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国境線の変更

 翌朝、俺たちが食堂に入ったころには、すでに国王とその側近たちは食事を済ませたあとだった。気を遣って時間をズラしてくれたのかもしれない。

 しかも支度は全部メイドたちがやってくれた。

「あの、伯爵……」

 うつむきながらパンを小さくちぎっていたグヴェンが、小声で話しかけてきた。

「なんだ?」

「その、できればですが、夜中に大きな声で言い合いをするのはやめて欲しいのです……」

「聞こえてたのか。ごめんな。そういうつもりじゃなかった」

「いえ、きっと母上が悪いんだと思いますが……」

 すると対面でパンを齧っていたエリスが、ふっと笑みを浮かべた。

「ねえ、グヴェン。なんで伯爵なんて呼んでるの? 父上って呼びなさいよ」

「えっ? いや、でもこれは……勇者と従者の……」

「なに? 照れてるの? お母さんが許可するから呼びなさい」

「わ、私の勝手ではありませんか。そのうち呼びますから……たぶん……」

 するとエリスはスープでパンを流し込んだ。

「ホント、照れちゃって。向こうじゃ『お父さんに会いたい』って駄々こねて大変だったのに」

「やめてくださいっ! そんなの、むかしの話ではありませんかっ!」

「むかし? 私が寺院に入る前だから、三年も経ってないでしょ」

「うーっ」

 足をバタバタやりだした。だが三年前はまだ十歳だ。駄々もこねるだろう。

 俺は咳払いをした。

「エリス、あんまり年頃の娘をはずかしめるものじゃない」

「あ、出た。カッコつけ。自分だけいいカッコして。私も若い頃はあんたのそれに騙されたわ。あーヤダヤダ」

「……」

 なぜか俺まではずかしめられている気がするぞ。

 マリアやモニカもくすくす笑っている。


 *


 午後、俺はルーシへの出発に備え、中庭で防具や馬車を点検していた。また二週間近くかかる。なにがあっても大丈夫なようにしておかねば。

 ほっと一息ついて椅子に座ったところで、ジャスミンがやってきた。

「伯爵、お話がございます」

「おや、なんだい。場所を移そうか?」

「いえ、ここで」

 特に思いつめた顔ではない。というより、いつもの涼しげな表情をしている。気持ちを隠すのが得意なようだ。

 彼女は空いている椅子に腰をおろした。

「じつはボクをルーシまで同行させていただきたいのです」

「ルーシに? だがそれは……」

「ボクの父は、かつてパープルフィールドのドラグーン騎士団に所属しておりました。しかし騎士団の金に手を付けたとかで除名され、以来、肩身の狭い思いをしております……。そんな家の娘がギンズバーグ領にいるとなれば、おそらく要らぬ火種となるのではと」

 飄々とした態度で言う。おそらく勇気を出して告白してくれたはずなのに。

 俺はうなずいた。

「事情は分かった。だがダメだ。君はここにいてくれ」

「なぜです……」

「ルーシに入れば、二度と出られないかもしれない。こんな局面だからな。ルーシとしては、他国への牽制のために、勇者という駒を手元に置いておきたいはず。君まで巻き込むわけにはいかない」

「ボクは従者です。勇者のいる場所にいるべきかと」

「君のことはとても信頼している。娘にもよくしてくれてるしな。だからというわけじゃないが、ここにいて仲間たちを守ってやって欲しいんだ。もちろん死ぬまで戦う必要はないが。危なくなったら逃げてくれ。パープルフィールドと戦闘になったときもな」

 最善の回答をしたつもりだったが、ジャスミンはぐっと拳を握りしめた。

「伯爵はズルい。自分だけ犠牲になろうとしている」

「そんな立派なもんじゃない。あくまで犠牲に見せかけた戦術だ。それに、槍も返してもらわないといけないしな」

「ボクのこと、どうしても連れて行ってもらえませんか?」

「一緒に来て欲しいのは山々なんだ。しかし我慢してくれ。仮にグヴェンやエリスが同じことを言っても俺は断るよ」

「分かりました……。お話を聞いていただきありがとうございます」

「うん」

 さすがに表情に出ていたな。

 しかし連れていけば確実に巻き込んでしまう。十代の少女をルーシに閉じ込めておくわけにはいかない。


 ややすると、今度は修道女が近づいてきた。

 嫁じゃない。例のビール婆さんだ。しわだらけの顔に気味の悪い笑みを浮かべ、ひょこひょことやってくる。

「なんだかずいぶん賑やかになっちまったね。新しい王さままで来ちまって」

「婆さん、ビールのことバラしただろ」

「こういうのはコソコソやってしょっぴかれるより、先に根回ししといたほうがいいんだよ。あんたは三流だから分からんだろうがね」

「ふん」

 だがこの婆さんの言うことは、いくらか正しい。

 俺の田舎でも、こういう人物は大切にされた。長く生きてるぶん、いろいろ知っているからだ。知恵のある老人には逆らわぬが吉だ。

 婆さんは椅子に腰をおろした。

「いまのところ売上は上々だよ。ただ、あんたがいない間、中央から来た文官が細かく麦の管理を始めてね。ビールに回せる量が減っちまった。優秀なのはいいが、融通が聞かないってのはいけないねぇ」

「レッドフィールドから食料の支援が来ることになってる。その在庫のチェックを手のものに任せることにするよ。途中で抜いて帳尻を合わせてくれ」

「ふぇふぇふぇ。話の分かる領主さまだ。新しい樽を開けたんで、いくらか瓶詰めしたんだがね。それをあんたにあげたくなってきたよ」

「愛してるぜ、婆さん」

「やめとくれ、あたしゃ誰も愛さないよ。なんせビールと結婚したんだからねぇ。ふぇふぇふぇ」

 ビールと結婚! その手があったか!

 いや、ふざけんな。クソみたいなジョークをカマしやがって。あとで嫁や娘にも披露してやろう。きっと機嫌を損ねるだけだろうがな。

 この婆さんのジョークをパクってウケたためしがない。


 *


 その夕刻、俺は国王にだけ挨拶し、すみやかにルーシランドへ向かった。

 家族に挨拶なんてしたら、気持ちがブレてしまいそうだったからだ。それに、婆さんからも秘蔵のビールをもらった。こっそり飲むには馬車の中が一番だ。


 *


 約二週間後、俺はルーシランドのベロ宮殿に入った。

「期限ギリギリといったところだな。戻ってこないかと思ったぞ」

 出迎えたコマネチも満足げにカイゼル髭をなでた。

「なにぶん距離がありまして」

「ふん。早馬を飛ばせばもっと時間を短縮できたはずだぞ。おおかた酒でも飲みながら馬車でのんびり帰ってきたのだろう」

「でへへ」

 まあそれ以外ありえないよな。けど期日に間に合ったんだからいいじゃねーか。とっとと槍を返してくれや。

「ではホワイトフィールドの一部をギンズバーグと改め、伯爵の領地とする」

「ホワイトフィールドといっても広大ですが、いったいどの辺りを」

「喜べ。分かりやすい場所にしておいてやったぞ。先日、卿らがゴブリンどもから解放したあの町だ」

「……」

 さんざんにぶっ壊されたあの町か。トーシロの俺にアレを立て直せってか。また面倒な場所を押し付けられた。

 俺は謁見の間にひざまずいたまま、こう尋ねた。

「魔王軍の動向はどうなっています?」

「大雪山には姿を現していない。我らに分かるのはそれだけだ。あとはヴィンランドか、あるいはパールサ、ヴァンランに聞いてみないことには分からん」

 それぞれ、北西、南西、南東にて独立した国家だ。領内に転移門を持つ。


 この転移門というのは、人界と魔界をつなぐ魔法の門だ。

 人間の力では破壊も操作もできない厄介な遺跡で、なんらかのタイミングで勝手に現れたり消えたりする。基本的には魔王軍が操作していると思われるのだが。


 俺は話題を変え、こう進言した。

「ところで、東ミッドランドの状況を見て参ったのですが……」

「なにか面白い話でもあるのか?」

「国王と会うことができました。彼らは西ミッドランドと戦って勝つつもりでいます。いまなら互いに協力できそうな気がするのですが……」

 するとコマネチは不快そうに顔を歪めた。

「ギンズバーグ卿、出過ぎたマネをするな。あんな弱小国と手を組む気はない。ルーシランドは北の大国。のみならず、いまや伝説の勇者さえ擁している。釣り合わんのだよ。東ミッドランドなど、気を抜けば明日にでも滅びそうではないか」

 好き放題言ってくれる。


 だが先王の態度を思い出せば、諸侯が腹をたてるのも無理からぬ話であった。

 俺は特別に土地税を免除されていたが、他の領主たちはそうではない。土地の広さに応じて税を課されていた。広大なルーシは特に負担であっただろう。なにせ大雪山の税まで払わされていたのだ。

 そういう金銭面での搾取があるだけでなく、王の縁故ばかりが優遇され、辺境は特に低く扱われた。勝手に結婚を斡旋したり、なにか理由をつけては特産品を貢納させたりした。

 どの領主も、独立の機会をうかがっていた。

 そして機会がやってきたのだ。魔王軍が現れ、国王が死に、継承権を争って国が二分した。それが即座に四分五裂するのは自明の理であったろう。


「陛下は、このあとどうされるおつもりで?」

「愚問だな。南進する。東ミッドランドをできる限り切り取るぞ。ヴィンランドやアラクシャクとはすでに休戦協定を結んだ。北は山だ。安心して領土を拡大できる」

 ヴィンランドとアラクシャクは、それぞれルーシランドの西と東に位置する国々だ。北は大雪山をはじめとした連峰であり、ドワーフから攻められる心配もない。

「南には私の故郷がございます」

「だからなんだ?」

「できれば武力ではなく、対話にて調略していただきたいのですが……」

「素直に応じればな。だが少しでも渋るようなら兵を入れる。ギンズバーグ卿、これは戦争なのだ。情けをかけたところで誰も褒めてはくれぬぞ」

「はい」

 その通りだ。混乱に乗じて可能な限り利益を拡大しておかなければ、このあとの競争に負けてしまう。弱いヤツからむしれるだけむしるのが戦争というものだ。だからこそ避けるべき事態なのだが……。しかし始まってしまった以上、ひたすら拡大し続けるしかない。

 いまの俺の立場では、あまり口を挟むべきではないのだろう。いたずらに心証を損ねる。

 せいぜい故郷の親類縁者が軽率な行動をとらぬことを願うばかりだ。


 *


 かくして俺はホワイトフィールドの新ギンズバーグ領に居を構え、世界の動乱を傍観する存在となった。

 故郷は一日で蹂躙じゅうりんされたらしい。

 現在、ルーシランドは、東ミッドランドのグレイフィールド伯と交戦中だ。グレイフィールドは精強だから、長期戦となるだろう。

 本来なら西ミッドランドもこの機に乗じ、東ミッドランドを力づくで切り取りたかったところだろう。しかし彼らは動けなかった。西の異民族であるダークエルフが、突如として西ミッドランドへの侵攻を開始したからだ。

 もともとミッドランドは四方を異民族に囲まれている。北にはドワーフ、東にはエルフ、南にはノーム、そして西にはダークエルフが住んでいる。

 ダークエルフの魔法部隊は強い。生まれながらにして魔法の適性があるから、一般兵でさえ魔法を使ってくる。もとのミッドランドとは休戦協定を結んでいたはずだが、西ミッドランドなどという新興国のことは知らんというわけである。

 誰も彼もが理由をつけて領地を欲した。

 魔王軍は動きを見せない。

 こうして人間同士が争っているのを眺め、最後にすべてをかっさらうつもりなのかもしれない。

 争っている場合ではない。しかし取らなければ取られる。泥沼であった。


 *


 俺はロクに策もないまま秋を迎えた。

 町は勝手に復興している。

 ここに領主はいてもいなくてもいい。コマネチから派遣された文官は生真面目だし、兵士たちも規律正しい。唯一の問題点は、誰も俺のことを信用していないということだ。部下というより、監視役に近かった。

 俺は領主という名の囚人だ。

 娘から何度か手紙が来たが、すべて文官の検閲を受けた。俺も当たり障りのない返事しか書けない。

 このままここで、世界がボロボロになるのを見守るしかないのだろうか。

 毎日が憂鬱だった。

 もっとも俺を苦しめたのは、この地にビールがないという事実だ。ワインを飲むしかない。まあ、これはこれでうまいんだが、どうにも気分が盛り上がらない。


 ある日、ひとりの修道女が城を訪れた。

 そいつは神の言葉を告げるため、勇者に会いに来た流浪の修道女とかいう話だった。が、謁見の間で出くわした瞬間にエリスだと分かった。

「勇者よ、わたくしは神の啓示を受けました」

「う、うん……」

 なにしに来たんだいったい。この城にはまだ使い道があるのに、まさかそれをぶっ壊しに来たのか。

 周囲の兵士たちは、彼女を本物の修道女だと思いこんでいるらしく、完全に気を抜いていた。

「世界はまもなく滅びます! なぜならば! んー、なぜならば!」

「なぜならば?」

 演技がヘタクソだな。なんなんだこの三文芝居は……。

「えー、なぜならば! 魔王軍が!」

「魔王軍が?」

「魔王軍が出てきて世界が! 世界が混乱におちいって! んー!」

「ううむ……」

 すまない、エリス。君がなにをしたいのかまったく理解できない。

 そのとき、遠方でダーンと音がした。

 なにかが爆発したような轟音だ。城の外であろう。ややあって、ビリビリと城が微震した。ずいぶん遠方で起きた爆発のようだ。

 兵士が慌てた様子で駆け込んできた。

「報告! ドワーフからの砲撃によりベロ宮殿が大破した模様!」

「はっ?」

 ドワーフ? どうやって山を超えたんだ……。


(続く)

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