神々の闘争
数日後、魔王軍がレッドフィールドを攻めたという一報が入った。南東の転移門を使い、エルフ領を経由して攻め込んだらしい。
最終的にはレッドフィールドの勝利に終わったとのことだが、ゴーレムに手こずってかなりの損害を受けたという。
旧ギンズバーグ領は損害ナシ。いちおう東ミッドランドの王都なのだが、敵は手を出さなかったようだ。戦略的に無価値と判断されたのかもしれない。ま、あそこが壊滅したところでよそへ遷都するだけだろうしな。
今回の戦いで、アンドルーは、エルフが魔王軍に手を貸しているという確信を強めたらしい。ゴーレムを召喚したのはやはりエルフなのだろうか。だとすれば、彼らの行動は神命に逆らっている気もするのだが。
さて、その一方で、我が国は敵に攻められてもいないのに風前の灯だった。
寒波が襲ってきたのだ。
大雪山のふもとは寒いなんてもんじゃない。冷気が雪崩のように押し寄せてくる。魔水晶を配置してなんとか熱の道を広げつつあったが、とてもじゃないが領地の全域をカバーするのは不可能だった。田畑を優先させたから、人家は寒いままだ。
昼でも寒いのに、夜ともなると地獄のような寒さだった。城ごと凍りつくレベルである。
「いやー、故郷からそんなに離れてないと思ったのに、ここまで冷えるとはな……」
さすがに談話室は暖炉でなんとかなるが、謁見の間は信じられない寒さになった。正直、誰も謁見に来ないで欲しい。王が凍死する。
いつもならジャスミンの肩に乗っているカーバンクルのメグも、いまは暖炉の前にうずくまっている。
「こんなに寒いなんて聞いてないよー!」
マリアもさすがにへそを隠している。
彼女は王都の出身だから、この寒さは初めての体験だろう。
しかしモニカは平気そうだ。
「みんなも……魔力の懐炉を使えば……あったかい……」
新たな保温器具を開発したらしい。研究熱心なことだな。しかし魔力を消耗する以上、一般人には使えない。
暖炉から少しでも離れると即座に冷える。
そういえば先日、塔に軟禁中のコマネチからも苦情が入った。いちおう毛布を与えたが、大丈夫だろうか。
エリスが大股で入ってきた。
「クソ寒いわね! キレそうだわ!」
もうキレてる。
「どこ行ってたんだ?」
「熊でもいないかと思ってパトロールしてたのよ。偉いでしょ? 褒めなさいよ」
「うん、ありがとう。君は最高だよ」
パトロールっていうか、食材探しだろうな。しかし熊だって冬眠してるぞきっと。
そしてエリスが入ってきた途端、グヴェンの髪型をいじって遊んでいたエマが凍りついた。ビールを作りに来た彼女は、エリスにとって不要な人材だと思われている。
俺はなんとか話題を作ってエリスの気を引こうと試みた。
「エリス、寒かったろう。今日はもう休んだらどうだ?」
「はっ? 夜はこれからでしょ? レオン、サウナ行くわよ。ついてきなさい」
「俺さっき入ったよ」
「だからなんなの? 私の裸見たくないの?」
「これだよ。分かった。行くよ」
裸はいいけど、坊主頭だから、いまいち股間に来ないんだよな……。
*
俺はなかば強制的にサウナに連れ込まれた。
城内に設置された小さなエリアだ。遅くまで火がくべてあるから、わりといつ来ても入れる。
木戸を開けた瞬間、わっと熱気が来た。皮膚や前歯に熱を感じながら、俺は中に入って木製のベンチに腰をおろした。
やや遅れてエリスも来た。
「どっちが長くいられるか勝負よ」
「タフだな。俺はそんなに長くいないよ。早く寝たいからな」
「今日は飲んでないの? 珍しいわね」
「最近、値段が跳ね上がってさ。寝る前だけにしてるんだよね。帳簿も確認しなきゃならないし」
ルーシ国内にいたワイン職人は、戦争の影響で散り散りになった。しかもドワーフはあるだけ飲んでしまうから、ストックもすぐに尽きてしまった。おかげで流通が不足しているのである。
エリスは石に水をぶっかけて水蒸気を出し、ただでさえ熱い室内をさらに熱くさせた。蒸気が満ちると、やがて彼女は葉っぱのついた木の枝で体をぴしゃぴしゃやった。
戦の傷もあるが、綺麗な体だ。
「あんた、フニャフニャしてるわね」
彼女は唐突にそんなことを言い出した。
「仕方ないだろ。高温になると伸びるんだ」
「バカなの? 私が言ってるのはその間抜け面のことよ! 疲れた顔しちゃってさ!」
「毎日毎日、金の勘定だけして過ごしてみろよ。こんなツラにもなるぜ」
「それは最悪ね。けど元気出しなさいよ。そのうちいいことあるから」
酷い感想だ。なんの慰めにもならない。
ふと、木戸を開いて湯帷子の女が入ってきた。
「さすがにヤってないようね」
モーガンだ。長い金髪をひとつにまとめ、あふれんばかりの胸を着物に押し込めている。顔から首筋にかけてはほっそりとしているし、体の線も細いのに、胸だけがやたらと豊かだ。
「帰ってきたのか」
「ええ。ところでリアクションが薄いわね。わたくしのパーフェクトバディを見てなにか言うことはないのかしら?」
「相変わらずの体だな」
俺のつまらない感想に、モーガンはしかし麗しい微笑で応じた。
「欲しくなったらいつでも言って? ここへ来る途中も、召使いのゴブリンたちを救済してきたわ」
するとエリスが盛大にむせた。
「ホント、見境ナシね! ゴブリンってだけでも反吐が出るのに、こんなフニャフニャとヤりたいだなんて」
「あら、レオンはフニャフニャなんかじゃないわよ」
「見たの?」
「いま見たわ。けど、たしかにフニャフニャしてるわね」
侮辱罪だぞ。
俺があきれて会話から外れていると、突如エリスに背中をパーンと叩かれた。
「いった」
いつだったかグリフィンの蹴りを食らった体験を思い出した。大型モンスターの一撃をフラッシュバックさせるとは、やはり只者ではない。
「シャキっとしなさいよ。ここの王さまなんでしょ?」
「たぶんな」
「だったら胸を張ったら? あんた、こんなにくたびれたおじさんだったわけ?」
「どうやらそうなんだろうぜ。最近、流れに逆らわずに生きることにしてるんだ。時間の経過に任せて、俺たちは歳を取るべきだと思ってな」
「名言でも言ってるつもり? お酒ばっかり飲んでるから頭が鈍るのよ」
「そうかもな」
否定できない。頭を鈍らせるために飲んでるようなものだ。
モーガンはしかし慈愛に満ちた目だ。
「あんまり言うものではないわ、エリス。王が肥えれば民は痩せ、王が痩せれば民は肥える。そういうものなのよ。レオンが疲れてるってことは、国のために頑張ってるってことじゃない」
「バカバカしいわね! 国なんて持つからこうなるのよ。私は小さな家さえあれば満足なの。身の丈に合わないことを望むから余計な苦労するんでしょ」
その通りなんだよな。過去に何度も話し合ったことだけど。
そもそも俺は領地をもらうべきではなかった。かといって魔王を倒してしまった以上、先王は勇者を取り立てないわけにはいかなかった。世論だってなにがしかの決着を望んでいた。つまり俺は、セレモニーとして辺境にぶっ飛ばされたのだ。
エリスはそれに付き合わされてしまった。
ま、仮に小さな家だったとして、うまくいったかは疑問だが。
*
サウナを出たころ、少女たちはすでに談話室を去っていた。
俺たちは卓を囲み、瓶の水を飲みながら暖炉にあたった。
「それで、エルフの国はどうだった?」
熱を帯びた体に水が染み渡る。
俺のこの問いに、モーガンは肩をすくめた。
「アレはダメね。完全に黒よ。魔王軍と組んでる」
「やはりか」
「表向き同盟は結んでいないようだけど、支援することで見返りを受け取ってるみたい。エルフの国も長く続いてるせいで、かなり腐敗しているから。裏ではアラクシャクやヴァンランへも支援しているらしいわ。自分たちは直接攻め込まず、周辺国に戦わせて上前をハネようって魂胆みたい」
「……」
姑息だが、しかしさすがエルフと言わざるをえない。
みずから戦争を仕掛ければ、大抵は泥沼化してしまう。ところが他国を支援して利益を折半すれば、勝ったときはうまい思いをできるし、負けても知らん顔で通せる。
「具体的に、魔王軍とはどういう協定なんだ?」
「これといった取り決めはないようね。そのつど魔王軍からの要請が来るみたい。今回の魔王軍はかなり慎重よ。正攻法じゃ倒せないわ」
前回は物量で来たが、今回は知略だ。まさしく「魔王軍」というブランドだけで、ミッドランドにこれだけの大混乱をもたらした。どこをどうつつけば俺たちが右往左往するか理解している。
「前回ぶっ殺したヤツとは別人なんだよな?」
「正確なところは分からないけど、その息子って説が有力ね」
「連中はきちんと世代交代できたワケか。なのにこっちは、いっぺん引退したのが主力なんだから笑えないよ」
とはいえ、俺たちもまだ若いといえば若いんだが。
俺はカップの水を飲み干し、さらに尋ねた。
「ところで、エルフは神命をどう考えてるんだ?」
「神命? いつからある話なのか知らないけれど、あんなの真に受けてるのドワーフだけよ。エルフはもっと現実的だわ。ま、帝は気にしてた様子だけど。貴族たちは半信半疑だったわね」
神というものの扱いの軽さよ。
なにせ実際、かなりカジュアルだからな。対話した人間と口論するくらいだし。
*
その晩、俺がベッドに身を横たえていると、久々に紫電が現れた。
「起きなさい、レオン。起きるのです」
「寝てない。起きてる」
なんとなく予感があったので、じつは寝たふりをしてずっと起きていた。
光の球体がふわふわとただよっている。暗い部屋でこんなに発光されたら眩しいのだが。
「なぜいつもひとりのときに出てくるのです? みんなの前に出てくれたほうが話も早いのに」
「なんと無神経な……。その場にいる全員が、この紫電を信仰しているとは限らないでしょう! もし別の神を信仰していたら気まずいではありませんか!」
「別に俺も信仰してませんけど……」
「いいえ、しています! あなたは私を信仰し、私の使徒として魔王と戦っているのです!」
これは怒らせると話が長くなるタイプだな。
「それで、ご用は?」
「ドワーフが神槍を破壊しました」
「あのレプリカを?」
「レプリカとはいえ、神槍は神槍です。研究と称して破壊するなど言語道断。厳しく処断する必要があります」
「はぁ」
「そこでレオン、あなたにはドワーフへの制裁を命じます」
「制裁? そんなことをすれば戦争になる」
「いえ、抗議文を送るだけで構いません。なにせ私は文書を書けませんから。神の使徒として、あなたがやるのです」
またムチャクチャだな。
いまドワーフとの関係をこじらせるわけにはいかない。
「もし戦争になったら、死ぬのは俺だけじゃ済まないんですよ?」
「戦争にならない程度で構いませんから。とにかくやるのです」
「新しい勇者にやらせればいいでしょう」
俺の皮肉に、紫電はふんと嘲笑した。
「ええ、本来であればそうしたいところです。目星はついていますし、実際そうなる日も遠くない」
「じゃあその人にやらせてください」
「待ちなさい。寝てはいけません。レオン、起きなさい。あなたのワインの隠し場所をエリスに伝えますよ」
「うおおおおっ」
思わず跳ね起きた。
もしそんなことをされれば、すべてが終わってしまう。ジ・エンドだ。勇者の終焉だぞ。こいつ、邪神だったのか。
「紫電さま、数々のご無礼をお許しください。ドワーフには全力で抗議文をお送りいたします」
「よろしい」
「しかし今回の騒動はなんなのです? あまりにごちゃごちゃしていて、ちっとも勇者らしい活躍ができないのですが?」
「うるさいですね。困っているのは私も一緒です」
「魔王軍に加護を与えてる神がいるって話じゃありませんか? 何者なんです?」
「憤怒の神です。飽きもせず、なぜか魔王にばかり加護を与え続ける変わった神で……。長いことハズレ続きだったのですが、今回はアタリだったようですね。憤怒も得意になるわけです」
「交流はあるのですか?」
「あるわけがないでしょう! 神々が直接争えば、この世界そのものが崩壊しかねないのですから。だからこそ、こうして人間を使って代理戦争をしているのです」
「てことは、俺たちは神の都合で戦わされてる駒ってわけですか」
「いまさら苦情を言われても困ります。何千年も前からそうなのですから」
いまからでも考えを改めてはくれないだろうか。
俺は溜め息をついた。
「ドワーフやエルフたちの神命について質問しても?」
「皮肉な話ですね。なにせ、彼らに命を下した神はとっくのむかしに消滅しているのですから。なのに曖昧な伝承だけが亡霊のようにただよっている」
「ホントに? それは教えてあげたほうがいいのでは?」
「放っておきなさい。どうせ聞く耳持ちません。神が命じても動かないときは動きませんし、その逆もまたしかりです。そもそもミッドランドが隙を見せなければ、彼らが兵を進めることもなかったはずです。結局のところ、彼らも伝承を都合よく解釈して混乱に乗じただけなのですから。まったく、下界の住人は争いが好きで困りますね」
争わせてる本人に言われたくないな。
ふと、紫電の光がぼんやりして来た。
「ともかく、ドワーフの件はくれぐれも頼みましたよ。お酒もほどほどに。あまり若くはないのですから。あなたが活躍しないことには、私への信仰も集まらないということを忘れずに」
「仰せのままに……」
寝入りばなに、神からの小言を聞かされる勇者とはいったい……。
いや、分かってる。ドワーフに抗議文だな。やるよ。
どっと疲労が来た。
やることが多すぎてイヤになる。エリスの言う通りだ。王だの勇者だの、俺には向いてないのかもしれない。
(続く)




