家庭の事情
その後、国王を迎えての食事会となった。
席次は国王付きの執事がその場で決めた。主賓席はアンドルー。あとは一緒に逃れてきた高官が続き、俺たちは下座のほうに近かった。まあ国王が客ではな。
食前酒には寺院で醸造されたビールが振る舞われた。わざわざグラスに注いで、だ。こんなお上品に飲むようなものだったとはな。
気楽な食事ということで、国王はほとんど演説をしなかった。マナーも適当。
実際の手続きがどうなっているのかは分からないが、おそらく東ミッドランドは戦時下にあるから、これも野戦食の延長という感じなのかもしれない。
野菜をぶつ切りにして塩水で茹でただけの料理が次々出てきた。
「物足りないわね。肉が食べたいわ」
向かいの席のエリスが堂々とそんなことを言った。
だがこの痩せた土地では家畜の飼育さえままならないから、そうそう肉も手に入らない。誰かが人数分の野犬を狩ってくれば別だが。
豆やパン、卵があるだけマシと思って欲しい。
俺は隣で黙っているグヴェンに尋ねた。
「彼女、ずっとあの調子だったのか」
「いえ、年々悪化している気がします」
「だよな」
以前はここまでではなかった気がする。
精神修養のために寺院に入ったはずなのに、なぜ悪化してしまうのか分からない。
するとエリスは、こちらへ目を向けた。
「どうしたの、レオン。ビールが進んでないみたいね」
「たしなむ程度にしているんだ」
「そのやせ我慢、いつまでもつかしら」
「……」
正直、長旅で疲れていて酒どころではないのだ。というより馬車で散々飲んできた。
アンドルーが助け舟を出してくれた。
「ルーシ卿から、命からがら逃れてきたばかりでしたね。さぞ疲れたことでしょう」
「代わりに神槍のレプリカを奪われてしまいました」
「事情を考えればやむをえません。むしろ皆さんが無事でなによりです」
「ありがたきお言葉。ところで魔王軍の動きは?」
「残念ながら、詳しいことは分かりません。各地の独立により、転移門へ至るルートがすべて封鎖されてしまいましたから。いまはなんらの手がかりも得られない状況です」
北東の大雪山、北西の大氷原、南東の湿地帯、南西の無限砂漠、これらが転移門の出現ポイントとなる。そして近ごろ独立した国家の領内。
いまやどこへ向かおうにも、他国の領地を通過せねばならない。
逆を言えば、魔王軍もミッドランドを攻めようと思えばそこを通過する必要があるのだが。彼らがすでに手を組んでいるのだとしたら、こちらは圧倒的に不利となる。
「今後の展望は?」
俺の問いに、アンドルーは珍しくおどけたような笑みを見せた。
「なにも。おもだった諸将は、すべて西側についてしまいましたから。戦力差も圧倒的。なにせ王都ごと掌握されてしまいましたからね。パープルフィールド卿も、いつまでこちらの味方でいてくれることか」
パープルフィールド卿本人は、決して悪い人物ではない。しかし領土が広いと部下も多くなる。その部下が一斉に進言してきたら、おそらく突っぱねることはできないだろう。
だがこう考えることもできる。パープルフィールド卿がふらふらしてくれれば、それだけ時間を稼ぐことができる。西側としても、自分の味方となりそうな相手に攻め込んだりするまい。
もしパープルフィールドが落ちれば次はレッドフィールドが戦地となり、すぐにこのギンズバーグまで到達するだろう。時間は稼げるだけ稼ぎたい。
「じつはルーシ卿から、爵位と領地を授けると言われました。そこをもらっておいて、こちらに有利に運べるよう動くという手もあります」
「危険ではありませんか?」
「どうでしょう。しかし私にできることはほかにないように思います」
するとグヴェンがじっとこちらを見ているのに気づいた。というより、向かいの席のエリスにうながされて振り返ったら、グヴェンと目が合ったのだが。
「ん? どうした?」
「伯爵、またあそこへ行かれるのですか?」
「ああ。だが安心してくれ。お前はここに置いていく」
「えっ……」
「これは勇者としての使命じゃない。臣下としての努めだ。ひとりで行く」
「……」
不服そうだな。一緒に来たいのか。しかし連れて行っても、また人質に使われるだけだ。そしたらまたビービー泣かれる。あんなのはもうゴメンだ。
その夜、俺は客室にて、ひとり窓から景色を眺めていた。
自分の城なのに客室というのも妙な話だが、まあ国王がいるんじゃ仕方がない。王を客室に押し込むわけにもいかないしな。家臣への配慮もある。領地を召し上げられなかっただけマシというものだ。
それにしても、この地の景色は変わらない。
来たときはエリスとふたりだった。すぐにグヴェンが生まれて三人になり、そのうちふたりが去って俺は孤独を得た。
平地なのだが、周囲を山々に囲まれており、レッドフィールドもエルフの国もロクに見えない。憂鬱な空間だ。なにもかもが閉ざされている。
失意のまま生涯を終えるはずだった。なのに魔王が来たおかげでグヴェンと再会できた。ついにはエリスとも。
みずからの努力で勝ち取った結果ではない。流れでそうなっただけだ。だからついガラにもなく、少しは自分の意志で動いてみようと思ったのだ。
しかしルーシ領へ行くのはただの献身からではない。打算がある。もし東ミッドランドが負ければ、ギンズバーグも破壊しつくされるだろう。そのとき俺がルーシランドに領地を持っていれば、グヴェンを逃がすこともできる。
これは王への背信ではない。
もしルーシの領地を使って東側に加勢できるのなら、間違いなく王への忠義となろう。ルーシランドも独立したばかりで仲間が欲しいはずだ。東ミッドランドと手を組むこともありえる。俺はその仲立ちをしたい。
とにかく、ここでじっとしているわけにはいかない。
ふと、ドアがノックされ、こちらが返事をするより先に女が入ってきた。
エリスだ。ここでは修道女で押し通すつもりなのか、まだ修道服のままである。
「ちょっといい?」
「ああ」
いったいなんの話だ。ふたり目の子供でも作ろうってのか。いや、そんなこと言ったらぶん殴られるな。
彼女はベッドに腰をおろし、こちらを見上げた。
「あんた、ホントはどう思ってるの?」
「どうって?」
「戦いたいの? 戦いたくないの?」
まさかそんなのが本題じゃないだろうな。
俺は窓際に寄りかかり、思わず溜め息をついた。
「その質問には不備がある。なんのために、という目的が明確でなければ回答できない」
「じゃあ戦いたくないってことね」
「そう判断してくれて構わない」
するとエリスはふっと笑った。
「誤解しないで。べつにそれであんたを軽蔑したりしないから。逆に最近、そういうのもいいと思えてきたし」
「意外だな」
俺の返事に、彼女は肩をすくめた。
「それにしても、予想以上にグヴェンがなついてて驚いたわ」
「俺もだ。ま、こっちはあの子にできることはしてるつもりだからな。少しは気持ちが伝わったのかもしれない。これからも、彼女を守るためにできることをする」
「じゃあ禁酒は?」
「禁酒は……する……というか、しようと努力してはいる……というか、まあ、ゆくゆくはな……。あ、でもアレだ。つまりビールを飲んだほうが効率よく動けるんだから、やっぱり飲んだほうがいいだろう」
どうだ。言い返せまい。
エリスも苦い笑みだ。
「そうやって自分を正当化しようとしてるうちは、ひとつも成長できないわよ」
「いや待て。そういう君はどうなんだ? いきなり城を飛び出して寺院になんて入って、むしろ悪化して帰ってきたじゃないか」
「あ、分かる?」
「分かるよ!」
なんだよ。その「ちょっと髪切ったんだけど」ぐらいのリアクションは。
エリスは立ち上がり、こちらへずいっと寄ってきた。剃髪してはいるが、整った顔立ち。体つきもいたって人並みで、見た目からはバーサーカーとは思えない。おとなしくしていればいい女だ。
彼女はにこりとほほえんだ。
「寺院に入ってみて思ったのよ。みんなご立派なのはいいけど、ちっとも私の出番がないなって。だけどここにいたときは、あんたのことガミガミ言いながらも、なんだかんだ充実した日々を送れてた。本気でムカつくときもあったけど……」
「帰ってきてくれるのか?」
「そうしたい。けど、ただ戻ってくるのもなんだから、条件をつけようと思って。条件というか、これは私自身に課した試練ね。勝手に出て行ったのは事実だもの」
「いや、ただ戻ってきてもいいぞ……」
だが彼女は聞いていない。
「あんたさ、私と戦って勝って見せて? そしたらおとなしくあんたのものになるから」
「えぇっ? 別の方法にしない?」
「なんなの? フニャフニャしてるわね。私たちにはほかに取り柄もないでしょう? あんたは神槍使っていいから。こっちは例の長剣で挑むわ」
甚大な被害が予想されるんだが……。
彼女はこう続けた。
「もし勝ったら、城は私がもらうわ。もちろん、そのときはあんたに出て行ってもらう。あんたは独身で職もなく土地もない、アレなおじさんになるのよ」
「ムチャクチャだよ!」
「そうでもしないと本気出さないでしょ?」
なんなんだよ。魔王軍が再来し、これから戦乱渦巻く世の中になるってのに。ケンカして勝ったら城をよこせって……。
伝説の勇者なのに、世界を救ってる余裕もないぞ。
「俺たちが戦ったりしたらグヴェンが哀しむ」
「やめなさい。あの子のことを出すのはズルいわ」
「なあ、俺たちはもういい大人なんだぞ。そうやってなんでもかんでも剣と魔法で解決するのやめないか?」
「じゃあなに? ビールで解決しろっていうの?」
するとドアが開き、草を握りしめたモーガンが入ってきた。
「ならソーマで解決しましょう!」
「ふざけんな!」
思わず全力でつっこんでしまった。
モーガンはしかし帰るそぶりも見せず、巫女装束のままするすると近づいてきた。
「盗み聞きするつもりはなかったのよ。ただ、ふたりの声が大きいから聞こえてしまって。で、ケンカしながらヤってるのかと思って覗いたら違ったってわけ」
邪推もいい加減にしろ。
「ちなみにわたくしは、たったいまお手洗いでスッキリしてきたところよ。とても気分がいいわ」
「その情報はいらない」
するとエリスもさめた目で嘆息した。
「大きいほうなの? 小さいほうなの?」
「全部よ」
確認するな。答えるな。
モーガンはすっとベッドに腰をおろした。
「けど、そうね。レオンの言う通り、剣と魔法で解決するのもほどほどにすべきだわ。世界はそれだけでできているわけじゃないもの」
戦友の助言に、エリスはうるさそうに眉をひそめた。
「それがなんなの? あんたはラリってヤれれば満足なんでしょうけど、こっちは違うの。ずっと剣だけで生きてきたのよ。すべて剣で決着をつける。もしそれがイヤなら私に構わないで。勝手に近づいてきて勝手に傷つかれるのは迷惑よ」
「強がりね。グヴェンを生んだとき嬉しくなかったの? 可愛いと思わなかった? 親として気持ちが満たされることもあったはずよ?」
「あった気もするけど、剣のほうがいいわね! これ何回も言ったと思うけど? もしかしたら私は異常なのかもしれない。けど、異常なんだとしたら、そういうものだと思ってくれないと困るわ。一般論を押し付けないで」
おかしいな。モーガンがまともに見えるぞ。
だがケンカもほどほどにしていただきたい。なにせ小さい城だ。みんなに聞かれる。
モーガンも溜め息をつきながら立ち上がった。
「そうね。分かってる。けど、どうしても期待してしまうのよ。わたくしの最高の友人が、最高にしあわせな家庭を築いてくれるんじゃないかって。わたくしにはできないことだから」
「悲観しすぎよ」
「そうね。ま、あんまり首を突っ込んでもなんだし、そろそろ邪魔者は退散するわ。よかったらこのソーマ使って? ケンカとかどうでもよくなるから」
いや、置いていくな。持って帰ってくれ。
モーガンが去り、ベッドに草の置かれたのを見ると、エリスもさすがに顔をしかめた。
「ふたりで吸うには多すぎるわね。みんなでヤれっていうの? それとも一週間分? あんたどう思う?」
「あとで帰そう」
「吸わないの? 常習性ないわよ」
「そういう問題じゃない。グヴェンの教育上よくないだろう」
これにエリスは眉をひそめた。
「教育ぅ? 噂によるとあの子、このところずっとやらしい書物ばかり読んでるらしいじゃない。ローブの子に影響されたんじゃないの? そういうの野放しにしといて、なにが教育よ」
「うっ……」
「とにかく、いらないならこのソーマは私があずかるわ。さっきの話、ちゃんと考えておいて。それじゃおやすみ」
雑な投げキッスをして、彼女は部屋を出て行ってしまった。
さっきの話だと? ふたりで決闘するってことか? するわけないだろう。城が壊れるぞ。
(続く)