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魔水晶

 グレイフィールドの最北端に、ギンズバーグという名の小さな農村が存在する。そこが俺の故郷だ。もう十年以上も帰っていないが。

 そこへは、たびたびホワイトフィールドの猟師が行商に来た。トナカイの肉が売られているのも見たことがある。

 大人たちはそれを酒のつまみにしていた。いつか食いたいとは思っていたのだが、当時子供だった俺にはその機会が回ってこなかった。

 そうこうしているうちに勇者として王都に呼びつけられ、いろいろあって辺境にぶっ飛ばされたため、俺はトナカイからますます遠ざかってしまった。

 だというのに、いま思いもかけずに食えるという。

 悪いが大はしゃぎさせてもらう。


 外交儀礼上の会食とはいえ、この崩落寸前の宮殿でメシを食う以上、マナーなどないに等しかった。

 そもそもテーブルもないから食器も床に置かれる始末だ。俺たちはドワーフの高官を交えて車座になり、大皿から取り分けて食った。

 ドワーフたちは小さなグラスでスピリタスなる透明な酒をあおり、じつにうまそうに息を吐いた。

 俺も一杯だけ飲んだが、喉が焼けそうになってむせたので二杯目は辞した。どう考えても機械の燃料であろう。屈強なドワーフにはいいのかもしれないが、繊細な俺には合わない。

 トナカイは文句ナシにうまい。メインはやわらかな赤身を軽く燻して切り分けただけのものだが、臭みもなくいつまでも噛んでいられる。腸詰めはどれも塩味が強すぎるものの、肉汁のジューシーなタイプや、ブラックプディング風に仕上げたものなどが用意された。

 まあこいつにはキツい酒が合いそうだな。

 だがビール……ビールが欲しい……。どうすれば手に入るのだ。

「父上! おいしいですよ!」

 久々の肉にグヴェンも大興奮だ。

「よかったな。けど口にソースがついてるぞ」

「えへへ」

 ナプキンでごしごし拭いてまた食べ始めた。

 しかもいま父上って言ったな。二回目だ。しあわせ過ぎて死ぬかもしれん。

 マリアも曲芸のように指でフォークを回した。

「王さま、うちでもトナカイ育てようよ!」

「そうしたいのは山々だが、放牧できそうな敷地がない。それに、まずは戦争が終わらないことにはな……」

 これにドワーフたちがガハハと笑った。

「なんだ? トナカイが欲しいのか? だったら売ってやってもいいぞ! ただし、ミッドランドのポンドは受け取らん。物々交換だ」

 俺は顔をしかめた。

「悪いが、出せるものがない」

「なんだ? 貴国には産業もないのか? そんなのではいつまで経っても発展せんぞ」

「余計なお世話だ」

 しかし事実だ。産業がない。

 そのためにも、一刻も早くビールを作らねば。婆さん、早く来てくれ。国が滅ぶ前に!

 ダンが肉を噛みちぎり、ふんと鼻を鳴らした。

「一緒にメシを食った仲だ、ひとつだけ教えておいてやろう。俺たちの自動機械は熱に弱い。国で動かしてたときはまあまあよかったんだが、山を超えたら極端に故障が増えた。しばらくルーシを動けんから、その間に力をつけておいたほうがいいぞ」

 意外なことを言うもんだ。

 俺は肩をすくめた。

「かなりの弱点だと思うが、教えていいのか?」

「技術力には自信がある。俺たちは現場で問題を克服する主義でな」

「さすがだな。あのルーシを一日で制圧しただけのことはある」

 だがとんでもない朗報だ。ドワーフはルーシから南下できない。冬になれば状況が変わってくるかもしれないが、いましばらくは安泰ということだ。まあその猶予が一年だろうが二年だろうが、俺たちが対抗策を用意できるとも思えないが。


 *


 その晩、俺はひとり宮殿の外を散歩した。

 好きに見て回っていいと言われたので、内情を視察してやろうと思ったのだ。

 自動機械はそこら中に置かれており、静止している状態では金属製のオブジェにしか見えなかった。技師たちは仕事を終えてすでに不在。中を覗いてみようと思ったが、どこをどうすれば開くのかさえ理解できなかった。コンコン叩いてみるとかなり強固なことが分かり、とても人力で破壊できそうには思えなかった。

 もし戦場で出くわしたら、兵を退くしかないだろう。

 こんなことならジャスミンも連れてくるんだった。彼女なら、なにか弱点を見つけてくれたかもしれないしな。

「陛下……」

 後ろからグヴェンが来た。もこもこのコートを着て雪だるまのようになっている。

「どうした? 寝てなかったのか?」

「陛下こそどうしたのです? お散歩ですか?」

「せっかくだから、この自動機械とやらを見ておこうと思ってな。だがなにも分からん」

「鉄でしょうか」

「それすらも分からん」

「なにも分かりませんね」

「俺たちは、あまりに世界のことを知らなすぎるのかも知れんな」

 自動機械なるものも、神命とやらも、こうしてドワーフが来なければ知ることもなかったろう。


「ふんぬっ……ぬぅっ……」

 ふと、ドワーフの低いうめき声が聞こえてきた。

 誰かいるのだろうか。

 グヴェンが身をすくませたので、俺はかばうように立った。

 だが声の主は見えない。そういえばここは「金属メタルとヤるな!」と注意書きされていた場所に近い。もしかして物陰で自動機械とヤっているのだろうか……。ドワーフの闇は深い。

「ぬふぅっ……ふぬぬっ……」

 しかしマズいぞ。グヴェンの教育上よくない。

「グヴェン、帰りなさい」

「えっ? 陛下はどうなされるのです?」

「俺もすぐに帰る。だが周囲の安全を確認してからだ」

「けれども武器が……」

 グヴェンの言う通り丸腰だ。槍はドワーフに渡してしまった。

「素手でもなんとかなる。加護があるしな」

「とはいえ、盾のアミュレットを持つ私がいたほうがよいのでは」

「いや、大丈夫だ。帰ってくれ」

「なぜです? また私を邪魔者扱いして……」

「そうじゃない。お前の身を案じて言ってるんだ」

「ですから、それこそ盾の出番ではないですか」

「違うんだ。これはあらゆる状況を勘案した結果でな……」

 するとドスドスと足音が近づいてきた。

「誰かいるのか?」

 野太い声だ。

 やってきたドワーフは、この寒い中、上半身素っ裸だった。変質者かもしれない。両手に金属の塊を掴んでいる。それを交互に持ち上げ、ふんふんと声を発した。

「なんだミッドランド人か。衛兵かと思ったぞ」

「こんな夜更けになにを?」

 俺の問いに、ドワーフはぼうぼうの髭面でニヤリと笑った。

「見て分からんのか? 鍛錬だよ! ドワーフ鋼で作った分銅だ。こいつは効くぞ。とにかくムキムキになる」

「ほ、ほう……」

「だが誰にも言うな。こいつを作るのに、メタルゴーレムの腕を鋳潰しちまったからな。上はカンカンだ。ガハハ!」

 この変態め……。


 *


 翌日、技術者のもとへ案内され、例の魔力変換技術を見せてもらった。

「技術主任のロブだ。変換器コンバーターに興味があるんだってな? こいつがそうだ」

 出されたのは宝石のような青黒い柱の埋め込まれた箱だ。

 するとロブはハンマーを握り、おもむろに柱をガンガンぶっ叩いた。かすかに内部でキィンと鳴っているのが聞こえる。

「この柱は触媒の役目を果たしてる。内部に魔水晶があってな、こうして力を加えることで魔力が蓄積するようになってるんだ。そして魔力を力に変換するときは、この触媒を逆に挿す。だが用心しろよ。挿した瞬間、溜まってた力が全部逆流するからな」

 そう言って柱を入れ替えた途端、かすかに彼の手が押し返された。

「見ての通り、ちょっと叩いたくらいじゃロクな力にならん。だから水車や風車を使ってずっと叩かせておいて、あとで砲弾なんかをぶっ飛ばすのに使うんだ。ま、火薬を使ったほうが早いと思うがな」

「なるほど」

 理屈も分からんが、どう使えばいいのかもサッパリ思いつかん。大砲をぶっ放す予定もない。

 だがモニカが興味を示した。

「この魔力は……触媒がないと取り出せないのですか……?」

「いいところに気づいたな。魔法が使えりゃ触媒はいらねぇよ。この魔水晶ってのは、魔法使いが杖に仕込んでるのと同じヤツだ。だが俺たちドワーフにゃ魔法の素質がないもんだから、こうして触媒を使ってるってわけだ」

「その魔水晶というのは……どこで……?」

「おう。魔界に行けばいくらでも掘れるぞ。ここにも在庫があるから、好きなだけ持っていってくれ。使い道もないのに、場所ばっかとって仕方がねぇからな」

 魔界にあるのに、貴重品じゃないのか。

 俺はモニカに尋ねた。

「なにかいい使い道でも思いついたか?」

「はい、たぶん……」

 いまいち自信なさげだが、まあ俺よりは理解してるはずだ。彼女に与えて少し様子を見るか。


 ともあれ、手ぶらで帰る事態だけは避けられた。トナカイも食えたしな。

 失ったものは多いが……。この国力の差では仕方あるまい。

 自動機械の弱点が分かっただけでも収穫と言える。熱に弱いのなら、モーガンに焼いてもらうという手もある。


 *


 帰りの馬車でも、モニカはずっと魔水晶をいじくっていた。中に力を込めたり、取り出したりと自由自在だ。魔法の素養があるから、触媒を使わずとも操れるらしい。

「飽きないの?」

 マリアの問いに、モニカはふるふると首を振った。

「面白いよ……。マリアさんもやる……?」

「遠慮しとく。それよりトナカイ食べたい。グヴェン、トナカイ」

 マリアが指でつんつんすると、グヴェンも「はいはい」とバスケットを開けた。パンにトナカイ肉を挟んである。

 まあたしかにうまい。

 終わってみれば、あの酒も悪くなかった。アルコールだけはとにかく強烈だったが、クセがなくてすっと入ってくる。まあ、すっと入ったあとで内蔵がカッと熱くなるんだが。

 寒いときにはいいかもしれないな。自動機械の燃料にもなるようだし。

 それにしても、モニカの加護は氷雪だから、彼女が魔水晶を試すたびに室内の気温がじわじわさがっている気がする。

 マリアもぶるっと震えた。

「ねえ、モニカ。それさ、そろそろしまわない? なんか寒いんだけど!」

「ちょっと待って……。いいアイデア……思いつきそう……」

「帰ってからやりなよ! 寒いの苦手って言ってたじゃん!」

「なんか……平気……」

「もー。ちょっとハマるとすぐこれだもん。話しかけても聞いてくんないし」

「うん……」

 露骨に聞いていない。

 モニカは研究に没頭するタイプのようだな。

 だが待てよ。俺が使えば雷が出るのか? まるで神槍そのものじゃないか。この魔水晶を使えばアレと同じものが作れということか。帰ったら鍛冶屋に相談してみるか。

 それにしても寒いな。


(続く)

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