでしょうけど……。神から授かった力で魔王軍を蹴散らしていれば、みんなから喝采を得られた。わたくしたちもそれでいいと思ってた。けれども、それ以外のことはなにもできなかった。モンスターを殺す以外、なにもね」
「君は違うだろ。国で神事を取り扱ってるんだから」
「ただセックスしてるだけよ」
ビールを噴きはしなかったが、かなりむせた。
暴力とセックス。まるで動物だ。そして実際、俺たちのやってきたこともそれだけだった。モンスターをぶち殺し、夜はそのテンションのままヤる。選ばれた人間が、凡人にできないことをやっているのだ。俺たちは、誰にもなにも遠慮する必要がないと思い込んでいた。
だが、人間の社会というものは、人間自身が営んでいる。この国において、それは王を頂点としたシステムだ。力を持っているのは王家であり、俺たちはあくまで歯車のひとつに過ぎなかった。なのに、当時はその事実に気づけなかった。
おかげで国と対立するハメになった。
みずからが「特別」であるのをいいことに、俺たちは尋常じゃないほど放埒に生きた。その事実はすぐさま世間に知れ渡り、偉業を成し遂げた半月後にはすでに支持を失い、白眼視されるようになっていた。調子に乗っていたツケが回ってきたのだ。
最終的に、国王軍と対立するか、素直に従うか、その二択を迫られることになった。
いや、正確には、選択を迫られる一歩手前のところで折れた。もし戦えば、自分たちが守ろうとした国を破壊することになるし、国民とも対立することになる。地元に残してきた家族や友人だってどうなるか分からない。
もし戦いに勝てたとして、俺たちは死体の転がる焼け野原を手に入れることしかできなかったであろう。もちろん政治なんて知らないから、国を立て直すこともできない。四方の異民族へも対処できない。
勇者は魔王を倒すことはできる。しかしそれ以外のことはできない。もう少し頭のデキがよければ話は違ったのかもしれないが。
俺はこのどうしようもない事実を突きつけられて、完全に心が折れてしまった。勇者であることはただの重荷となり、辺境の領主であることを受け入れ始めていた。
が、エリスは違った。殺戮による成功体験を引きずったままだった。モンスターを殺していないと自我を保てなかったのだ。彼女にとって、暴力は復讐の手段でもあった。いわば人生そのものだ。
当時、野犬を追いかけ回す彼女を見て、俺はうんざりしていた。今日もまた犬肉だと。だが、そんな簡単な話じゃなかった。
俺は彼女のサインを無視したのだ。
正直、薄々「おかしいな」とは思っていた。だが、その戦いぶりから「麗しき旋風のエリス」とまで讃えられた彼女が、心のぶっ壊れた女だと認めたくなかった。
いや、すべてを彼女のせいにしたいわけじゃない。家庭の問題は俺自身の問題でもある。なのに俺はビールに逃げた。自分が勇者であることや、エリスの抱えている問題などから。そして彼女も、俺の問題から逃げた。
十代のガキにしては過分な成功体験と、その挫折に対して、俺たちはロクに向き合えずにいた。
会話が途絶え、しばらく黙って酒を飲んでいると、テーブルにひとりの少女が近づいてきた。かなり幼く、まだ十にも満たないように見えた。
「あの……」
少女は、俺にではなく、モーガンに向かって声をかけた。
モーガンは返事こそしなかったものの、優しい目になって言葉を待った。
少女は緊張に手を握りしめてこう続けた。
「エルフの魔法使いさん……。きっとすごい人なんだと思います。それで、あの……お父さんを……私のお父さんを探して欲しいんです。こないだ山に入ってから、ずっと戻って来なくて……」
「危険な山なの?」
「前は違ったんです。けど、最近になって、おっきな鳥が住みついて……」
「場所は近いの?」
「はい。すぐそこの……。あのっ! でもお金はないんです。いまは……。だから大きくなったらお返しします。どうかお父さんを助けてくださいっ!」
するとモーガンはにこりと笑みを浮かべ、少女の頭をなでた。
「ええ、いいでしょう。お金は大きくなったら払ってね。荷物をまとめてすぐに向かうわ」
お人好しだな。俺たちはこれから王都へ向かうってのに。まあやりたければ勝手にやってくれ。俺は構わず行かせてもらうがな。こんな人助けにいちいち構っていたら、いつまで経っても王都につけやしない。
するとモーガンに背中をバンと叩かれた。
「なにぼけっとしてるの? 行くわよ」
「はっ?」
「あなた、伝説の勇者でしょ? 目の前の女の子ひとり救えないで、その名を名乗るつもり?」
「若いやつが出てこないから仕方なく続けてるだけだ」
「自分の父親がこんなに薄情だって知ったら、グヴェンも残念に思うでしょうね」
「クソ……。分かった。やるよ。馬も必要だろうしな」
すると少女がぱっと明るい表情になった。
「ありがとう、お姉さん! おじさんも!」
「気にするな」
もちろんふたりで動くんだから料金は倍になる。ゼロを何倍にしたところでゼロだろうがな。国民を助けて遅れたってことなら、国王も文句は言わんだろう。
こっちはブランクもあるし、肩慣らしのつもりで参加するか。
(続く)