元家族
伝令は一足先に王都へ向かった。
これでグヴェンとふたりきり。
しかし彼女は、勇者と従者は無闇に親しくすべきでないと言い捨て、自分の部屋に入ってしまった。
ひとりになった俺はベッドに腰をおろし、これからのことを思った。
魔王軍がどこに陣取っていて、どの程度まで進攻しているのかは知らないが、ゲリラ戦術で各個撃破すれば勝てる。なにせ魔王軍の戦力の大部分はモンスターだ。あまり知能が高くない。連中は臨機応変に動けないから、部隊の配置さえ分かれば有利に戦える。
問題は武器だ。そこらの鍛冶屋が打った武器では、俺の魔力に耐えられない。神の加護を最大限に引き出すためには「紫電」という神槍が必要になる。
もとは俺が引き抜いたものだったのだが、戦後、国王に没収された。平和の象徴として博物館に飾るとかなんとか言って。さすがに貸してくれるとは思うんだが……。
国王は、あきらかに俺を信用していなかった。当時の俺が若さに任せてナメた口を聞いたせいだが、それを十年経ったいまでもまだ根に持っている。
辺境にぶっ飛ばされたのち、俺は気の迷いから反省文まで書いて送った。なのに返ってきたのは文官からの「受け取りました」という事務的な伝票のみ。
国王も、できれば俺なんかとは会いたくないんだろう。新しい勇者が見つかればよかった。しかし見つからず、魔王だけが攻めてきた。それで仕方なく俺を呼んだのだ。
ともかく槍だ。そいつがあれば魔王は倒せる。
かといってザコ相手に魔力を消耗するわけにはいかないから、少女たちの協力がいる。しかしグヴェンに戦わせるのは……。
考えただけで頭がどうにかなりそうだ。傷ついて欲しくない。むかしの彼女は、散歩から帰ってくると「お父さん、お花あげる」とたんぽぽを渡してくれた。頭をなでると目を細めて笑った。その娘に武器を持たせて戦わせるなんて……。
いや、ダメだ。なんとか理由をつけて娘は帰そう。神の加護を受けた少女はほかに四人いるのだ。あるいはリタイアした女たちも呼び戻せば頭数は足りる。娘を戦わせるくらいなら、ブタと寝る女と一緒のほうがマシだ。
*
その晩、夢を見た。
まだ幼かった娘と一緒に寝ていた。娘は子犬のようにキャッキャしながら、「お父さんのにおいがする」とはしゃいでいた。嫁は少し離れたところでうるさそうにしている。
「お父さん、ビールはほどほどにね」
「お母さんみたいなことを言うんじゃない」
「お母さん、怒ってるもん。ダメだからね?」
「分かってるよ」
分かってなかった。
べつに酔って暴力を振るったり暴言を吐いたりしたわけじゃない。ぐうたらしていただけだ。しかし黙っていても最低限の生活はできた。これのなにが不満だったのか分からない。
そう。俺はいまでも分かっていない。
戦いが終わってからも、嫁は毎日甲冑を着込んで剣を振るっていた。だらだらした生き方は性に合わなかったのだろう。それで俺に愛想を尽かした。
だが俺は生活を改めなかった。
俺はモンスターを殺すしか能がない。なのに辺境の農村には、野犬くらいしか出てこない。嫁はよく単騎で野犬退治に出た。しかもその晩のメシは必ず犬肉だった。
思えば彼女は……少しばかり戦闘狂だったかもしれない。
考えたくないが、娘にもそのけがあるかもしれない。頭がどうにかなりそうだ。花を愛でていた少女の内側に、おそろしい戦士の血が流れている……。
「伯爵! 伯爵! 朝です! いえ、もう昼です! いつまで寝ているおつもりです!」
木戸をドンドンと叩かれ、俺は跳ね起きた。
グヴェンの声だ。
手で顔をこすって身を起こし、俺は戸を開けた。
可愛いグヴェンが、しかし眉をひそめて立っていた。
「伯爵、またお酒を……。もう昼ですよ。急いで出立しませんと、陛下への謁見が遅くなってしまいます」
「そんなに急ぐことないだろう。向こうはこっちを都合のいい駒としか思ってないぞ」
「まったく反省していないようですね……。いえ、差し出がましいことを申しました。下でお待ちしております。準備なさってください」
「うん……」
厳しすぎて泣きそう。
というか、母親そっくりだ。なんでこんなに似てるんだ。親子だからか。まあそうだな。しかし似すぎだろう。クソ、この世界ってのは……。
*
まだ王都までだいぶあるというのに、娘は甲冑を着込み、完全武装で待機していた。さすがに母の剣は長すぎたらしく、自分用のを帯びているが。
こちらは武装せず、軽装で馬にまたがった。あんまり気張っても現地につくまえにへばってしまう。
俺たちは馬を並べ、街道を進んだ。
空は快晴。
初夏の爽やかな風を感じながら、ぽっくりぽっくりと馬のリズムに身を委ねた。
グヴェンは切りそろえた髪を風に揺らしながら、背筋を伸ばして堂々と騎乗していた。
「成長したな、グヴェン」
「人は誰しも歳を重ねます」
「おぼえてるか? むかし、一緒に馬に乗っただろ。お前、最初怖がっちゃってさ。泣きながら俺の後ろに隠れてたんだぜ? で、俺が乗って見せたら、自分も乗りたいって言い出して……。乗せたら大喜びしてな。それがいまじゃひとりで乗れるってんだから、ずいぶん成長したよ」
「そうですか」
「うん……」
つらい。
こんな辛辣な態度をとられるくらいなら、会いたくなかったよ。なにをするにも「お父さん、お父さん」と寄ってきた彼女はもういない。ただ王の命に応じ、勇者と同行するだけの従者のつもりなのだ。
「なあ、グヴェン。なんでこの旅に参加したんだ?」
「その問いには、昨日お答えしたはずですが」
「そうじゃない。俺と一緒に戦うことになるんだ。いろいろ思うところもあったはずだろう」
これにグヴェンは、不快そうに視線を向こうへやった。
「いろいろ考えた末に、考えるのをやめました。ですので、私のことはただの駒とお考えください。戦闘になれば剣を振るいます。それ以外のものではないと」
「ムリだ。お前は俺の娘だからな。傷ついて欲しくない」
「なにをおっしゃりたいのです? お命じになれば、その通りに行動します。それでよいではありませんか」
「なんだよそれ。じゃあ命令してやる。家に帰れ。お前はこの旅に必要ない」
すると彼女は手綱を引いて馬を止めた。
「家? 私に家などございません。しかし去れというのなら去りましょう。ただしその命令に従う前に、ひとつ確認しておきます。神の加護を受けた女は、勇者と同行することになっている。これは神の意志でもあり、王の意志でもあります。伯爵のお考えは、その両者に背くことになります。それでも構わないのですね?」
えげつねぇな。
しかし事実だ。俺の負けだ。
「待った。分かった。いまのナシ。ちょっと話題を変えよう」
娘を置き去りにしてひとりで王都に入ったら、王からごちゃごちゃ事情を詮索されそうだからな。いくら相手が国王であっても、家庭の事情に首を突っ込ませるのは面白くない。
グヴェンは溜め息をつき、馬を進めた。
「あまり言葉を交わすべきでないように思いますが」
「お前が俺のことを嫌っているのはよく分かった。けど、チームとしてやっていくなら、そのままの態度じゃ困るぞ。ほかの仲間たちの士気にも関わる」
「伯爵、時代は軍事教練です。号令によって一斉に行動すれば敵は倒せます。必要なのは、あらかじめ定められた手続き的な行動であって、仲良しこよしの暗黙の了解ではありません」
どこでおぼえたのか、もっともらしいことを言いやがる。
たしかに、戦術というのは進歩しつつある。戦闘ごとにリニューアルされて、日進月歩の状態だ。しかし変わらない部分もある。
俺はなんとか反論を口にした。
「お前の言うことももっともだ。しかし旅ってのはそれだけじゃない。人間がふたり以上いると、衝突ってのは必ず起こる。それを円滑に進めるのも大事なことだ」
「口を開くから無用の衝突が起こるのでは」
「いーや、違うね。口を閉じてても衝突は起こる。言わないだけだ。だいいち、俺がずっと無言でビールを飲んでたとして、お前、怒らないのか? 怒るだろう? そういうことだぞ」
「……」
娘はチラとこちらを見たものの、まったく反論してこなかった。
つまりは怒るということだ。
ビールは控えめにしよう。可能な範囲で。
俺は咳払いをし、こう続けた。
「ストレスは判断を鈍らせる。いいか。たとえ冷静なときにどれだけ賢かろうとも、すぐにイライラするようなヤツなら、そいつはいざというとき使えないってことだ。だから、できる限り衝突は避ける。それでも衝突するならビールを飲んで寝る。これだ」
「途中までは参考になりそうでしたが、結論がいただけませんね……」
「十三じゃまだビールは早いか」
この国では、飲酒はだいたい十五からだ。法で決まってるわけじゃないから、いくつで飲んだっていいといえばいいんだが。
娘はやれやれとばかりに溜め息をついた。
「そういう問題ではありません。伯爵、ビールはポーションではないのですよ。万能薬のように言うのはやめてください」
「そう言うなよ。こっちはエールとエーテルの区別もつかないんだ」
「むかしそんなジョークを聞いた気がします。ただし思い出してください。そのとき誰も笑っていなかったということを」
「むしろ怒られたな……」
「反省すべきかと」
そういえば一回もウケたことなかったぞ。火に油を注いでいた可能性がある。初めて気づいた衝撃の事実だ……。
「なあ、あいつは……エリスは俺のことなにか言ってなかったか? 俺、自分では気づいてなかったけど、かなり怒らせてたみたいだから……」
「聞きたいのですか?」
苦々しい顔になっている。
聞くべきではないのかもしれない。しかし率直な感想が知りたい。その上で受け入れなければ、俺は変わることができないだろう。
「教えてくれ」
「ではなるべく穏やかな言葉に置き換えてお伝えします。落馬しないよう、気を強くお持ちください」
「え、うん……」
心停止しない程度に頼むぞ。
彼女はやや思案顔になったかと思うと、言葉を選びながらこう応じた。
「要約すればこうです。あんな田舎にいては犬しか殺せない。とにかくモンスターを殺害しなければ乾きがおさまらない。なのに夫はビールばかり飲んでいて、少しも戦闘的ではない。衝動を抑えきれないので一刻も早く世俗から離れて寺院に入りたい。以上です」
「えっ……」
俺の問題ではなく、彼女自身の問題だったということか。ていうか、もはや心の病気だったのでは。そんなヤバい女だとは思わなかった。
いやまあ、モンスターに家族を殺されて、剣ひとつで生き延びてきたらしいから、分からなくもないんだけども……。
グヴェンは溜め息をついた。
「母も問題のある人物でした。ともあれ、伯爵とは水と油だったのでしょう。そもそもなぜ結婚したのか理解さえできませんが」
「いや、あのときは魔王を倒した勢いで盛り上がっちゃって……」
「人としての知性はどこへやったのです」
「そうはいっても、こっちは神に選ばれし勇者だし、彼女もそのチームのエースだし、魔王を倒しちゃったし、並の感動じゃなかったんだよ。ただの庶民が国を救ったんだぜ? テンションもおかしくなるよ」
しかしこれでひとつ判明した。
グヴェンは、母親とも一緒にいたくなかったのだ。なにせとんでもないバーサーカーだからな。
思い返せば、魔王の居城に突入したとき、嫁はかなりハイになっていた。過呼吸でケヒケヒ笑いながら、逃げ惑うモンスターを背後から切り捨てていたのだ。積年の恨みもあっただろう。とんでもない殺戮ぶりだった。
追い詰められた魔王がこちらに和平案を出してきたときも、さすがに嫁だけは許さなかった。殺しすぎたのだ。交渉の席でも、抜身の剣を持ってうろうろしていた。
まあこっちも異常なテンションだったから、人のことは言えないにしてもだ。彼女は飛び抜けておかしかったかもしれない。
かつての光景を回顧していた俺は、思わずつぶやいた。
「けどカッコよかったんだぜ、あいつ。どんなに大量の敵がいても、ひるむことなく切り込んでいってな。剣さばきも流れるようで、血飛沫がさ、花の咲くようだったんだ。長い髪をなびかせてな……」
グヴェンはしかし顔をしかめた。
「野良犬を殺していた記憶しかありませんが」
「アレも仕事だ。野犬は家畜を襲うから退治する必要があったんだ。可哀想だが、生活のためには仕方がない。お前の好きだったパンケーキも、鶏の卵を使ってるんだぞ。その鶏を守ったのが母さんだ。あんまり悪く言わないでくれ」
「認識を改めます」
素直な子だ。
頭をなでてやりたい。
次の町に行ったら、お菓子でも買ってやろうかな。
「グヴェン、パンケーキはまだ好きかい?」
「嫌いではありませんね。しかしむかしほどの好物ではありません」
「そうなの? じゃあいまは一番なにが好き?」
「ドラゴンステーキです」
「ドラ……なんだって?」
「ドラゴンステーキです。ご存知ありませんか? ドラゴンの肉を焼いたものです。アレに山ほど香辛料をかけて焼くのです。体に活力が満ちますよ。とはいえ、母が寺院に入ってからは口にできてませんが……」
「……」
なにしれっとドラゴン屠ってるんだよ……。危なすぎて魔王軍でさえ使役してなかったように思うんだが。ていうか、わざわざドラゴンを狩りに行ったのか。険しい山の奥にしか住んでないと思うんだが。
うーむ。
娘をチームから外して、バーサーカーとチェンジしたほうがよさそうだな。
「なあ、あいつはどこの寺院にいるんだ?」
「そう遠くありません。ここから南へ行ったところです。しかしお会いになるのはオススメできませんね」
「なぜ?」
「伯爵の名前の書かれた藁人形を相手に、拳闘の訓練をしていました。袋叩きにされるのがオチでは?」
「うん、やめておこう」
ボコボコにされた顔で王都に入るわけにはいかない。嫁に会うのは、紫電を手にしてからにしよう。
(続く)