外交問題
ある日の昼下がり、俺たちは卓を囲んで紅茶を味わっていた。
べつにティーパーティーをしようってんじゃない。
「えー、では、第一回『ジャスミンをどうするか会議』を始めたいと思う。意見のあるもの、挙手を」
俺の言葉に、まっさきに手を挙げたのはジャスミンだった。できればほかのものを指名したかったが、仕方がない。
「ではジャスミン」
「ボクが帰れば済む話だと思います。父もそれを望んでいるようですし」
「なるほど、君の意見は分かった。ではほかに意見のあるもの」
こうして何度も意見を促すのには理由がある。俺はジャスミンに帰って欲しくない。
よこしまな気持ちで言ってるんじゃない。彼女は自分自身にさえウソをつく。だから本心がどうあれ、仲間に迷惑をかけないような選択をするだろう。そんな理由で帰って欲しくないだけだ。
スコーンを食うのに必死なエリスと、ソーマを吸いたそうにそわそわしているモーガンを除き、誰もが重苦しい表情でうつむいていた。楽天家のマリアでさえ。
俺はつい溜め息混じりでこう続けた。
「親書には理由が書かれていない。ただ帰してくれと言っているだけだ。だから……まあ、真意を問いただしてから決断するのでもいいと思っている」
すると紅茶をずずーと飲み干し、エリスがカップを置いた。
「あんたさ、なにが言いたいの?」
「なにってなんだよ? みんなの気持ちを知りたいんだ」
「フニャフニャしてるわね。あんたの気持ちはどうなのかって聞いてんのよ!」
「俺としては残って欲しい。だがいちおう国王なんだから、希望を口にしたらみんな忖度するだろう。意見を誘導したくないんだ」
「笑えるわね。誰があんたなんかに気を遣うっていうのよ」
「……」
悪いが、君以外はそれなりに気を遣ってくれてるぞ。
だがまあ、このやり方では意見を誘導してるも同然だな。こんな会議は自己満足と言える。
ジャスミンが申し訳なさそうに口を開いた。
「この大変な時期に、ボクのために時間を割いていただくことはありません。パープルフィールドはボクの故郷ですから、悪いことにはならないでしょう」
「君は帰りたいのか?」
「これ以上、みんなの重荷になるようであれば」
まったく嫌味のない爽やかな笑み。
だがこれに騙されてはいけない。言ってる内容はすこぶる酷い。
「勝手に決めるものじゃない。誰も重荷とは思ってないさ」
「であればいいのですが」
本当に、石膏像のような整ったスマイルだ。それだけに作り物であることが分かる。完璧な偽装だ。
俺はポンと軽く手を打った。
「よし、では今日はこれくらいにしておこうか。結論は保留だ」
「陛下の命に逆らって帰国するつもりはありませんが、どんな決断を下すにせよ、問題が起きる前にしていただいたほうがいいかもしれません」
「自由時間だ。好きに過ごしてくれ」
じつのところ、彼女が仲間だから引き止めているだけではない。重大な懸念がある。
帰国させて誰かと結婚させるつもりなら、おそらく親書にもそう書いてよこしただろう。従者になる以前から縁談があったらしいからな。
しかしなにも書けないということは、別の目的があるということだ。
懸念はこうだ。パープルフィールド伯は、神の加護を受けたジャスミンを手土産とし、西ミッドランドに寝返るつもりなのではないかと。
ジャスミンの父にしてみれば大事な末娘を売り飛ばす格好になるが、そもそも彼は騎士団の金を横領した負い目がある。領主をはじめとする有力者たちに逆らえないのであろう。
よって俺は「なぜ帰す必要があるのか理由を教えて欲しい」とパープルフィールドに返信しつつも、裏ではアンドルーにかような懸念がある旨を送ることにした。
事によっては、このせいでむしろ決裂しかねないが。
談話室を出てから、俺はすぐさま自室に入った。気持ちを整理させたかったのだ。
今日の予定は特にない。
おかしなことに、ワインを飲む気分でもなかった。ビールなら気分に関係なく飲めるが、肝心のブツが手元にない。そういえばビール婆さんにも手紙を送ったのだが、まるで返事が来ていない。最悪の場合、婆さんは来なくていいから、ビールだけでも送ってくれと言ったのに。いちおう俺、まだあそこの領主なのだぞ。
「ちぃす、ちょっといい?」
ドアをガチャリと開けてマリアが入ってきた。寒くなってきたのにへそ出しのままだ。
「いや、せめてノックしてよ」
「ごめんごめん。あのさ、いろいろ立て込んでるところ悪いんだけど、ひとつ聞きたいことがあってさ」
「なんだ?」
椅子をすすめると、彼女はすっと腰をおろした。前職の影響か、やたら身のこなしが軽い。歩いているときも足音を立てない。
彼女はにっといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「あのさ、家族が増えたら困る?」
「か、家族……?」
まさか、養子になりたいのか?
それとも俺と結婚……。
いや待て。彼女は十七だぞ。俺と十三も違う。まあ俺もそのくらいの歳で結婚した気がするけど。しかし俺にはすでに嫁がいるのだ。エリスがまだ結婚していると思っていてくれれば、だけど。正式に離婚したわけでもないしな。
彼女は不思議そうに体ごとかしげた。
「言っとくけど人間じゃないよ?」
「人間じゃない!? えっ? つまりはどういう……」
「あー、だからそのー、王さまって、動物とかどうかなーって……」
「いや、さすがに動物は試したことないな」
「試す? なにを?」
きょとんとしている。
違うのか。なんだ。いったい俺はなにを聞かれているのだ。
マリアは口をへの字にして、指で前髪をいじりだした。
「でもなー、ダメって言われてもなー。捨てたら可哀想だし」
「もしかしてペットのこと?」
「そそそ。ちっこいの。もふもふしてて可愛いよ!」
「まあ、ちゃんと面倒見られるならいいけど……」
「ホント? 飼ってもいいの?」
うちも農家だったからネコは飼っていた。犬でも番犬くらいにはなるだろう。グヴェンも小動物は好きだろうし。
ともあれ、深刻な用件じゃなくてよかった。
俺はほっと息を吐き、こう応じた。
「自分で世話するんだぞ? しつけもきちんとな」
「分かってる分かってる。じつはもう芸もできるんだ。あとで見せてあげる。じゃあ連れてくるね!」
満面の笑みで部屋を出て行ってしまった。
小さな動物が好きなんて、少しは可愛いところがあるんだな。
すると数分後、ふたたびノックもなしにマリアが飛び込んできた。
「おーさまー、連れてきたよー」
「ん?」
マリアは胸元に小動物を抱いていた。
リスだろうか? キツネだろうか? いやサルか? 額に宝石のようなものが埋め込まれたモンスターに見えるが……。
「見て、カーバンクルのメグだよ。お手ってすると、ちゃんとやってくれるんだ」
彼女はそのメグを床に起き、手を出して「お手」と命じた。しかし返ってきたのは高速パンチだ。これは芸を仕込んだのではなく、抵抗されているのでは。
「ねっ? 可愛いでしょ?」
「そ、そうかぁ? どこで拾ったんだ……」
「こないだ大雪山に行ったとき見つけたの。ひとりで行き場を失ってたから、かまってあげたら妙になつかれちゃって……。きっと寂しかったんだろうね。ほら、メグ。ここの王さまだよ」
「メグ、よろしくな」
だが俺は手を出さなかった。パンチを食らうのはごめんだ。
するとマリアはメグを置いたまま、なぜか廊下のほうへ行ってしまった。顔だけ外に出し、「いるなら入ってきなよ」と誰かに呼びかけた。
来たのはグヴェンとモニカだ。
「陛下、飼ってもよいのですか……?」
怒られるのをおそれるような態度で、グヴェンはこちらを見上げてきた。
みんなでこっそり飼ってたってことか。
「いいぞ。ただしちゃんと世話するんだぞ」
「はい! ちゃんとお世話します!」
「うむ」
なんて可愛らしい笑顔なんだ。春の日差しのようだ。十匹でも二十匹でも飼っていいぞ。
モニカがぼそぼそとつぶやいた。
「この子……たぶん魔界の子……きっと転移門から入ってきちゃったんだと思う……」
なるほど。魔王のやつが開けっ放しにしておいたせいか。開けたら閉めろってママに教わったはずだろう。
しかし野生のカーバンクルとはな。かつては国内にも生息していたらしいが、宝石目当てに狩られてしまい、ほとんどいなくなってしまったのだとか。
カーバンクルは成長してもそんなに大きくならないし、人に害をなすようなモンスターでもない。城においといても問題なかろう。なにより娘たちの嬉しそうな顔が見られるのはいい。
「とっても賢いね。ほら、メグ。次は三回転半ひねりだよ」
グヴェンの無茶な要求に、メグは警戒するそぶりを見せた。
娘よ、スパルタはよせ。
*
後日、返信が来た。
一通はパープルフィールド伯から「理由を言う必要はない」との高圧的な内容。そしてもう一通は、アンドルー配下からの「情報提供に感謝します」という受領の確認。最後の一通はビール婆さんからの「いま忙しいからムリ」という血も涙もない返事。もちろんビールはない。紙切れだけだ。大逆罪に匹敵する。
ともあれ、俺たちはふたたび卓を囲んだ。
「これより、第二回『ジャスミンをどうするか会議』を始める。だがその前に、ジャスミン。今回は君の意見は聞かないことにする」
「仰せのままに」
にこやかな笑み。
本当に、本心を出さない子だな。
俺は構わず続けた。
「先に結論を述べる。彼女の帰国は許可しない。パープルフィールドは彼女を手土産に西ミッドランドに寝返る可能性がある。よっていまこの情勢で、彼女を手放すことはできない。それに、この国にはまともな戦術家がいないんだ。いま彼女に去られたら、我が国にとっても大きな損失となる」
するとグヴェンが厳しい表情で手を挙げた。
「陛下、国の都合にジャスミンさんを巻き込むのですか?」
「帰そうが帰すまいが巻き込まれるのだ。であれば、俺たちの近くにいてもらったほうがいい」
するとエリスがふんと鼻を鳴らし、挙手もせずに口を開いた。
「パープルフィールドと戦争になったらどうすんの? あんた、ヤる覚悟あるの?」
「ある」
「神の加護を人の殺戮に使えば、精神が汚れるわ。その覚悟もあるのね?」
「ある」
「分かった。じゃあそのときは言って。私も隣で戦うから」
「愛してるぜ、エリス」
「知ってる」
人を殺したところで神の加護が奪われるわけではない。魔力が弱まるわけでもない。ただしエリスの指摘した通り、精神が汚れる。すると加護が攻撃的なものに変質するらしい。あくまで伝聞だ。実際どうなるかは知らない。
少女たちが緊迫した表情になったので、俺はこうフォローした。
「しかし戦闘に入る可能性は極めて低い。なにせパープルフィールドは東ミッドランドに属している。そしていま俺たちは、その東ミッドランドと同盟関係にある。まあ西に寝返ったらどうなるかは分からないが……。そうならないよう、アンドルー国王とも調整しているところだ」
パープルフィールドもうかつに動けないはずだ。外的要因が加わらない限りは、だが。
ドワーフに制圧されて以降、ルーシは沈黙し、アラクシャクも自国にこもったきり動きを見せなくなった。
しかし他の地域での戦闘は継続していた。西ミッドランドにダークエルフが攻め込んだのを契機に、北からはヴィンランドが、南からはシェバやパールサが仕掛けた。つまり西ミッドランドは、全方向からの攻撃にさらされているのだ。自業自得とはいえ、かなり悲惨な状況と言える。
いまは耐えているが、そのうち王都も陥落してしまうかもしれない。黙って眺めていれば、その後は東ミッドランドが標的となるだろう。
アンドルーは早急になんらかの手を打つ必要があった。
モーガンが珍しく神妙な表情を見せた。
「で、魔王軍は? 彼らがどう出るかによって、状況も大きく変わってくると思うんだけど。いまどこでなにしてるのかしら?」
「まったく分からん」
俺の率直な回答に、彼女は肩をすくめた。
「もちろんそうよね。じゃあ、こういうのはどうかしら? わたくしに少し暇を出すの。そしたらエルフの国に帰って、できる限り情報を集めてくるわ」
「またここへ戻ってこられる保証はあるのか?」
「あら、心配してくれるの? 大丈夫。わたくしはあのモーガン・ストロベリーフィールドよ? どんな危険にも対処できるわ」
「分かった。じゃあ調整しよう」
これにモーガンは眉をひそめた。
「あら? そこは『愛してるぜ、モーガン』じゃないの?」
「その言葉を口にすれば、俺は家族と地位を一度に手放すことになる」
だがエリスはテーブルをばんばん叩いて爆笑した。
「なかなか笑えるわね! とんだ勘違い男よ! そんなので私がいちいち嫉妬すると思う? そのエルフ、ブタとでも寝るような女なのよ」
自重を知らんのか。グヴェンも「母上」と顔をしかめるありさまだ。
モーガンはしかし気にしていない。
「そうよ、ブタでもモンスターでも関係ないわ。種族も性別も問わない。だってこれは救済なんだもの。互いに憎しみ合うより、愛し合うほうがよほどマシじゃない?」
発言の是非はともかくとして、彼女の眼差しはじつに慈愛に満ちていた。己が信念に疑いを持っていない。こういうときのモーガンはじつに美しい。すべての人類を俯瞰する上位種のような神々しさだ。少なくとも見た目だけは。
エリスも毒気を抜かれたらしい。
「分かった。私が悪かったわよ。撤回する。あんたがブタと寝るのは崇高な行いよ」
修道女の格好をしているのに、椅子の上で片膝を立てているから、すこぶる行儀が悪く見える。だが照れているだけだろう。
モーガンは目を細めて微笑した。
「愛してるわ、エリス」
「知ってる」
相変わらずだ。
しかしこれこそ俺たちの知ってるエリスだ。懐かしい気持ちになる。
だいぶ話題がそれてしまったので、俺は強引に結論を出した。
「よし、じゃあ話はまとまったな。モーガンは情報収集のためエルフの国に入ってくれ。こちらはジャスミンを帰さない方向で動く。情勢に変化があったらまた話し合おう。以上、解散」
*
かくして談話室を出ると、側近が近づいてきた。
「陛下、ドワーフ領より封書が届いております」
「ドワーフから? 分かった」
直接届けに来たわけじゃないところを見ると、たいした内容でもないんだろう。引っ越しの挨拶かもしれない。部屋で読もう。
自室に入り、俺は席について封筒を開けた。
飾り気のない白の便箋だ。そこにやたら角ばったヘタクソなミッドランド語で文字が書かれていた。
内容はこうだ。
一、グリゴリー・コマネチの身柄を要求する
二、神槍「紫電」のレプリカの譲渡を要求する
三、大雪山の譲渡を要求する
以上の要求が飲めない場合、上空からの爆撃も辞さない。
うむ。
これは見なかったことにしたいな……。
(続く)




