フォークロア
紫電の脅迫に屈した俺は、なんとかドワーフ宛の抗議文をしたためた。
神槍のレプリカを破壊したことに紫電さまがご立腹のようですので、その件を代理でお伝えします、という、すこぶる弱腰な文章だ。
だが仕方あるまい。紫電のワガママで国を戦争に巻き込むわけにはいかぬのだ。
するとその返事より先に、パープルフィールド卿からの親書が来た。
表向きは「先日の非礼を詫びる」かのような体裁ではあったが、ついては両者間の誤解をとき、友好関係を築きたいので、ぜひとも邸宅に招きたいとかいう話であった。どう考えても罠であろう。
しかし理由もなく断ることはできない。俺はギンズバーグ王国ではあるが、同時に東ミッドランドから爵位を授かった身でもある。貴族同士の正式な招待をむげに断れば、マナーも知らない田舎者だとバカにされてしまう。
まあバカにされるのはいいとして、それを口実にジャスミンを奪われるのは面白くない。よって招待に応じて出向くか、あるいはなんらかの理由をでっちあげて招待を断る必要があった。
名案なんて思いつかない。
選ぶしかない。
冬はとにかく身動きが取れない。この極寒の地にあってはなおさらだ。
ビールはまだ設備を整えている段階であり、仕込みにさえ入っていない。原材料が揃うのもだいぶ先になる。飲めるようになるのは晩春になってからだろう。
*
俺は談話室で、グヴェンとエマのたわむれているのをずっと眺めていた。
このふたりは本当に仲がいい。グヴェンも安心しきって童心に返っているし、エマも優しく応じてくれている。いまだって、昼につくった雪だるまの話題でわいわいやっている。
「もう、グヴェンったら。笑いすぎてお腹が痛くなっちゃった。あれじゃあキメラとしか思えないわ」
「えーっ。どこが悪かったんだろう」
「カーバンクルを作るなら、ちゃんとお耳を似せないと。それに額の魔水晶もあれば完璧」
「ううん。あれね、本当は陛下を作ったつもりだったんだ……」
「えっ……」
エマも絶句だ。
分かってる。悪気はないんだよな? ちょっと手先が不器用なだけなんだ。お父さんは信じてるぞ、グヴェン。
とはいえ幸福だ。
王の仕事なんてほっぽりだして、ずっとこの時間を享受していたくなる。魔王だの、ドワーフだの、パープルフィールドだの、すべてがうんざりだ。
いっそコマネチに城を明け渡して、旧ギンズバーグ領に帰ってしまおうか。
民もそのほうが嬉しいだろうしな。
などと厭世主義を気取っていると、木箱を抱えたモニカが入ってきた。徹夜でもしていたらしく目の下にクマができており、あきらかに様子が妙であった。口元には不気味な笑みを浮かべている。
「陛下……ついに完成しました……」
「えっ? 完成? なにが?」
「反重力装置です……」
「……」
なんだって?
また農業に役立つ発見でもあったのか。
モニカはよほどテンションがあがっているらしく、ぜえぜえと息を切らせながらこう続けた。
「とりあえず……見て……」
箱をガサコソとあさり、こぶりな魔水晶を掴んで床に起いた。ずいぶん黒い石だ。それに内部がきらめいている。
なにが始まるのかと、グヴェンやエマも集まってきた。
モニカはいつものように魔力をみなぎらせ、そっと魔水晶に注ぎ込んだ。その瞬間、石がふわりと浮き上がった。モニカが魔力を止めると、石は床に落下。ころころ転がったのをモニカが掴んだ。
「どう……ですか……?」
無邪気なグヴェンがパチパチと手を叩いた。
「わあ、すごい! モニカさん、手品師みたいです!」
うむ。
なかなかたいした手品だな。ちょっと使い道が分からないが。
モニカはこの上ない得意顔である。
「この技術を応用すれば……お城を浮かすこともできる……」
「えっ?」
城を?
どうやって?
いや、まあこの魔水晶を使うのか。ということは……。
俺はひとつ呼吸をし、これが夢でないことを何度も確認した。
「つまり、俺たちも空を飛べるようになると?」
「理論上は……」
「いや、でも……ホントに? ドワーフみたいに?」
「ドワーフの技術とは仕組みが違うけど……頑張れば似たようなことは……。ただし燃料ではなく……魔法で動かすことになるので……。重たいものを浮かすには……大量の魔力が必要になる……」
「う、うむ……」
どの程度の魔力が要るのかは不明だが、かなり期待のできる発見ではなかろうか。
とんでもない鬼才だな。
しかしエマは眉をひそめていた。
「人が空に……。それを神さまがお許しになるでしょうか」
まっさきに考えることが神のこととは、寺院にいただけのことはある。
するとモニカは不機嫌そうに、やつれた目をエマへ向けた。
「なに……? まさか古い迷信を……信じてるわけ……?」
「迷信だなんて、そんな。これはれっきとしたミッドランドの伝承ですよ? モニカさんだって、空を飛んだ魔法使いが太陽に焼かれたお話を知らないわけではないでしょう? 神さまは、きっと人が空を飛ぶことをお許しになっていないのです」
「くだらない……。神も魔法も……すべては法則の下にある……」
これには穏和なエマも気分を害されたらしかった。
「不道徳です! 神さまをそんなふうに言うなんて……」
「神さまなんて……肉体を捨てた人間みたいなものでしょ……。加護を受けていないあなたには……分からない……?」
「まあ! なんておそろしいことを! いますぐ悔い改めて、神さまに謝罪なさったほうが身のためでは? 神さまはきっと見ていらっしゃいます」
うむ。見てるだろうな。どんな対応に出るのかは不明だが。
グヴェンが涙目であたふたし始めたので、俺は慌てて仲裁に入った。
「ストップ! そこまでだ。えー、これは非常に繊細な問題であり……。うー、アレだ。しかしモニカ、エマの言うことにも一理あるぞ。人の信仰を悪く言うもんじゃない」
するとモニカは疲労していることもあり、鬼のような形相でじっとこちらを見つめてきた。目が血走っている。
「陛下は……技術よりも……迷信を取ると……?」
「そうは言ってない。ただ、そんなに乱暴に迷信だなんて言うもんじゃない」
「先に難癖をつけたのは……彼女のほう……」
そうだったな。
俺は、年相応にむくれているエマに向き直った。
「君の意見は尊重したいんだ。しかし、やはり時代というのは移り変わるものでな。いつまでも神さまに頼ってばかりというわけにも……」
「陛下も、紫電さまの加護を受けてらっしゃるはずです!」
「そう。その通り。その通りなんだが、人は技術によって発展してきた面もあるし……。なにより俺たちは、つい先日、ドワーフの脅威に直面したばかりなんだ。空から爆撃されたんだぞ? ルーシの宮殿なんか廃墟同然だ。ああいう力に対抗するためには、モニカのやってる研究は必ず必要になる」
だがエマは意外と頑固なのか、キッとこちらへ鋭い視線を向けてきた。
「ドワーフにはきっと天の裁きがくだります。私たちは空を飛ぶべきではありません。もし飛ぶべきだというのなら、神さまは私たちをそのように作ったはずです!」
あの婆さん、ずいぶん古い教義を叩き込んだものだな。ガチガチの保守派に育ってる。
ミッドランドを建国したのは女だ。
それには冗談みたいな由来がある。
かつてこの地には、幾多の闘争を繰り返し、自分以外の人間を一通り打ち負かした男がいた。そいつはなぜか桁違いに強かった。他の誰もかなわない。最強だ。しかしメシの支度ができなかった。
それで餓えて死にかけた。
彼を救ったのは女だった。メシを食わせる代わりに、男を家臣として召し抱えたのだ。その後、男たちを各地に派遣し、女は女王としてミッドランドに君臨した。これが初代女王のキャサリンだ。
この神話の影響だと思われるが、ミッドランドではある程度の年齢になれば誰もが料理をする。そして料理がしやすいよう、メニューはすこぶる簡単になっている。よって総じてメシがマズい。周辺国からは生ゴミとまで呼ばれている。それでも、釜ひとつあればいつでもメシが食えるというのは強かった。
さすがに貴族はウマいメシを食ってはいるが、庶民の料理の適当さと言ったらなかった。材料を切る、塩をつまむ、そして焼く、あるいは煮る。それだけだ。
こういう伝承の中に、例の「魔法使い」の話もあった。
それはキャサリンに求愛した魔法使いで、自由に空を飛び回ることができたという。調子に乗って見せびらかすように飛んでいたら、太陽に近づきすぎて焼死したらしい。
神話だから、なにか元ネタとなる史実があるのか、あるいは面白半分の創作かは分からないが。ともかく、そういうエピソードがあることはある。
一般的には笑って聞き流すような一節だ。
寺院で育ったエマは、こんな話をよく婆さんから聞かされていたのだろう。両親のいないエマにとって、婆さんは命の恩人でもある。言われたことを素直に受け入れたいと思う気持ちが強いのかもしれない。
しかしドワーフは空を飛んでやってきた。そして焼かれたのは彼らではなく、ルーシランドのほうだった。
俺たちはこの事実を受け入れるべきだ。
ちょっと収集がつかなくなってきたので、俺はモニカにお願いすることにした。
「悪いんだが、今日は出直してくれないだろうか。話はあとで詳しく聞かせてもらうから」
「はい……」
露骨に不服そうな態度で、モニカは木箱を持って部屋を出た。
歴史に残る大発見だったのだが、いかんせんタイミングがよくなかった。
実利だけを見れば、モニカのアイデアを全面的に採用すべきであろう。しかし新しい技術というものは、誰もがすぐに受け入れられるわけではない。エマの意見はさすがに極端としても、似たような意見を持つものは少なくはないはずだ。
王たるもの、あらゆる民の意見に耳を傾けねばならない。
いくら自動機械が便利で従順だからといって、ドワーフもあんな金属に家族の代わりまではさせたりはしないだろう。なんでも楽ならいいというものではない。まあ、そう考えるのも、俺が田舎の農民出身だからかもしれないが。
ときに便利さは、大切なものを見失わせる。
俺の地元で鍛冶屋といえば、フライパンや農具を直すのがおもな仕事だった。だからみんなひとつの道具を大事にした。なのに王都では、ちょっと壊れたらすぐに買い替えていた。それを見て、なんだか哀しい気持ちになったのを覚えている。
迷信だろうが妄執だろうが、それが人々の心の支えになっていたりするのだ。使いづらい道具にだって愛着が湧く。それがいくら非効率だとしても、だ。
*
なんの答えも出せないまま数日が経過した。
ドワーフは「抗議」をひとまず聞いてくれた。まあ聞くも聞かないも、バラしてしまった槍はもとには戻らないのだが。
問題はパープルフィールドだ。とにかく来いという催促の手紙を執拗によこしてきた。これはさすがに行かねばなるまい。
となると誰を同行させるか、だが……。
王妃として招待されたエリスは「めんどくさいからパス」と言って聞かない。エマとモニカの仲裁があるからと、グヴェンにも同行を拒否されてしまった。
ジャスミンは必ず同行させなければならない。
となるとほかに連れていけそうなのは、モーガンかマリアということになる。しかしこの微妙な時期にエルフを同行させるのはいかがなものであろう。となるとマリアに頼むしかないのだが、彼女はテーブルマナーに問題が……。
今回の訪問では、絶対に隙を見せてはならない。
かくなる上は、ジャスミンとふたりで行くしかあるまい。
(続く)